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婚約破棄された令嬢、目覚めた場所が30メートル級の騎装機コックピットでした

作者: 東山道行
掲載日:2026/01/10

――爆音。


耳の奥をえぐる衝撃が、骨を通って心臓まで届いた。

視界いっぱいに浮かぶ光の線。円弧。数値。赤い警告。青い航法。緑の味方識別。


私は、座っている。

いや、“座らされている”。


背中から腰へ、金属のフレームが身体を固定している。肩には硬いベルト。両腕の位置に操縦桿。足元には踏み込み式のペダル。

目の前はガラスじゃない。透明でもない。けれど外が見える。戦場が見える。映像が、私の瞳の内側に直接貼りついている。


――何これ。

――なんで?


答えが来る前に、左側のスピーカーが割れた。


『……お嬢様! お嬢様、応答できますか!』


女の声。息が乱れている。泣いているのか、叫んでいるのか分からない。

“お嬢様”という呼びかけが、脳に釘を打つ。


お嬢様? 誰が? 私が?


私は口を開いたつもりだったのに、喉から出たのは空気だけだった。

それでもヘルメット内のマイクが拾ったのか、声帯が勝手に振動したのか。


「……え、なに……ここどこ……?」


自分の声が、やけに若い。

そして、やけに――上品だ。


『お嬢様……! よかった、生きて――いえ、生きていらっしゃいますね……! ですが今、前線が崩れかけています! 機体、動かせますか!』


機体。

私は視線を下に落とした。


自分の手。白い手袋。指先が震えている。

その指の動きに合わせて、目の前の表示が変わる。

右上に、見たくもない大きな文字が点滅した。


【騎装機:ディべリディアン 適合率:0.0%】


適合率?

いや、今それどころじゃない。


外――いや、外の映像。

灰色の大地に、火柱が幾つも立っている。

遠くで、同じように巨大な人型が倒れ込む。腕が千切れ、火花が散る。


“巨人”だ。三十メートル級の人型が、戦っている。


私のいる場所も、その巨人の“頭”の中――コックピット。


――なんで私、こんな所にいるの。


脳が理解に追いつかない。

理解に追いつかないのに、身体だけが“知っている”みたいに動こうとする。


その時、別の回線が割り込んだ。


『――王都通信局。公爵家令嬢リーゼ・フォレル・グランセル殿に通達。王太子殿下との婚約は、ただいまをもって破棄された』


世界が、止まった。


戦場の爆音が遠ざかる。

警告灯の赤が、ふっと色を失う。

代わりに、胸の奥へ冷たい杭が打ち込まれる。


――婚約、破棄。


言葉が意味を結ぶより早く、別の“感情”が流れ込んできた。

私のものじゃない。

でも、私の中で起こった。


眩暈。息が詰まる。喉が焼ける。胃がひっくり返る。

そして、痛みではない痛み。

胸の内側が、紙みたいにくしゃくしゃになる感覚。


(うそ、やだ、いや、どうして、わたし、わたし――)


誰かの声が頭の中で泣き叫ぶ。

私の声じゃない。

けれど、その声が、心臓を直接握りつぶしてくる。


(……わたしは、捨てられた)


その瞬間、鼓動が途切れた。


――すとん、と。

身体から熱が抜けるように、視界が暗くなる。


私は、死んだ。


いや、“死んだ”のは、元の持ち主だ。


この身体の、これまでを生きてきた彼女――リーゼ・フォレル・グランセルが、婚約破棄の報せを戦場で聞いて、そのショックで心臓が止まった。

その死の感覚が、今、私に流れ込んだ。


私は息を吸えないまま、両手で胸を押さえた。

ヘルメットの内側に、荒い呼吸が反響する。


「う、そ……」


視界の端にログが走る。

まるで機械が淡々と記録しているみたいに。


【バイタル:停止 → 復帰】

【人格:切替】

【適合:再同期】


私は、戦場で蘇った。

もっと正確に言うなら――“入り込んだ”。


(転生……?)


言葉にした瞬間、脳の奥が勝手に補完した。

前世の記憶。日本。スマホ。満員電車。

……そして、最後の曖昧な途切れ。


でも今はそれを整理している暇はない。


だって私は今――。


「なんで戦ってんの?!」


叫んだ。

誰に向けてか分からない。世界に向けてだ。


「なんでコックピット!? なんで巨大ロボ!? なんで貴族社会!? なんで私がお嬢様!? なんで戦場で婚約破棄!? なんでこのタイミングで追い込むの!?」


ツッコミが止まらない。

止めたくても止まらない。止めたら心が折れる。


『お嬢様!? 落ち着いてください! 今は敵影が――!』


「落ち着けるかぁぁぁ!」


私の怒鳴り声に呼応するみたいに、コックピット全体が震えた。

震えじゃない。機体が姿勢を変えた。

私が何もしていないのに、巨人の手が上がる。


映像の中で、ディべリディアンの掌が開いた。

その掌に、光が集まっていく。


【武装:光槍展開】


誰が操作した。私じゃない。

でも、私の指先がほんの少しだけ操縦桿を握り直していた。


『敵機三! 距離五百! このままだと防衛線を突破されます! お嬢様、ディべリディアンを……動かしてください!』


「動かせって……いや、動いてるじゃん!」


ツッコミながら、私は視界の奥に捉えた。

黒い影。人型。味方より鋭い輪郭。背中に推進器。肩に砲。


こちらへ向けて砲口が光った。


――撃たれる。


恐怖が背骨を冷やす。

その恐怖に、機体が反応した。


視界の中央に白い円が現れる。

“ロック”。

そして、心臓が再び跳ねたのと同時に、適合率の表示が跳ね上がった。


【適合率:0.0% → 12.7% → 38.4% → 79.1%】


「え、え、え、なにこれ!?」


説明なしで世界が進む。

なのに身体だけが“正しい”手順を知っているみたいに動く。


私は操縦桿を引いた。

引いた、つもりだった。

実際には引かされたのかもしれない。


ディべリディアンが滑るように前へ出た。

砲撃が機体の横を掠め、空気が爆ぜる。

私は悲鳴を上げるはずだったのに――声が出ない。


代わりに、頭の中に、もう一つの声が響いた。


(……やっと、起きたのね)


リーゼの声。

死んだはずの、元の持ち主の声。


(逃げないで。奪われたまま終わらないで)


「待って待って待って! あなた死んだんじゃ――」


(死んだわ。だから、あなたがいる。……私の記憶は“残響”みたいなもの。あなたが操縦者)


残響。

その言葉だけで、少しだけ整理がついた。

私は転生者で、リーゼの記憶が混ざっている。主導権は私。だけど彼女は消えていない。


(……王太子は、私を切り捨てた。私の家も、私の機体も、私の――全部を)


(最後に見たの。王都の回廊で、殿下が“聖女候補セシリア”と腕を組んで笑っていた。私の前では、そんな顔をしなかったのに)


胸が、ぎゅっと縮んだ。

“新しい女”が、顔を持った瞬間、怒りが燃料になる。


「……ふざけんな」


小さく呟くと、ディべリディアンの掌の光が、さらに白く燃えた。


【光槍:最大出力】


私の怒りが、武器になる。

そんな世界なのか。


『お嬢様! 右腕の出力が――!』


「知らない! でも、やるしかない!」


私は操縦桿を押し出した。

巨人の腕が振り抜かれる。

白い槍が、夜を裂く彗星になって飛んだ。


敵機の装甲に当たった瞬間、光が爆ぜた。

黒い影が、花火みたいに散った。

破片が雨になって降る。


私は、呆然とした。


「……勝った?」


勝った。

私は今、巨大ロボで敵を倒した。

恋愛小説のはずなのに、初手が巨大ロボバトル。


脳内が追いつかない。

追いつかないのに、次の情報が叩き込まれる。


『お嬢様……今の戦果、司令部が確認しました。……ですが、その、こんな時に申し訳ありませんが』


さっきと同じ前置き。

嫌な予感がする。


『王太子殿下から追加の通達です。“騎装機は国に返納せよ。令嬢は後日、王都にて処遇を――”』


「は?」


口から乾いた音が漏れた。


返納?

処遇?

戦場で働かせておいて、婚約破棄して、機体を取り上げて、処遇?


――なんでこんな時に追い込む。


私の中で、何かが“切れた”。


「ねえ」


私は通信に向かって言った。

そして自分にも言った。


「今の通達、録音残ってるよね?」


『……はい』


「じゃあ、よく聞いて」


私は息を吸った。

ヘルメットの内側で、自分の声が冷えたのが分かった。


「この機体、今ここで動かしてるのは私だよね。国のために。命懸けで」


『……はい』


「じゃあさ――」


外の映像の端で新しい敵影が湧いた。

数が多い。三、いや五。

そして空からも落ちてくる。


警告が赤く染まる。


【多数接近】

【撤退推奨】

【適合率:92.3%】


私は笑ってしまった。

状況が最悪すぎて。


「――なんで、そんな私を捨てるの?」


返答はない。

代わりに、ディべリディアンの胸部が低く唸った。

まるで巨人が、私の怒りに同調しているみたいに。


(……奪わせない)


リーゼの残響が、今度は強かった。


(その機体は、私たちのもの。あなたの居場所。……取り返して)


私は操縦桿を握り直した。


「居場所って……いや、今それどころじゃないけど」


ツッコミはまだ生きている。

なら私は折れてない。


「よし。分かった」


私は前を見据えた。

戦場。敵。火。煙。

そして婚約破棄の通達。


「まずは生き残る。話はそれから。……王子? 知らない。後で泣かせる」


巨人の掌に、再び白い光が集まる。

今度は槍じゃない。輪郭が変わる。


【武装:光刃/双剣 展開】


私の心臓が、確かな鼓動で鳴った。


――なんで戦ってんの?

――なんでコックピット?

――なんで婚約破棄?


全部、後で答えを奪いに行く。

今はただ、目の前の敵を叩き潰す。


そして私は、戦場のど真ん中で“お嬢様”になった。


感傷に浸る間もなく赤い警告が、視界の端から端まで塗りつぶした。


【多数接近】

【撤退推奨】

【推定敵数:機影7/航空2】

【騎装機:ディべリディアン】

【適合率:92.3%】


「……撤退推奨って、今さら言われても!」


私は操縦桿を握り、ペダルを踏み込む。

ディべリディアンの脚部が沈み、次の瞬間、地面を蹴った。


三十メートル級の身体が、獣のように滑る。

空気が裂ける。重力が横腹を殴る。


――やばい、これ、加速が普通じゃない。


前世で車の急発進に驚いた記憶が、笑えるくらい軽い。

この世界の「貴族の兵器」は、身体ごと世界を引きずって走る。


黒い敵影が散開した。

一機が正面、二機が左右、残りが後方から回り込む。

上空には、翼のある小型機が二つ――爆弾か、狙撃か。


「包囲? 初手から丁寧だな、おい!」


ツッコミと一緒に、恐怖が背中を舐めた。

怖い。

でも、怖さが消えない方がいい。生きるための感覚だ。


(落ち着いて。呼吸を切らさないで)


リーゼの残響が混じった。

さっきまで泣いていた声じゃない。硬い、戦場の声。


(……私は何度もここにいた。ディべリディアンは、戦うために造られた)


「造られたって言われても、操縦の教習とか受けてないんだよ!」


(大丈夫。あなたは“怖がりながら”動ける。それが強い)


意味が分からないのに、なぜか納得しかけたのが腹立たしい。


敵機の砲口が光る。

私は反射で操縦桿を倒した。


ディべリディアンの肩が沈み、砲撃が頭上を通過する。

熱と衝撃が遅れて追いかけてきて、スピーカーがバリバリと悲鳴を上げた。


『お嬢様! 後方、後方です!』


通信の女――侍女兼オペレーター、マリエだ。

名を思い出したのは、リーゼの記憶のせいだった。


「分かってる! ……分かってるけど!」


後方の敵が、地面すれすれに滑り込んできた。

こちらの背中を取る動き。

私は歯を食いしばって、操縦桿を回した。


ディべリディアンの巨体が、信じられない速度で旋回する。

遠心力で内臓が寄る。胃が浮く。吐きそう。


――でも、間に合う。


掌に光が集まる。

双剣だ。白い刃が二つ、虚空に線を描く。


「いけ!」


私は切り払った。


白い光が弧を描き、敵機の肩装甲を持っていく。

黒い機影が姿勢を崩して地面に転がり、砂煙が跳ねた。


「……よし!」


勝ちの手応えが一瞬だけ胸に宿る。

でもそれは、すぐに踏み潰された。


上空。

翼の機影が、落としてきた。


黒い塊――爆弾。


「は!? 嘘でしょ!」


回避しようとした瞬間、別方向からの砲撃。

正面の敵が、回避の先を読んで撃ってきた。


――詰み。


その言葉が脳内に出た瞬間、世界が白くなった。


爆発。

衝撃。

ディべリディアンの装甲が震え、視界がノイズで埋まる。


【左腕損傷 出力低下】

【姿勢制御:不安定】

【適合率:88.0%】


私は喉の奥で声にならない音を漏らした。

痛い。いや、私の身体は固定されているのに、どこかが痛い。

機体の痛みが、神経に逆流してくるみたいだ。


(……来る)


リーゼの残響が呟いた。

何が来る? 敵? 死?


答えは、爆音で示された。


低く、重い、圧倒的なエンジン音。

空気が震え、砂が舞い、敵機の動きが一瞬止まる。


視界の右端、煙の向こうから――別の巨人が現れた。


装甲は深い鋼色。肩に紋章。

背部スラスターが、冷たい青白い噴射を吐いている。


そして通信が、別の声に割り込まれた。


『――こちら北方騎士団。救援に入る』


男の声。

低く、澄んで、雑音の中でも輪郭が崩れない。

鉄のように冷たいのに、不思議と耳が痛くならない――むしろ、荒れていた呼吸が整っていく。


さっきまで警告音と爆音でぐちゃぐちゃだった頭の中が、その声ひとつで“静か”になった。


『公爵令嬢リーゼ・フォレル・グランセル。返答せよ。生存確認』


「……生きてる! たぶん!」


『たぶんでは困る』


叱る口調なのに、刺々しさがない。

背筋を正される圧があるのに、同時に守られている気がして――私は一瞬、戦場だということを忘れそうになった。


(……なに、この声。ずるい……)


うっとりしかけた自分に、慌てて首を振る。

違う違う、今は戦場。今は生存。今は――。


『敵影、確認。そちらの機体はディべリディアンで間違いないな』


「そう! ……たぶん!」


『いい。動作は私が合わせる。君は生き残ることだけ考えろ』


生き残ることだけ――。


その言葉で、私はほんの少しだけ呼吸を取り戻した。


鋼色の騎装機が、前に出た。

敵機が砲撃を集中させる。

だが鋼色の機体は、まるで当然のように避け、受け、踏み込み、叩き返す。


“戦場の手順”そのものみたいな動き。


『第一小隊、左右展開。航空目標を落とせ。第二小隊、敵の背を断て』


別回線で、複数の応答が返る。

騎士団。隊列。統率。


――ああ、これが本物の戦い方。


私が必死に足掻いていたのが恥ずかしくなるほど、戦場が整理されていく。


鋼色の騎装機が、敵の砲口に踵を叩き込んだ。

黒い機影が一機、膝から折れる。

続けて、白い閃光――刃ではない。光の線が走り、航空機が一つ落ちた。


『今だ、リーゼ。左から来る二機を捌け』


「えっ、今だって言われても――」


言い終わる前に、敵が来た。

二機。連携。挟み込み。


私は操縦桿を握り直した。

怖い。

でも、指先が「ここだ」と知っている。


ディべリディアンが踏み込む。

損傷した左腕は重い。出力が落ちる。

なら右で。


私は右の光刃を振った。

敵の武器腕を切り落とし、返す刃で胴を薙ぐ。


火花。

黒い機影が崩れた。


もう一機が突っ込む。

私は歯を食いしばり、ペダルを踏む。

巨体が半身をひねり、相手の突進を受け流し――


鋼色の騎装機が横から入った。


一撃。

静かな一撃で、敵が真っ二つに裂けた。


『……よくやった。生き残ったな』


「……あ、あなた、誰?」


『北方騎士団長、ヴァルハルト・アイゼンヴァルトだ』


敵影が、最後の撤退行動に入る。

煙の向こうへ消えていく黒い機影。

戦場が少しだけ静かになった。


私は、息を吐いた。

吐いた瞬間、身体の力が抜けて、震えが来た。


――生きてる。

でも、まだ終わってない気がする。


その予感は、すぐに現実になった。


『……王都通信局より、追加通達』


あの声だ。

嫌な回線。


『公爵令嬢リーゼ・フォレル・グランセルに命ず。騎装機ディべリディアンは直ちに王都へ返却せよ。令嬢は護送のうえ、王都にて処遇を決定する』


「……は?」


まただ。

戦場で使い潰しておいて、返せ。護送。処遇。


「何様!?」


怒りが噴き上がる前に、ヴァルハルトの声が割り込んだ。


『却下する』


たった四文字が、空気を切った。


『当該機体は今、前線の戦力だ。現時点での返納命令は軍規違反に等しい。命令系統を確認しろ』


通信局が一瞬沈黙した。

その沈黙の間に、別回線――暗号化された小さな音が入った。


『団長……至急。王都側の内部通信を傍受。……“計画通り、対象は戦場で処理”という文言を確認しました』


ヴァルハルトの声が、温度を失った。


『……続けろ』


『王太子殿下の側近経由です。婚約破棄通達の直後、敵がこの区画に誘導されるよう、座標が――』


「……え?」


私は硬直した。


婚約破棄が“ただの別れ”じゃない。

戦場で言い渡したのも偶然じゃない。


――殺す作戦。


喉が、乾く。

背中が、冷える。


(……やっぱり)


リーゼの残響がかすれた。


(あの人は、私が邪魔だった。セシリアが“聖女”として持ち上げられるには、私がいない方がいい。……だから、私を消して、機体を……)


ヴァルハルトが、私に向けて言った。

通信ではなく、同じ戦場を共有する者として。


『リーゼ・フォレル・グランセル。君は今、王都に戻れば“処遇”という名で消される可能性が高い』


「……そんな……」


『だから、私が預かる』


息が止まった。


預かる。保護する。守る。

その言葉は、今の私にとって“生きていい”許可に近い。


ヴァルハルトは続けた。


『今回の戦果を鑑みる。ディべリディアンを動かしたのは君だ。適合率も異常値だ。……そして、君は敵の誘導を受けながら生き残った』


『君を、私の隊で迎える。拒否権は――あるが、勧めはしない』


「……隊?」


『北方騎士団、直轄特務。王都の干渉を受けにくい。君が生きる場所だ』


私は操縦桿を握り直した。

震えはまだある。けれど、さっきよりは強い。


「……分かった。生き残る。あなたの隊で」


『よろしい』


その返事が、少しだけ誇らしげに聞こえたのは、気のせいだろうか。


ディべリディアンの視界に、撤退ルートが表示される。

鋼色の騎装機が先導する。騎士団の機影が周囲を固める。


――その背に、まだ嫌な気配が貼りついている。


通信回線の奥で、別の警告音が鳴った。


【王都より追跡信号】

【識別:味方――偽装の可能性】


私は息を呑んだ。


まだ終わってない。

むしろ、ここからが始まりだ。


撤退ルートは、一直線じゃなかった。


北方騎士団が作った“安全な道”に沿って、ディべリディアンは瓦礫と焦土の間を走る。

それでも背中に刺さる視線は消えない。敵が、追っている。


【追跡反応:あり】

【推定:本隊接近】

【適合率:94.6%】


「本隊って……まさか、さっきの数の倍とか言わないよね?」


冗談のつもりで呟いたのに、通信回線の向こうのマリエが息を呑む音がした。


『……お嬢様、前方の谷地形に熱源が集まっています。敵の誘導が巧妙です』


「巧妙って、褒め言葉に聞こえない!」


『褒めておりません……! 団長、敵が――』


『見えている』


ヴァルハルトの声が入った瞬間、私の脳内が一瞬で静まる。

あのイケボ――じゃない、今はそれどころじゃない、と自分で突っ込んでおく。


谷。

左右が崖になった地形。逃げ道が狭い。


そこに、黒い機影が並んでいた。


十。いや、もっと。

肩の紋章が、さっきの小隊と違う。武装も重い。

背部に長い砲塔、脚に補助輪。白兵戦というより、撃って潰すための機体。


「うわぁ……嫌なやつ来た……」


『敵本隊だ。ここで止める』


ヴァルハルトが言い切る。


『リーゼ。君の機体、損傷は?』


「左腕、出力低下。あと……なんか、私の胃が死にそう」


『胃は後で救う。機体だけ答えろ』


その冷静さが、ありがたい。

ありがたいのに、思わず笑いそうになるのが悔しい。


「……動ける。ディべリディアンは、まだ動ける」


『よし』


ヴァルハルトの鋼色機が前へ出る。

北方騎士団の機影が左右に展開し、谷の入口を塞いだ。


敵が、砲口を揃えた。


一斉射。


空気が燃えた。

砲撃が谷壁に当たり、岩が崩れ、砂塵が爆ぜる。

ディべリディアンの装甲に衝撃が叩きつけられ、視界が揺れる。


私は歯を食いしばった。

怖い。痛い。

でも、逃げるだけじゃまた追い詰められる。


(……ここ)


リーゼの残響が、頭の奥でささやいた。


(谷の地形は、ディべリディアンが得意だった。昔、訓練で――)


「訓練って……聞いてない!」


(聞ける状況じゃなかったでしょう)


ぐうの音も出ない。

私は操縦桿を握り直し、HUDに映る地形データを睨む。


谷底には、崩れた岩。

細い水路。

鉄骨の残骸――昔の施設か、戦場の墓場か。


敵は重装。足が遅い。

なら――。


「団長!」


私は通信を開いた。声が自分でも驚くほど通った。


「敵、砲撃主体。足が重い。谷底の瓦礫、崩して足を取れる! あと――上から!」


『上から?』


「崖! 崖崩し! こっちは人型! 登って崩せる!」


沈黙が一瞬。

でも、その沈黙は“否定”じゃなかった。


『……やれるか』


「やるしかない!」


言った瞬間、ディべリディアンが応えたように低く唸った。

適合率が、じわっと上がる。


【適合率:96.2%】


私はペダルを踏み込む。

ディべリディアンが谷壁に跳んだ。人型が崖を蹴る。

常識が壊れる動きに、私はまた胃を握りしめたくなる。


「う、わ、わ、わっ……!」


でも落ちない。

ディべリディアンの指が岩肌に食い込み、脚が次の足場を探す。

まるで“登り方”を知っているみたいに。


(知ってるの。私が、何度も――)


リーゼの残響が切れた。

痛みと一緒に、記憶の断片が流れ込む。

訓練場。観閲。父の視線。

そして、王太子の笑顔。

隣で微笑む、白衣の少女――セシリア。


(――嘘)


記憶の中の王太子は優しくて、

今の王太子は殺す計画を立てて。


私は怒りで呼吸を整え直した。


「……いい、今は戦う!」


崖の中腹。

ディべリディアンが片腕を谷壁に打ち込む。

拳が岩を砕き、亀裂が走る。


【推力:最大】

【武装:光刃 出力制限解除】


「制限解除ってなに! 今言う!?」


ツッコミながら、私は光刃を岩肌に突き立てた。

白い光が、岩の中を焼く。

熱で石が割れ、崩れやすくなる。


下では、ヴァルハルトが敵の砲撃を捌いている。

砲撃の雨の中で、彼の機体だけが“真っ直ぐ”だ。


そして、彼の声が入る。


『リーゼ。合図を』


その一言で、胸が妙に落ち着く。

合図。

頼られている。


私は息を吸って、叫んだ。


「今!」


ディべリディアンが、崖を蹴った。

同時に、谷壁に刻んだ亀裂が一斉に崩れる。


轟音。

崖が落ちる。岩が雪崩れる。

谷底に、巨大な石の波が流れ込んだ。


敵本隊の先頭が巻き込まれ、脚部が埋まる。

後続が止まり、砲列が乱れた。


『よくやった』


ヴァルハルトの声。

短い。

でも、その短さが、褒美みたいに重い。


北方騎士団が一斉に踏み込んだ。

敵の砲列が崩れた一瞬を逃さず、近接戦に持ち込む。


私は、崖から滑り降りるように戻った。

ディべリディアンが着地し、地面が震える。


「……まだ、終わってない!」


敵の一機が、埋まった脚を無理やり引き抜き、砲口をこちらへ向けた。

距離が近い。撃たれたら終わる。


私は操縦桿を倒した。

ディべリディアンが前へ出る。

光刃を振り抜く。


白い線が、砲身を切り落とし、続けて胸部装甲を裂いた。

敵機が火を噴き、膝から崩れる。


その瞬間、背後から別の敵機が突っ込んできた。

視界の端。遅い。間に合わ――


鋼色の騎装機が、割り込んだ。


ヴァルハルトが、私と敵の間に立つ。

間近に並ぶと、鋼色の装甲がやけに綺麗で、傷が少なくて、

それが逆に“この人がどれだけ強いか”を物語っていた。


『――下がれ』


命令。

でも、そこには“守る”が混じっている。


私は言い返せなかった。

言い返したら、今の自分が壊れそうだった。


敵が退く。

谷に残ったのは、煙と、崩れた岩と、静けさだった。


戦闘が終わった瞬間、身体が追いついてきた。


手が震える。

指先が冷たい。

呼吸が浅い。

心臓がまだ戦場の速度で鳴っている。


「……っ」


私は操縦桿から手を離そうとして、離せなかった。

手袋の中で汗が滑り、指が勝手に握り込む。


――私は転生者で、この身体はリーゼ。

――そして彼女は婚約破棄で死んだ。


“二人分”の恐怖が、遅れて来る。


そこへ、通信ではない、近い音。


ヴァルハルトの機体が、ディべリディアンの横に並んだ。


『リーゼ』


彼の声が、直接響く。

戦闘の喧騒が消えた後だと、余計に深く耳に落ちる。


「……なに」


『震えている』


「……震えてない。寒いだけ」


嘘だ。

自分で分かるくらいの嘘だ。


沈黙が一瞬。

そして、コックピットの緊急ハッチのロック音がした。


「え?」


次の瞬間、ディべリディアンの外装側――整備用アクセスが開く感覚。

誰かが上がってくる。


「ちょ、待って、今ここ戦場――」


言い終わる前に、コックピットの外側から“手動解除”の音がした。

重い装甲板がわずかにずれ、外気が流れ込む。


そして、影が差した。


銀灰の髪。

氷みたいな目。

軍装の上に厚手の外套。

そして、手袋。


ヴァルハルト本人だ。

機体から降りて、こっちに来た。


「団長、あなた……その、直接来るタイプ!?」


『安全を確認した。君は今、私の隊の保護対象だ』


私は返事ができなかった。

震えが、言葉の根元を掴んで引きちぎる。


ヴァルハルトは、私の手元を見た。

操縦桿を握りしめたままの、私の手。


そして、何も言わずに――手袋を外した。


指が長い。

骨ばった手。

戦う人の手なのに、妙に綺麗で、温度がありそうで。


その素手が、私の手袋の上に重なる。


「……っ」


一瞬で、電気みたいなものが走った。

温かい。

たったそれだけなのに、戦場の冷えがほどけていく。


『大丈夫だ』


低い声。

近い距離。

逃げ場がないのに、逃げたいと思わない。


私は、悔しいくらいに安心してしまった。


(……なんなの、これ)


ツッコミたい。

こんな時にときめくなって、自分に言いたい。

でも言葉が出ない。


ヴァルハルトの素手が、私の震えを止めるみたいに、静かに力を込めた。


『君は、よくやった』


褒める言葉が、喉に刺さった。

涙が出そうになる。


私は必死で笑った。


「……規格外って、言われた気がする」


『言った。訂正しない』


その返事が、妙に優しい。


その瞬間、ディべリディアンのHUDが、勝手に切り替わった。


【SYSTEM LOG ── 解除記録】

【封印解除:第一段階 完了】

【制限:適合率上限 解除】

【警告:外部干渉痕 検出】


私は固まった。


「……封印解除ログ?」


ヴァルハルトの目が、ほんの少しだけ細くなった。


『外部干渉……誰かが、君の適合を“抑えていた”可能性が高い』


頭の中で、王太子の顔が浮かぶ。

優しい笑顔の記憶と、殺す計画の現実が重なる。


リーゼの残響が、震えながら言った。


(……だから、私は“役立たず”だったの)


ヴァルハルトの素手は、まだ私の手の上にある。


『調べる。封印をかけた者も、君を殺そうとした者も――必ず炙り出す』


その言葉が、戦場の次の戦いの宣言だった。


そして私は理解した。


これは恋の芽でもあり、

同時に、国家の闇に踏み込む合図でもある。


ディべリディアンのログが、冷たく光っていた。


北方騎士団の野戦格納庫は、戦場の続きをそのまま飲み込んだみたいな匂いがした。焦げた油、焼けた装甲、冷却剤の甘ったるい臭い。

巨大な騎装機ディべリディアンが、照明の下で静かに立っている。外装パネルは数枚外され、内側の発光配線が脈みたいに光っていた。


私は仮設の整備台に腰を下ろし、手袋の指先をぎゅっと握った。

震えが、まだ完全には止まらない。ヴァルハルトに手を取られた時ほどじゃないけど、心臓の奥に残った“死の感覚”が、時々ふいに蘇る。


(……私、戦場で死んだのよね)


リーゼの残響が、胸の裏側を擦った。

私は息を吸って、目の前の投影画面を見る。整備班長が解析結果を映していた。


【SYSTEM LOG】

【封印解除:第一段階 完了】

【外部干渉痕:検出】

【適合率上限:解除】


「……封印って、暴走防止の安全装置なんですよね?」


班長は頷いた。


「本来はね。操縦者の負荷を分散して、適合が急上昇した時に精神を守る。段階式で解除される前提の“優しい檻”だ。……でも、これは違う」


画面が拡大され、ディべリディアンの中枢に絡みつく、余計な回路が赤で強調された。

私の背筋が冷える。


「これ、純正じゃない。後付けの制限回路だ。適合率の上限を“低い位置で固定”してる。解除鍵は外部認証のみ。操縦者本人の意思じゃ解除できない作りになってる」


「……じゃあ、私がずっと“役立たず”だったのは」


言いかけて、喉が詰まった。


班長は言葉を選ばない。選べないほど確信がある目で言う。


「意図的に抑えられていた。君の適合が低いんじゃない。低くされてた」


(だから、笑われた。だから、捨てられた)


リーゼの残響が、かすれた。

戦場で死んだ彼女の痛みが、今、私の中に生々しく残っている。


その隣で、ヴァルハルト・アイゼンヴァルトが腕を組んだまま立っていた。軍装の外套、鋼みたいな視線。

彼は短く問う。


「干渉の出所は」


班長が指を滑らせると、解析画面に工程タグが浮かび上がった。


「王都軍需局、第三工廠系の符号……。さらに“作業者署名”が残ってる。工廠の担当技官のものだ。偽装の可能性はあるが、癖が一致しすぎてる」


王都。

王子派閥。

セシリア。

頭の中で言葉が勝手に繋がり、胸がむかむかした。


ヴァルハルトは迷わない。


「その技官を確保しろ。今すぐ」


『既に拘束、監査室に移送済みです』


別回線の報告が即座に返る。

この人の“速さ”は、いつも私の遅れた呼吸を追い抜いていく。


---


仮設監査室は、格納庫の奥に組まれた箱だった。

薄い隔壁、簡易照明、録音端末。椅子に縛られた男が一人。


痩せた体、油で黒ずんだ指先。工廠の人間特有の、感情を隠す癖だけが逆に目立つ顔。

男は私を見ると、口角だけを上げた。


「……公爵令嬢。生き残ったのか。運がいい」


「運?」


声が裏返りそうになって、私は歯を噛みしめた。

ヴァルハルトが、机に薄いファイルを置いた。紙束の重みだけで空気が沈む。


「第三工廠技官、名を」


「答える義務はない」


「ある。これは軍監査だ」


ヴァルハルトの声は低い。怒鳴らない。だから、嘘がつけない音だった。


「ディべリディアンの制限回路、追加工程。作業ログ。認証鍵の発行履歴。あなたの指紋痕。……どれから見せる?」


男の喉が小さく動いた。

虚勢が、剥がれ始める音。


「……俺は命令に従っただけだ」


「誰の命令だ」


「……王都の、上だ。俺みたいな末端が逆らえるわけが――」


「末端でも、手は動かせる。君の手で、彼女の人生を折った」


男が目を逸らす。逸らしながら、ぽつりと吐いた。


「王太子殿下の側近……いや、殿下の“意向”だ。令嬢の適合が上がれば困る、と」


「困る?」


私が訊くと、男は薄く笑った。


「殿下には“新しい婚約”が必要だったんだよ。公爵令嬢より、“聖女候補セシリア”の方が都合がいい。君は邪魔だ。君が死ねば、婚約破棄は正当化できる。しかもディべリディアンは王都に戻る」


背中がぞくっとした。

“戦場で処理”が、今ここで骨になる。


「……私を、戦場で殺す作戦」


「そうだ。婚約破棄の通達で心を折り、座標を敵に流し、救援が届く前に潰す。よくできた筋書きだった。君が生き残ったのが誤算だがな」


喉が熱い。怒りで目が滲む。

でも私は、泣かない。泣くのはリーゼだけで十分だ。


ヴァルハルトが、男を見下ろした。


「座標の送信先」


「……敵国の中継回線だ。金が動いた。俺の口座じゃない。殿下側の――」


「十分だ」


ヴァルハルトはファイルを閉じた。

そして私に向けてではなく、軍そのものに言うみたいに告げる。


「正式監査を通告する」


男が椅子の上で身をよじった。


「は? 監査? 誰を――」


「王都軍需局、第三工廠、婚約破棄通達の手順、戦場座標の漏洩経路。命令系統を根から洗う。王太子殿下の指揮命令も含める」


「そんなの無理だ! 王太子殿下は――!」


「軍規は王家の私物ではない」


言い切った瞬間、男の顔色が変わった。

ああ、効いた。ざまぁの歯車が、今、確かに噛み合った。


---


通告は、その日のうちに王都へ飛んだ。


格納庫の隅に設置された大型投影端末。

そこに映った王太子は、最初は整った笑みを浮かべていた。戦場の煙を知らない肌。白い手袋。豪奢な室内。


けれど、背後のカーテンの影に――白衣の女性が一瞬見えた。

セシリア。

聖女候補として持ち上げられ、王太子の隣に立つための“綺麗な駒”。


『北方騎士団長か。戦場の混乱で、不要な疑念を広げるのは――』


「不要ではありません」


ヴァルハルトが遮る。声だけで、王都の空気がひとつ硬くなる。


「公爵令嬢リーゼ・フォレル・グランセルの騎装機ディべリディアンから、外部干渉痕が検出されました。適合率固定の違法回路。解除鍵の不正発行。さらに戦場座標の漏洩。あなたが“返納”を命じた件も含め、正式に監査します」


王太子の瞳が、ほんの僅かに揺れた。

その揺れは、私には十分だった。


『……監査? 私に?』


声が、わずかに上ずる。

狼狽。隠せてない。


『君は地方の騎士団長だろう。王家に――』


「軍を守るのが私の職務です」


ヴァルハルトは一歩も引かない。


「戦場で“処理”されるはずだった令嬢が生き残り、同時に国家機密級の騎装機に干渉があった。見過ごせません。監査への協力を求めます」


王太子の口元が引きつった。

笑みを維持しようとして、できない。

その横で、白衣の影がわずかに動いた。――笑っている。薄く。

あれは“勝ったつもり”の顔だ。


『……分かった。だが、君も責任を――』


「責任は、証拠が示します」


ヴァルハルトの声は冷たい。

でも、その冷たさが、私の怒りを燃やす燃料になった。


投影が切れた後、格納庫には一瞬の静寂が落ちた。

そして私は、やっと息を吐いた。


「……狼狽してた」


自分の声が、少し震えているのが分かった。

震えは恐怖じゃない。たぶん、解放に近い。


(……やっと、動いた)


リーゼの残響が、小さく笑った気がした。


その時――整備端末が、甲高い警告音を鳴らした。


【外部通信:傍受】

【敵性チャンネル】

【単語:投入/同型/実戦】


班長が青ざめて端末に飛びつく。


「団長……敵側が“同型”を投入すると」


「同型?」


私の喉が乾く。嫌な予感が、背中を撫でる。


班長が解析ログを投影した。暗号をほどいた断片に、見覚えのある文字列が浮かぶ。


【DBRDN-02】


ディべリディアン。

二号機。


「……そんなの、あるの?」


ヴァルハルトの目が細くなる。氷の刃みたいに。


「敵国か、反乱派か。どちらにせよ、こちらの情報が渡った証拠だ」


そして低く言った。


「来るぞ、リーゼ」


私の背中に、戦場の空気が戻ってきた。

王子の破滅が動き始めたのと同じ速度で、次の死線も動き始めている。


【敵性騎装機:DBRDN-02(推定)】

その表示を見た瞬間、私の喉が乾いた。


霧の向こう――瓦礫の野に立つのは、ディべリディアンと同じ輪郭の巨人。

三十メートル級の人型、胸部の中枢位置、脚部の関節比率。細部の癖まで、あまりに似ている。


ただ一つ違うのは、色だ。

私のディべリディアンが深い金属色なら、向こうは冷たい白。

そしてその白い装甲には、紋章がない。誇りも所属も削ぎ落とされ、ただの“道具”として立っている。


「……同型って、ほんとに同型じゃん」


ツッコミが漏れた。漏れるけど笑えない。

これが敵国の手に渡っているって事実が、背骨をぞわっと撫でた。


(……奪われたのね)


リーゼの残響が、遠い。

怒りの前に、悔しさが来る。その順番が余計に嫌だった。


ヴァルハルトの声が入る。


『リーゼ。距離を取れ。あれは君だけを狙う』


「どうして分かるの」


『動きがそうだ』


言われた瞬間、白い同型機が動いた。

迷いがない。助走もない。

いきなり最短距離で、こちらに突っ込んでくる。


空気が裂ける。

あの巨体が――私のディべリディアンと同じ速度で迫る。


「うわっ!?」


私は反射で操縦桿を引いた。ディべリディアンが後退、同時に光刃を展開する。

白い同型機も、まるで答え合わせみたいに同じ武装を起こした。


【武装:光刃/双剣】


刃と刃がぶつかる。

白い火花が夜を裂き、金属音が骨に響く。


「重い……!」


腕がしびれる。私の腕じゃない、機体の腕だ。

でも痛みは私に戻ってくる。神経が直結しているみたいだ。


白い同型機は、私の動きを“知っている”。

避ける角度、踏み込みの癖、刃を返すタイミング。

まるで、私の操縦ログを丸ごと読んだみたいだ。


(読まれてる……)


リーゼの残響が呻く。


「そりゃそうだよ! 工廠の改造ログだって流れてるんだ! 機体のことも、私のことも……!」


言いながら、私は背筋が冷えた。

“私のこと”まで流れてるなら、敵は私の心まで折りにくる。


その予感は、当たった。


白い同型機が一歩引いた。

胸部が光る。砲門が開く。


「え、そんなの聞いてない!」


咄嗟に回避しようとした瞬間、別方向からの牽制砲撃。

正面の一撃と、横からの一撃で、逃げ道を潰す“丁寧な殺し”。


ディべリディアンの装甲が削れる。

コックピットが震え、視界がノイズで瞬く。


【装甲損傷】

【適合率:97.1%】


「く……っ!」


このままじゃ、押し切られる。

適合率が高いのに、相手はそれ以上の“手順”で勝ちに来ている。


その時、鋼色の影が割り込んだ。


ヴァルハルトの騎装機が、私と白い同型機の間に入る。

砲撃が彼の装甲を叩き、火花が散った。


『下がれ』


短い命令。

でも、そこには確かに“守る”が混じっている。


「だめ!」


反射で叫んでしまった。

守られるのが嫌なんじゃない。

守られるだけで終わるのが、怖い。


「また私だけ置いていく気!?」


言った瞬間、自分の言葉に自分で驚いた。

置いていく――そうだ。

婚約破棄も、殺害計画も、全部“私を切り捨てる”話だった。


ヴァルハルトの声が、ほんの一瞬だけ柔らかくなる。


『置いていかない。だが今は、死ぬな』


白い同型機が、ヴァルハルトへ狙いを変えた。

私を折る最短手段は、守る人を先に壊すことだと知っている。


砲撃。

鋼色の装甲が裂ける。


『……っ』


ヴァルハルトの機体が膝を沈めた。

たった一瞬の沈みなのに、胸が握り潰される。


「団長!」


私は踏み出しかけて――止まった。

踏み出したら、今度は私が撃ち抜かれる。

助けたいのに、助け方が分からない。


その時、HUDが勝手に切り替わった。


【封印解除:第二段階 完了】

【封印解除:最終段階 準備】

【解除条件:操縦者の自己同一性/選択】

【警告:外部干渉 残存】


「最終段階……?」


息が漏れる。

最終段階って何。解除条件って何。


(……“私”を選べってこと)


リーゼの残響が、はっきり言った。


(あなたは今、私の身体にいる。前世の記憶もある。全部ぐちゃぐちゃ。だから封印が迷ってる。――誰が操縦者なのか)


「そんなの……!」


白い同型機が突っ込んでくる。

刃が迫る。避ける。受ける。押される。


ヴァルハルトが、また私の前に入った。

命を削って、盾になる。


『リーゼ、生きろ』


その声が、胸の奥に刺さる。

命令なのに、願いみたいに。


私は気づいた。

私は“どっち”でもある。前世の私でも、リーゼでもある。

でも、どっちかを捨てた瞬間に、私は空っぽになる。


捨てない。

全部抱えたまま、立つ。


私は操縦桿を握りしめた。

指が白くなるほど強く。


「私は――私を捨てない!!」


叫んだ瞬間、ディべリディアンが低く唸った。

機体の回路が一斉に点火し、光が脈のように走る。

コックピット内の空気が変わる。冷たさが消えて、澄んだ熱が満ちる。


【封印解除:最終段階 開始】

【認証:操縦者 確定】

【適合率:98.8% → 100.0%】

【出力制限:解除】

【武装:ディべリディアン固有系 解放】


視界が、澄み切った。

爆音が“情報”に変わり、恐怖が“選択肢”になる。


私は前へ出た。

ヴァルハルトを押しのけるのではない。

肩を並べる位置まで出る。


「団長。今度は……一緒に戦う」


返事は短い。


『よろしい』


白い同型機が刃を振り下ろす。

私は受けた。受けて、押し返した。

これまで“重い”と感じていた刃が、今は軽い。

機体が私の意思にぴたりと噛み合っている。


そして、HUDに新しい武装が浮かぶ。


【武装:光槍・改/収束】


槍が掌に形成される。白い光が一点に収束し、夜が薄く鳴った。


「行ける……!」


私は踏み込む。

白い同型機が回避する。回避角度が――私と同じ。


だから、読める。


私は、わざと半歩遅らせて槍を投げた。

相手が“いつもの私”なら避ける角度に誘導し、そこへ――


ヴァルハルトが入った。


彼の鋼色の刃が、白い同型機の足首を削る。

体勢が崩れた一瞬、私は槍をもう一本生成した。


「終わり!」


二本目の槍を、胸部中枢へ。


白い装甲が割れ、内部の核が露出する。

核が震え、悲鳴のような振動音を上げた。


白い同型機が、最後の悪あがきで砲門を開く。

その砲口が――私ではなくヴァルハルトへ向いた。


「――っ!」


ヴァルハルトが動くより早く、私は動いた。

ディべリディアンの掌を突き出し、光の盾を展開する。


【防壁:展開】


砲撃が盾に当たり、世界が白くなる。

衝撃で身体が跳ねた。

でも、私は踏ん張った。


守られるだけじゃない。

守る側にもなる。


煙が晴れる。

白い同型機は、核が崩れて膝を折っていた。


そして、最後に――敵性通信がかすれた声を吐き捨てた。


『……王太子の取引記録……“公開”は、もう止まらない……』


公開?


私は息を呑む。

同時に、北方騎士団の回線が割り込んだ。


『団長! 王都内部の匿名回線から、証拠データが一斉送信されています! 工廠の改造ログ、敵国への送金、座標誘導、婚約破棄通達の指示系統――全てが同時に!』


『送信先は!?』


『貴族評議会、軍監査局、王都通信局の公開掲示板……“全員に見える場所”です! もう隠せません!』


ヴァルハルトの声が、低く沈んだ。


『……逃げ場が消えたな』


私は、コックピットの中で小さく息を吐いた。

戦場で死んで、蘇って、同型機を倒して――それでも終わりじゃない。


今度は王都が燃える。

ざまぁの火が、王太子の足元に届く。


ディべリディアンのHUDが静かに点滅した。


【封印解除:完了】

【操縦者:リーゼ・フォレル・グランセル(確定)】


私はその表示を見て、ようやく自分の名前を“自分のもの”として受け取った。


「……私、もう捨てない」


その呟きに、ディべリディアンが低く応えた気がした。


――そして次に燃えるのは、戦場じゃない。王都だ。


王都の大広間は、寒かった。


豪奢な天井画も、金箔の装飾も、磨き上げられた大理石も――

その冷たさを誤魔化すための飾りにしか見えない。


私は“公爵令嬢リーゼ・フォレル・グランセル”として、中央に立っていた。

隣にはヴァルハルト・アイゼンヴァルト。北方騎士団長。鋼色の外套、静かな目。

その存在があるだけで、背中が真っ直ぐになる。


前方、王太子がいた。


かつては“婚約者”だった男。

今は、薄く汗を浮かべ、唇を震わせ、視線を彷徨わせている。


投影スクリーンには、公開された証拠が淡々と並んでいた。


- ディべリディアンへの違法な適合率固定回路

- 第三工廠の工程記録と認証鍵の発行履歴

- 戦場座標の漏洩

- 敵国への送金

- 「戦場で処理」の文言を含む内部通信

- 婚約破棄通達のタイミング指示


どれも言い逃れができない。

しかも“公開”されてしまった。貴族評議会にも、軍監査局にも、王都通信の掲示にも。

秘密のまま潰せる規模じゃない。世界が見ている。


議会席がざわめく。


「王太子が……敵国と?」

「令嬢を殺す計画?」

「軍需局を私物化したのか」


監査官が、淡々と宣告した。


「王太子殿下は軍規違反、国家反逆の疑いにより、王位継承権を停止。身柄を拘束し、関係者の派閥は解体。第三工廠および軍需局は臨時管理下に置く。聖女候補セシリア・ルミナールについても、資金と指示系統の調査対象とする」


白衣の女――セシリアが、奥の席でぴくりと肩を震わせた。

あの薄い笑みは消えている。

“清廉”の仮面の下から、焦りが滲む。


王太子の膝が、わずかに揺れた。


「……違う。違うんだ」


掠れた声で、王太子が言う。

その声は、今や命乞いにしか聞こえない。


「リーゼ、君も分かるだろう? これは誤解で……私は君を――」


私は笑ってしまった。

自分でも驚くくらい、乾いた笑いが喉から零れた。


「誤解?」


大広間の視線が、私に集まる。

私は息を吸って、言葉を落ち着かせた。

怒鳴ると負ける。ここは“決着”をつける場所だ。


「私は戦場で死にました」


ざわめきが一段増した。

私は続ける。


「正確には、この身体の持ち主……元のリーゼは、戦場で婚約破棄を通告されて、ショックで心臓が止まった。あなたの言葉で」


王太子の顔色がさらに白くなる。


「それから私は、ディべリディアンのコックピットで目覚めた。あなたは返納命令を出した。護送と処遇という名で、私を消すつもりだった」


私は一歩だけ前へ出る。

目を逸らさせない距離。


「今さら何を言うのですか。……あなたは“新しい女”のために私を捨てた。いえ、捨てただけじゃない。殺そうとした」


王太子の口が開いて、閉じる。

言葉が出ない。

出たとしても、ここで覆るものは何もない。


私は静かに、優しくすらある口調で言った。


「もう遅いです」


その一言で、王太子の目から光が抜けた。

護衛が彼の腕を取り、連れ出す。

王太子は最後に一度だけ私を見たが、そこに“戻れる道”はもうなかった。


派閥の席で、側近たちが青ざめる。

一人、二人、立ち上がって逃げようとして、監査官に止められる。

ざまぁって、こういうことだ。

大きな音じゃなく、逃げ場が消えていく。


私は、ようやく息を吐いた。


(……終わった)


リーゼの残響が、私の中でぽつりと呟いた。

悲しみじゃなく、少しだけ安堵の色が混じっている。


(あなたが、私の代わりに……守ってくれた)


私は小さく首を振った。


「違う。私が私を守った。……そして、守ってくれた人がいた」


言葉にした瞬間、隣のヴァルハルトが、ほんの少しだけ目を細めた。

それだけで胸が温かくなるのが、悔しい。


---


王都を離れる許可は、その日のうちに下りた。


むしろ“王都から離れた方が安全だ”という判断が早かった。

監査が進めば進むほど、王太子派閥の残党は焦る。追い詰められた獣は噛む。


北方騎士団は、私を囲うように護衛を固めた。

その護衛の中心にいるのが、ヴァルハルトだ。


私は馬車ではなく、ディべリディアンの格納列車に同乗した。

なぜなら、あのコックピットが……妙に落ち着くからだ。


戦場の匂い。金属の匂い。

そして、私の“居場所”になってしまった場所。


夜。

野営地の静けさが、やっと身体に染みてきた頃。


私はディべリディアンのコックピットに戻った。


座席に腰を下ろし、ヘルメットを外す。

吐息が白くならない程度の温度。機体が、最低限の居住環境を保ってくれている。


私は、手袋を外し、指を見た。

まだ少しだけ震えている。

でもそれは恐怖というより――やっと終わった後の疲れだ。


「……ただいま」


誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。

ディべリディアンに。リーゼに。前世の自分に。

それとも“ここが居場所だ”と認めた自分自身に。


返事はもちろんない。

でも、機体のどこかが低く鳴った気がした。気のせいかもしれない。


その時、梯子を上がる軽い音。


「……団長?」


影が差す。

ヴァルハルトがコックピットに顔を出した。外套の襟、薄い疲れ、でも目は静かだ。


「寝ろと言いたいところだが」


「寝られません」


「だろうな」


彼は短く息を吐いて、私の隣に立った。

狭い空間なのに、不思議と圧迫感がない。

この人がいると、空気が整う。戦場で助けに来た時と同じだ。


「……王都、怖くなかった?」


私は問いかけてしまった。

自分が弱音を吐いたことに気づいて、少し遅れて恥ずかしくなる。


ヴァルハルトは即答しなかった。

代わりに、私の手元――外した手袋の横、震えが残る指先を見ていた。


「怖かっただろう」


「……うん」


「それでも立った。十分だ」


言葉が短い。

でも短いから、胸に入る。


私は笑ってしまった。


「団長、褒め方が不器用」


「不器用でいい」


「よくないです」


「よくないのか」


言い合いになりかけて、私はふっと息を吐いた。

こんな会話ができるようになっただけで、救われる。


その沈黙の中で、ヴァルハルトが手袋を外した。


あの時と同じ動作。

戦闘後に私の震えに気づいて、手を取ってくれた時と同じ。


素手の温度が、なぜか想像できる。

でも、触れられる前から胸が熱いのはずるい。


ヴァルハルトは私の前に手を差し出した。


「リーゼ」


名前で呼ばれる。

それだけで、心臓が跳ねる。


「君を守るのは義務ではない」


私は息を止めた。

でも今度は、そこに続く言葉が分かる気がした。


「……私は、君を守りたい。私の願いだ」


声が低い。

戦場を制する声。

でも今は、私だけに向けられている。


私は笑って誤魔化そうとした。

でも誤魔化せなかった。目の奥が熱い。


「ずるい」


「ずるくない」


「ずるいです。そんな言い方」


「なら、どう言えばいい」


私は困った。

どう言えばいいって、そんなの――。


言葉にならないまま、私は差し出された手を見た。

手のひら。指。

この手が、私を戦場から引き上げた。


私は、そっとその手を握った。

指先が触れた瞬間、世界が一段静かになる。


「……私は、守られてばかりじゃ嫌です」


ヴァルハルトの目がわずかに動く。


「だから、私もあなたを守る。あなたの隊にいるなら……あなたの隣に立つ」


言ってしまってから、顔が熱くなる。

あまりにも真っ直ぐで、令嬢らしくない告白みたいな言葉。


でもヴァルハルトは、否定しない。


「隣に立て」


命令みたいで、でも許可みたいで。

私はそれが嬉しくて、悔しくて、また笑った。


「……団長って、ほんとに命令が上手い」


「君が動ける命令を選んでいるだけだ」


「それが、ずるいって言ってるの」


少し間があって、ヴァルハルトが珍しく小さく息を漏らした。

笑った、のかもしれない。


「リーゼ」


また名前。

そして彼は、珍しく言葉を重ねた。


「王都での件が片付いたら、正式に手続きをする」


「手続き?」


「君を北方騎士団の正式所属にする。……そして」


“そして”が、妙に重かった。

私の心臓が、嫌な意味じゃなく跳ねる。


ヴァルハルトは視線を逸らさず言った。


「君を、私の伴侶に迎えたい」


コックピットの空気が、一瞬止まった。

外の風も、機体の低い駆動音も、全部遠くなる。


私は、言葉が出なかった。

代わりに、喉の奥から変な笑いが出そうになって、慌てて押し殺す。


「……団長」


「なんだ」


「それ、今言うの……ずるい」


「今言わないと、また君は一人で抱え込む」


真面目な顔で言うのが、さらにずるい。


私は握った手を、ぎゅっと強くした。

温かい。確かに温かい。


(……よかった)


リーゼの残響が、静かに言った。

涙じゃない、祝福みたいな声だった。


私は、ようやく頷いた。


「……はい」


短い返事しかできなかった。

でもそれで十分だと思えた。


ヴァルハルトは、私の手をもう一度強く握り返した。

力は強いのに、痛くない。

絶対に落とさない握り方だ。


「……これで、君は帰れる」


「帰れる?」


私はコックピットを見回した。

ディべリディアンの計器。座席。操縦桿。

ここが私の居場所だと、もう分かっている。


私は少しだけ笑って言った。


「うん。帰ってきた」


そして、もう一度、声に出した。


「――ただいま」


ヴァルハルトは、少しだけ目を細めた。

その目が、戦場の氷じゃなく、夜の灯りみたいに柔らかい。


「おかえり、リーゼ」


その返事で、胸の奥の空洞が完全に埋まった気がした。

私は戦場で死んだ。

でも今、確かに生きている。


ディべリディアンのHUDが、最後に静かに表示を出した。


【操縦者:リーゼ・フォレル・グランセル】

【所属:北方騎士団】

【状態:帰還】


私は目を閉じた。


もう大丈夫。

私は私を捨てない。

そして――私は、ここに帰れる。

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