帝国第一皇女エリシアの日傘制裁録
帝国の貴族令嬢は、誰しも日傘を持っている。
屋内でさすことはさすがにないが、屋外ではみなが日傘を差し、高位貴族の令嬢であれば侍従がさす。
それは単なる日除けではなく、身分の象徴であり、女性の尊厳そのものだ。
傘の色や布地、縁の刺繍、骨組みの細工までもが、家の格と個人のセンスを語る。
だからこそ、帝国ではこう言われている。
「令嬢に無礼を働いた者は、日傘で遮られても文句は言えぬ。」
それは剣に勝る警告であり、帝国が長年にわたって築いた女性の権威の象徴でもあった。
その日、わたくし――帝国第一皇女エリシアは、隣国・王国のエファリンド王妃から招かれた茶会に出席していた。
両国の長きにわたる戦争を終え、和平を記念する式典の一環として催されたもの。
屋外に張られた天幕の下、花の香りと焼き菓子の甘さが混ざる午後の風。
見かけだけなら、平和そのものの光景である。
だが、王妃の笑みはどこか薄氷のようだった。
その傍らに立つ若い男が、やけに得意げな顔でわたくしに近づいてくる。
「お初にお目にかかります、皇女殿下。王国侯爵家嫡男、レオン・バルティアと申します」
形式ばった挨拶までは、良い。
問題は、その後だった。
男は、まるで自然な仕草のようにわたくしの隣に立ち、侍従を押しのけるように距離を詰める。
そして、わたくしの手を取り、その甲に唇を寄せた。
触れるより早く、わたくしの背後から影が動く。
――侍従アルノーが、そっと日傘を広げ、わたくしの間に差し入れたのだ。
布越しに聞こえるのは、彼の低い声。
「殿下、陽が強うございます。」
その声音は穏やかだが、帝国の礼法に通じた者なら、その言葉が警告であると即座に理解する。
けれど男は、まるで何も気づかず、軽く笑って言った。
「おや、これは失礼。ですが……殿下の髪は陽を受けて輝いていますね。まるで金糸のようだ。つい、香りを確かめたくなってしまいましたよ。」
そして、指先でわたくしの髪をひと房取り、鼻先に寄せる。
その瞬間、背後に控えていたアルノーの動きが止まった。
会場全体が一拍、静まり返る。
わたくしは静かに、しかし確かに言葉を紡いだ。
「……不愉快でしてよ。」
空気が凍った。
王妃の微笑が引きつる。
無礼な男の顔から血の気が引いていく。
「え、ええと……これは、親愛の――」
「黙りなさい。」
わたくしの声が、風を切るように響いた。
誰も動かない。
ただ一人、アルノーがわたくしの傘をわずかに傾けた。
その動作が意味するのは――制裁の予告。
帝国において、「女性の傘を傾けさせる」ことは、相手が社会的に終わることを宣言する動きだ。
この男はそれに気づかず、なおも言い訳を続けようとする。
「わ、私はただ、殿下の美しさを――」
「貴国では、無礼を美徳と呼ぶのですか?」
王妃が慌てて割って入った。
「お待ちを、殿下。彼は今いる未婚男性の中で、一番爵位の高い令息でして。この度の和平の証に婚約をと……それに先日通達したものですから、帝国の作法に不慣れでして……!」
「まぁ。不慣れな者を和平の場に立たせるとは、王妃陛下のご判断なのですね。」
わたくしの声は冷たく、しかし笑みを絶やさなかった。
会場に居並ぶ貴族たちが、息を詰めてこちらを見ている。
帝国の外交官たちは、視線を下げ、黙って傘の柄を握りしめていた。
「アルノー。」
「は。」
「帝国において、女性の尊厳は日傘よりも軽いものでしたかしら。」
「いいえ、殿下。傘は礼の象徴、そして境界の証。
踏み越えた者には、陽の光さえ与えられません。」
「では、礼に則って、示して差し上げなさい。」
アルノーが一歩、前へ。
その手にある日傘を、ゆっくりと天へ掲げる。
すると、空が翳った。
まるで帝国の威光そのものが天幕を覆ったかのように、会場に影が広がる。
男が顔を上げた瞬間、傘の縁に縫い込まれた金糸が、陽光を弾き、彼の目を射抜いた。
それは、魔法のような、美しさと怪しさを孕む光景だった。
光は鋭く、痛みすら伴う。
男は思わずたじろぎ、膝を折る。
その瞬間、彼の顔に刻まれたのは羞恥と恐怖――それ以上の何かだった。
「帝国において、女性の頭上に傘がある間、その尊厳は侵されない。
あなたは今、その傘の下から追放されたのです。」
アルノーの声が、儀礼官のように淡々と響く。
それは帝国の法の宣告に等しかった。
“未婚の中で一番高い爵位の令息”とやらは、帝国第一皇女に無礼を働いた。この事実が、男を、王国を傷つけた。
王妃が震える声で庇おうとするが、もう誰も彼女の言葉を聞いていない。
「和平とは、対等の理解の上に成り立つもの。
無礼を許すのは慈悲、繰り返させないのが矜持です。」
わたくしは日傘を閉じ、静かに言った。
会場の全員が、その音に反応して息をのむ。
「……帝国は、この件を“侮辱ではなく誤解”として処理いたします。
ですが、王妃陛下。」
王妃が顔を上げる。
その瞳は、もはや笑っていなかった。
「帝国は“礼”を重んじます。
どうか今後は、学ばれるように。」
わたくしは軽く会釈し、背を向けた。
アルノーがすぐに日傘を差し出す。
その動作が合図となり、帝国の随行員たちが一斉に立ち上がった。
風が吹き、王国の花々が揺れる。
けれど、帝国の影は微動だにしない。
その日の夕刻。
王国の外交官が密かに帝国の使節に頭を下げていた。
あの侯爵令息は廃嫡の上商会へ奉公に出たらしい。王妃は“不適格”ということで公の場から姿を消したという。
帝国は、たった一本の日傘で、
戦で得られなかった「完全な優位」を手に入れた。
わたくしはその報せを聞きながら、静かに紅茶を口にした。
雲の切れ間から差す光が、傘の縁を透かして床に模様を描く。
「やはり、陽の光は節度ある距離で見るに限りますわね。」
アルノーが微笑み、傘の角度をわずかに直した。
その影の中で、わたくしは小さく笑う。
――帝国令嬢の日傘は、陽だけではなく、愚かさも遮る。
〜次回作予告〜
“お花を摘む”の語源――登山中に用を足す姿がそれに重なったから。
滑稽だと話のネタにし嗤う令息に、立ち向かう令嬢たち。
見事ざまぁなるか!?
番外編では両片思いピュアラブストーリーを添え、短編の文量で読める連載物を執筆いたしました。




