第5話:過去ログから声が聞こえる件
「……おかしいな」
再構成されたばかりの“水源バグ修正ログ”を眺めながら、俺は眉をひそめる。
補助パッチの処理結果、ユニットの暴走、その後のタグ再定義──
どれも、表面的には“修正”として記録されている。
──けれど。
「このコード……見覚え、ないぞ」
修復ログの最後に、妙な文字列が追加されていた。
本来なら俺か、リピエルが書き込んだ情報だけのはず。
それなのに、この文字列だけ──まるで“他人の手”が入ったような違和感があった。
『……確認しました。この記述、現在の補助AIには記録が存在しません。
ただし──古いシステムのバックアップ群に、類似ログが見つかっています』
「古いバックアップ?」
『はい。旧世代の修復者が使用していたログ形式のようです。
この記録は、再帰的に呼び出され続けており、“記憶”ではなく“記憶の影”として残っているようです』
「つまり、誰かがこの世界を直そうとして、失敗した痕跡……か」
そう考えた瞬間、胸がザワッとした。
俺以外にも──この世界を“修復しようとした誰か”がいた?
『ローカルエリア内に、該当ログ発信元の候補地点があります。
座標送信可能ですが、そこは……』
リピエルが、言い淀む。
『……“封鎖区域”です。現在のシステム定義上、“未承認存在”の干渉が強く検出されている場所です』
「……そこに、行ってみる価値はあるってことか」
俺は深く息を吸って、立ち上がった。
広場の向こう側、普段は誰も近寄らない“崩れた祠”のような構造物へと向かう。
空気が、冷たい。
何かに拒絶されているような圧を感じる。
それでも、俺は足を踏み入れた。
──瞬間。
【座標アクセスログ照合完了】
【再帰データ認証中……】
【警告:不正コードの残留を検出】
『神、この領域は……記憶そのものが壊れています』
リピエルが震えるような声で呟く。
目の前には、崩れかけた端末と、無数の断片ログが漂っていた。
そこには、日付も、発信者の識別も、ほとんど残っていない。
ただ、一つだけ。
──まるで“手書き”のように書き込まれたメッセージが、浮かんでいた。
【だれか、みてる?】
「…………」
俺は息をのむ。
“声”だった。記録じゃない。“誰か”の存在を、はっきり感じた。
『このデータ……生きている?』
「かもしれない」
ログの奥に、何かがある。
“修復に失敗した神”。
あるいは──“もう一人の俺”。
リピエルのホログラムが、わずかに明滅する。
『接続を……続行しますか?』
「……ああ。続けてくれ」
俺は、手を差し出した。
バグまみれの、壊れかけのログの奥へ──
踏み込もうとしていた。
──手を差し出した瞬間、視界がブラックアウトした。
光も音もない、完全な“沈黙”。
──そして、始まる。
【ログ再生モード:強制展開】
【記録タグ:修復者識別不能/第零領域/思念残滓】
視界が、ゆっくりと色を取り戻していく。
だがそこは、俺の知っている世界じゃなかった。
モノクロームの瓦礫、崩壊した構造物群、空に漂う“文字化けした雲”。
「……これ、どこだよ」
『第零領域……この世界がまだ、“世界”になる前の記録。
情報の墓場、最古のコード断層です』
リピエルの声が震えていた。
そして俺は気づいた。彼女のホログラムも、この空間では微妙にノイズを帯びている。
「ここ、リピエルすら安定して立てないのか」
『はい。ここには、わたしの存在理由すら定義されていません』
周囲を見渡すと、瓦礫の影に“誰か”が立っていた。
──いや、違う。
そこに“立っていた記憶”が、残っているだけだ。
【またダメだった】
【もういない。誰も、いない】
【でも、終わらせてはいけない】
断片化されたメッセージが、空中を漂っては消えていく。
「誰の……記憶だ?」
俺はひとつの石碑に近づく。
そこには、文字ではなく“感情”が刻まれていた。
恐怖。
怒り。
諦め。
希望──
『……これは、“もうひとつの修復”。過去に何度も試みられてきた、断続的な再構成プロセスです』
「俺の前にも、いたんだな。……この世界を救おうとしたやつが」
リピエルが何かを言いかけたその時──
──ピッ
突然、石碑から声が聞こえた。
それは……子どものような、やけに無邪気な声だった。
【ねぇ。きみ、神さま?】
「……は?」
【すごいね。じゃあ、ここを直してくれる?】
【ぜんぶ、もとどおりにしてくれるの?】
【ぼくのこと、なおしてくれる?】
「お前……誰だ」
だが、応答はなかった。
代わりに、空間の色が一気に“赤”に染まりはじめる。
『神、転送開始を──』
「くそっ、逃げ──」
──視界が、焼き切れた。
──再起動中。
──思考空間再構築中。
──人格同期:90%
次に目を開けた時、俺は“あの場所”──この世界に来たときに最初にいた空間に倒れ込んでいた。
今では、俺自身もここを“自分の部屋”だと呼んでいる。仮初でも、仮想でも、帰る場所があるというのは不思議なもんだ。
天井が揺れている。
いや、違う。俺の意識がブレてるだけだ。
「……リピエル、いるか……?」
『はい。神、お帰りなさい。無事で何よりです』
いつもの淡々とした声が、空間に響く。
「ああ……なんとか戻ってきた」
俺は重たい体を起こしながら、少しだけ息を整える。
「あそこ……多分、“記録の底”みたいな場所だった。景色はぐちゃぐちゃで、音も変だった。ログの形じゃない……“記憶”みたいだった」
『確認できたログは断片的ですが、回収は完了しています。解析は進行中です』
「頼む。……とりあえず、今は休ませてくれ」
ホログラムが静かにフェードアウトする。俺はもう一度、仮想の床に背中を預けた。
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