6.芽吹き
「アリア、ちょっといい?」
声をかけられたアリアが振り返ると、そこにはミラ・アシュコームが立っていた。
栗色の髪をふわりと揺らしながら、さっきよりもわずかに柔らかい笑みを浮かべている。
「うん……なにか用?」
そう尋ねると、ミラは小さく手を振った。
「用ってほどじゃないの。ただ、もしよかったら一緒に次の教室に行かないかなって」
それは、ただの申し出だった。けれど、アリアには心の奥をそっと撫でられるような響きがあった。
「……いいの?」
「もちろん。だって、わたし興味あるもの。あなたのこと」
ミラはそう言って、冗談めかしたように肩をすくめた。
ふたりは並んで講義棟の外へ出た。白石造りの回廊には朝よりも陽が差し込み、芝の緑が明るく輝いていた。
「ねえ、アリアさんは、魔法ってどう思ってる?」
突然の問いに、アリアは立ち止まる。
「どう、って……」
「わたしね、昔からずっと思ってたの。魔法って、心で動いてるんじゃないかなって」
ミラの声は少し弾んでいた。だがその中に、真剣なものも混じっていた。
「だって、“型”だけじゃどうにもならないときって、あるじゃない? きれいに唱えても、力が出ないとき。逆に、ぐちゃぐちゃでも伝わるとき」
アリアはその言葉に、小さく目を見開いた。
(……同じだ)
彼女があの夜、火を灯したときのこと。
構文を何度なぞっても失敗したのに、心から“灯って”と願ったときだけ、炎が生まれた。
「わたしも、そう思う」
「ほんと?」
ミラの顔がぱっと明るくなる。
「やっぱり、アリアさんって変わってるわ。でも、すごく面白い」
そう言って笑うその姿は、どこかまぶしかった。
二人が並んで歩く後ろで、回廊の柱の陰に立つひとつの影が静かにそれを見つめていた。
――ヘレナ・フェアファクス。
その瞳は相変わらず冷ややかで、何も言わない。
けれど、アリアたちを見つめる視線には、言葉にならない感情が宿っていた。
「ヘレナ様……どうなさいますか?」
付き従う侍女の声に、ヘレナはただ短く言った。
「……放っておきなさい。今はまだ、その程度よ」
風が吹き、裾が揺れる。
学院の春は始まったばかり。だが、さざ波は確かに、静かに広がり始めていた。