3. 閉ざされた門の前で
王都ラステリアの北端に、王立魔法学院はあった。
白石の城壁に囲まれ、街並みからわずかに浮いたその学び舎は、まるで選ばれし者だけの聖域のようだった。
アリア・ウォルフォードは、学院の門の前に立っていた。
灰色のワンピースに身を包み、髪も飾らずまとめただけ。
通りを行き交う華やかな子弟たちの中で、その姿はひどく浮いていた。
視線を感じるたび、胸の奥がざらつく。
手のひらに汗がにじむ。足先が冷えている。
(やっぱり、無理だったのかもしれない――)
そう思ったのは、あの夜から数えて何度目だろう。
礼拝堂の物置で、再利用される紙の中に紛れていた、あの羊皮紙。
かすれたインクで書かれていた「王立魔法学院」「春期選抜」「魔力評価試験」――
あれを読んで決めた。
あの夜、自分の未来を、自分で選ぶと、決めた。
それから三ヶ月。
構文を繰り返し、祈祷文の言葉をなぞり、何度も声に出した。
火を灯す構文の抑揚、水に働きかける語順。
わずかな変化に魔法が応じる感覚を、少しずつ身体に覚えこませた。
そして、申請文を書いた。
名前も出自も伏せたまま、ただ「構文が使える」とだけ記して、
夜明け前の学院門の投函箱に、羊皮紙をそっと滑り込ませた。
奇跡のように、それが受理されたのだ。
受付では、紺色の学院ローブをまとった事務官が目を細めたが、手にした札を確認してから小さくうなずいた。
「……資格確認は済んでいるようね。こちらへ」
必要なのは名ではなく、力。
案内された講堂には、すでに二十人ほどの受験者が並んでいた。
刺繍入りの制服を着た子、家紋入りの手袋をした子。皆、貴族の子弟だ。
(あの紙が本物だったなんて、今でも信じられない)
机に着いたアリアは、ぎゅっと自分の胸元を握った。
鼓動が速い。喉が乾く。隣の少年の整った指が、羽ペンを優雅に構えるのが見えた。
それに比べ、自分の筆記具は、何度も炭で削った使い古しの短い木片だった。
試験は座学と実技の二部構成。
座学の問題は、祈祷文の語順や構文の変化、歴史の基礎など。
アリアはすべて、夜な夜な書き写し、唱え、繰り返し覚えてきた。
問題用紙を見た瞬間、構文の音と意味が自然に頭の中で結びついた。
静かに筆を走らせながら、彼女は思った。
(わたしは――ここに来てもいい)
実技の課題は、「火を灯し、水を沸かせ」。二種類の基礎魔法を実演するというものだった。
周囲では、杖を掲げる子や、複雑な構文を唱える声が響いていた。
だがアリアは、手のひらを静かにかざすと、小さく呟いた。
「願い、灯せ。ここに火を」
ぱちり、と火の粒が生まれ、ろうそくの芯に宿る。
試験官の視線が一瞬止まり、そして札に印が刻まれた。
「次、水を」
アリアは構文をひと呼吸おいて唱える。蒸気が立ち上り、水がゆらゆらと泡立った。
(終わった――)
それだけで、背筋がふるえるほどだった。
試験はそれだけで終わった。けれど、アリアの心臓は鼓動を速めたままだった。
数日後。
学院の門前に、春期入学者の名が刻まれた札が掲げられた。
貴族の名がずらりと並ぶ中、ただ一つ、異質な名があった。
――アリア・ウォルフォード。
その瞬間、周囲がざわめいた。
「平民の名?」「間違いじゃ……」
「ウォルフォードって、あの孤児院の……?」
無遠慮な声が飛び交う中、アリアは、札の前にしっかりと立っていた。
まっすぐに、自分の名を見つめていた。
誰に見られてもいい。
疑われても、笑われても構わない。
自分の力で、ここに立っている。
それだけが、確かなことだった。