一難去ってまた一難
痛い!
引きちぎれそうに痛い!
わたしは怪我をしていた。
痴漢野郎を踏みつけた時、その衝撃でピンヒールの根元に亀裂が入ったのだ。
折れてはいないが、かなりひどい状態のようだ。
誰か助けてくれ!
たまらなくなって大声で叫んだ。
しかし、声はご主人に届かなかった。
痛みは完全に限界を超えていたが、耐え続けるしかなかった。
ご主人は流石に歩きにくそうだった。
ピンヒールの根元がぐらぐらしているから当然だ。
でも、立ち止まるわけにはいかない。
会社に遅れるわけにはいかないのだ。
わたしは歯を食いしばって痛みに耐えた。
頑張った甲斐があって、なんとかギリギリ間に合った。
始業のチャイムが鳴る前にご主人は自分の席に着き、室内履きに履き替えてピンヒールの根元を確認した。
すると、亀裂を見つけたようで、ため息のようなものが漏れた。
首を何度か振ったあと、大きな紙袋にわたしを入れた。
一瞬にして何も見えなくなった。
動くこともできなくなった。
それだけでなく、痛みが増していた。
じっとしていてもズキズキと痛むのだ。
それは時間の経過と共に酷くなっていった。
しかし、自分ではどうすることもできない。
苦痛に耐え続けるしかなかった。
耐えて、耐えて、耐え続けて、永遠と思えるほど長い時間が過ぎた頃、チャイムが鳴った。
もしかして終業時刻だろうか?
痛みを堪えながら様子を窺っていると、紙袋が持ち上げられて、歩き出した。
すると、誰かと挨拶をする声が聞こえた。
「お疲れ様」
その声はご主人だった。
やはり仕事が終わったようだ。
良かった、
ホッとして肩が落ちた。
でも次の瞬間、強烈な痛みが戻ってきた。
早く治して!
必死になって叫んだ。
これ以上は耐えられなかった。
もう我慢の限界だった。
でも、歯を食いしばるしかなかった。
自分ではどうにもできないのだ。ご主人に頼るしかないのだ。
お願い、早く治して!
私は精一杯の声を出した。
すると、それが通じたのか、足が少し速くなった。
と思ったら、どんどん速くなった。
急いでくれているのか、紙袋が揺れ動き始めた。
わたしは祈るような気持ちで駅に着くのを待ち続けた。
しばらくして階段を上り始めたような感じがした。
それから少ししてピッという音が聞こえたと思ったら、下り始めたような感じがした。
駅のホームに着いたのだろうか?
どうもそのようだった。
電車が入ってくる音が聞こえて、停まったような音がした。
続いて、ドアが開いたような音がして、閉まるような音がした。
周りがザワザワする中、車内音声が聞こえた気がしたが、痛みのせいでその音に集中できなかった。
その後、いくつかの駅に停まったが、降りる気配は感じられなかった。
もうダメだ……、
痛みと不安で頭の中が真っ白になりかけた時、電車が停まったような音がした。
すると、ドアが開いたような音と共にご主人が歩き出した。
その時、駅のアナウンスが聞こえた。
はっきり聞こえた。
朝乗った駅だった。
しばらく歩いたあと、立ち止まった。
でも、動いていた。
前の方に移動していた。
エスカレーターに乗ったようだった。
少ししてまた歩き出すと、ピッという音が聞こえた。
改札口を抜けたに違いなかった。
それから少し歩くと、またエスカレーターに乗った。
今度は下りで、着くとまた歩き出したが、10歩ほどで立ち止まった。
ん? と思っていると、紙袋が持ち上がり、平らな所に置かれた。
すると、誰かと話し始めた。修理を依頼しているようだった。
それでホッとしたが、それも束の間、いきなり黒く汚れた大きな手が紙袋に入ってきた。
止めろ!
そんな手で触るな!
でも、逃げる間もなくしっかり掴まれて、紙袋から出された。
カウンターの上に置かれると、視界が一気に開けた。
見上げると、少し汚れたエプロンをした男がご主人と向かい合っていた。
「う~ん、ちょっと時間がかかるかも知れませんね。3日ほどいただいてもよろしいですか?」
するとご主人は「3日もですか?」と驚いたような声を出したが、男が何も返事をしないので、仕方なさそうに「お願いします」と小さな声で言った。
そして、修理代金を払って、預かり書を受け取り、背中を向けて遠ざかっていった。