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エピローグ

 

 えっ⁉


 一瞬狼狽えたが、もう一度、前私への移行を試みた。

 しかし、またもや、はね返された。

 さっきよりも強い力だった。

 途方に暮れていると、声が聞こえた。


「無駄だよ」


 その声は意地悪を憎々しさでくるんだような声だった。


 誰?


「俺だよ」


 俺って?


「元ローファーだよ」


 えっ、それって……、


「その通り。この男が履いているタッセルローファーだよ」


 ローファーがなんで?


「乗っ取ったのさ」


 乗っ取った?


「ああ。優柔不断なこの男にはウンザリしていたからな。イライラのし通しで限界に達していた時にお前がブーツに移行してくれたから、これがチャンスと思って乗っ取ったんだ。そして思い切り性格を変えてやった」


 性格を? 

 そうか、だからあんなに積極的だったんだ。


「諦めな」


 最後通牒を突き付けるような厳しい口調だった。

 でも、それで終わることはなかった。


「失せろ!」


 氷のような冷たい声が聞こえた途端、わたしは上空に飛ばされ、かなりのスピードで上昇していった。

 そして、前私とご主人の姿が点のようになった時、ピタリと止まった。


 周りにはなんにもなかった。

 ただ空気があるだけだった。


 元に戻して!


 声の限りに叫んだが、その場から動くことはなかった。

 いや、動けなかった。

 すべての自由が奪われてしまったようで、なんとかしよう思っても為す術は何も無かった。


 こんなところで余生を過ごすのだろうか……、


 呟いて哀しくなった。

 形のないもののままで生きていかなければいけない境遇に涙が出そうになった。

 しかし、涙を出すことさえできなかった。

 わたしは形がないのだ。

 無から有は生み出せない。


 何も考えられず、なんにもする気が無くなったわたしは、点のように見える前私と元ご主人をボーっと見ていた。

 すると、点が動き出した。

 二人が歩き出したようだった。

 それを追い続けたが、しばらくして見えなくなった。

 視界から完全に消えると、縁が切れたことを知った。


 わたしは死にたくなった。

 でも、無のわたしが自殺することはできなかった。


 誰か助けて~!


 叫んだつもりだったが、それは声になってなかった。

 しかしその時、名前を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

 すると、突然、雨が降り出した。

 それが一気に本降りになり、地上では傘の花が咲き出した。

 黒、白、透明、青、黄、赤、緑、オレンジ、鮮やかに傘の花が咲いた。


 それをボーっと見ていると、いきなり吸い寄せられるように地上に向かって急降下を始めた。

 わたしは恐怖の余り「助けて~」と声なき声で叫び続けたが、スピードは落ちなかった。

 小さく見えていた傘がどんどん大きくなり、物凄い勢いで近づいていった。


 ぶつかる!


 身構えた時、傘をすり抜けた。

 そして、女性の体に入り、別のものに移行した。


「ブーツで良かったね」


 若い男の声がした。


「でも、お気に入りだから濡らせたくないわ」


 若い女の声がした。


「早く行こう」


 二人が歩き出した。


 しばらくして立ち止まった。

 家に着いたのか、チャイムを押した。

 すると、「いらっしゃい」という声が返ってきた。

 ドアを開けて中に入ると、中年の女性がタオルを持って立っていた。


「早く拭いて」


 男と女にタオルを渡した。

 二人はさっさと拭いて靴を脱ぎ、足早に奥へ消えた。

 わたしは玄関に置き去りにされた。


 ため息をついて隣を見ると、紳士用ブーツがいた。

 見覚えのあるブーツだった。

 こっちをじっと見ていた。


 もしかして……、


 胸が高鳴った。


 もしかして!


 胸の鼓動が止まらなくなった。


 すると、「ヴィヴィ」と愛しい声がわたしを呼んだ。


 その瞬間、ドキンとして心臓が止まりそうになった。

 目が動かなくなった。

 息もできなくなった。

 世界が止まったように感じたが、それでもなんとか声を絞り出した。


「もしかして、あなたなの?」


 すると紳士用ブーツが大きく頷いて、「ジェンだよ」と優しく寄り添ってきた。


「でも、何故? どうして?」


 わたしはこの状況を信じることができなかった。


「ここは俺の主人の実家なんだ」


「実家?」


「そうだよ。奥さんが妊娠したから報告に来たんだ」


「えっ?」


 言っていることが即座に理解できずに混乱したが、「1丁目2番地3号だよ」と言われて、ハッと気づいた。


「もしかして、わたしの名前を呼んだのは……」


「そうだよ。俺だよ」


「でも、どうして?」


 形のないわたしが空高く浮いているのを何故知ったのか理解できなかった。


 しかし、彼はそれに直接答えず、遠くを見るような目になった。


「離れ離れになってからも君を想い続けた。

 春眠・夏眠・秋眠の時も眠らずに君を想い続けた。

 すると、いつからか君を感じることができるようになった。

 そして、それが少しずつ強くなっていった。

 ある日、気がついた。

 ヴィヴィの想いが俺に届いているのだと。

 それだけでなく、お互いを想う気持ちの高まりが最高潮に達しようとしているのだと。

 だから、強く念じた。

 ヴィヴィと会わせてくださいと何度も強く念じた。

 それが通じたのか、今日久し振りに外へ出ることができた上に、実家に帰るという幸運に恵まれた」


 そこで彼は大きく息を吸って、吐いた。

 興奮を沈めるかのように。


「駅を降りた時、君を強く感じた。

 近くにいるのは間違いないと思った。

 実家に向かって歩きながら、どんどんどんどん近づいているのを感じることができた。

 でも、突然君の存在が消えて何も感じなくなった。

 俺は慌てた。

 何かあったのではないかと狼狽えた。

 その時、異様な声が聞こえた。

 助けを求めるような悲痛な声だった。

 すぐに誰の声かわかった。

 だから名前を呼んだ。

 大きな声で呼んだ。

 すると突然雨が降り出して、俺の主人が慌てて傘を差した。

 その瞬間、石突きからハンドルへ伝わってきた微弱な信号のようなものを俺は感じた。

 それは救いを求める君の声だった。

 だから必死になって引き寄せた。

 そして奥さんの傘に誘導した」


「それでわたしは……」


「傘から入ってきた君は奥さんの体の中を通ってブーツに辿り着いた」


 ブーツ……、


 わたしは自分の姿を見るために全面ミラーになっている靴箱の方に目を向けた。


 ブーツだった。

 オレンジ系のヴィヴィッド・トーンのブーツだった。


「俺の主人が奥さんにプレゼントしたブーツだよ」


 ジェンが悪戯っぽい表情になった。


「俺が(そそのか)したんだけどね」


 ちょっと自慢げな口調だった。


「そんなにまでわたしのことを……」


 胸がいっぱいになってそれ以上声を出すことができなくなったが、彼はわたしを包み込むようにニッコリ笑って、

「当然だよ。君以上の存在は考えられないからね。それに、こうなることは初めから決まっていたように思うんだ」とウインクを投げた。


「だって、夢が叶い愛が結ばれる町だからね」


 完



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