レイノルド・グルグニルの困惑
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レイノルドが十七歳という破格の若さで宰相の地位を継いだのは、父親が早くに亡くなってしまったからだ。
十五歳にして全ての必要な教育課程を終えたレイノルドは、その頃からすでに父親の手伝いをしていた。
そのため国王陛下からは信頼されていて、国王の補助としての宰相の地位につくのは国王から請われてのことだった。
レイノルドは自分が若すぎることをよくわかっていて、国王にまだ早いのではないかと掛け合ったのだが、「お前を信頼している」と言われてしまっては首を横に振ることなどできなかった。
フラウリーナが国王の前で倒れたのは、レイノルドが宰相として働き始めてからしばらくしてのことだった。
宰相になる前は城の研究室にこもっていることも多かったレイノルドは、自分の研究室にフラウリーナを連れて行き、治療にあたることにした。
フラウリーナが目覚めてからも数日は共に過ごした。
その時のフラウリーナの眠りは深く、覚醒する時間のほうが短かったからだ。
目覚めている時のフラウリーナは大人しく、聞き分けのいい子供だった。
レイノルドが話しかけると遠慮がちに言葉を返してくる。
貴族の子どもらしい、お行儀のいい賢い少女だと、レイノルドは思っていた。
「かなり、体に負担がかかっている……」
眠りにつくフラウリーナの子供らしい寝顔を眺めながら、レイノルドは少々焦っていた。
理由はわからないが、深い眠りはフラウリーナから生命力を奪っていっているようだ。
生まれた時からこの状態を繰り返してきたのだろう。
その命の蝋燭は、家族も本人も気づかない間に、どんどん短くなっていっているようだった。
早く治療法を見つけないと、この少女は死んでしまう。
そのころのレイノルドは、自分はなんでもできるのだという自信に満ちていた。
生まれた時から、苦労をしたことがない。
本を読めば一度で内容を全て記憶できたし、年に見合った教育は簡単すぎてつまらなかった。
高等魔法も幼い頃から使いこなし、魔法や魔物の解説書もいくつか書いて、魔石を使った新しい魔道具の開発も行っていた。
けれど、どうしてフラウリーナが眠りについてしまうのか、わからない。
わからないことが許せない。根っからの研究者気質であるレイノルドは、フラウリーナに同情しているというよりもむしろ、自分の知識欲を満たすためにひたすらに『魔力なしの呪い』と呼ばれる症状について調べた。
古い文献を漁り、資料を漁り、寝る間を惜しんで調べ続けた。
そして、フラウリーナの手を握り、その体に自分の魔力を流し込んで人の体の中に流れる魔脈に触れて気づいた。
本来ならそんなことはしない。
人には生まれながらに魔力を持ち、他者の魔力を体に流し込まれると拒絶反応が起こるからだ。
けれどフラウリーナの体はまっさらだった。
魔力が少ないのではない。ないのだ。空っぽだった。
その大きな受け皿のような体には、この国を形作っている精霊たちや精霊たちに影響を受ける人々の持つ様々な魔力が吸収されて混沌として渦巻いている。
それはまるで毒のようにフラウリーナの体を侵していた。
そこから先は、早かった。
魔力が毒になるのなら、魔力自体を中和し消してしまう解毒剤のようなものを作ればいい。
魔石といくつかの薬草を、今までの知識から組み合わせて、レイノルドは治療薬を作った。
レイノルドにとってフラウリーナは、多くの助けるべき命の一つでしかなかった。
フラウリーナが目覚めて茜色の大きな瞳を熱心にレイノルドに向けて、「お嫁さんにしてください」と言った時、レイノルドは頷いた。
十八歳になったらと、フラウリーナは言った。
レイノルドは自分の作った治療薬と治療法に自信があったものの、はじめての試みでどうなるのかわからない。
それにフラウリーナの体は、とても弱っている。
だから薬を飲んだところで間に合うのか、わからない。
そのことをレイノルドは公爵夫婦に言わなかったし、もちろんフラウリーナにも黙っていた。
希望を持つ人々に、絶望を与えるようなことを言うべきではないと考えたからだ。
だから、フラウリーナの申し出を受け入れて、結婚を了承したのは、フラウリーナが十八まで生きているようにという祈りの意味でもあった。
(君が無事に、十八まで生きられますように)
その約束がフラウリーナに希望を与え、命を繋いだとは知らずに。
レイノルドにとっては子供と交わした軽い口約束でも、フラウリーナにとってそれは、彼女の人生の全てになったのだとは、その時のレイノルドは全く気づいていなかった。
その日から、フラウリーナとは会うことがなかった。
風の噂によれば元気になったらしいとは知っていた。
薬は部下に届けさせていたし、そのうち治療薬を薬師が作れるようになると完全に自分の手からは眠り病の治療については手離した。
レイノルドはその頃からそういった数々の功績をあげていた。
けれどそれを快く思わないものがいたのである。
それは筆頭宮廷魔導師のシャノワール・アルルカンという男だ。
同年代ということもあってかレイノルドはシャノワールと比べられることが多かった。
シャノワールは魔導の才能はレイノルドに匹敵すると言われていたが、純粋に魔力に優れているというだけで、レイノルドのような研究者ではなかった。
宰相として国王のそばにはべり、さらに筆頭魔導師である己よりも実力がある魔導師だと思われているレイノルドのことを、シャノワールはずっと嫌っていたようだった。
同じくレイノルドに反発している貴族たちを取りまとめて、レイノルドの排斥にかかったのは、レイノルドがフラウリーナの治療を行った六年後のこと。
不穏な空気に気づいていたレイノルドは、シャノワール派の目論見を回避しようと試みたのだが、それはできなかった。
レイノルドは頭がよすぎたのである。
あるひとはレイノルドを尊敬したが、あるひとはレイノルドを恐れて、煙たがった。
義理や人情を理解しない。古くからある伝統を理解しない。
人付き合いを理解しない。
レイノルドにとって無駄だと思える大多数のことが、多くの人々にとっては大切なことだったのだ。
「レイノルド、グルグニル! 貴様は隣国と通じ、この国を国王陛下から奪おうとしていただろう! 国王陛下に代わり国の多くの重要事項を決定してきたせいで、この国を簒奪しようという野心を抱いたのだな!」
シャノワールを筆頭に、貴族たちからありもしない証拠と証言が多数提出された。
レイノルドを信頼していると言っていた国王は「レイノルド、お前は立ち回りが下手だな」と嘆息して、それきりだった。
それから五年。
レイノルドは二十八歳の今まで、怠惰に流刑地の屋敷で生活していた。
若い頃からずっと働き続けてきたレイノルドの緊張の糸のようなものが、ぷつりとちぎれてしまったのだ。
母や妹には迷惑をかけられないと、縁を切って、自分だけが罪を被った。
グルグニル家からの手紙は無視し、支援物資も届けられたが、馬車は追い返した。
誰とも会う気もなかったし、このまま死ぬのが一番楽だなと考えていた。
屋敷が汚れ、腹が減り、壁から雨が染みてくる湿った部屋にじわじわと寄生キノコが侵略してきても、ひたすらに眠っていた。
人間誰しもそのうち死ぬのだ。さっさと死にたい。息をするだけでも疲れる。
そう、思っていたのに。
今、レイノルドの前にはやたらと生命力に満ち溢れた、魅力的な体つきと顔立ちをした、豪華な女がいる。
「レノ様、お風呂が沸きましたわよ! お風呂にします? ご飯にします? それとも私……な、なんて、なんて……あぁ、言ってしまいましたわ! 一度は言ってみたかった若奥様としてのセリフナンバーワンのアレを! やだ、恥ずかしい……!」
きゃあきゃあ言いながらレイノルドの腕を引っ張り、ぎゅうぎゅうと体を押し付けてくるフラウリーナの姿を半眼で見据えて、レイノルドは思う。
七歳の少女が十一年でこんなに変わるのか、と。
妖精竜と契約したなど、あり得ないだろう。
あれは、この国を作った神のようなものなのだ。
フラウリーナは魔力なしとしてレイノルドの前に現れて、十一年の時を経て聖女として戻ってきた。
いくらなんでも、変わりすぎだろう。