終章:ルヴィアと皆とレイノルドと
切れかけていた命の糸が、たぐり寄せられ絡め取られて、再び繋がったように思う。
けれどルヴィアも精霊さんたちも消えてしまっては、フラウリーナにはもう魔力を感じることはできない。
自分の中にいたはずのおそろしいものの気配も、感じない。
なにが起こったのか、よくわからなかった。
「一体、どうなったのですか……」
「ルヴィアの力ではあれは消せないと言っていた。だから、ルヴィアと精霊たちはあれの時間を戻したのだろう。あれは召喚のグリモワールからうまれた。だから、元に戻ったのだ」
レイノルドは床に落ちた本を拾い上げる。
レイノルドが触れると、本を雁字搦めにしていた鉄の鎖が消え失せて、ページをめくることができるようになった。
本を広げて、ベッドの上で呆然としているフラウリーナに見せてくれる。
召喚のグリモワールの最後のページには、先程みたおそろしくもおぞましいものの姿が、ぐちゃっとした絵で描かれていた。
「二度と出ることのないように、本を封じた。フラウ、無事か? ルヴィアはお前の中から出ていったのだろう、精霊たちもな。もう、苦しくはないか。どこか、痛いところは」
「……レノ様、私は……恥ずかしいです」
「何故?」
「勝手なことをして、レノ様に迷惑をかけました。情けない姿を、見せてしまいました」
「フラウ。俺にとっては全て愛らしい姿だ。俺のために、ここまで懸命になってくれたこと、感謝する――辺境の屋敷でお前は俺の世話をしてくれた。だから、お前の体が無事だと納得できるまで、俺はお前をここから出さない。お前の世話は俺がする。安心しろ」
「あ、安心、できません……」
レイノルドが本を放り投げると、それはどこかに消えてしまった。
フラウリーナの血に塗れたドレスもシーツも、元の美しさを取り戻していく。
「フラウ。俺はなんでもできるだろう。なんせ、天才魔導師だからな」
フラウリーナの頬を撫でてレイノルドは得意気に笑った。
唇が触れあう。先程の強引さはない。微かに触れあう程度の、優しいものだ。
鼻先が触れる。額がこつんと触れる。
「きちんと、言わせてくれ。……愛している、フラウ。人などいつ死ぬか分からんが、俺の命が終わるときまで、お前を愛している」
「……レノ様、私も」
それ以上の言葉はもういらない。
重なる唇で、触れあう体で愛しさを伝え合うことができる。
器用な指先が皮膚を滑る度にフラウリーナの瞳には涙が滲む。
体の奥がおぞましいものではなく、愛で満たされていく。
嵐のような恋は、突風が全ての雲を吹き飛ばしたあとの晴れた空のような愛へと変わる。
突風が全てを吹き飛ばしたあとに残っていたのは、一途に好きな男を思い続けていた少女の姿だ。
涙に濡れた目尻に唇が触れる。何度も耳元で愛していると囁かれる。
返事をすることはとてもできそうになかったから、フラウリーナは重なる手のひらに力を込めた。
フラウリーナとレイノルドが、しばらくの蜜月を終えてローゼンハイム公爵家に戻ったのは、召喚のグリモワールを封じてから一週間後のことだった。
館に戻ると公爵は相変わらず寝衣姿だった。本日はチンアナゴ柄である。
そしてフラウリーナの母と見知らぬ美女がお茶をしていた。
豊満な体つきに、真っ白な肌に銀の髪。美女の周りにはぷにぷにの精霊さんたちの姿。
公爵家の使用人たちが美女を盛大な料理でもてなしている。
老兵たちが口々にフラウリーナにお帰りという中、美女は応接間のソファで足を組み直して、とても偉そうな様子で胸を反らせた。
「無事だったようじゃな。ずいぶんと、肌つやがよい。やはり愛とは肌つやをよくさせるものじゃ」
「ルヴィア!?」
「ルヴィアか」
「ルヴィアさんだよ、リーナちゃん。一週間前ぐらいかな、急に来てね。ここに住むというので、住んでもらっている」
「リーナちゃん、ルヴィアさんは神様だもの、お母様、どうしていいのかわからなかったのだけれど……でも、毎日一緒にお茶を飲んでくれるので、お母様は楽しいわ」
父と母はのんびりとした説明をした。
フラウリーナはルヴィアに駆け寄ると、その体に抱きついた。
ルヴィアは満更でもない顔で、レイノルドを鼻で笑った。
「妾がいなくては寂しいじゃろうとおもうてな。貧相な男一人ではフラウリーナの心は満たされまい。妾とフラウリーナは、なんせ体を共有した仲じゃ。妾はフラウリーナの体の中にいたのじゃからな」
「どういう自慢だ、それは。そんなことを言ったら俺は」
「レノ様! 私は、その、は、恥ずかしいことは苦手です、本当はとても、苦手なのです……!」
レイノルドが言おうとしたことを、フラウリーナは遮る。
フラウリーナに抱きつかれたルヴィアはその背中をよしよしと撫でながら、「ほほほ」と笑った。
「フラウリーナが寂しがる故な、妾は人の姿となり、精霊とともにここに住むことにしたのじゃ。人として、ここで共に暮らそう。精霊たちも、すっかり餌付けをされておる。人のご飯が食べられないなんて耐えられないと、ぱやぱや言うので、連れてきた」
「ルヴィア、また会えて嬉しいです。……でも、契約は必要ではないのですか?」
「契約とは、お主の為に力を使うという縛りじゃ。妾は人間を信用しておらん。それ故、お主と契約をし、お前の体の中を住処とした。だが、お主とレイノルドを見ていたら、もう少し人を愛してみようかと思うたのじゃ。これからよろしくな、公爵家の皆よ」
「もちろんです!」
「……住むのは構わないが、寝所は別だ。邪魔をするなよ、ルヴィア」
「色気づきおって、キノコ寄生男が」
ルヴィアとレイノルドが、睨み合っている。
二人とも素直じゃないところがある。これが彼らなりの親しみの情なのだろう。
老兵たちが「それで、独立は決まったのか?」「いつでも準備はできているぞ」とわくわくしている。
レイノルドは腕を組むと、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「独立よりも先に結婚式だな。さっさと式をあげるぞ、フラウ。名実ともに俺のものになれ」
「は、はい……! 私は、レノ様のものですわ、もちろん……!」
反射的に以前のような反応を返してしまい、フラウリーナは頬を染めた。
ローゼンハイム公爵家と公爵領は、レイノルドが正式に公爵になったことで、空前の発展を遂げることになる。
ルヴィアの加護を受けた地であり、聖女が産まれた地である。
医療に優れて、軍事力もあり、他国との貿易も盛んで、開墾された土地では作物も豊かに実る。
これほど住みやすい場所はないと――王国の民は移住をしたがった。
王都よりも住民が増えて、更に言えば総資産も国費より多い。
国王はフラウリーナやレイノルドを重用し、城に足を運ぶと自ら挨拶に出向くほどだった。
シャルノワールやシャルノワール派の貴族たちは、すっかりその勢力を失った。
一時期は詐欺の罪で投獄されていたが、今は出てきて館に籠っているという。
イリス姫はシャルノワールの浮気を理由に城に戻ったようだが、レイノルドの前にその姿を見せることはなかった。
正式に結婚をしたフラウリーナとレイノルドは、公爵領を治める仕事をする傍ら、召喚のグリモワールに凶悪な魔物たちを封じる旅に出る。
そして、天才魔導師と救国の聖女として各地で伝説を残すことになる。
老兵たちはその生涯を終えるまで現役で、ローゼンハイム家に仕えた。
伝説の兵として公爵領に銅像が建つと、たいそう喜んだ。
ルヴィアはフラウリーナとレイノルドがその生涯を終えるまで、傍に寄り添った。
寄り添うだけでは事足りず、孫やひ孫の世代まで、公爵家に居候をし続けた。
やがて、ローゼンハイムの年を取らない謎の美女として――伝説になることになる。
いつも何かを食べたり歌ったりしている精霊さんたちの姿を模して、ローゼンハイム領では他国から輸入した餅が名物になるのだが、それはもっと先の話だ。
お読みくださりありがとうございました!
お付き合いくださり有り難うございました。大好きですわ~!って言ってる女の子が書きたかったんです。
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