結婚の約束
レイノルドが差し出したスプーンを口に含んでいる。
フラウリーナ、人生初の『あーんして食べさせる』である。
「レノ様が、私の手からあーんを……嬉しい……幸せ……死んでもいい……」
「死ぬな」
「美味しいですか、レノ様? もっと濃い方がよかったですか? それとも薄味が?」
「……美味しい」
「はぅ……っ」
ときめきが天元突破して死にそうになる。
目眩を起こして倒れそうになったフラウリーナは、なんとかとどまった。
長年恋焦がれた男性にやっと嫁いできたばかりだというのに、倒れている場合じゃない。
「レノ様、私があなたの嫁として、これからはあなたのことを守りますのよ。守り育て、愛情をはぐくんでいきましょう、一緒に」
「……お前は誰なんだ」
「フラウリーナですわ。フラウリーナ・ローゼンハイムです。ローゼンハイム公爵家の長女ですのよ。お忘れですの?」
「……お前は……あの時の、少女か」
「はい! やっぱり覚えていてくださったのですわね。運命ですわね、レノ様!」
フラウリーナは今でこそ激しく内側から発光するぐらいに明るく元気ではあるが、七歳までは病弱だった。
多かれ少なかれこの国の人々は魔力を持つが、フラウリーナには生まれつき魔力がなかった。
そして、魔力なしの子供に特有の、眠り病をわずらっていたのである。
眠り病とは、起きて生活している中で何の前触れもなく唐突に眠ってしまう病気だ。
夜どれほど眠っても関係がなく、食事の最中でも湯浴みの最中でも、散歩の最中でも、糸の切れた人形のようにふと眠りについて倒れてしまう。
なんの前触れもなくそれは起こる。そのため、フラウリーナの生活には周囲が細心の注意を払わなくてはいけなかった。
何もないところで倒れるのならいいが、階段の途中や、食事でナイフを持っている最中などに発作が起こると、怪我をしたり最悪命を落としてしまう危険があったからだ。
フラウリーナが眠り病を発症していた時期、それは症例数がとても少なく、人々にほとんど認知されていなかった。
病名もついておらず、それは『魔力なしの呪い』と呼ばれていたのである。
フラウリーナの両親はとても悲しんだ。最愛の娘がそんな病気にかかっていたのだ。
フラウリーナの母も体が弱い人で、フラウリーナを産んだ後に二人目の出産は無理だと医師から言われてしまっていた。
公爵は妻をとても愛していたので、他に夫人を娶ることは考えなかった。
フラウリーナが皆から忌避される魔力なしの呪いにかかっていたとしても、大切に育てることを夫婦は心に決めた。
だから、物心ついた時からフラウリーナは罪悪感を抱えて生きてきた。
自分を愛してくれる両親に対して。不出来な自分が申し訳なくて仕方なかった。
眠らないようにペン先で手の甲を突いたこともあったし、目が覚めるという唐辛子を口一杯に含んでみたこともあった。
けれどどれもきかなかった。いつ眠ってしまうともわからないのであっては、まともに日常生活を送ることもできない。
魔力なしの呪いにかかっているフラウリーナのそばには、他の貴族の子供たちは近寄ってこなかった。
その呪いはうつると、貴族たちには信じられていたからである。
そんなフラウリーナに救いの手が差し伸べられたのは、七歳の時。
その日は城で晩餐会があって、両親はフラウリーナを連れて参加していた。
フラウリーナの存在を、公爵夫婦は極力隠さないようにしていた。呪われていようが自分たちの娘だ。
突然眠ってしまう以外には、何も問題もない愛らしい我が子である。
けれど国王陛下に挨拶をしている最中、フラウリーナに発作が訪れた。
国王陛下の前で倒れるなど不敬にも程がある。発作が起きるとわかった瞬間唇を噛んだけれど、駄目だった。
誰かが悲鳴をあげている。呪いだと誰かが囁く。
フラウリーナに手を差し伸べる人は、両親以外にいないのだ。
誰も、フラウリーナを愛さない。そう思っていた。
けれど、倒れ込みそうになるフラウリーナを抱き抱える人物がいる。
とてもいい香りがした。爽やかな森の香りだ。
「この子は、病気ですね。突然眠ってしまう病気。とても珍しい症例です。耳にしたことはありましたが、実際見たのははじめてです」
「これは魔力なしの呪いなのだろう、レイノルド卿」
父親と若い男性が話しているようだ。眠りの底に落ちる前に、フラウリーナはその声を聞いていた。
「呪いなど、馬鹿馬鹿しい。そんなものは存在しません。魔法による呪いなら魔法によって解けるが、これは生まれつきの病気だ。もしよければ、私にお嬢さんを見せてくださいませんか?」
フラウリーナはレイノルドの研究室に預けられた。
何日もかけて、レイノルドはフラウリーナの体を調べた。
魔力がないとはどういう状態なのか、どうして眠ってしまうのか。
そして、その天才と呼ばれる聡明な頭で調べ尽くして、そして原因を見つけたのだ。
「眠り病の原因は、魔力がないことにあります。この国には魔力が満ちています。精霊竜や精霊たちがこの国を守護しており、土にも水にも木の葉にも、全てが魔力を帯びている」
「それは、知っているが……」
レイノルドはフラウリーナの両親を呼んで説明をした。
「もともと魔力を持たないで生まれたフラウリーナ嬢のような子供は、時折魔力酔いを起こすのです。まだ幼い体が外部からの魔力の刺激に耐えられず、体を癒すために眠りにつくことを選ぶのです。いわば、防衛本能のようなものですね」
「……では、どうしたら」
「成人になるまで魔力の負荷に耐えられず、多くの魔力なしのものが命を落としてきたのだと、城の記録室の資料に残っていました。成人すれば体が慣れて問題なく暮らせるようになるのでしょう」
「その前にフラウリーナは死んでしまう可能性があるのだろう?」
「そのようです。ですので、治療薬を作りました。これは、体に溜まった魔力を除去する薬。いわば、解毒剤のようなものです。一日一度飲めば、突然眠りにつくことはなくなり、魔力の体への負担もなくなります。定期的に公爵家に届けさせますので、フラウリーナが十八になるまで飲ませてください」
フラウリーナは寝台の上でその話を聞いていた。
レイノルドはフラウリーナを嫌わなかった。
両親や使用人以外誰も触れようとしなかったフラウリーナに触れて、助けてくれた。
フラウリーナが普通に生きられるように、薬を作ってくれるのだという。
フラウリーナにとってレイノルドは、フラウリーナを救ってくれた王子様に見えた。
「……あの、魔導師様」
「どうしましたか、フラウリーナ嬢。もう家に帰れますよ、見知らぬ場所で一人きりで、怖かったですね」
「怖くはなかったのです。私は寝ていましたし、目覚めると、魔導師様がいてくれましたから」
「そうですか。君はとても強い子です」
「ありがとうございます。魔導師様は、私の恩人です。もしよければ、私が十八歳になったら結婚してくれますか? 十八歳まで、生きていられたら」
フラウリーナは真剣だった。
レイノルドはおや、というように、秀麗な顔に僅かに驚いたような表情を浮かべた。
そして、優しく微笑んだのだ。
「ええ。もちろんいいですよ。君が十八になったら結婚しましょう」
そうして、レイノルドはフラウリーナの運命の人になったのである。