健全な精神は健全な食事からといいます。
愛の精霊にハートをぷすぷすされ続けたレイノルドは深く眉間に皺を寄せた。
「お前……無闇に魅了の矢を放つな。腐っても元魔導師だ、魅了は効かんぞ」
「あらまぁ。ホントですわね。駄目ですわよ、愛の精霊さん。私のレノ様に対する愛がいくら無限大だといっても、勝手に魅了の矢を放ってはいけませんわよ」
フラウリーナは愛の精霊さんを鷲掴みにして、手の中で餅のようにもちもち握りしめた。精霊の触り心地はいつだって低反発だ。
愛の精霊さんは「ぴー」と不思議な声をあげる。精霊は言葉を話せない。
フラウリーナは気合と根性と愛の力で意思疎通をそれとなく行なっている。
「私、魅了の力などは使用しませんわ! そんなものがなくとも、レノ様と結婚の約束をしましたもの!」
「帰れ、女。約束などした覚えはない」
「つれないレノ様も素敵! レノ様、もしかしてお腹が空いて苛立っておりますの? そうですわよね、ここには使用人がおりませんもの。でもこのフラウリーナが来たからにはもう安心ですわ。なんせ私、完璧に花嫁修行を終えてここまで来ておりますのよ、全てはレノ様のために!」
フラウリーナが精霊を従えているのは、レイノルドに娶ってもらうと決めた七歳の時から十一年間花嫁修行をし続けていたからである。
その当時のレイノルドはすでに天才魔導師と呼ばれていたので、フラウリーナはレイノルドに釣り合う自分でなくてはならないと考えた。
ある事情により体が弱く、魔力もなかったフラウリーナは考えに考えて考え抜いた。
魔力がなければ、精霊を従えればいいじゃない、と。
精霊は強い魔力を持っていて、さらにその主人である精霊竜は大地に満ちる魔力の源とさえ言われている。
努力と根性と愛の力で持ってその全てと契約をして従えたフラウリーナは、それ以外の花嫁修行も完璧に行なってきた。
具体的には、それは使用人の仕事だと言われる家事洗濯掃除から、いつ遭難してもレイノルドを守れるように狩りやサバイバル技術に至るまで。
ここに、完璧な花嫁のフラウリーナが誕生したというわけである。
「では、レノ様。少し待っていてくださいましね」
フラウリーナはレイノルドをベッドに残して、調理場に向かった。
調理場もレイノルドの寝室と同じく、長らく使った様子のない、薄汚れた埃だらけの場所である。
フラウリーナは部屋の中央にすくっと立って、両手を広げた。
その手には、むんずとぷにぷにで白い光の精霊が鷲掴みになっている。こちらも低反発である。
ちなみに先ほどレイノルドのキノコを浄化し、部屋中のキノコを退散させたのもこの光の精霊さんの力だ。
浄化をした時も、フラウリーナの手には光の精霊が鷲掴みになっていた。
「光の精霊さん! レノ様のためにパパッと綺麗にしてくださいませ!」
「ぴぎゅ」
聖なる光が掃除に使われる。もちろんフラウリーナはバケツや箒や雑巾を駆使した掃除も、五十年間働き続けた掃除人のように完璧にこなすことができる。
けれど今回ばかりは効率重視だ。愛する人がお腹を空かせて待っているのだから、手早く素早く行う必要がある。
「緑の精霊さん、獣の精霊さん、食材を出してくださいまし。炎の精霊さん、火を灯してくださいまし!」
フラウリーナの言葉に従い、ポンポンと精霊たちが現れる。大体まるい。そしてぷにぷにしている。
精霊たちはそれぞれの力で、調理台の上に食材をぽこぽこと出現させた。
「長らく食べていない方にはやっぱり愛情たっぷり薬草粥ですわね。一瞬で作りますわよ。愛する方を待たせるなどできませんもの! 水の精霊さん、お水をお鍋に入れてくださいまし」
水の精霊さんによってお鍋の中にぽこぽこと水が湧いてくる。
すぐに超火力でぼこぼこと煮立ったお湯に、フラウリーナは手早く米を入れる。
柔らかくなったところで刻んでおいた胃腸を保護する効果のある薬草を入れて、塩と白葡萄酒を入れて味を整える。
そこにといた卵を入れてかき回して、出来上がりである。
「レノ様、レノ様〜! できましたわ! 私の愛情がたっぷりじっくり激しくこもった薬草粥ですのよ! お待たせしてしまって申し訳ありませんでしたわ!」
「……うるさい。本当に、うるさい」
フラウリーナが部屋に戻ってくると、レイノルドはベッドの中で耳を塞いで丸くなった。
青白く貧弱で髪も伸びていて服もいつ着替えたのかという様相のレイノルドである。
さらにそのような醜態を晒すと、在りし日のレイノルドの姿を知っているものであれば、あまりのよろよろぶりに涙を禁じ得なかっただろう。
しかしフラウリーナにとって、レイノルドは太っていようが痩せていようが、筋肉質だろうが作画にやる気がなかろうが、ともかくレイノルドであれば愛情を注ぐ対象なのだ。
フラウリーナの愛は山より高く、海より深いのである。
「レノ様、薬草粥ですわ。はい、あーん。あーんですわ」
「迷惑だ」
「お口を開けてくださいまし。あーん。レノ様。レノ様。はい、どうぞ」
「出て行け」
「あら、私としたことが、ごめんなさい。レノ様、口移しをして欲しかったのですわね。も、もちろんいいですわよ……恥ずかしいですけれど、愛するレノ様のためですもの……」
フラウリーナは恥じらいのある乙女だ。
ずるずる引っ張って持ってきたサイドテーブルにおかゆの器を乗せて、スプーンを持ってベッドサイドに座り、恥ずかしそうに身をくねらせた。
豪奢な金の巻き毛に美しい顔立ち、豊満な体つきのフラウリーナがそのような仕草をすると、大抵の男は見惚れるぐらいには魅力的なのだが、レイノルドは眉間にさらに深く皺を寄せた。
それから、本当に仕方なさそうに深々とため息をつくと、めんどくさげにゆっくりと起き上がって口を開けた。