暗闇、雷、嵐とお化け
フラウリーナは昔は大人しい少女だった。
一日のうちに何度も突然眠ってしまうので、外で遊ぶこともあまりできず、体は虚弱だった。
そんなフラウリーナの楽しみといえば、本を読むことぐらいだった。
ベッドに沢山の本を持ち込んで、本の海の中で眠っていても、フラウリーナの両親は怒らなかった。
どこまでもフラウリーナに優しい人たちだったのだ。
とくに物語の類は、どこにも行けないフラウリーナにとって、本の中の登場人物と旅をしているようで楽しかった。
一緒に剣を持って戦ったり、船旅をしたり。氷の山に登ったり。
とてもできない経験だ。
両親が集めてきてくれる様々な本の中には、怖い本も混じっていた。
暗闇からのぞくこわいもの。廃墟の城にすみついたおぞましいもの。
人々を恐怖に落とす怪物。
読んでいる時は興奮した。怯えながらも頁を捲る手を止められなかった。
読み終わってしまうと――暗闇が怖くなった。
部屋の隅にたまる暗闇や、カーテンの影。少し開いたカーテンの隙間からのぞく暗い窓。
黒い何かが現れて、フラウリーナに襲いかかってくるのではないかと考えて、ベッドの上で毛布にくるまって震えた。
だからフラウリーナは、今でもお化けが怖いのだ。
お化けも怖いし、暗闇も苦手だ。雷の轟音も、得意じゃない。
嵐の日は、昼間でも暗い。
屋敷の中はすっかり綺麗になって、もう恐ろしい幽霊屋敷ではなくなった。
だがやはり、過去に幽閉されていた貴人たちの恨みや憎しみが、屋敷のそこここに漂っている気がしてならない。
とくにこんな、暗くてじめじめして、雨音と風と雷鳴が響く日には――。
ドォオン! と、近くて雷が落ちる。
バキバキと木が裂ける音がする。風はひっきりなしに窓にうちつけていて、何かががらんがらんと転がっていく音がする。
「ひ……っ」
フラウリーナは精霊の皆さんを腕に抱いて、リビングのソファで小さくなっていた。
町の人々は大丈夫だろうか。
レイノルドが嵐を予言して、嵐が来ると伝えに行って。
町の人々はすっかりレイノルドとフラウリーナを信じてくれていたから、すぐに皆に伝えてくれた。
窓の補強をし、家畜小屋の補強をし、食料や水を確保した。
低い土地の方々は高台に避難して、数日を過ごすという。
きっと大丈夫だ。怖いぐらいの嵐だが、皆無事でいるはずだ。
巨大な獣に屋敷を掴まれて揺らされているようだった。
うねる風は獣の咆哮のように響く。これから夜がくる。眠ってしまえば、明日は晴れているだろうか。
眠ることはできるだろうか。
勝手に心拍数があがる。不安感が体をぞわぞわさせた。身の置き場がなく、立っては窓の外を見に行き、ソファに座り、また立ち上がることを繰り返した。
「おい」
不意に話しかけられて、フラウリーナは人に捕まえられそうになった野良猫のようにびくりと震えた。
ぎゅうぎゅうに抱いた精霊さんたちが、あぷあぷ小さな声をあげている。
「こちらに来い」
「え、あ……は、はい! レノ様に呼ばれるなんて、幸せですわ、私」
リビングに顔をのぞかせてフラウリーナを呼んだレイノルドの後を、フラウリーナは弾む足取りでついていく。
にこにこしながら歩くフラウリーナに胡乱なものを見るような視線を向けて、レイノルドは調理場に向かった。
調理場にはフラスコのようなものがあり、ぐつぐつと湯が沸いている。その中には何かの葉が入っていて、独特な香りが漂っていた。
「レノ様、これは?」
「嵐が来る前に採取してきた。エルアンバーの葉だ。不安を解消する効果がある」
「……ええと、それは」
「お前は嵐が怖いのだろう。飲め。よく眠れる」
「こ、怖くなどありませんわ! 私は完璧な嫁ですの。怖いものなど何もないのですわ。あなたを失うこと以外は」
「うるさい。飲め」
ぐつぐつ煮えている薬草の液を、漉し器を使用しカップに移す。
そこに湯をいれて薄めると、町の人たちが持ってきてくれた蜂蜜の瓶から蜂蜜を一さじカップに垂らした。
素早いが、的確で、丁寧な所作だ。
器具を使うのは慣れた手つきだった。長年、壊れやすい研究機材を使用してきたのだ。
無精髭も剃られて、髪も一つにまとめられている。
このところのレイノルドは、表情こそ暗いが、以前の美しさを取り戻しつつあった。
「ありがとうございます、レノ様」
「落雷の度に怯えられては、騒がしくて気が滅入る」
「私、レノ様とは違う部屋にいましたわ。情けない姿を見せたくありませんでしたの」
椅子に座るフラウリーナにカップが渡される。フラウリーナの膝の上に乗っていた精霊の皆さんが、空気を読んでいるのか、すっと消えていった。
「悲鳴は聞こえる」
「そんなに大声では騒いでおりませんわ」
「聞こえる。……雷の、何が怖いのか」
「……音が怖いのです。光って、落ちます。大きな音が怖いのです。怪物みたいで。暗闇も怖いのです。何かが這い出てきそうに思えてしまって。ごめんなさい」
レイノルドに迷惑をかけていたのかと、反省しながらフラウリーナは素直に謝った。
怯えた姿を見せないように、別の部屋に隠れていたのに。
「光ったら、数を数えろ。数が多ければ、遠くに落ちる。少なければ近くに落ちる。おおよその距離がわかれば、怖いことはない。暗闇にはなにもいない。ゴースト系の魔物なら、簡単に倒せる」
「……はい」
「お前が大人しいと、調子が狂う。……フラウリーナ。怖ければ怖いと言っていい」
「はい、レノ様。……もしよければ、抱きしめてくださいますか?」
「お前の師匠たちも、嵐の夜にお前を抱きしめたのか?」
「まさか、そんなことはありませんわ。……嵐も暗闇も、私が怖がっていることに気づいてくださったのは、レノ様がはじめてです」
実際その通りだった。
フラウリーナは何も怖くないようにいつもふるまっていたし、慎重に自分を隠していた。
レイノルドのいれてくれたお茶に口をつけると、優しい味わいが口の中に広がる。
確かに、心が落ち着いていくようだった。
「……お前はいつも勝手に、俺のベッドにもぐりこんで、へばりついて眠っているだろう。わざわざ確認をとらなくていい」
「自分でしがみつくのと、抱きしめていただくのとでは違うのですわ」
「抱きしめたら、その先もする。俺は二十八の男だ。幼いお前の想像している、身ぎれいなおとぎばなしの王子などではない」
「……そ、それは、その。もちろん、構いません。私はレノ様の、妻ですので」
語尾が小さくなっていく。
レイノルドが呆れたように笑うので、からかわれたのだと思い、フラウリーナは頬を染めてうつむいた。




