辺境の英雄レイノルド
凍った濁流から岩や倒木の除去を行い、壊れた滝壺を修復して、フラウリーナは屋敷に戻った。
「レノ様! 今日は助けていただいてありがとうございました! 私を助けにきてくださるレノ様、さながら英雄のように光り輝いておりましたわ! 素敵すぎて、私の恋はさらに燃え上がってしまいましたわ!」
「フラウリーナ。お前は何か俺に隠していないか?」
飛びかかる勢いでレイノルドに礼を言うフラウリーナを、レイノルドはじろりと睨む。
深くソファに座り込んで、アロマ煙草の紫煙を吐き出している。
「隠してなどおりませんわ! 皆を守ってくださった英雄に、昼食をつくりますわね。お待たせしてしまって、申し訳ありません」
「いらない。お前は、寝ろ」
「まだ昼間ですわよ。寝るには早い時間です」
「いいから、寝ろ」
「あ、わわ……っ」
フラウリーナの体はふわりと浮き上がった。
レイノルドの魔法である。
そのままふわふわと浮かんだ状態で、ベッドまで連れていかれる。
ぽすりとベッドに落とされた。疲れた体が鉛のように重く、一度横になってしまうと体がベッドに深く沈み込むようだった。
浮かぶフラウリーナと共に部屋に入ってきたレイノルドは、眉間に皺を寄せて腕を組んだ。
「お前は気づいていないかもしれないが、魔力を使うことは血液を失うことに似ている。長距離を全力疾走すれば息が切れるだろう。水を出す程度ならいいが、強大な魔力を使用すれば体からごっそり魔力が失われる」
「私には、魔力はありませんわ」
「余計に、だ。俺はお前を眠り病から助けたが、その後の体の管理をしていたわけじゃない。つまり、お前の体が今どのような状態にあるのか分からない」
「……調べますか? 私、レノ様にならどれほど調べられても構いません」
「俺は真面目に話している。真面目に聞け」
恥ずかしがるフラウリーナを、レイノルドは叱りつけた。
確かにレイノルドの言う通りである。
そんなこと、フラウリーナは痛いほどよく知っていた。
「魔力のないお前が精霊を従え、精霊竜の力を使役する。お前の体にどのような影響が出るか分からない。実際、顔色が悪い。全く……何故そのような危険をおかす。命が繋がれたのだから、静かに生きていればいいものを」
「……私は」
フラウリーナには、どうしてもかなえたい望みがあった。
そのためには精霊竜との契約が、必要不可欠だった。
けれどそれはレイノルドには伝えられない。伝えたくない。
「魔力なしでは、レノ様に好きになっていただけないと思ったのです。精霊と契約をした女なら、天才魔導師レイノルド様には相応しいでしょう?」
もちろんそれも理由の一つだ。
レイノルドの隣に並び立っても遜色ないぐらいに強くなりたい。
フラウリーナは本気でそう願っていた。
「そんなこと――俺は、気にしない」
がばっと起き上がって、フラウリーナは期待に満ちた瞳でレイノルドを見つめる。
久々にかけられた優しい言葉に、心の中に一気に花が咲いたようだった。
かつての優しいレイノルドが、そこにいる。
やっぱり、変わっていない。
「レノ様……好きです」
「いいか、お前は大人しく寝ていろ。明日まで起きてくるな」
「……でも、私、やることが」
「五年、ここに一人でいた。一人でも生活ぐらいはできる」
「私、レノ様のお嫁さんですのよ。レノ様のお世話は私の役割、私が来たからには不自由はさせられません」
具合は悪くない。大丈夫だ。
今は一分一秒でも時間が惜しい。せっかくレイノルドの傍にいられるのだからと、ベッドから降りようとするフラウリーナの瞳を隠すように、レイノルドの手が覆った。
「眠れ」
詠唱でもない命令と共に、フラウリーナの体を抗えない眠気が支配した。
瞼が閉じる。眠りの底に落ちていく。
レイノルドの魔力に、空っぽの体が満たされていく。
幼い頃、レイノルドの魔力で体を探られたことを覚えている。
あの時は、その魔力の奥に、おぞましいものがあった。
けれど今は――それがない。
よかった。
安心したと同時に、フラウリーナの意識は途切れた。
それは強制的でありながら、どこまでも優しい眠りだった。
辺境での日々は、それから穏やかに過ぎていった。
町の人々はレイノルドとフラウリーナを神様のように扱い、毎日何かしらの食材や飲み物などが届けられた。
それと同時に色々な悩みも相談されて、フラウリーナは熱心にそれを聞いた。
「隣町では原因不明の熱病が流行っているようですわ、レノ様」
「それは、赤蟻のせいだ。赤蟻はブラッドベリ―を好む。栽培しているはずだ。リルベルの葉をすりつぶした汁を、赤蟻に噛まれた皮膚に塗るといい。三日もあれば毒が消え、熱がさがる」
「シロイロムクドリが大量発生しているそうなのです。麦が食べられて大変だとか」
「嵐の前兆だな。彼らは天候の変化に敏感だから、嵐から逃げてこちらに来ている。数日後に強い嵐が来る。準備をしておくように伝えろ」
「レノ様」
「今度はなんだ」
「大好きです」
「……」
「あぁ、本当に嵐が来ましたわ」
領主から見放されたような辺境の端では、様々な問題が起こる。
人々からの相談は、レイノルドに尋ねればたいていが解決した。
レイノルドは屋敷から出たがらなかったので、実際に動くのはフラウリーナだったが、頑張れば頑張るほどにレイノルドの評判がよくなっていくのは嬉しかった。
もちろん、フラウリーナが大声で「レノ様のおかげです!」と言いまわっていたこともあるのだが。
レイノルドが嵐を予言した数日後、実際に激しい嵐がやってきた。
風雨が窓に叩きつけられて、ひっきりなしに雷が近くで落ちる音が轟いた。




