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レイノルド、久々にやる気を出す



 ◇


 目覚めると、フラウリーナはいなかった。

 

 一体なんだったのだ。美しい女が嵐のように現れる幻でも見たのかと、レイノルドは眉を寄せる。

 ベッドから起き上がると、いつも纏わりついていた体の不調が消えていた。


 もうどうでもいいのだとろくに食べもせず、眠っているのかいないのかもわからないようなまどろみの中で過ごしていた。


 栄養失調。脱水症状。魔力枯渇。

 筋力低下に、意欲消失。


 自分の状態をレイノルドは冷静に分析することができた。

 だからといって、何になるわけでもない。やがて不摂生と不衛生が祟り、寄生生物が部屋に我が物顔で蔓延りはじめた。


 どのみちグルグニル家は短命の家系だ。それも、男に限ったことである。

 歴代の男たちは、四十歳までには必ず死ぬ。死因は、よくわからない。突然死である。

 わからないから、病死ということにしている。レイノルドの父もそうだった。


 レイノルドはそれを解明したいと思ったものの、死者に触れるのは冒涜となる。

 流石のレイノルドも、父の遺体に触れてその死の理由を探ることはできなかった。

 足掻こうが、諦めようが、そのうち死ぬ。


 このくだらない人生も、もう終わりだ。

 そんな風に思っていたのに、こうして生きながらえてみると妙なもので、目覚めれば腹がすいた。


「……フラウリーナ」


 大昔に助けた子ウサギが、竜になって戻ってきた。

 しかもやたらと懐いている。

 ――ただ、薬をつくっただけだ。レイノルドにとっては数多の研究のうちの一つにしかすぎなかったというのに。


「夢、か」


 命を失う前に甲斐甲斐しく自分の世話をして、無償の愛を捧げてくれる美女の夢を見たのだろうか。

 ずいぶんと即物的に過ぎる。


 レイノルドはもう二十八歳。蟄居になった年齢は二十三歳。

 全く身ぎれいだったというわけでもない。レイノルドの傍に侍りたいという女は多かった。

 だが、欲望は薄い方だと認識していた。


 それに――今でこそ見る影もないが、花にさえ例えられていたレイノルドには、将来を誓い合った相手もいたのだ。

 今はもう過去のことではあるが。


 女に興味がないかといわれればそんなこともない。だからといって昔助けた少女が美女になって戻ってくるというような、男の夢を煮詰めたような妄想をするほど、落ちぶれてはいない――いや、落ちぶれてはいるが、そこまで情けない男に成り下がったつもりはなかった。


「……いや、夢ではないのか」


 テーブルの上に、アロマ煙草が置いてある。

 辺境ではとても手に入らない品である。

 ここに来て数年間は夢に見るほどに吸いたかったものだ。

 魔力が安定し、精神も落ち着く。


 アロマ煙草のケースには、まだ何本もアロマ煙草が入っている。

 一本を抜き出して、口にくわえてベランダに出た。無性に風にあたりたい気分だった。

 

 昨日の記憶は全部、幻などではなかった。

 ともにベッドで眠るフラウリーナの体は柔らかく、ミルクのような甘い香りがした。

 背中にぴったりとくっついて眠る温もり。肉付きのよい胸の感触。小さな手のひら。規則正しい呼吸の音。

 

 命を助けられて、恩を愛情だと勘違いしている。愚かな少女がそのまま大人になったのだ。

 帰れと、冷たく言い放ったのは自分である。


 レイノルドはベランダの手すりにもたれかかりながら、ぷはと紫煙を吐き出した。

 アロマ煙草の独特な草の香りがあたりに広がる。


 雑草と木々に囲まれた屋敷は、昼間でも薄暗い。それでもベランダにそそぐ光は明るく、湿り気を帯びた風が頬を撫でるのは心地よかった。


 あれほど嫌だと言っていたのに、帰れと言われてすぐに出て行くなど。


 案外、素直なところがあるのはフラウリーナがまだ若いからだろうか。

 長年の思い人がこのようなどうしようもない姿を晒していたら、百年の恋も覚めるというものだ。


 夢から覚めてよかっただろう。

 フラウリーナのいなくなった屋敷はとたんに、静けさを取り戻した。

 ただ朽ちていくのを待つような――嫌な空気が満ちている。


 夢から覚めて、元の居場所に戻り、まともな男と結婚するべきだろう。

 元々魔力がなかったとはいえ、今は精霊竜の力まで手に入れているのだ。


 王家だって、喉から手が出るほどにフラウリーナが欲しいだろう。

 陛下には年頃の息子がいたはずだ。結婚をするかもしれない。


 もしくは――国王の第三妃にでもするだろうか。国王陛下は年嵩とはいえ、まだ四十代。

 男としてはまだまだ――と。

 そこまで考えて、不愉快になって眉を寄せた。


 もう考えるのはやめよう。ここからどこにも行くことのできない、また、行く気のないレイノルドにとって、フラウリーナは甘すぎる毒のようなものだ。


 心の奥にあいた小さな穴から、風が吹き抜けている。

 まともに人と会話をしたのは、おおよそ五年ぶりだ。家族からの手紙も途絶えた。

 屋敷を訪れる者は誰もいない。


 レノ様――と呼ぶ、明るい声を思い出してしまう。輝く瞳を。薔薇色に染まる頬を。

 柔らかい体を。甘い香りを。


「レノ様!」


 もう二度と会うことはないだろうと黄昏ているレイノルドの耳に、甘ったるい毒が流された。

 フラウリーナは――いなくなったわけではなく、町に買い物に行っていただけらしい。


 今までの人生で最大級のいたたまれなさを味わいながら、レイノルドはそれをひた隠しにしていた。

 十歳も年下のフラウリーナに、恥ずかしい姿を見せたくない。


 ――もうとっくに見せてしまっている自覚はあるのだが。

 出ていけと言ったくせに、情けなく追いすがるような姿を晒すのはどうしても許せなかった。


 フラウリーナは朝食のあと、再び屋敷からいなくなった。

 レイノルドは部屋のベッドに寝転がりながら、フラウリーナの気配を追っていた。

 食事の時に水枯れについて質問していたので、恐らくはヴィルル山脈に向かったのだろう。


 精霊たちと契約し、精霊竜まで従えるような女だ。

 放っておいても大丈夫だろう。今のレイノルドよりもフラウリーナのほうが、よほど強いのだ。


「……水の音がするな」


 それからしばらくして、ごうごうと地響きのように、遠く音が響いていることに気づいた。

 スライムによって水がせき止められているのだとしたら、その除去は慎重に行わなくてはいけない。

 せき止められていた水が一気に溢れて、洪水を起こす危険があるからだ。


 フラウリーナはそのあたりがわかっていなかったのだろうか。

 力はあるが――まだ若い。

 経験には乏しいのかもしれない。


 このままでは、川は溢れて町は流されるだろう。


「……仕方ない」


 レイノルドは起き上がった。何もかもがどうでもよかった。人の命など。

 他人が死のうが生きようが、もうどうでもいい筈だった。


 だが――多くの人の命が失われて、フラウリーナの明るい瞳から光が失われることを考えると、どうしても。

 無視を決め込むことなどできなかった。



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