フラウリーナ、買い出しに行く
眩しい朝の光と共に、フラウリーナはぱちっと目覚めた。
いい奥さんとは早起きなのだ。そう、フラウリーナは思っている。
特に誰かに教わったわけではないけれど、フラウリーナの母親も早起きである。父親の話では、母親の寝起きを見たことがないらしい。目覚めると美しく整えられた姿で「おはようございます旦那様」と挨拶をするのがフラウリーナの母である。
フラウリーナの両親はとても仲がいい。
それなので、理想とするべきはやはり自分の母ということになる。
レイノルドはまだ眠っている。クマのある瞳は閉じられていて、規則正しく胸が上下している。
すうすうと穏やかな寝息が聞こえるのを確認し、レイノルドにピッタリ張り付いて眠っていたフラウリーナは幸せを噛み締めながら、そろそろとベッドから抜け出した。
朝食の支度をしなくてはいけない。そのためには買い出しをしたい。
精霊さんたちの力であらゆる食材を手に入れることができるフラウリーナだが、精霊さんたちによる食材召喚はフラウリーナにとっては緊急の奥の手のようなものだ。
確かに魔法は便利ではあるが、自ら買い物に行き食材を吟味し、手に入った食材で料理を作るのもまた愛情ではないかと思うのだ。
人間が苦手そうなレイノルドに代わってご近所付き合いをするのも、妻の務めである。
フラウリーナは屋敷から一番近い小さな町に向かうことにした。
町の名前はウィスダイル。山から吹きおろす冬風という意味である。
川が流れていて粉挽小屋の水車が回っている。主な産業は小麦と葡萄。その他の野菜。
それから、牛や羊を放牧している。
街の周囲には魔物よけの柵が張り巡らされているが、魔物にとっては木でできた柵など何の意味もない。
フラウリーナは町に入る前に軽く柵に触れて、加護の有無を確認する。
(やっぱり、こんな辺鄙な村までは神官も魔除けの加護を施しに来ないのね)
フラウリーナは魔力を持たないが、精霊さんたちの力で加護の有無を調べることが可能だ。
精霊さんたちが団子のようにさくに並んで、プルプルと体を震わせながら「あー」「うあ」「うぱ」と言っている。
ふるふる首を振るので、加護がないと言っているのだろう。はいか、いいえぐらいは意思の疎通が可能だ。
加護とは、それぞれの街や村を巡って神官の方々が張り巡らせてくれる、魔物よけの魔法のこと。
魔除けの加護と呼ばれているそれは、大抵の場合は街を囲む柵や、外壁に施されている。
後で町長か誰かに掛け合って、加護を張り直しましょうと考えながら、フラウリーナは町の中へと向かった。
公爵家からレイノルドの屋敷まで、フラウリーナは乗合馬車を乗り継いでやってきた。
公爵家の馬車を使用しなかったのは、フラウリーナなりのケジメのようなものである。
優しい両親の元から飛び出してレイノルドに嫁ぐのだ。それはフラウリーナのわがままでしかない。
王国にはレイノルドの悪評が響き渡っていた。フラウリーナは信じていないが、大多数の人々はレイノルドのことを国を乗っ取ろうとした犯罪者の元宰相だと考えている。
そんな男の元に嫁ぐといえば、当然反対される打ろうと思っていた。
フラウリーナは公爵家の一人娘である。
けれど両親は、フラウリーナの好きにさせてくれている。
何かを咎められたこともなければ、何かを強いられたこともない。
フラウリーナは、自分のわがままを押し通すことがどれほど両親に迷惑をかけるのかを理解している。
だからこそ、公爵家の力には頼らずに一人でレイノルドの元を訪れたのだ。
その際、この町を一度通り過ぎている。軽く話を聞いた程度だが、国の最果てにあるような小さな町である。
旅人などはとても珍しいため、皆フラウリーナのことを覚えているようだった。
「悪魔の館に行ったお嬢さんじゃないかい」
「無事だったのかい?」
小さな市場と思しき場所に向かうと、商品を棚に並べている女性たちにフラウリーナは話しかけられる。
まだ朝も早いのに、すでに市場は開いていた。
野菜や小麦や豆類、肉も牛乳もチーズもあれば、パンや加工肉もある。
他の町との交流もないような辺鄙な町だが、この町だけで十分暮らしていける程度には豊かなのだろうと、フラウリーナは市場の商品を眺めながら思う。
「おはようございます。私、フラウリーナ・グルグニルと申します」
レイノルドにはまだ娶ると言われていないが、フラウリーナの中ではすでにフラウリーナ・グルグニルに名前が変わっている。
レイノルドが婿入りしてくれたらそれが一番だが、まだ了承を得ていないので、グルグニルと名乗るのが正しいのだろう。
「悪魔の館の主人、レイノルド様の妻ですわ」
「大丈夫なのかい、お嬢さん」
「妻だなんて……あそこには罪人が閉じ込められてるんだろ? あんたも何か罪を犯したのかい?」
「とんでもない! あそこにいるのは立派な魔導師様で、罪人などではありませんのよ。私はレイノルド様に憧れて、ここまでレイノルド様を追いかけてきたのです」
「お嬢さんのような綺麗な女性に追いかけられたんじゃ、魔導師様も幸せだね」
「魔導師様なのかい。本当かねぇ」
市場の女性たちは顔を見合わせる。
いつの間にか、フラウリーナの周りには人だかりができていた。
旅人も珍しければ、悪魔の館に入って出てきた者も珍しい。
フラウリーナのように美しいドレスを着て歩いている者も、町人にとっては珍しいのだろう。見たことのない珍獣のようなものだ。
「立派な魔導師様なら、あたしらが困っているっていったら、手を貸してくれるかね」
「何か困っておりますの?」
「それが、最近水が枯れてきているんだよ。川を見ただろう? 半年前までは、水位が今の倍はあったのさ。雨が降らなくても、この町は水に困ったことがない。辺鄙な町だけど、山からの湧水だけは豊富でね」
「このまま水が枯れたら、作物が育たないよ」
「魚だって減ってるしさ」
「家畜にだって水は必需品だ。水がなくなれば町は滅びちまう。それもこれも、悪魔の館に住んでいる悪魔のせいだってみんな、噂していたところだよ」
「まぁ!」
フラウリーナは目を丸くして、小さく声をあげた。
それはレイノルドのせいではないが、小さな町の人々というのは信心深いものである。
小さな噂が迷信となって町中に広がったりするものだ。
このまま放っておいたらレイノルドは町人たちに焼き討ちされてしまうかもしれない。
こんがり焼きキノコのように。それは困る。
レイノルドは生命力に乏しいので、焼き討ちされたら素直に炎に巻かれることを選びそうだ。
「これも、当然の報いだ。やっと静かに眠れる……」
などと言いながら。
そんなことはさせない。フラウリーナはレイノルドを守るのだ。それが素敵な奥さんというものだからだ。
それに、水枯れに怯える町人たちも放ってはおけない。
これからお世話になるのだから、仲良くしていきたい。
「わかりましたわ。レノ様に相談してみますわね。きっと、すぐに解決してくださいますわよ」
フラウリーナは胸を張った。
町人たちが「本当かい?」「でもなぁ」と、半信半疑の視線をフラウリーナに向けた。
フラウリーナは自信満々に「レノ様は天才魔導師なので何でもできるのですわ」と微笑むと、パンとハムとチーズとその他野菜を購入して、レイノルドの元に戻ったのだった。




