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【第12回】筆休みの反論。

エッセイコラム「筆休みのぼやき」の第12回です。

今日のテーマは「経験」。

よろしくお願いします。

 どうも、鍋島五尺と申します。



 はい、第12回です。

 つい先日、超有名SNSであるTwitterにてなんとも興味深いハッシュタグがトレンド入りしておりました。

 それは、「#作家は経験したことしか書けない」。

 ふむふむ……。

 まさに僕が前々回に書かせていただいた創作論に深く関係がありそうなハッシュタグです。

 さてどんなツイートがあることやら。

 覗いてみると、面白そうなものがいくつかありましたので引用させていただきたいと思います。


 『殺人とか殺人鬼とかAnotherなら死んでたとか。いやほんとにね、何事も実際に経験してみないことには!――んなわけ、あるはずなかろ。』

 『体験しなきゃ傑作描けない人は、才能がないんだぞって(笑い)。』


 正直に言いましょう、僕はこれらのツイートに立腹しております。

 なぜか。

 それは、彼らの主張が見当違いなものだからです。

 なぜそう言い切れるのか、説明してみようと思います。


 フィクションという大きなジャンルがあります。

 ハリー・ポッター、ドラえもん、最近で言うならリゼロ。

 どれも素晴らしい作品です。

 フィクションという言葉の意味は「作り話」です。

 魔法もドラえもんも実際には存在しません。

 でも、フィクションにはリアリティがある。

 このリアリティこそ「経験」から生まれるのです。

 リアリティのある作品、つまり作家の書くものは経験から生まれます。

 さっき引用したツイートが言ってるのは「体験」。


 「体験」と「経験」は似て非なるものなのです。

 「体験」は実際に書き手に起こったことです。

 殺人鬼の「体験」は殺人鬼にしかありません。

 でも殺人鬼の手記を読めば、殺人鬼の「経験」は手に入る。

 きっとJ・K・ローリング先生は魔法や全寮制の学校について入念に調べたことでしょう。

 だからハリーの物語にはリアリティがあるんです。

 情報を使えばどんなことでも経験できるんです。

 ここに文章の素晴らしさがあると思います。

 他人の「体験」を自分の「経験」にできるから文章は面白い。

 それができないなら、文章には何の価値もありません。

 これがわからない人に創作論は語ってほしくないと、切に願います。



 ということで「筆休めのぼやき」の第12回でした。

 できれば、作家全体のイメージを捻じ曲げるような発言をしてほしくない。

 特に作家の皆さんには、気をつけて情報発信して欲しいものです。


 ここまで読んでくれてありがとうございました。

 それじゃあまた明日。


 鍋島五尺でした、ばいばい!

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