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12/22 セリフの句読点スタイルを修正しました。
緩やかな起伏を繰り返す田園地帯の中、一際高くなった丘の上に、オーギュスタン家の居城はあった。
灰色城館。
それは文字通り灰色の石で建てられた、陰気な建物だった。
「本当に何か出そうだこと」
「十四世紀の築城です。外観は古めかしいですが、中は快適ですよ」
つまらなそうに馬車の窓から眺めるユーディトに、アドリアンは解説した。
「ふうん」
ここはピカルディー地方、アミアンの近くである。パリを昼過ぎに出発して鉄道で北に二時間。迎えに来たアドリアンの馬車でまた半時間。
そろそろ休みたい。体があまり丈夫でないユーディトにとって、滞在先が快適なのに越したことはない。
近付く当主の馬車に、門番は小屋から走り出ると、鉄の門扉を開いた。
弱々しい冬の残照の中、車はプラタナスの木が並ぶアプローチを登っていった。
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門をくぐった時には残っていた日差しは、ユーディトが客間に落ち着いた頃には、すっかり消えていた。日の短い季節は、彼女にはありがたい。暗くならない内は、彼女もただの人だ。
一通り荷解きをさせると、部屋付きのメイドを下がらせた。
彼女が小間使い一人連れずにやってきた事に、アドリアンは意外そうな顔をしたが、特に何も言わなかった。
普通、彼女のような未婚の令嬢は、一人では旅をしない。だが悪魔祓いに手を染めるような女が、今更世間体を取り繕って何になる。
「ジーヴァ、いるんでしょう?」
「ユーディ、私は呼んでくれないの?」
彼女の声に答えたのは、すねたような女の声だ。
妖艶な姿が空中に現れた。鈍く光る銀の髪が、ゆうらりと水の中のように広がっている。とろりと底の見えない緑の瞳には、瞳孔が無い。彼女もジーヴァ同様、ソブラスカ家に憑く夢魔だ。
「リールゥ、あなたは呼んだって来やしないでしょう」
「そりゃそうよ。私の代じゃないんだもん」
「暇つぶしに来たか」
艶のある声が響いて、リールゥの後ろにジーヴァが現れた。
「だって、久しぶりに屋敷に顔を出したら、シクロプスがこっちにいるって言うから。面白そうなところじゃないの、ここ」
シクロプスはソブラスカ家の家令だ。
「それで、食べ甲斐のありそうなのはいる?」
ユーディトの質問に、ジーヴァは首をかしげた。彼は時々、こういう人間くさい仕草をする。
「それが良く分からんのだ。この城は人の気配が強すぎる」
「そ。じゃあ明日帰ろうかしら」
あっさりと帰る気になったユーディトに、リールゥは、すい、と床に下りるとまとわりついた。しゃらり、と腕輪に付けられた鈴が鳴る。リールゥはいつもお洒落だ。今日は千一夜物語の姫君のような姿をしている。
「もーう、それじゃつまんないじゃないの、ユーディ」
「ここには来たんだから、義理は果たしたでしょう?」
「だってあのお坊ちゃん顔の子爵さん、ユーディを狙ってるんじゃないの? メイドたちが噂してたわ」
「良い部屋だな」
ふいにジーヴァが話を変えた。
確かに良い客間だった。
広々とした居間と、続きになった寝室と着替えの間。天蓋付きの寝台や机などの調度は、つやつやとしたローズウッドで誂えられている。
カーテンやカーペット、ソファの生地などは、ひんやりとした薔薇色と薄藍を基調としたものだ。窓辺の小机と鏡台には、温室栽培のものか、薄紅色の薔薇まで生けてある。
女性が使うことを前提にしつらえられたのか、全体としてとても優しい印象の部屋だった。だが、甘すぎる感じはしない。
「案外、今の婚約者の代わりにお前を奥方に据えようとしている、というのは本当かもな」
「まさか」
「バベット・シュヴェイヤールは商人の娘だ。娘を子爵夫人にしたい父親の圧力で婚約したそうだから、厄介払いしたいのかもしれんぞ」
「どこで仕入れたの、そんな情報」
「あらぁ、どこの家も、使用人はお喋りよぉ」
「古の神々の末裔が、揃って盗み聞き?」
耳の早い夢魔たちに、ユーディトが思わず笑いを漏らす。
夢魔は古の森の精霊の末裔である。だが、かつては深い森と、その闇に潜む獣たちの上に君臨した彼らも、その領国を離れて久しい。
「ねえユーディ、そろそろ晩餐に出る支度をするんでしょう?今日はこのドレスになさいな」
勝手に衣装棚を引っかき回していたリールゥが、鮮やかな赤葡萄酒色のドレスを手に戻ってきた。
「どれでもいいわ。好きにして頂戴」
ユーディトはため息をついた。
彼女を着せ替え人形にするのが、リールゥのお気に入りの遊びなのだ。大人しく旅行用のドレスを脱ぎ始める。
「それじゃあ髪は上げて、あ、少しカールさせようかしらん」
鏝を手に取ると、リールゥはうきうきとしゃべり始めた。