プロローグ
あれはいつのことか。どこかの夜会で、彼女を見た。
公女ソブラスカ。
今は亡国となったポーランドの名家の、ただ一人の生き残りだという。
深い闇のような黒髪に、どこまでも白い肌。濡れたように紅い唇、翡翠色の瞳。
齢十六という姫君は、どこか浮世離れした美しさを持つ少女だった。
「まあお珍しい。プランセス・ファントムですわ、ドーギュスタン子爵」
アドリアンが話し相手をしていた某男爵夫人が、こっそりと耳打ちしてくれた。
「幽霊の公女?」
聞き返した彼に、夫人は扇の陰を借りて、秘密を打ち明けるように顔を近づけた。
「ええ、プランセス・ファントム。あの方のお家には、神秘的な言い伝えが色々とありますのよ。初代公爵の奥様は麗しい精霊だったとか、いつの世かに一つ目巨人を従者に召し抱えたとか。……ソブラスカ家に仇なす者は必ず呪われるとか」
「マダムはオカルティズムがお好みですか?」
「ええ、ぞくぞくしますわ」
彼の腕に指を絡ませて、夫人は豊満なデコルテを曝した。
「それでは当家の居城も、きっとあなたのお眼鏡に適いますよ」
アドリアンがささやき返すと、彼女は小さく悲鳴をあげ、さらに強く胸をすりつけた。
翡翠の瞳の少女の事は、それきりすっかり忘れていた。