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第4話 心よぎる謎

 季節は巡り、十月下旬ともなると辺りはすっかり秋の様相を呈している。


 深津と約束した通り、金曜日は毎週彼のアトリエへと通っている。それはまだ誰にも言っていなかった。皆に内緒にしているのは、話すと興味本位であれこれ聞かれるのが面倒くさかったし、真由自身、深津と過ごす時間を大切に思い始めていたからだった。


 朝ごはんを食べながら真由は朝の情報番組を見ていた。京都の寺の紅葉中継が流れている。今年は例年以上に紅葉が美しい年らしく、紅葉が燃えるような赤色をしていた。


「真由ちゃん、おはよ〜」


 いつもながら遅れて母がキッチンにやってくる。また徹夜をしたようだ。真由は立ち上がると母の為にコーヒーをいれた。


 受け取った母はまだ脳が活性化されていない様子で静かにコーヒーをすすっていたが、急に真由の顔をまじまじと見だした。


「…何?」


 最近飲むようになった紅茶を真由は口に持っていきつつ胡散臭そうに尋ねた。


「真由ちゃん、男できたでしょ?」


 いきなり前置きもなく言うので真由は口に含んでいた紅茶でむせそうになる。ドラマや漫画ではよく見る光景だが、自分がやるとは思ってもみなかった。


「そういうの、私分かるのよね。違う?」


 さすが母親、鋭い。


「ないよ。急に変な事いわないで」


 真由は否定しておいた。事実男はできていない。一方的に好きなだけだ。


(そう、彼氏じゃないんだよね)


 通い始めてから一ヶ月、毎週金曜日に一時間ずつ通っている。毎回バイト料を払ってくれるという事はモデル以上でも以下でもないのだろう。少しずつ話はしているが真由が深いところまで聞かないということもあり、まだ謎の多い男性のままだった。


 まだ一ヶ月だから仕方がない、と思う半面、もう一ヶ月も経つのに、とも思う。


 心がこんなにも焦燥感に似た気持ちに襲われるのは初めてだ。


 やはり彼の事をちゃんと知りたい。


(今日はちょっと早めに深津さんの家にいってみようかな)


 そうすれば話せる時間が長くなる。真由はそう決めると食べ終わった食器を洗い、自室へ戻ると大学へ行く支度を始める。姿見で自分の姿を眺めてみたが、どの辺で母が心の変化に気づいたのか、全く真由には分からなかった。


 上の空で授業をこなし、早々に友達に別れを告げると落ち着かない心を抑えて深津の家へ向かった。


 すでに外は夕闇に包まれている。オレンジ色から濃い青のグラデーションが綺麗な西の空を眺めつつ早歩きで坂を上がる。漸く着いたと思った矢先、深津の家の門を開けて出てきた人物とはち合わせた。


「すみません」


 真由は人がいるとは思わなかったので、驚いて謝った。相手は見た目七十歳を少し超えたあたりの老人だった。背筋はまっすぐにのび、首からボルドーのマフラーを垂らしたお洒落な服装をしている。老人は人当たりの良い笑みを浮かべた。


「大丈夫です。こちらのお宅の方かな」


「違います」


「では、お嬢さんもこちらの客人で?」


 すこし驚いたような声色だった。客人ではないが真由はモデルという言葉を使うのがくすぐったかったので、嘘を付くのは悪いと思ったが、頷いた。


「私はノルウェージャンフォレストキャットです。あなたは?」


 急にふられて真由は戸惑った。


(お爺さんの本名とか? 名前がノルウェーで、ミドルネームがジャン、名字がフォレストキャット? んなわきゃないか)


 老人はあからさまに日本人顔だ。最後にキャットと付くくらいなのだから猫の種類なのだろう。まったく真由の脳裏に絵が浮かんでこない猫の名前だ。


 期待を込めた目で老人がこちらを眺めてくるので真由は混乱しつつも、昔この場所で見た光景からヒントを得て答えていた。


「チワワ、です。毛が長くて真っ白い…」


「そうですか。チワワも小さくてかわいいでしょうな」


 老人は何度も頷きつつそう言った。一応合格点のもらえる回答だったらしい。しかし、真由には全く分からなかった。


「私は今度の水曜日に出来上がるらしい。今日は待ちきれずに来てしまいましたが、途中経過は見せられないと断られてしまいましてな。木曜日以降の楽しみですわ」


 ふぁふぁ、と老人は笑った。


「お嬢さんは…」


 何かまた聞かれる、と真由が身を構えたが、二人の横に真っ黒な車が横付けされた。今度はレクサスだった。


 自動車からはガタイのいい男が降りてきて、老人の前で頭を下げる。


「会長、申し訳ありません。お待たせいたしました」


「いや、かわいいお嬢さんと話をしていたからかまわんよ」


 会長と呼ばれた老人は男が素早く開けた後方のドアに向かい、真由を振り返った。


「それでは。かわいいチワワに早く会えるといいですな」


 なれた動作で車に乗り込み、茶目っけのあるウインクと共に去って行った。


(会長って)


 意外と真由も知っている有名企業の会長とかかもしれない。


(こ、ここの家は金持ちしか出入りしないのかなあ)


 ベンツのセレブ女性といい、レクサスの会長のお爺さんといい、深津はどんな人々と付き合っているのだろうか。


 とにかく外に突っ立っていても仕方がないので真由は中へ入った。





「深津さんって、休日とか何しているんですか?」


 アトリエでキャンバス越しの深津と対面しつつ、さっそく真由は深津を知るべく質問を開始した。休日の過ごし方で趣味とか垣間見ることが出来るかもしれない。


「ん〜、大抵は家にいるけどね。後はたまに白田さんと会った古本屋へ行くか、画材屋に行くくらいかな」


 いたって真由の想像の域を超えない休日の過ごし方のようだ。でも彼の雰囲気からして、スキューバダイビングとかスカイグライダーとか、休日は海に山に! というタイプには全然見えないので、真由的には納得だった。


 いつもならここで話は終わるのだが、今日の真由はいつもと違う。


「今度、真由も一緒に画材屋へいきたいな」


 普通を装って言ったが、心臓は激しく脈打っている。初めて自分から深津を誘ったのだ。


(お願い。断らないで、断らないで、断らないで!)


 祈るような気持ちで何度も心の中で繰り返した。その祈りが天に通じたのか、深津はあっさりとうなずいた。


「いいよ。欲しいものもあるし。でも、白田さんが画材に興味があるとは知らなかった」


 よしっ、と真由は心の中で握りこぶしを作る。きっと深津にしてみれば深い意味はないのだろうが、それでもいい。真由にとってみれば、例え画材屋であろうと、初めてのデートみたいなものなのだから。


「じゃあ、いつにしましょうか?」


 真由は自分のカバンの中からスケジュール帳を取り出した。日にちまでたたみ込むように決めてしまいたかった。自分でも驚くほどの積極性だ。


 指をたどるように見開きのカレンダーの日にちをたどる。ふと、来週の水曜日の欄に指が止まった。


(満月…)


 真由のスケジュール帳には月の満ち欠けも書かれており、来週の水曜日がちょうど満月にあたるらしい。


(さっきの会長の絵がこの日に出来上がるっていってたな)


 真由の心に何かが引っ掛かった。


「…でいいかな?」


 何か深津が言ったらしい。聞いていなかった真由は、素直にもう一度言ってほしいと頼んだ。


「来週の木曜日までは仕事があるし、金曜日は白田さんにモデルをして欲しいからね。土曜日はどうかな」


「土曜日ですね、全然大丈夫です。空いてます」


 嘘です。バイトが入っています。でも、休みます。


(やればできるじゃん、私♪)


 自分でも戸惑うほど浮かれているのが分かる。理性というものがなければ踊り出しているかもしれない。


《あまり、深入りしない方がいいぞ》


 再び声が聞こえてきた。それに続く低いくぐもった笑声。


 真由は自分を抱き締めるように右手で左腕をつかんだ。そっと辺りをうかがうが、やはり深津と自分、二人しかこのアトリエ内にはいない。


 あの声は深津には聞こえていないようだ。前も彼がひとり暮らしだと言っていたので、真由は騒ぎたてることはやめた。おかしいと思われるのが嫌だった。しかし二度も聞くと空耳ではちょっと片づけられない。


 古い屋敷だから、何かがいるのだろうか。イギリスでは幽霊が出た方が物件の値段が高くなると聞いたことがあるが、日本ではむしろ逆効果だろう。


(私、霊感ないし。今まで幽霊一度も見たことないし)


 そう言い聞かせて真由は心を落ち着かせた。


 それよりなにより、今日は土曜日の約束を取り付けたのだ。


 深津の家を出てしばらくしてから、真由は我慢しきれず軽く飛び上がった。できるならは高校の時、授業で見た『雨に歌えば』のジーン・ケリーのように踊りたい。


 一回転をし、ふと空を見上げると空には月が出ていた。上弦の月と満月のちょうど真ん中あたりの形だ。


(水曜日は満月)


 初めて深津の家に行こうと決めた日も大きな満月の日だった。その次の日に深津の家の前でチワワを抱く女性を見たのだ。水曜日に作品が出来上がるといった会長には何かしら猫が関係しているらしい。


(なんだろう、この落ち着かない気持ち)


 真由は空高く輝く月を眺め続けた。


 満月は、水曜日。



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