第11話 巡る歳月・エピローグ
あれから一年。今年は暖冬で、まだ一度も雪は降っていない。
「あなたが好きだと言った雪。でも、どうして雪が好きなのか、聞けずじまいだったね」
真由は自分の肖像画に描かれた深津の名前をそっとたどり、呟いた。
深津がいなくても季節は巡るのだ。その不思議にもようやく慣れてきた。
真由の部屋には深津に渡せなかったアイビーが元気にハート型の可愛い葉を茂らせている。サイトでアイビーの育て方を調べ、挿し木で増えることを知り、やっているうちに気づけば部屋中がアイビーだらけになっていた。
「ちょっとやりすぎたかもね」
苦笑をして真由は部屋をでた。
「あれ、お出かけ?」
リビングのテーブルに母がケーキを並べている。一個や二個ではない。ケーキ屋にある全種類を買ってきたかと思うくらい色とりどりのケーキが並ぶ。ケーキを買いこむ日は全く仕事をする気がゼロで、甘いものでストレスを発散させる日なのだ。二か月に一度くらいの周期でやってくる。しかし、食べる前にとりあえず見目よく並べて眺めるのが母の習慣でもあった。
「見て見て真由ちゃん、綺麗でしょ。新しくオープンしたお店で買ってきたの。出かける前に一緒に食べましょうよ」
約束までにはまだ時間がある。誘惑に負けた真由は母の向かいに座った。
「本当だ、かわいい。でもまた一杯買いこんできちゃったね」
ストレスに比例してケーキの数も増える。今回はかなりためこんでいたようだ。こんなに買ってきても母は全て平らげてしまう。それなのに痩せているのが不思議でならない。
「今日はどこいくの? バイトの日、じゃないよね」
「うん、今日は三木センセーのトコに行くの」
「三木クンと一緒にいると、そのうち真由ちゃんも変な子になっちゃうわよ」
母は一口ケーキを頬張ると、もごもごしながら真面目な顔でそう言った。
真由は深津との顛末を三木だけには話した。
当時はまだ心の整理がついておらず、話しながらもまた泣いてしまったのだが、三木は、がんばったな、と言ってくれた。
それから親子ほど年が離れている三木の所に友達感覚でちょくちょく訪ねるようになった。真由にとっても深津の思い出が語れるのは嬉しいし、若い頃の深津の様子が聞けるのも楽しかった。
「なんだよ、ユウはユリちゃんの次に白田クンか。…ある意味、首尾一貫だな~」
そう言われ、笑える余裕も最近ようやく真由に出来てきた。
三木とは思い出が語れるだけではなく、時間があると絵の手ほどきもしてくれる。
「ユリちゃんの娘に教える夢がかなってよかったよ~」
そう何度も繰り返して嬉しそうに言う。どうも三木は昔から母の事が好きなようだ。母のせいかどうかは分からないが、今も独身を貫いている。しかし当の本人の由理子は三木の気持ちに全く気付いておらず、むしろ変わり者扱いしている。
(三木センセーが真由のお父さんになる想像も全然できないしなあ)
想像力は人並み以上あると思っている真由でも三木が自分の家で父親ズラしている姿は想像できない。見ている限り三木から母に告白しそうな雰囲気もないので、彼には悪いが片思いで終わってもらうことにした。
ただ、三木が絵を描いている時はやはりかっこいい。教えるのもさすがに大学で教鞭をとっているだけあり分かりやすかった。真由はこの一年でかなり絵が上達したと思う。
もう一人、厳しい先生がいる。真由と契約した絵の具の老紳士だ。
真由の部屋の片隅に絵の具は置かれているのだが、真由が絵を描き始めると姿を表す。それ以外は全く出てこないので、真由の私生活には興味がないのか、彼なりに気を使ってくれているのかは分からない。
三木から出された課題を描いていると、肩越しからデッサン力がない、だとか、遠近法がおかしい、だとか、影の付き方がなっとらん、などなどなど文句ばかりいう。すべて事実なので黙るほかないのだが、どうすれば良くなるかは教えてくれない。しかし欠点を言ってもらえるので、どこに気をつければいいか分かるのは大きな利点ではある。
最近では前より文句は減ってきた気がする。たまに、本当にたまにだが、褒めてくれる時も出てきた。普段褒めない人から褒められるとかなり嬉しい。
(深津さんの画力にはまだまだ程遠いけど、少しずつ近づくからね)
そうすれば再び深津と出会う時、共に同じものを見ることができるだろう。
「ねえ、真由ちゃん、食べないの?」
母が寂しそうな声を上げた。真由はテーブルの上に所狭しと並べられたケーキを見回し、イチゴのタルトを選んだ。イチゴにかけられた艶やかなアプリコットジャムのコーティングが食欲をそそる。
「ねえ、お母さん」
タルトを半分ほど食べ終えた真由は前から母に聞いてみたかった事を聞いてみることにした。
「お母さんは深津さんのどこが好きだった?」
「何? 急に」
母は不思議そうな顔をする。さすがに唐突だったかなあ、と真由も思った。しかし母はすぐに両肘をテーブルにつき、考えるしぐさをした。
「そうねえ、絵の才能には完全に惚れていたわね。性格も良かったし」
そうだね、お母さん。
「でも、初めにお母さんの心を鷲掴みにしたのはね」
母は口元に指をやった。
「笑ったときにちらっとみえた犬歯」
真由は声を立てて笑った。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
また別作品でもお会いできることを楽しみにしております。
ありがとうございました。