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第1話 夏の終わりの始まり

はじめまして、もしくはお久しぶりです。

楽しく読んでいただければ嬉しいです。

(大体)週一ペースで更新します。

これからよろしくお願い申し上げます。

 何故九月になると途端に真っ白なスカートが気恥ずかしくなるのだろう。


 白田真由は鏡の前で一つ溜息をつくと、一度身にまとった白のスカートを脱ぎ棄て、茶系のマドラス柄のスカートに履き替えた。これで少し秋らしさが加わる。


 今日は九月一日、昨日までの八月と暑さは全く変わらないが、真由の気分的には秋のカテゴリーに入る。真由の勝手な固定概念かもしれないが、秋に真っ白な服は季節に取り残された気がして嫌なのだ。


「おしゃれは先取りくらいがちょうどいい、って誰かが言ってたし。ピーコだっけ? 植松さんだっけ?」


 まあ、どっちでもいいや、と呟き、真由は鏡の中の自分を再チェックし、お気に入りの柑橘系の香水を振りかけると自分の部屋から出た。


 目の前は母の部屋である。少し開けられたドアからはまだ蛍光灯の光が洩れている。


 現在朝の八時十分。3LDKのリビングはまだ全てのカーテンが閉められたままだった。


「まーた、徹夜したんだ」


 真由は全てのカーテンを開け、空気の入れ替えに窓も開ける。日差しの強さは相変わらずだが、蝉の声は真夏の頃と変わった。遠くで電車の警報機の音がする。


 お湯を沸かし、コーヒーの匂いが狭い室内に漂う頃、ようやく母がのっそりとリビングにやってきた。


「頭、くしゃくしゃだよ。目の下はクマだらけだし」


 笑いながらも真由は母に花柄のマグカップを手渡した。母はありがと、と受け取ると疲れたように近くの椅子に座り、コーヒーをすする。


「昨日はぱあーっとイメージが湧いちゃったのよ。これを逃してはいけないって芸術家の血が騒いだってわけ」


「神が降りて来た、ってヤツ?」


「ま、そう言う表現をする人もいるわね」


 母はイラストレーターだ。四年前、とあるコンペティションで大賞を取って以来、確実に人気を獲得していった。当時勤めていた会社もやめ、今では朝の情報番組の占いの背景画やポスター、本の装丁など活動範囲は広い。


 本名は白田由理子だが、旧姓の三倉由理子で世に知られている。彼女の使用する赤色が特徴的で『三倉の赤』と世間では呼ばれていたりする。


「だって、『白田の赤』じゃ、白か赤かどっちやねん! って感じでしょ」


 母はそう笑っていうが、本名の白田を使わないのは、もう亡くなって五年経つ真由の父、つまり由理子の夫の晃を彼女が許していないからだ。真由は口には出さないが、そう考えていた。真由自身もまだ父には少しわだかまりがある。


「今度はどういう仕事で徹夜しちゃったんですか?」


「今回は仕事じゃないのよ。今年の十二月にね、久し振りに芸大の同期とグループ展を開こうって話になったの。ノルマは5点以上だから、描けるうちに描いておかないと」


 そう言いながら由理子は首を回し、二度三度首の骨をポキポキならした。


「真由ちゃんは、どこか出かけるの?」


「うん、本屋に頼んでおいた本が届いたって連絡もらったから、もう少ししたら出かけるよ」


「お母さん、ちょっと寝るから玄関の鍵は掛けておいてね」


「寝るのはいいけど、今日の洗濯当番はお母さんだからね」


 中学二年で父が亡くなってから母一人子一人となった。真由は少しでも母の負担を軽くしようと家事を手伝うようになったが、いつのまにか当番制が確立した。今では母とは親子であると同時に、共に苦労を乗り越えた戦友の様な感覚さえある。


「え〜、めんどうくさいなあ」


 そういいながらも母は残りのコーヒーを一気に飲み干すと大人しく洗濯機の方へと歩いて行った。


 後ろ姿を見送りながら、真由は思う。母は好きな絵だけで暮らしていける幸せな人だ。一方私は…と思い始めた真由は思い切り首を振り、考えを追いやった。これは考えても今すぐ答えが出るものではない。自分が何をしたいかさえ全く分かっていないのだ。分かっていない事だけ分かる。ただ、母には自分で立つべき場所がある。それが真由にはとても眩しく見えた。


「お母さんは、いいなあ」


 そう呟くと同時に脱衣室から洗濯機独特の低音のモーター音が響きだす。


 イラストレーターという華やかな仕事をし、偶に雑誌に載る人でも、頭をくしゃくしゃにしながらフツーにコーヒーを飲み、フツーに洗濯機を回すんだ、と真由は当然のことを漠然と考えた。



※ ※ ※



 さすがに十時を回ると日差しが刺すように暑い。


 真由は目的地に一番近い地下鉄の駅を出ると真っ青な青空を見上げた。


 こういう時、いつも日傘を持ってこればよかったと後悔するのだが、今日も例にもれず後悔した。しかし、いざ日傘をさそうとすると気恥ずかしい気もする。帽子もそうだ。かと言って日焼け止めを塗るのも嫌いな真由に出来ることは、ただ日陰を選んで歩くことだった。


 駅近くの本屋で注文した本を受け取る。ひととおり店内を見てまわって新書をチェックしてから再び外へ出た。今回はあまり興味のある新書は出ていなかった。


 本屋は昨年まで通っていた高校の近くにあるので、この町は勝手知ったる見慣れた街だ。卒業前に工事中だったビルが完成し、一階に新しくスタバが出来た以外はあまりかわっていない。相変わらず路駐自転車は多く、一度でいいから派手にドミノ倒ししてみたいという意味のない願望は高校時代から引き続き持ち続けている。


 どうせ早く家に帰っても母は熟睡中だろう。懐かしい気分に浸りつつ、真由は少し歩くことにした。


 ここは坂の多い町で、足もとの路面もゆっくりとした上り坂だ。よく部活の帰りに立ち寄った個人経営のパン屋の前を通る。ここも相変わらずだ。コロッケパンがおいしいのだが、この暑い中食べたいとは思わず窓から店内を覗きつつもスルーしていった。坂の先には母校の校門が見え、校舎の窓からは学生の姿がちらほらみえた。


「そっか、今日は始業式なんだ」


 ここの高校は夏休みが終わると決まって実力テストがあり、八月の終わりにはいつも胃の痛い思いをしたのだが、大学一年生の真由は九月の中ごろまで夏休みで、しかもすでに夏休み前に試験は終わっているから気楽に休みが過ごせる。


 校舎の側部を沿うように坂を登るとだんだん住宅地になってきた。


 振り返れば駅周辺が眼下に見え、時折自動車のガラスに反射した太陽光がキラキラと輝いている。ちょっとした高台のこの場所は冬の体育のマラソンコースであり、高級住宅地域でもあった。


 数寄屋造りや洋風建築など、少し古さは感じさせるがひとえに『立派』な一戸建てが幾つも立ち並ぶ。きっと何処かの社長やら重役達がすんでいるのだろう、車庫にある自動車も高級車ばかりだ。庭も必ずあるので自然と緑も多い。辺りが閑静なのも手伝って蝉の声も一段と大きく聞こえる。


「こんな坂の上にある家で、老後になったら暮らしにくそうだけど、どうするのかな」


 余計ないらぬ心配しつつ家を眺めては路地から路地へと歩いていく。マラソンコースを外れると、真由にも目新しい景色が広がる。


「やっぱり日傘持ってこればよかった」


 かれこれまだ三十分弱しか歩いていないのに暑さのせいで体力が奪われていく。立ち止まるとタオル生地のハンカチで首筋に流れる汗を拭きとった。


 もう戻ろうかと踵を返した先のT字路の正面に、一軒の店があることに気がついた。


 住宅街の中に一軒だけの店、しかも古本屋だった。本が好きな真由は古本屋も好きだった。


 東京でうらやましいと思うのは東京ディズニーリゾートと神田の古本屋街があることだと常々思っている。古びているがこぢんまりとした古本屋に興味をそそられた真由は、避暑も兼ねてふらふらと近づいていった。


 無言亭 春夏冬中


 軒先から吊るされたかまぼこ板のような小さな看板にはそう書かれている。無風なのでぴくりとも動かないのを真由はそっと指でつついてから中へ入った。


 ひんやりとした空気と古い紙の匂い。


 すこし甘味さえ感じるこの香りが真由は好きだった。大学の図書館の蔵書室も同じ香りがする。


 天井に届くくらいの本棚にびっしりと本が並べられていた。中は意外と奥深く薄暗い。真ん中にも置かれている本棚の為にU字型に店内を回る導線になっている。つきあたりに店の老齢の亭主がひとりいるが、真由が入って来たのを気付いているのかいないのか、顔をあげることもなく店の名前通り無言で、愛想のかけらもない。


 真由は入口付近から舐めるように本の背表紙を見ていった。主人の趣味なのか歴史関係の書物が多い。専門書の威厳を示すかのようにご丁寧に紙製のケースに入っている。わざわざケースから本を取り出すのは面倒なので、ケースのない本を選んではパラパラとめくり、棚に返した。


 奥に進むと歴史書コーナーは終わり、美術書が並ぶ。真由もイラストレーターの母の血を引いているからか絵は好きだった。が、いつの頃からか自分では絵を描かなくなった。


(あ、金子國義)


 棚の上の方に真由のお気に入りの画家の画集を見つけた。背伸びをしたが惜しいところで届かない。こういう所には大体踏み台が用意されているはずだ。真由は一度視線を下へ移した。


「取ろうか?」


 あまりに近いところから声がしたので、驚きのあまり真由は体をびくつかせた。自分以外で店内に客がいるとは全く気がつかなかった。


 隣には真由より少し年上だろうか、若い男性が一人、こちらを見下ろしている。真由の様子に男の顔には苦笑が浮かんでいたが、すぐにひっこめると本を取ってくれた。手を伸ばすだけで届いたからきっと身長は百八十以上あるに違いない。


「はい、どうぞ」


 本を手渡された時、かすかに油彩絵の具の匂いがした。


「あ、ありがとうございます」


 軽く下げた頭を戻すと、何故か男は真由の顔をじっとみていた。視線に気づいた真由は落ち着かない気分になる。しかし、すぐに男は一度微笑んで隣の本棚の列へ行ってしまった。


(なんだったんだろう)


 真由はそっと上着やスカートを触ってみるが特におかしな所もない。腑に落ちないながらも手の中にある金子國義の画集に目を移す。だが、めくる前に、別の心配が頭を擡げた。


(本棚に手が届かないから、もとに返せないじゃん…)


 またオタオタやっていると先ほどの男性が来てしまうかもしれない。こっそり本棚の隙間から覗けば男性は未だゆっくり本を眺めている。


 普通の男性ならこんなにも悩まないのだ。性質の悪いことに、見かけだけなら真由のタイプだった。


 黒髪、少し童顔で知的な雰囲気。


 笑った時にちらりと見えた犬歯も捨て難い。


(いや、別に捨てる必要もないんだけど)


 昔からそうだった。自分でも損な性格だとは思うが、好みのタイプであればあるほど躊躇してしまう。高校時代の彼は告白されたから付き合ったのだが、好きだからでなく、特に断る理由がなかったからにすぎない…気がする。現に今はその彼と付き合っていない。卒業直後に自然消滅した。真由もそれほどその元彼に会いたいとは思わない。きっと相手もそう思っているのだろう、連絡もなかった。


(持っていない種類の画集だし、本の状態もいいし、値段もまあ許容範囲だし、買っちゃいますか)


 そう心に決めレジへ持って行く。店主のぼそぼそとした声とは対照的に、静かな店内に年代を感じさせるレジの開く音が大きく響いた。それだけで真由は鼓動が速くなる。なるべく派手な音は立てないで欲しい。


(あの黒髪犬歯男にまた声をかけられたらどうしよう)


 そんな真由の妄想は所詮妄想だったらしい。真由が男のいない通路を選んだということもあり、何もなく出口へたどり着いた。


(ま、世の中そんなもんでしょうね)


 店を出て、日差しの強さに目がくらむ。やはり先ほどよりさらに気温が上がっているようだ。覚悟を決めて一歩歩きだした時、後ろから勢いよく扉の開く音がした。


「ちょっと、待って」


 いきなりの事に、全く待つ気はなくても真由は立ち止まってしまった。


 振り返ると目の前に先程の黒髪犬歯男がいた。


 真由は恐る恐る自分の右手の人差し指で自らの顔を指すと黒髪犬歯男は軽やかに頷いた。


「やっぱり、いきなりで悪いんだけど、お願いがあるんだ」


 そう言ってほほ笑む。口からちらりと見える犬歯は真由にとって反則以外の何物でもない。聞く意思を示すため真由は首を軽く傾げた。


「モデルになって欲しいんだ」


「えっ、はあっ? …モデル?」


「そう、絵のモデル」


 先ほど男から油彩絵の具の香りがしたのは、彼が画家だったかららしい。


(あ、だからか。…って納得している場合じゃないっ)


 モデルとはこの男、何を言い出すのだろう。


 真由は母親譲りの日本人にしてははっきりした目鼻立ちをしており、口に出しては言わないが顔立ちは人並みよりちょい上あたりの認識でいる。だからと言って、男どもが振り返るほどでもない。それに、好みとは言え、ほとんど知らない男の『モデルにならないか』の言葉にほいほいついていくわけにはいかない。


 妄想は妄想だから楽しいというところもあって、実際声をかけられると戸惑いの方が大きい。


(しかも、モデルって…ありえない)


 自分がめちゃめちゃかわいいならまだしも。これが悪徳商法の始まりなのだろうか?


 真由の表情の変化に気づいたのか、黒髪犬歯男も笑みを苦笑にかえた。


「戸惑うのは当然だと思う。確かに不躾だしね。でも気が向いたらここにきて」


 黒髪犬歯男はそっとポケットから名刺を取り出し真由に差し出す。真由はそれを無言で受け取った。


 

 深津 祐一郎



 名前の部分にそう書いてあり、その下に電話番号と住所が書かれていた。


「引き止めて悪かった。でも、待っているから」


 そう言うと黒髪犬歯男こと深津祐一郎は再び古本屋の店内へと戻って行った。真由はまだじっと名刺を見ていた。耳にセミのじわじわと鳴く声だけが響きわたる。


(ここにいたら、また黒髪犬歯男が来るかも)


 はっと顔を上げた真由は名刺を無造作に財布の隙間に突っ込むと、急いで坂を下って行った。



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