月とスイカと古い本
目の前に広がる凄惨な光景。
次々と焼き払われる家屋。
逃げまどいながら無残にも殺される人々。
そこら中に響き渡る悲鳴や怒号。
誰が、何の目的でこんな事をしているのか分からずただ困惑するだけだった。
無抵抗の人も容赦無く切り捨てられて行く。
女も老人も、そして子供さえも。
赤い甲冑を身に纏い、刀を手にした1人の侍がこちらに気づき近づいてくる。
恐怖に怯え俺は動けない。
刀が振り上げられ、思わず眼をつぶる。
死を覚悟したが、切られた感触は無い。
ゆっくり眼を開けると、もう侍の姿は無かった。
そして、見上げた空には真っ赤な満月が浮かんでいた。
まるでスイカのように真っ赤な月が…。
ジリリリリリッ! というけたたましい音が意識の遠くから聞こえてくる。
聞きなれた、朝を告げる目覚まし時計の音だ。
俺は眼を閉じたまま音の鳴る方へ手を伸ばす。
手探りでスイッチを押し、目覚まし時計を黙らせる。
「もう朝か」
仰向けのまま眼を開けてつぶやく。
「それにしても、嫌な夢を見たな」
視点の定まらない瞳で天井を見つめる。
悪夢を見たためか、すぐに起き上がる気にはならずしばらくはそのままボーっとしていた。
しかし、あまりそのままの状態でいると二度寝してしまいそうなのでゆっくりと体を起す。
制服に着替えるためパジャマの上着を脱ぎ、ふと鏡に映った上半身裸の自分をみてため息をつく。
色白で筋力の無い体つき。そしておなかにあるアザ。
まだ覚醒していない頭で手早く着替え、洗面所に顔を洗いに行く。
もう7月だというのに、水道の水は冷たい。
だが、そのお陰で少し眠気が覚めた。
そして、ダイニングへ向かい母親が用意しておいてくれた朝食を口に放り込む。
今朝の朝食はトーストにベーコンエッグだった。
母親はこの時間にはすでに仕事に出かけていて家にいない。
女手一つで俺をここまで育ててくれたのだ。
父親は俺が小さい頃に死んでしまったらしい。
俺には、そんな記憶はひとかけらも残っていないが。
食べ終わった食器をキッチンに持って行き洗う。
自分が使用したものは、自分で片づける。それが母親とのルールだ。
そして自分の部屋へ行き、高校へ行くために鞄を持って家を後にする。
学校へ続く道をしばらく歩いた頃、後頭部に衝撃がはしった。
「よっ朔夜」
立ち止まり、振り向くとそこには一人の少女が立っていた。
武田歩、この女が俺の後頭部を叩いた犯人だ。
「よっ、じゃねえよ。朝っぱらから人の頭を叩くな」
俺はそう良いながら、歩のポニーテールをぐいっと引っ張る。
「いたたたた、ちょっと止めなさいよ」
髪を引っ張られるのが相当嫌なのか、不機嫌そうな顔をする。
「コレでおあいこだ」
俺はそう言って再び学校へ向かい歩き始める。
学校へ着くまでの間も、何かと歩がちょっかいを出してきたが無視する事に決めた。
いちいち相手をしていると、午前中で体力を使い果たしてしまいそうだからだ。
俺は昔から他人と比べ、体力が無かった。
決して運動が嫌いなわけでは無いのだが、すぐに疲れてしまう。
そして力も普通の男に比べ少し弱い。
あまりにもすぐ疲れてしまうため、ある時病院で見てもらったことがあるが、特に何の異常も発見できなかった。
それからはそういうものだと割り切り、なるべく体力を使わないように日常を過ごしている。
「しかし本当、朔夜って女の子みたいだよね」
無視、無視。
「だって色は白いし力は無いし、それに朔夜って名前も女の子っぽくない?」
そう、俺は小さい頃から良く女の子に間違われたりした。
歩の言う通り、色白で筋肉の無い体つきをしていたためだ。
そして、名前のせいでもバカにされたりしていた。
18歳になった今では、もう女には間違えられる事はない。
身長は180㎝を越えてるし、自分では顔もれっきとした男の顔だと思っている。
「朔夜と会ったばかりの時は、ずっと女の子だと思ってたもん」
無視だ、ここで相手をしたら俺の負けだ。
「ねぇ、今度あたしの制服着てみない? 絶対似合うから。すっぴんでも全然いけるけど、化粧なんかしたらそこら辺の女子より絶対可愛いって」
絶対人をバカにしている、この女は。
「否定しないって事は、やっぱり本当は女の子だったりして」
「そういうお前は実は男で、その胸もニセモノなんだろう?」
いい加減耐え切れずにおちょくってしまった。この女はおしとやかさとは無縁な性格をしている。
昔は喧嘩で男子を泣かせることも多かった。おおむね、俺をからかってきた男子に対してだが。
「なっ、ひど~い!」
「俺にだって散々ひどいことを言っていただろう」
「あたしの胸はちゃんと自前よ」
エッヘンと胸を張る。
「へぇ、ぺったんこなのにか?」
さらにおちょくる。
「失礼な事言わないでよ! 見た目より結構あるんだから」
歩は口を尖らせながら怒っている。単純でからかいがいのある奴だ。
「なんなら触ってみなさいよ! 本物だって分かるんだから」
「誰がお前のなんか触るか」
「なによ! あたしが触っていいって言ってるんだから、ありがたく触りなさいよね」
なんだ? こいつにはそういう趣味があるのか?
「触っても触らなくても同じだろう? どうせ無いんだから」
だんだん引っ込みがつかなくなってきた。
登校途中の周りの生徒は、笑う者もいれば呆れている者もいる。
俺と歩の痴話げんかは結構有名らしい。
「じゃあ、あんたが男だって証拠を見せなさいよ」
「は?」
何を言っているんだこいつは。
「今すぐここでズボンとパンツを脱ぎなさいよね!」
「お前はバカか?」
「あたしは本気よ!」
一体こいつはどういう趣味を持ってるんだか。
「そういうのはお前一人で勝手にやってくれ。俺にそんな趣味は無い」
そう言って俺は、足早に校庭を通り過ぎ下駄箱へ向かう。
「逃げるなんて卑怯よ」
そんな声が聞こえたが、今度こそ本当に無視をして教室へ向かった。
教室に着き、席に着くなり机に突っ伏す。
やはり相手にしなければ良かった。
あれしきの事で相当疲れてしまった様だ。
しばらくして朝のHRが始まったようだが、立ち上がる気力も無く意識が遠のいていった。
眼を覚まし顔を上げると、夕日が教室に差し込んでいた。
クラスメイト達が三々五々帰り始めている。
どうやら俺は授業の全てを寝て過ごしたらしい。
昼食も取らずに。
「あら、やっと起きたのね」
隣に目を向けると歩が立っていた。
「なんでお前がここにいるんだ?」
ここは3年B組で歩はC組だったはずだ。
「朔夜の額に肉っていたずら書きしようと思ってね」
なんて古典的ないたずら書きだ。
俺には、キン○クバスターなんて使えるほどの力は無いと言うのに。
「朝のHRの時から寝てるんだもん、つまんないったらありゃしないわ」
「じゃあ、途中で起せばいいだろう」
実際は起されたらそれで迷惑なんだが。
「朔夜のためを思って起さなかったんじゃない。感謝しなさいよね」
妙なところで気を使う女だ。
俺が体力無いのを皆知ってか知らずか、途中で起そうとするものはほとんど無い。
教師達も多めに見てくれているようだ。
でも、たまにこの女に起こされるのだが。
「起こす方が間違ってるんだ」
そう言い鞄を持ち教室を出る。
「あっ、待ってよ」
そう言い歩が着いてくる。
また相手をすると疲れてしまうので、適当にあしらいながら学校を出る事にする。
校庭を通り過ぎ、校門に向かって歩いているとふと人影が目に入った。
校門の傍らに、青い表紙の古そうな本を持った少女が佇んでいた。
白いワンピース姿で、腰の辺りまで伸びた黒い髪、華奢な体には似つかない豊満な胸が目立つ。
年齢は俺らと同じぐらいか、少し下に見える。
その少女は俺の存在に気づいたのか、整った顔をこちらに向けた。
十二単がとても似合いそうな、清楚な感じの顔立ちだ。
誰が見ても可愛い、そう思うだろう。
歩など到底足元にも及ばない。決して歩も可愛くないわけではないが、
遥かにレベルが違いすぎるのだ。
誰しもが見惚れてしまうような、そんな雰囲気も併せ持っていた。
俺と目が合った時、少女は一瞬驚いたような顔を見せたがスグに微笑みへと変わった。
「朔夜、知り合い?」
その様子を見たのか、歩が尋ねて来た。
「いや、全然知らない人」
首を横に振り答える。おそらくこの学校の生徒でもないだろう。
あれだけ可愛ければ学校中でうわさにならないはずがない。
「そりゃそうよね、朔夜にあんな可愛い知り合いがいるはずないもんね」
やはりこの女は失礼だ。
まぁ歩とは幼稚園からの付き合いなので、その言葉には幾分か頷けるが。
ふと、少女の瞳から涙が零れ落ちる。
「やっと……やっと、見つけましたわ」
そう言って、少女は走りよるなりいきなり抱きついてきた。
「うわっ」
突然の事で少しよろめく。
抱きつかれて少女の背が低い事に気づく。
遠目からは分からなかったが恐らく150㎝有るか無いかぐらいだろう。
ボロボロと俺の胸で泣き崩れる少女。
一体、俺はどうすればいいのだろうか。抱きしめ返すわけにもいかずうろたえるしかなかった。
「ちょっと、あんたなにやってるのよ」
そう言ってしばらくあっけに取られていた歩が、少女を俺から引き離そうと少女の肩を掴む。
しかし少女は勢い良くその腕を振り払う。
「ええい、離さぬか! われら一族の仇のクセに馴れ馴れしいわ!」
少女の剣幕に狼狽えながら歩は眼を丸くする。
「か、仇? あたしがあなたに何をしたって言うのよ」
「ふん、自分らの所業を覚えておらんとは」
一体なんなのだろうこの子は。
しかし、このままでは歩がこの少女を殴りかねないので止めに入る。
「まぁ落ち着けよ歩、人違いかも知れないしよ」
「そうだとしてもいきなり人を仇呼ばわりして、絶対許せないわ」
歩の怒りは収まらないらしい。
「許せぬのはこちらも同じじゃ」
負けじと少女が言い返す。憎悪にみちた顔で歩を睨みつけている。
どうやら状況が悪化してしまったらしい。
「まぁ、ほら君も落ち着いて」
少女の肩を掴みなだめる。
「まぁ良いわ、こやつなどほおっておいて帰りましょう、彦星様」
そういって少女は俺の右手を両手で包み込むように握ってきた。
は? 彦星?
「わらわは、こうして逢える事を400年も待っておりました」
話が掴めない。
「さぁ織姫と一緒に今夜、月へ帰りましょう」
織姫と名乗った少女の目は本気だ。
「ちょ、ちょっと待てよ。俺は彦星なんて名前じゃ無い」
織姫に握られた手をそっと振りほどき言う。
「俺には月野朔夜って名前があるんだ」
とにかく人違いである事を納得してもらわなければ。
「いえ、間違いなく彦星様ですわ」
この子は何を根拠に言っているのだろうか。
「ちょっと、あんた頭おかしいんじゃないの?」
歩が織姫に近寄る。
「まぁ落ち着けよ」
俺は歩を制止する。
「この状況で落ち着いていられると思う? さっきから変な事ばかり言っててさ」
「俺だって何の話かさっぱり分からないんだ」
「もしや彦星様、わらわの事を忘れてしまわれたのですか?」
織姫という名の少女の顔が泣きそうに歪む。
「忘れた? あんた一体朔夜のなんなのよ!」
今にも掴みかかりそうな歩をなおも制止する。
「地の民ごときが図に乗りおって! ぬしに語ることなど何も無いわ!」
歩と織姫が俺を挟んで見えない火花を散らしている。
「と、とりあえずこのままじゃ埒が明かないから、どこか落ち着ける場所で話そう」
何とかこの場を取り繕うために提案をする。
女のヒステリックは怖いからな。それに周りの生徒たちの目も気になる。
「ゆっくり話すにはいい場所があるんだ」
そう言って学校の裏手にある小高い丘へ向かう事にした。
空はもう一面茜色に染まっていた。
月見の丘と名づけられているこの場所は、星崎町を一望できる。
決して都会といえないこの町は、閑静な住宅街やスイカ畑、様々な木々が立ち並ぶ森などが密集している。
丘の上にはいくつかベンチが置かれている。
意外にこの場所を知っているものは少なく、良く学校をサボる時に来ていた。
時間帯もあるだろうが、この日も人の姿は見当たらなかった。
「とりあえず座りなよ」
そういって織姫を近くのベンチに座らせる。
後ろからついてきた歩はしかめっ面で腕を組んでいる。
何がそんなに気に食わないのだろうか。
「さて、何から聞こうかな」
少女の事は今の所、織姫という名前だ、ということしか分かっていない
どこから来たのか、何しに来たのか、俺とはどういう関係か、年齢は?
血液型は? 誕生日はいつなのか、スリーサイ……おっと、イカンイカン。
とにかく分からないことだらけなのだ。
「とりあえず、君はどこから来たんだい?」
まずは初歩的な質問からしてみる。
「月ですわ」
「つ、月?」
月に人が住んでいるなんて始めて聞いた。
「そうです。我ら天の民は皆月に住んでおります。どうやら本当に何も覚えていらっしゃらないのですね」
「そんなはずは無い、月には星条旗しか立ってないはずだ」
「星条旗? なんですかそれは?」
聞きなれない言葉なのだろうか、織姫は首を傾げる。
「1969年に、アメリカが始めて月面に着陸したんだ。その時に立てたアメリカの旗さ。
けど、その時には月に人なんて存在しなかったんだ」
「そんなっ、そんなはずは……」
俺の言葉に明らかに動揺している。
「では。では、あの時に滅ぼされてしまったの?」
「あの時?」
そう聞くと織姫は静かに語りだした。
確かに月に人は存在したという事。その人たちは天の民と呼ばれていた事。
そして、地球と月を繋ぐ唯一の道が天の川だという事。
しかし、月と地球を行き来できる日は7月7日、七夕の日だけらしい。
彦星の魂は地の民へ、織姫の魂は天の民へ転生し、18歳になった七夕の日に結ばれる、
という事が何千年にも渡って繰り返されて来ていたと言うのだ。
彦星は織姫と結ばれる事により月の王となり、月でしか本来の力を発揮できないらしいのだ。
だから俺の力が弱いのか、と納得しかけるがあまりにも話が飛躍しすぎている。
しかし、その運命も約400年前を機に狂い始めたのだという。
昔は地の民、天の民双方とも友好関係にあったらしい。
しかし、天の民は地の民に比べ長く生きる、そのため不老長寿の秘密を求め地の民が侵略し始めたのである。
最初は均衡状態に有ったらしいが、戦いが続き、やがて悪夢の惨劇が起きた。
もともと天の民は地の民と違い、温和な種族で戦を好まないらしいのだ。
しかしある時、数万という数の軍隊が天の川を渡り月に侵略してきたという。
その軍隊は家を焼き払い、女や子供、老人なども容赦なく切り捨てたというのだ。
その殺戮を行った軍の将軍の子孫が歩らしい。
だからあの時仇と言ったのか、と納得する。
そして、あまりにも多くの血が流されたために、月は真っ赤に染まったらしい。
夢で見たスイカのような真っ赤な月が脳裏に浮かぶ。
そして、その時の彦星も殺され、二人の魂は結ばれる事無く、離れ離れになってしまったらしい。
不運にもその日、2人が18歳になった年の七夕だった。
そして織姫は彦星の魂を探し、400年近くさ迷っていたというのだ。
「400年も捜していたってことは、君は殺されなかったの?」
思わず質問をしてしまう。
「いえ、わらわも切られました。しかし死んではいなかったのです」
死ななかったとしても、はたして天の民は400年以上も生きられるのか?
「だけど、何で俺がその彦星の生まれ変わりだって分かるんだ?」
例えこの少女が言った言葉が本当だとしても、俺が彦星の生まれ変わりだという証拠は無いのだ。
「魂が惹かれ合ってるというのもありますが、この本に貴方の名前が書かれているのです」
織姫は手に持っていた青い本をこちらに指し出す。
本を手に取り、パラパラとページをめくる。
そこには何百という数の名前が書かれていた。
「その本には、彦星様の魂が転生した者の名が書かれるのです」
月野朔夜
その名が最後の欄に書かれていた。
「そ、そんなバカな」
この少女が言っていたことは全て本当なのだろうか。
頭が混乱して来る。
「さぁわらわと一緒にあの月へ帰って、1から始めましょう」
辺りはもうすっかり暗くなっており、空には天の川がかかっていた。
そしてふと月が目に入った、真っ赤な月が。
「お、俺は……」
そう言いかけた時、今まで黙っていた歩が口を開いた。
「ちょっと待ちなさいよ。黙って聞いてれば訳の分らない事ばかり言って。
いきなり来て、朔夜を連れて行こうとしないでよ」
今まで相当我慢していたのだろう、溜まっていたものが吐き出されていく。
「あんたの言ってる事が本当で、私の先祖がひどい事をしたとしても、今の私には関係の無いことでしょう?
それに、そこに書いてある名前だってあんたが書き足したんじゃないの?」
怒りはまだ収まらないようで言葉が途切れる様子はない。
「私と朔夜の間を邪魔しないでよ! 朔夜は誰にも渡さないわ!」
「彦星様は生まれた時から既にわらわの物なのじゃ! わらわの方こそ誰にも渡さぬ」
2人の戦いがヒートアップする。
「生まれた時から? ふざけんじゃ無いわよ! あたしは10年以上朔夜と一緒にいるのよ、誰よりも理解してるし、誰よりも好きなのよ!」
俺はその言葉を聞いて驚いた。
歩が、俺を好きだと?
そんなこと微塵も思わなかった、いやそういうそぶりを一度も見せてはいなかった。
確かに毎日俺に付きまとっていたし、ちょっかいも出してきていた。
けどそれは幼馴染だからであり、ずっと友達以上恋人未満の関係だと思っていた。
これ以上は発展しないものだと。
「ふん、ぬしがどう思おうが運命は覆せんのじゃ」
「運命なんて関係ない! 私と朔夜が積み重ねて来た10年以上の絆は、誰にも覆せないのよ」
しかし、織姫も負けじと言い返す。
「主らはたかが十数年であろう? わらわ達は千年以上も繋がっておるのじゃ、転生を繰り返してのう」
「それは彦星とでしょう? 彼は朔夜なの! それ以上でもそれ以下でもない。
力が無くて、頼り無くて、女の子みたいで、時には冷たいけど、あたしには朔夜が必要なのよ」
まさか、俺がそこまで思われていたなんて。
思わず顔が赤くなる。
当の本人は興奮しているせいか気にした様子は無い。
まぁ元々羞恥心は大して無い気がしないでもないが。
「彼は間違いなく彦星様じゃ」
何のためらいも無く言い切る。
「だから、何を根拠に……」
織姫は言葉を遮るように自分の胸元を大きく開く。
俺は思わず目を丸くする。
どうやら歩も同じようだ。
あらわになった透き通るような白い肌。
その中心、乳房の間にアザが見える。
輝く星のような形のアザが。
「彦星様、ありますわよね、この印がわらわと同じ場所に」
確かにそのアザには見覚えがあった。
俺の体にもある。
小さい時から気になっていたアザ。
けれど、彼女と同じ場所には無い。
「ちょっと待って、私にもあるわそれ」
そういって歩が制服のすそをめくりお腹をだした。
丁度へその上辺り、そこに織姫と同じ形のアザがあった。
「ど、どうしてぬしにも…」
織姫は困惑していた。
「結ばれる2人には、同じ場所にこの印があるはずなのじゃ」
その時、ある幼い時の記憶が甦ってきた。
それは俺と歩がまだ小学生の低学年の頃、二人で公園の砂場で遊び、ドロドロになって帰った時のことだ。
その時から、俺の母親は仕事に行ってる事が多かった。
だからよく歩の親に面倒を見てもらっていた。
俺の母親と歩の母親は高校以来の友達同士だったし、家も近かったからだ。
ドロドロになって帰った時は、よく歩の母親に叱られたな。
そして、その時歩と一緒に風呂に入ったのだ。
「あれ? 朔夜君、お腹にアザがあるね」
歩が俺のお腹を見ていった。
「うん、お母さんが言うには生まれた時から有るんだって」
俺は頷きながら応える。
「あたしと同じだね、ほら」
そういって歩はお腹を見せてくれた。
「本当だ、同じ場所にあるなんてすごいね」
形、場所両方とも一緒だった。
「うん、もしかしてあたしと朔夜君って運命の糸で結ばれているのかな?」
それをきっかけに今まで以上に仲が良くなった気がする。
昔の歩は素直で可愛かったのに、いつからかひねくれてしまったが。
織姫は、歩にアザが有ったことをいまだ信じられないようだった。
「ひ、彦星様の印は、ど、どこにあるのじゃ?」
織姫の声は弱々しく震えていた。
俺は腹をめくりアザを見せる。
「歩と同じ場所にあるんだ」
俺は歩にも自分と同じアザがある事をすっかり忘れていた。
そのアザを見て、織姫は言葉を失っていた。
「昔の彦星は胸にアザがあったのかも知れないけど、俺は生まれた時からここにあるんだ」
ポロポロと織姫の瞳から涙が零れ落ちる。
「で、では、わ……わらわの生まれ、変わりが……仇の子孫で……」
その先は言葉にならなかった。
「わ……わらわは一体……」
織姫の瞳は虚空を見つめていた。
「の、のう、御主はわらわの彦星様では無いが、最後に抱きしめてはくれぬか?」
一瞬俺は戸惑った。
俺にそんな資格が有るのか、歩がどう思うのかが気になったから。
そしてちらりと歩の顔色を伺う。
歩は無言で頷いた。
俺はゆっくりと織姫に近づき、震える体をそっと抱きしめる。
「ああ……彦星…さま……」
愛おしい、ふとそう思った。
心の内からなんとも言えない感情が込み上げてきたのだ。
しかしその瞬間、抱きしめている感触が無くなった。
ゆっくりと織姫が消えてゆく。
そしてその体はゆっくりと宙へ浮き、闇に吸い込まれていった。
しばらく何が起きたのか理解できず呆然としていた。
「あの織姫は、自分の彦星に会えたのかな」
歩がつぶやく。
「あぁきっと会えたさ」
なんとなくそう感じた。
「しかし、妙な一日だったな」
急に疲れがドッと出た。
「そうね、でもあの子ちょっと可哀想だったかな」
歩が俯く。
「そうだな、たぶん死ななかったんじゃなく、死ねなかったんだろうな」
400年以上も死にきれず、たった1人の想い人を追いかけてきた少女。人の想いのすごさを実感する。
「まぁあの子が言った事が本当なら、俺とお前は結ばれる運命だということになるのか」
自分で言って少し恥ずかしかった。
「は? 誰があんたなんか」
思いがけない返事が返ってくる。
「え?」
「あぁ、早く現れないかしら。白馬に乗った王子様」
なんかさっきと言ってる事ちがく無いか?
「月の、王子様じゃダメなのか?」
ためしに聞いてみる。
「ダメダメ、そんな弱っちい王子様」
やれやれこの女は。
「王子様って言ったら、強くて、頼りがいが有って、男らしくて、優しい人じゃ無いとね」
にっこりと笑う
もう勝手に妄想してろ。
「はぁ、やっぱあの子と一緒に月に行けば良かったかな」
「そ、それはダメよ」
歩が少し動揺する。
「何で?」
やはりからかいがいがある。
「な、何でって……いじめる相手がいなくなるじゃない」
一体いつになったら素直になるのだろうかこの女は。
「細くて小さくて、胸が大きくて、あんな可愛い子は滅多にいないだろうからなぁ」
残念がる素振りをわざとしてみる。
「ふ、ふん。勝手にしなさいよ」
歩は頬を膨らませながらぷいっと横を向く。
どうやら強がっているらしい。
「焼きもち焼くなって、自分は胸が無いからって」
その言葉を聞いて歩は怒り出す。
「だから! 見た目よりあるって言ってるでしょ!」
「はいはい、分った分った」
「何よその返事、絶対分ってないでしょ!」
いい加減疲れてきたので、そろそろ帰ろうか。
腹も減ったしな。
「お前の基準ではある方なんだろ?」
そういって踵を返し丘の出口の階段へ向かう。
「何よその言い方、って待ちなさいよぉ」
待てといわれて誰が待つものか。そのまま構わず歩き続ける。
「ってか、あんたの気持ちはどうなのよ」
と、遠くなった歩の声が聞こえる。
気づかない振りをして家路を急ぐ。
俺の本当の気持ちは胸にしまっておこう。
そのほうが面白いからな。
後ろでギャーギャー言っている声が聞こえる。
もう少しおしとやかになって欲しいものだ。
ふと空を見上げると、夏の大三角形が見事に光り輝いていた。
とても幸せそうに。
そして月はもう、今までどおりの白い月に戻っていた。
これは以前、練習用に書いた作品です。
タイトルにある「月、スイカ、古い本」をお題としたものです。
つたない文章ではありますが、楽しんで頂けたなら幸いです。