不特定多数の悪意
「ディー、また眠そう。今日はフィオナさんのお家に行くんでしょ? 大丈夫なの?」
「ほっとけ」
大欠伸をしたらカフカに指摘された。ばさりと布団を被せて「着替える」とだけ告げる。お互い着替え中はこうしてなにかしらの対策をしている。カフカが大人しくしているのを確認してから、荷物の底の方へ手を突っ込む。大きな家を訪問するのに、ボロのコートで行く訳にもいかない。気は進まないがきちんとした格好をしなければ。
「もういいぞ」
ぱさりと布団から出てきたカフカは、おれを見て目を輝かせた。
「すごーい! かっこいー!」
「そうか?」
臙脂色の布地に金糸の刺繍が入ったローブである。格好いい……かどうかは別として、品質もいいし刺繍は防護の魔法陣だったりするのでそこそこ値はする。もう一着、正装もあるがそちらは流石にやりすぎだろう。略式の制服のこれでちょうどいい。
「あ、カフカは留守番な」
「えー!? なんでぇ?」
「要らん誤解を招くからだ」
商家とはいえあれだけ大きな家だ。サーストンの紹介状を持っていても幼女を連れていては不審に思われる可能性がある。おれはロリコンではないというのに。嘆かわしい。
カフカはむくれていたが、邪魔をしては悪いと思っているようでごねたりはしなかった。一応〈白虎丸〉は背負ってフェーニス家へ向かう。呼び鈴を鳴らせば使用人の女がやってきた。
「どちら様ですか?」
「サーストンの友人です。フィオナ嬢にお会いしたい」
紹介状を出そうとしたが、彼女は提示を求めることなく門を開いた。
「こちらです」
その態度に内心眉をひそめつつも、使用人の後についていく。大分歩いて辿り着いたのは、こぢんまりとした離れのような場所だった。
「フィオナ様、ご友人がお見えです」
「どうぞ」
室内から淡々とした声がした。おれが部屋に入ると、窓際の椅子に座っていた少女が僅かに目を見開いた。栗色の髪の、人形めいた美人だ。そう見えるのは、顔が青白いせいかもしれない。使用人が一礼して去っていった足音が聞こえなくなると、首を傾げた。
「あなた誰?」
「ちょっと訳ありのマジェスター。名前はディー。サーストンから紹介状をもらってここに来た」
フィオナに紹介状を渡すと、すぐに開封して目を通した。こめかみに指を置いて溜息。
「あの馬鹿……」
「という訳なので、話を聞かせてくれると助かる」
「わかったわ。そこに座って。お茶を淹れるわ」
フィオナが薦めた向かいの椅子に座りながら、おれはますます疑問を積み重ねていく。慣れた手つきで出された紅茶で唇を湿らせると、思い切って口火を切った。
「フィオナさん、あんた嫌われてるのか?」
紹介状を確認することもなく、見知らぬ男と部屋で二人きりにされる。金持ちの娘なのだからもう少し気を遣われてもいいはずだ。おれの問いにフィオナはくつくつ笑った。
「さあね。私に関心がないのは確か。そんなことを訊くなんて、サーストンにしてはなかなか頭が切れる人を雇ったのね」
頭が切れるのはフィオナもそうだろう。琥珀のような瞳は少し警戒の色を宿したまま、おれをじっくり観察している。まるで値踏みするように。
勿体ない、とおれは思った。フィオナは実に優秀だ。しかし男しか家を継ぐことができないと定められたこの国では、潰されてしまうだろう。
「それで? 私になんの用かしら」
おれはフィオナに大体の事情をかいつまんで聞かせた。勿論ディグリース小魔法王国の名は出さないが、フィオナは触れてはいけないと理解しているようで黙って聞いていた。
そして、昨日の黒い影のことを話した。
「あいつらはこの家に集まってきているみたいだった。あんたのことは聞いてるが、他にこの家で体調を崩している人はいないか?」
「両親も弟もぴんぴんしてるわね。使用人……は全て把握している訳ではないけれど、一介の使用人を狙うにしては大規模すぎる。標的は私で間違っていないでしょう」
ふう、と目を閉じたフィオナは目を伏せた。
「私を嫌っていたり、死んでほしいと思っている人ねぇ」
次に浮かんだのは自嘲の笑みだ。
「みんなじゃない?」
「は……」
「影はたくさんいたのでしょう。なら、みんなじゃない?」
違う。それならばフィオナの言うみんなが同じ最高傑作を持っていないと成立しない。しかし最高傑作の量産は不可能だし、こんな地味な効果では最高傑作としては杜撰すぎる。
だが、確かに……と思ってしまう自分がいる。なぜなのか自分でもわからず戸惑い言葉を失った。