嫌な感じ
ちょっと気分悪い描写があるかもしれません。
精神的に。
夕方にはカフカも起きてきて、部屋で軽食を摂りながらサーストンと話したことを伝えた。そしておれが出した条件のひとつ、サーストン直筆の紹介状を見せた。
「これで明日、フェーニス家を訪問してフィオナ嬢と会ってくる。それで、もしも最高傑作を持っているようなら説得して手に入れる」
もぐ、とパンを咀嚼していたカフカが動きを止めた。蜂蜜色の瞳はなにかを見透かすように真っ直ぐにおれを映している。時々そうしておれを見るのには苦手意識があった。
「渡さない、ってフィオナさんが言ったら……?」
ほら、核心を突いてくる。おれは視線は逸らさず焦点だけをぼやかした。
「勿論、強引に奪うようなことはしないさ。なにか違う手を打って、それでも駄目なら諦める」
嘘だ。
もし正当に使用されていないと判断すれば、金は積むし脅しもする。偽物と入れ替えたっていい。なんとしてでも奪い取る。モノとして扱われていたおれの、モノに対する拘りだ。
カフカはおれの言葉を信じてほっと息をつくが、それに対して罪悪感も抱かない。知らなくて済むならそれでいい。そう己の内で割りきって。
さて、と思考を切り替えると欠伸が出た。カフカには偉そうに言ったが、船旅はおれも初めてだったのだ。疲労は勿論溜まっている。
「じゃ、おれはもう寝るから。カフカもそれ食ったらさっさと寝ろよー」
「え」
くたびれたソファーに寝転がろうとして、カフカの声に動きを止めた。え、って今おれは疑問に思われるようなことを言っただろうか。カフカはじっとおれを見た。
「昼間寝たから眠くない……それにこの町、昼間見えなかったけどなにかいるよ。こわい」
「……疲労回復の護符をやる。目に貼っておけば快眠できるぞ」
ソファーの側の荷物に片手を突っ込んで護符を一枚渡してやる。夜中に起きてられると面倒なので、護符に少し書き足して効果を強めておいた。これでほぼ強制睡眠と同じ効果になる。おれの方は完全に寝入らないよう上手く調整して、目を閉じた。
――――
「……っ」
深夜、なにかの気配を察して目を開けた。殺気のようなはっきりしたものではない。嫌な感じがする。窓に近寄って外を見た。夜もすっかり更けてはいるが、酔っ払いがまばらにぼうっと歩いている。……どこか様子がおかしい。微弱だが魔力を感じて、集中して目を凝らす。すると見えてきた。
「なんだ……?」
のそり、のそりと歩く黒い影。人の形をした影が歩いている。嫌な感じの正体は、それだ。
〈白虎丸〉を入れた袋を背負って、外に出てみる。影の反応はかなり弱くて、そこそこ腕のいいマジェスターでないと気づかないくらいだ。手を伸ばせばすり抜ける。どうやら全て同じ方向に向かっているようなので、ついていってみた。
「ここは」
記憶していた地図を引っ張り出すまでもない。昼間サーストンに聞いたフェーニス家。その周りに影はひしめいていた。フェーニス家がなにかしら関係しているのは明らかだが、こんな奇妙な現象を引き起こす最高傑作には覚えがない。新しく作られたものか、あるいは。
じと、と手のひらが湿る。思考が乱されていた。この感覚は知っている。知っているが思い出せない。この影が発する妙な気配。ふと、後頭部に視線が突き刺さる。振り返った。だが振り返ってはいけなかった。影のひとつがおれを指差していた。
『オ マ エ キ ラ イ』
そう喋った。影が。
『オ マ エ キ ラ イ』
『ナ ゼ マ ダ イ キ テ イ ル』
『ハ ヤ ク シ ネ』
影は口々に囃し立てる。やがて近くにいた影が次々に纏わりついてくる。実体がないと思って油断した。呼吸が苦しい。肺が潰されるようだ。
目の前がちかちかしてきて、それでもなんとか〈白虎丸〉を掴んで振り抜くことに成功する。すると影は霧散し解放される。膝をついて咳き込みながら影を見回した。〈白虎丸〉は水宮で清め作られた魔除けの刀。対して強い効果ではないが、斬れるということは単純な魔法なのだろう。
夜中に他人の家へ侵入するわけにもいかない。宿に戻ると〈白虎丸〉を中心にして簡単な結界を張った。カフカを見れば目に護符を貼ったままベッドで爆睡していて、なんだか気が抜けてしまった。
そういえば、作中漢数字を使っていますが、本来横書きならアラビア数字を使うということは知っています。直せよって話ですけれど、縦書きの書式が一番慣れていて甘えてしまっています。すみません。