大きな忘れ物
「それで、最高傑作はこの近くにあるんだな?」
グラスを覗き込むカフカに問えば、こっくんと頷いた。
「星は確かにここを示してる。ちょっと読みにくいけど」
「読みにくい?」
思わず聞き返していた。今までそんなことを一度も聞いたことがなかったのだ。まさかとは思うが。
「おれのせいか?」
「ち、違っ」
ガチャン。
カフカがグラスを倒した。カフカが急いで立ち上がるが、スカートに少しこぼれたようだ。配膳で動き回っているスタッフを捕まえ、台拭きを頼む。
「大丈夫か?」
「だいじょーぶッ! あのね、近くにいる誰かの星が眩しすぎて読みにくいだけなのッ!」
「そ、そうか……。まあ、異変を感じたらすぐ言えよ。おれにも責任あるんだから」
勢いに気圧されながら言うと、ぶんぶんと音がしそうな勢いで頷いた。おれは台拭きを受け取り少し考える。おれにとって昼間星が見えないのと同じ原理だろうか。カフカの言葉は抽象的なことがあって理解に時々時間を要する。
「その、近くにいる誰か、の方からなにか読み解けないか?」
「そっか、そこからならたぶん……すみませーん! お水おかわりー!」
新しく水の入ったグラスを受け取り、またにらめっこを始める。カフカの荷物に専用の水盤もあるのだが、使っているところをとんと見ない。スープ皿やグラスがすっかりお馴染みだ。
頬杖をついて結果を待っていると、カフカは予想外の行動に出た。
「……ねえ、そこのお兄さん」
あろうことか、後ろで食事している客に声を掛けた。自分から人に……特に男に声を掛けるなんてどうしたのか。
「なんだよ」
しかし相手はいかにも機嫌が悪そうだ。よくわからないが止めた方がいいだろうか。だがカフカはこんなことを言い出した。
「お兄さんの大事な人、もうすぐ死んじゃう」
必死な声だった。占いで導いた答えに関係する人物がここにいて、しかも内容が内容だ。そういう行動に出るのもわかる。
だが。
「はァ? なに言ってんだお前」
突然そんなことを言われて素直に受け入れる人間がいるものか。おれはカフカと青年の間に割って入った。
「すみません。どうかお気になさらず」
「待って! 寿命じゃなくて曲がった運命でなの!」
カフカがおれを押しのけて前に出ようとする。黙ってろ、と言おうとしたが、青年の方が早かった。
「黙れガキ!」
あろうことか右手を握り込んで振りかぶる。おれは硬直しているカフカの腕を引き、逆の手で青年の拳を受け止めた。
「ガキ相手にグーはねーだろ」
「テメェ……!」
「おっと」
青年の回し蹴りが飛んできた。カフカをやや乱暴にテーブルの下へ押し込みつつ、屈んでかわす。それが余程頭に来たのか、青年はとうとう剣を抜いた。気づいた他の客が悲鳴を上げて逃げていく。
「うちの中で喧嘩するな!」
「うるせぇ!」
店主の怒号も耳に入らないらしい。青年が剣を真上に構えた為、おれは今度はカフカを引きずり出して横に跳んだ。
ガスッ。
剣は真っ直ぐ下に振り下ろされ、テーブルが真っ二つになった。グラスも皿も滑り落ちて砕け散る。カフカが腕の中で震え上がった。
「セーフ。ああならなくてよかったな」
呑気な声を掛けて、背後に逃がす。青年は床まで突き破った剣を抜いてまたこちらへ向かってくる。
「いい加減にしろ」
横薙ぎに振り抜いた、その隙に手首に手刀を落とす。案の定取り落とした剣を蹴り飛ばして遠くにやり、動揺して剣を追おうとした背後に回り込む。右腕を取って床に引き倒した。
「おれは面倒事が嫌いなんだ」
「く……っ、そぉ!」
やっと抵抗する力が抜けたので拘束を解いてやる。するとおれを指差して「覚えてろよ!」と吐き捨てて逃げていった。
「安い捨て台詞……。おい、カフカ、怪我ないか?」
声を掛けると、スタッフに手を引かれてカフカが寄ってきた。
「平気だよ。ディーは?」
「大丈夫だ」
とりあえずお互いの無事を確かめてほっと息をつくと、とんとんと肩を叩かれた。振り向くと、客の一人が剣を差し出している。
あいつ、剣を忘れていきやがった………。