過去と言うには
「いらっしゃいませ!」
「どーも。部屋空いてる?」
「丁度隣同士、二部屋空いているところがございますよ」
「一部屋でいい。こいつ、妹なんで」
ピキ、と受付嬢の表情が凍る。こんな反応にももう慣れたもので、おれはお決まりの台詞を言った。
「いや、おれロリコンじゃないんで」
――――
フォン・ダン王国から脱出したおれ達は、北のカディルワース白龍王国に渡っていた。ここシリン伯爵領は王都からは遠いものの、この街から侵攻軍が突入したというだけあって、雰囲気に翳りがある街だった。適当に宿を見つけて部屋を取り、荷物を置いたら少し遅めの昼食を摂ることになった。
「ね、王子様って普段どういう生活してるの?」
もぐもぐとグラタンを食べながらカフカが訊いてくる。すっかり調子を取り戻したカフカは、初めて目にした王子様というものに興味津々のようだ。
「おーじさま呼ぶな。普通に食って寝て生きてる」
雑に返すと唇を尖らせた。仕方ないので当たり障りのなさそうな過去を探す。
「そうだな……お前とそんなに変わらないな。しばらくはずっと図書塔に引きこもって本を読んでた」
「あ、だからそんなに頭いいんだ。『知識の箱』? って二つ名も頭よさそうだもんね」
『知識の箱』。悪気はなくともそう呼ばれると血の気が引く思いがする。そう、おれは三年前まで人ではなかった。溜め込んだ知識を使い、戦術を練るだけのただの箱。己が引き起こしたその結果を、紙っぺらでしか認識していなかった。
――お前のやっていることはただの人殺しだ!!!
女の悲痛な叫び声と、ぶっかけられた熱湯の熱さ、その女の返り血に染まる姉貴。目を閉じればいつだってあの光景が浮かんでくる。もう過ぎたことだ、と割り切るにはあまりにも――
「――すごいなぁ、ディーは」
思考の穴に落ちたおれを呑気な声が引っ張り上げた。目の前でカフカが悔しそうな顔をしていた。
「わたしも本くらい読めばよかった」
かと思えば、グラタンを口にして「熱っ!」と涙目になる。おれは堪えきれずに吹き出してしまった。カフカが頬を膨らませて抗議してくるが、それもただおかしいだけだ。
「悪い悪い。そうだな、頑張れば図書塔の本くらい四、五年で全部読破できるだろう」
「じゃあ四、五年でディーくらい頭がよくなるかな?」
「おれを目指すのはやめとけ。あそこの本を全部読んだところでおれみたいに目が死ぬだけだ」
「えー」
「そこそこでいいんだよ。そこそこで」
というかおれの知識はディグリース小魔法王国の王族にもたらされる祝福のひとつ『知識欲と記憶力』が大いに関係している。常人がおれと同じようにと望むなら深淵を覗く覚悟が必要だろう。
「カフカはおれにできないことができるんだから、それで十分だ。ほら、水」
グラスを差し出すと、むくれながらも覗き込んだ。それでいい。カフカは知らなくていいんだ。