凡人勇者の俺が生意気な神官少女の従者にされた件
<ある日の勇者のモンスター退治>
スライムが あらわれた!
ゆうしゃの こうげき!
スライムに 1ダメージ!
スライムの こうげき!ミス!
ゆうしゃの かいしんのいちげき!
スライムはたおされた……
「体よく追い出されたような気がする……」
勇者はボヤいていた。
故郷の村で15歳の誕生日を迎えたら、いきなり母親に勇者の使命があると告げられ、城の王様に会いに行くように勧められた。
「いやだ! 俺は父さんとは違うまっとうな職業について安定した暮らしをするんだ!」
却下された。
しぶしぶ城の王様に会いに行くと、
「お前が勇者か、冴えない顔だのう。まあよい、勇者候補は他にもたくさんいるから、お前には期待していない。そこの宝箱に入っているものを持っていけ」
とだけ言われ、宝箱を開けるとヒノキの棒と5ゴールド(薬草がひとつ買える)が入っていた。
ふざけんな。
文句の一つでも言ってやりたかったが、怖い顔の大臣と二人の門番がこちらを睨んでいたのでやめておいた。
とりあえず腹が減ったので家に帰ろうとすると、母親は家に入れさせてくれない。
「魔王を倒すまで帰ってきてはなりません、それが勇者の定め……」
ドアの鍵を開けてくれなかった。ドアの向こうでは父親の声で「ついに刻がきたか…」という呟きが聞こえる。
俺のテンションはだだ下がりだった。盛り上がってるのお前らだけだぞ。
俺は仕方なく村の宿屋に止まるための7ゴールドを稼ぐことになった。
この世界は魔物を倒すと多少のお金を落とすことがあるご都合主義な世界ではない。
倒した魔物の一部を持ち帰り、ギルドに提出することで換金してもらえる仕組みだ。
俺が倒せるのはせいぜいスライムぐらい。俺は近くの草原に行くことにした。
スライムは、知能の低い非定型生物だ。ゲル状の身体に、目玉が二個ついている。どこにでもいるような魔物。
草原でしばらく歩いていると、スライムを一匹見つけた。
俺はにじり寄って、ヒノキの棒でこつん、と叩いてみた。何事も慎重さは大事だ。
するとスライムはこちらに振り返り、その身体で飛びかかってきた!
「うわっ、気持ちわる!」
俺は脅威よりもあの気持ち悪いヌルヌルに触れたくないという生理的嫌悪から、とっさに避けていた。スライムは完全にこちらを敵と認識したようで、しきりに体をうごめかせている。
俺は今度はヒノキの棒を振りかぶると、思い切りスライムに叩きつける!
ピギッ
嫌な断末魔が聞こえると、スライムはへたり込み、液体のような形状で死んでしまった。
「ええ……これ一体でも結構後味悪いんですけど」
俺はスライムとはいえ、命を奪ったことに罪悪感を感じつつ、液体(元スライム)の一部を持ち帰った。
これをギルドに届ければいいんだろう。ギルドは草原を越えた先の街にある。前も行ったことのある街だった。
「どういうことですか!ホブゴブリンは退治したはずでしょう!」
街のギルドに入ると、なにやら叫んでいる女の声がした。
「ですから、あなたが退治したのはただのゴブリンなんです」
「でも普通のゴブリンよりも大きかったわ!」
「個体差だったんですよ、太ったただのゴブリンだったんです」
「そんなの納得できない!」
なにやら別の受付で騒いでいるようだが、こういうのは関わりあいにならないに限る。俺はスムーズに別の受付でスライムを換金した。
スライム一体の換金額は3ゴールド、所持金は合計8ゴールドになったわけだが、街の宿屋に泊まるのは抵抗があった。
街は物価が高い、つまり宿屋の料金も高いのだ。案の定、宿屋の宿泊代は10ゴールドだった。
しかし日も暮れ、村に帰るには遅すぎる。俺は街の色々な宿屋を訪ね、どこも10ゴールド以上だということを知ると、一番安い宿屋に頼み込んで使わない倉庫に泊まらせてもらうことになった。8ゴールドで。
冒険の第一日は、ホコリまみれの、蜘蛛が巣を張っている古倉庫。
あたたかいベッドと、あたたかいご飯があった昨日までの生活とはうってかわって貧相になった俺の生活に、俺は両親に恨みの念を抱かずにいられなかった。
腹の虫が鳴いている。今日は何も食べていなかった。
宿屋の主人のお情けで廃棄のパンを頂いたが、フワフワとは程遠い食感、むしろゴワゴワだった。たぶんスポンジだと言われても信じる。
俺は倉庫で寒さに震えながら目を瞑ると、勇者の使命、そして魔王ってなんなんだよ……と思いつつ、明日から一文なしでどうしよう……と絶望の念を抱かずにはいられなかった。
<勇者候補と神官少女>
俺は今日も草原に来てスライムを退治していた。ヒノキの棒ではこいつらの相手をするのが精一杯だ。
ピギッ
断末魔にも慣れてきた。昨日のお金は使ってしまったので、今日はなんとしても宿代を稼がなければならない。
えーと、スライム一体につき3ゴールドだから、最低4体……
倉庫でカビ臭くなったこの服の換えも欲しいな、などと思っていると。
突然遠くの街道に馬車が走っているのを見かけた。小さく見えた馬車はだんだんと大きくなっていき、街道を逸れているようにも見える。
……というか、暴走してないか?
アレ。
「やべえ、こっちに来る!!」
完全に蛇行を始め、土煙を上げながら走る馬とともに荷台を大きく揺らしながら、馬車は爆走してくる!
肝心の御者は振り落とされたのか見当たらない、俺は叫び声を上げながら走り出した!
「うわああああああっ!!」
それでも馬車は草原を縦横無尽に走り回り、俺も逃げ続けたが、何故か不運にも逃げる先に馬車が行くので、ついに追いつかれる間際となった。瞬間。
ーーげて!
ーー逃げてください!
馬車の後方から聞こえた女の声に、俺の意識が一瞬向くと、馬は目の前の俺を弾き飛ばした。
ああ。
世界によくある英雄譚なら、ここで別の世界に転生して、素晴らしい人生が待っているのだろう。
けど、俺はただの15歳。馬に蹴られたら、死んでしまう。その先はない。
だって俺は勇者じゃないのだから。
たった一度の人生、やりたいこともあったのになぁ……そんなことを思いながら、俺の意識は、次第に薄くなっていった。
あばれウマの とっしん!
ゆうしゃに 10ダメージ!
ゆうしゃは たおれてしまった……
次に目を覚ましたのは、知らない天井だった。倉庫とは違う、しっかりとした内装もそうだが、俺の周りの毛のようなものもふかふかだった。というか毛布だな、うん。
あたりを見回してみると、ここはどこかの部屋のようだった。天井には明かりが灯され、窓には赤いカーテンがかけられている。全体的に紅を思わせる雰囲気だ。
俺は体を起こし、そのまま目線を身体の方に向ける。馬にはねられた自分の身体が気になったからだが、そこには予想外のものが目に飛び込んできた。
赤い真紅の長い髪に、つやつやとしたピンクの唇。閉じられた#瞼__まぶた__#は、まつ毛が長く綺麗に整っている。頬は朱色をパッと肌色に合わせたような、みずみずしい色と張りを保っていた。
そんな女の子が、俺のベッドの横で寝息をたてている。
これは現実だろうか。頬をつねってみる。
「いててっ!」
現実のようだ。
え? なんで? なんでこんな美少女が俺の部屋に? そもそもここはどこ? 私は誰? いや俺のことは分かる。
さっきまでスライム退治をしていて馬車にはねられたのだ。
そうだ、馬車にはねられたのになんで無事なんだ?
飛び起きると、体のあちこちに包帯は巻かれているが、目立った外傷はないようだ。
脳の処理が追いつかず、しきりに体の無事を確かめていると、寝ている女の子がもぞもぞと動き始めた。
「う……う、ううん……」
まずい!
なぜかとっさにそう思った俺は、とりあえず寝ている格好に戻ることにする。心臓は高鳴っていたし、冷や汗をかいていた。
こんなに可愛い女の子が近くにいるなんて初めてだ!
「うん……? あ、起きたのね!」
女の子は伏せていた上半身を上げると、端正な顔立ちと、すらっとしたスタイルが伺えるその姿で、とびきりの笑顔を見せた。
「もう起きないかと思って……身体のほうは大丈夫?痛いところはない?」
「ちょっと、ちょっと待ってくれ、ここはどこなんだ?お前は誰なんだ?」
「かわいそうに……記憶が無いのね、安心してね。ここは街の宿屋、そしてあなたは馬車にはねられたの」
「そこまでは覚えてるよ、俺はなんで怪我してないんだ?」
それは……と女の子が言いかけると、部屋のドアから、また一人の女の子……いや少女が勢いよく出てきた。
「そろそろ起きましたかね! いや、私の治療技術は一級ですから、心配することなどなにもないのですけど!」
金髪の、幼げな少女が鼻を鳴らしながら元気よく入ってくる。それは怪我人の部屋に入る態度なのだろうか。少女は、白いフードつきの神官服をひらひらさせながら、金色のかわいらしい目をきょろきょろと動かして状況を把握したようだ。
「おや、起きてますね!私が治したのだから当然ですけど!ああ、アイ様もここにいましたか」
よく見ると神官のような格好をした少女は、この赤い髪の女の子と知り合いのようだった。
「まったく、アイ様ともあろうお方が事故を起こすなんて……」
神官少女がそう言うと、アイと呼ばれた少女は少し顔を赤くして、
「あ、あれは事故だったんです!馬車が急におかしくなって……この方には申し訳ないと思ってますけど」
「そう、それで私に泣きながら『どうかお助けくださいミトラ様〜』って泣きついてきたんですよね!」
「勝手に記憶を捏造しないで!」
そんな二人の女の子のやりとりをぼう然と見ていた俺だったが、俺は気になったことを一つ聞いてみた。
「もしかして俺をはねたのは……君?」
赤い髪の女の子は、バツが悪そうにそれを認めた。
「申し訳ありません、わたしがその……馬車の所有者です」
空いた口が塞がらなかった。
「それでわたしの方で知り合いに治療をお願いして……ひどい有様だったので。本当に痛いところはありませんか?」
「いや、ないけど……」
俺の言葉に女の子はほっ、とした様子で胸を撫で下ろすと、さらに続ける。
「本当によかった、大事な使命の途中で人を巻き込んでしまったらどうしようかと…そういえば自己紹介がまだでしたね」
ん、使命?
そういえば何か忘れているような……嫌な予感がする。
「わたしの名前はアイ、この国の第一勇者候補です」
そう名乗った女の子は、はっきりとそう言った。
王様の「勇者候補は他にもたくさんいる」という言葉を思い出しながら、俺は改めてその子を見る。
確かに腰には細剣を携えていて、銀の胸当てをしっかりと装備しながら、腰から下は動きやすい長さの膝上くらいのスカートを履いていた。
俺よりよほど勇者らしい格好で、ヒノキの棒と布の服の俺とは対照的である。
自己紹介された以上、黙っているのもきまりが悪い。
「俺はラスト、一応勇者候補ってことになるのかな」
「まあ! あなたも勇者候補ですか、お互い大変ですね!」
親に勝手に言われて追い出されただけです、とは言えない雰囲気だった。
そんなやりとりを見ていた神官少女が、会話に割って入ってきた。
「アイ様、今日はこの辺にしましょう。この男も治ったみたいですし、治っているのは私が保証します。今日は大事な用があるはずです」
そう赤い髪の女の子……アイに伝えると、アイはハッとした顔で、申し訳なさそうに俺に手を合わせると、
「そうでした、今日は大切な日でした!すみませんラストさん、今日はこれで失礼しますね。ミトラが治したのだから、きっと身体は大丈夫です、私も保証します」
「それは構わないけど……何かあるのか?」
「それは……」
アイが何か言いかけると、ミトラは人差し指を唇に当ててそれを制止した。
「女の子には秘密があるのです、それではアイ様、すぐにお戻りください。この男には私から話しておきますから!」
アイはそうですね、と答えると、軽く礼をして部屋から出ていった。
残された俺と神官少女ミトラ。見ると、金髪の髪の下にはフードつきの白いローブ、そしてよく磨かれた木の杖のようなものを持っていた。
ミトラはアイが帰るのを見届けると、こちらに振り返り、怪しい目を光らせこちらを見やった。
「さて……払うものは払って欲しいんですけど?」
「払うもの? なんだよそれは」
「私の治療は高いんですよ、今回はアイの頼みなので特別にまけてあげます」
ちょっと待て!
「そもそも俺は被害者で、馬に蹴られたのも事故なんだが!」
「それはそれ、これはこれです!」
ミトラはローブの上からでも分かる平坦な胸をえへん、とそらし、
「あなたが馬に蹴られようと、ゴブリンに刺されようと、私には関係のないことです! 治療したから、治療代をもらう。当然ですけど?」
一瞬、納得しかけるぐらいの勢いでミトラは詰め寄ってくる。
「まあ、私も人の心がありますから? ひどい目にあった人にそこまで残酷じゃありません。アイ様が半分払ってくれましたし、普段より安くしてあげます」
「そうか、それは助かるよ」
俺は口端をヒクヒクさせながら、引きつった笑いで答えるしかなかった。
「それで、俺の治療代はいくらなんだ?」
手持ちはないが、救ってくれた手前無下にもできないか、と諦めかけた時、とんでもない額が耳に飛び込んできた。
「10万ゴールドですね! 半分はアイ様が払ってくれたので、あなたの払う分は5万ゴールドです!」
「すみませんミトラさん、何か桁を間違えてませんか?」
「きっかり5万ですけど?」
ごまん……5万!?
スライムが一匹3ゴールドだから、1万7000匹倒せば十分かなー。
いやいや待て待て!
「高すぎません!?」
「蘇生代3万、傷の治療代1万、触媒・薬代諸々、宿代ですねー」
「蘇生代!というか死んだの俺!?」
「死の淵でした! 私以外には無理でしたねー」
あっけらかんと笑顔で言い放つミトラに、俺は開いた口が塞がらなかった。
いきなり5万の借金を背負ってしまった事実に、動揺を隠せない。
そんな俺の動揺を見て取ったのかミトラは、
「あれ、払えない感じですか?しょうがないですねー、まあ貧乏くさい顔してますからね」
ほっとけ。
「払えないなら別の方法で払っていただくしかありませんね」
借金という債務関係があるだけで、目の前の少女がとても大きな存在に見えた。そして、5万もの大金をあの女の子、アイに払わせているという事実にも俺はがく然とした。
「ちょっと待ってくれ!スライムを2万匹倒せばなんとか……」
「何年かけるつもりですか?」
「ゴブリンなら5000匹!」
「待ってられませんねー」
「このヒノキの棒は伝説の武器で……」
「諦めてくださいな」
俺はついに押し黙ると、ミトラは納得したように見えたのか、5万ゴールドの交換条件を持ち出してきた。
「それでは、諦めていただけたようなので、5万ゴールドの対価をお伝えします」
俺は判決を受ける被疑者のような気持ちで、ベッドに正座していた。
ミトラはこう言った。
「私の従者に、なってもらいます」
<神官少女と洞窟探検>
次の日。
「それでは行きますよ、ど……従者ラスト」
「今、何か言いかけたな」
俺は神官少女ミトラに連れられて街道に来ていた。逃げられないように手首には拘束の呪文がかけられている。
その姿はまるで光の手錠をつけられた奴隷のようだった。
街道をまっすぐ進んでいたミトラは、しばらく進んだ所で街道を外れ、草原を直進し始めた。
「スライム退治ならこの辺がいいんじゃないのか?」
「スライム退治ではありません、今日はあなたの治療に使用した触媒を補充しに行きます」
「触媒?」
「ケイブバットの牙です。洞窟に住むコウモリの魔物で、煎じて薬にすると滋養強壮の効果があります」
ミトラはそう言うと、懐から古ぼけた地図を取り出し、何もない方を指さした。
「街道から外れて南西にまっすぐ行けば洞窟が見えてくるはずです。この地図に書いてます」
俺は地図を覗き込み、洞窟らしき赤点を見つけると、何か違和感に気づいた。
「その洞窟って……そこにあるやつだよな」
ミトラの指した何もない方向とは逆の方に、草原を盛り上げたような洞窟が鎮座していた。
ミトラは指摘されたのを誤魔化すためか、耳を真っ赤にしながら、慌てて言った。
「ええ、ええ! そうです、今のは貴方が地図を読めるかどうか試したんですけど?」
「お前、方向音痴だったのか……」
「さあ行きましょう! 冒険が私達を待ってます!」
誤魔化した。まあ深くは追求しないでおこう。
「それと、これはいい加減外してくれ、逃げないから」
ミトラは意外にも素直に光の手錠を外してくれた。
洞窟に向かう途中、俺は気になったことを聞いてみる。あの赤い髪の女の子、アイについてだ。
「そういや、アイとはずいぶん親しいみたいだったが、友達なのか?」
「アイ様とは長い付き合いです、でも、友達だなんて恐れ多いですよ」
「長い付き合いなのに友達じゃないのか?」
ミトラは一瞬悲しそうな顔を見せ、すぐに表情を変えると、
「奴隷のくせに生意気ですよ! 女の子には秘密がいくつもあるものなのです!」
「奴隷って言った! 今奴隷って言ったよ!」
「間違えました、奴隷扱いの従者でした」
「俺がどういう扱いなのか今ので完全に分かったぞ……それにお前偉そうだけど、何歳なんだ?」
「成人の儀を受けるのは来年です」
ややこしい言い方をしやがって。ええと、つまり……
「14歳?」
俺の身長より少し低く、幼げな顔立ちと大人への成長を少し感じさせるような風貌をしたこの少女は、やはり俺より年下だったのだ。
「俺、15歳なんだけど。年上を敬え」
「古い考えですね、実力主義が今の時代です」
「腕力はお前よりあるぞ」
「神聖魔法、回復魔法、知力もろもろは私の勝ちです」
「ぐぬぬ……」
見た目ロリのくせに生意気な。
そんなやりとりをしていると、いつの間にか洞窟の前に到着していた。
洞窟は自然にできたものなのか、中は暗くジメッとしている。人が通るには十分な大きさがあり、内壁は硬く崩れる心配はないようだ。
「結構暗いぞ、なあ明かりは……ってええぇ?!」
ミトラは火をつけていた。俺のヒノキの棒に。
「たいまつとして良さそうでしたから」
おい、人の持ち物を勝手に……
「新しい武器は用意しておきました」
なら許す!
王様がくれたただの木の棒にはなんの執着もなかった。
ゆうしゃは こんぼうを そうびした!
「結局鈍器じゃねええええかあああああ!!」
俺の叫びは洞窟にむなしく響いたのだった。
洞窟の中はひんやりしていて、奥からは何かがうごめくような音がひっきりなしにしている。
俺は先頭に立ってたいまつ(元ヒノキの棒)を持ちながら、ミトラはその後ろをついてきた。
俺とミトラは二つに分かれた道を見つけた。
「分かれ道があリますね」
「二手に別れるか?」
「バカですか誰が私の盾になるんです」
「盾前提なのか……」
「右ですよ」
左からはゴブリンの鳴き声が聞こえているようだった。俺は聞いた。
「ゴブリンが怖いだけだろ」
「そんなことはありません、それに、ちゃんとした理由もあります。ケイブバットは縄張り意識が高く、他の魔物が生活圏に入ることを嫌います。だから右が正解です」
俺はなるほど、と納得したが、それはそうとミトラが俺の服のすそを掴んでいるのは気づかないでおいてやった。
右の通路をしばらく進むと、開けた場所に出た。そこの奥にはいくつものニ対の光が瞬いていた。
おそらくあれが、ケイブバットの群れだ。
「いいですかラスト、ケイブバットは攻撃されると集団で反撃してきます。私が目くらましするので、その隙になるべく撃ち落としてください」
「ああ、分かった。やってみるよ」
相手は小さなコウモリとはいえ、牙が取れるぐらいだから噛みつかれたら痛そうだ。また死にかけるのはごめんだからな。
洞窟、ケイブバットとの戦いの開始だった。
牙と使命
洞窟の広場に一歩足を踏み入れると、ケイブバットの威嚇の声がそこかしこから聞こえてくる。それはまるで、軋んだ車輪から出るような嫌な音だった。
ミトラは呪文の詠唱を始める、これが戦いの合図だ。
「其は神の思召し、光の顕現なりて、輝け――シャイン!」
呪文を詠唱すると、まばゆい光の玉が暗闇の中で弾ける。
ケイブバットたちは一斉に騒ぎ出し、飛び回ったりそのままフラついて落ちてくるものもいた。
「うおおおおおっ!」
ブンッ!
バキッ!
俺はその隙を逃すまいと、空中でフラついているケイブバットを片っぱしから、こんぼうで殴りつける。
ケイブバットも、やられてはたまらないと必死に抵抗し、俺の周りでひたすらに暴れまわってくる。
「ちくしょう! 数が多すぎる!」
十数匹はいるだろうか、その数の飛行物体がめちゃくちゃに飛びついてくるのでたまったものではない。翼は硬く、牙や爪は意外に鋭い。俺はだんだんとダメージを負っていた。
「このっ!」
こちらもこんぼうを片手に振り回し、応戦する。ミトラの方を見てみると、なにやらまた呪文を唱えている。
「……!! ……!!」
羽音がうるさくて聞こえないが、ミトラは何かを唱えると、ミトラの杖から光の波が、繰り出された。
途端、俺の周りのケイブバットたちは体から剥がれるように……何かに押し出されるように離れていき、バタバタと地面に落ちていった。
ひとまず助かった、のか。
俺は気が抜けると、こんぼうを地面について一息をついた。牙や爪の攻撃で服はボロボロだ。
「ミトラ、今のは……?」
「セイントウェイブ、神聖魔法の一つです。すみませんラスト、詠唱に時間がかかってしまって」
「いや、すげえな今の。あんだけいたケイブバットが全滅だよ」
「それほどでも……ありますけど! なんてたって私は天才ですから」
ミトラは傷の様子を見てくれ、回復魔法をかけてくれた。
こいつは結構すごい奴なのかもしれない、そして、結構優しい奴なのかも。
「いやー、うまくいってよかったですね、最終手段をとらずにすみました」
「最終手段?」
「ラストを盾にして逃げる!」
前言撤回、こいつはやはり生意気だった。
ケイブバットの牙を回収し、袋に詰めて洞窟を後にすると、あたりはすっかり暗くなっていた。
草原の向こうの地平線には夕焼けが差し、今日の終わりを告げる黄昏の赤さをたたえていた。
「そろそろ帰るのか?」
「そうですね、今日は牙も入手できたし、目的は達成しました。ラストは帰るのですか?」
「あ、そういえば俺、泊まる宿がない……」
「でしたら、私の家に来ませんか?」
俺は驚いた。ミトラも、自分の発言が少し勘違いを生みそうだったのを危惧してか取り繕う。
「いや、変な意味ではないですよ? ラストは従者ですし、私の世話をするのは当然ですけど? だから、借金を返すまでの間しばらく、ラストの身柄は私が預かることにします。従者を管理するのも、主人の役目ですから」
やたら早口で言うミトラに、俺はなんだか笑ってしまった。
ミトラの家は、街の外れの小高い丘にあった。レンガ作りの外観は、どんな風が来てもビクともしなさそうだが、それは他の何かを寄せ付けないようにも見えた。煙突は一本、屋根から生えている。
ミトラは木製のドアの前で立ち止まると、ポツリと呟いた。
「私は修行中の身なので、慣習に則り一人で暮らしています、だから、変な気を起こさないでくださいね?」
「そんなことするか!」
「では入ってください、ここが私の家です」
ミトラの家。そういえば、家族以外の女の子の部屋に入るのは初めてだ。そんなドキドキ感と、少しワクワクしながら家の中に入った。
中はしっかりした造りで、ニ部屋ぐらい大きな部屋があり、動かせる木製のついたてで仕切られている。
部屋の片方には暖炉があり、椅子とテーブルが用意されてることから、居間として利用されているようだった。
もう片方の部屋には本やローブのような衣類、様々な雑貨品が散らばっている。
ミトラは思い出したように、
「あー! 掃除していないの忘れてました! 普段はこうじゃないんですよ! 普段は!」
と慌てて片付けを始めていた。
一通り片付け終わると、ミトラは椅子に座って、俺に向き直る。
「さて、ラスト、落ち着いたところで今後の予定について話しましょう」
「予定?」
「そうです。あなたが5万ゴールドの借金をして、代わりに私の従者になった以上、私に従ってもらいます」
「それは分かってるけど……何をすればいいんだ?」
ミトラは、大げさに椅子から立ち、俺を指差しながらこう告げた。
「ラスト、あなたには……」
金色の髪、金色の眼をしたその少女は意を決して語る。
「魔王を救ってもらいます」
<ミトラの願い>
魔王を救ってくれとその少女は告げた。
俺はミトラの家で替えの服に着替え、ミトラが出してくれた豆のスープを飲みながら、話を整理することにした。
「それで、俺に魔王を助けてほしいと?」
「そうです、魔王を正気に戻すこと。その手伝いがラストにお願いしたいことです」
お願い。その言葉の裏には、少しばかりの気弱さが見え隠れしていた。
「そもそも俺は魔王のことを詳しくは知らない。魔王って一体なんなんだ?」
「そんなことも知らないで勇者やってたんですか!?」
ミトラはずっこけた。
「だって、いきなりお前は勇者だと半ば家を追い出されて来たようなもんだしな。魔王倒すまで帰ってくるなと」
「複雑な家庭の事情は分かりましたが……しょうがないですね、まずは魔王について説明します」
そういうと、ミトラは世界地図を広げた。
「五年前の魔侵攻はさすがに知ってますね?」
「当たり前だろ」
大量の魔物が、人間界を大軍を為して襲った大事件。それまで魔物は各地に散らばる個の種族でしかなかったが、魔侵攻では様々な魔物が統率され人間界に侵攻、莫大な被害をもたらした。
「そう教えられた。この地方では被害が少なかったから、直接被害は受けたわけじゃないけど」
「その魔物を統率していた存在、それが魔王です」
「魔物の親玉か」
そうです、とミトラは頷くと、世界地図のある箇所を指差し、
「そしてこの街から、北東の直線状はるか先に古城があります。ここが魔王の居城なのです」
「魔物を統率していた存在が魔王で、その魔王がここから北東にいる……」
言葉だけでは実感が湧かないが、ミトラの表情の真剣さから、その真実味は伝わってくる。
ただ、俺はやはり気になることがあった。
「つまり魔王ってのは人間を襲った悪いやつなんだろ? なんでそれを助けようと思うんだ?」
「それはーー」
ミトラは口ごもったが、何かを決めたように顔を上げると、こう言った。
「魔王は、私の兄なのです」
俺は正直、甘く考えていた。いたいけな、年下のこの少女に、どれだけの覚悟があったのか。どれだけの勇気を振り絞っていたのか。
何もかも、村で平和にしていた俺には実感が湧かなくて、それを受け止めるには、俺は未熟すぎた。
「待ってくれ、ちょっと待ってくれよ。つまり、魔王は人類の敵で、魔王は兄で、そいつを救ってくれだって?」
「はい、そうです」
「冗談はよしてくれよ、魔王ってのは危険な魔物をたくさん従えてるんだろ?」
「冗談じゃありません、本気です」
「なんで俺なんだよ」
「あなたにしか……あなたには5万ゴールドの貸しがあります」
「割に合わないだろ! 5万で命をかけろって言われているようなもんだ」
「無理を頼んでいるのは承知しています、でも、でも……」
ミトラは泣きそうになっても、まだ諦めていないようだった。
「兄さんが、もう人間に戻れなくなっちゃう……」
そう言って泣き崩れた。
泣かせたかったわけじゃない、ただ俺には無理な話だと言いたかっただけなのに。
ありふれた村で生まれた、普通の子供として育った、昨日今日勇者として生きることになった人間には。
その使命は、重すぎた。
「なあ、5万ゴールドなら別の方法で……」
「わかりました」
ミトラは、意外にもあっさり諦めてくれたが、その声は滲んでいた。
「私一人でも兄さんを助けに行きます。すみません、無理言ってしまって。いきなりこんなこと頼まれても、そりゃ困りますよね」
俺はなんと言っていいのか分からなかった。何か取り返しのつかないことをしてしまったかのように思えた。
ミトラは後ろを向いた。白いローブについたフードは、首から垂れている。
「なあ、ミトラ……」
「もう、いいんです。ラストも、5万ゴールドは元はといえば事故のようなものですから、払う必要なんてないんです」
ミトラは続ける。
「今までありがとうございました。私はこれから、行かなければならないので」
部屋を行き来し、ミトラは荷物をまとめると、大きめの鞄を背負って出ていってしまった。
「行くって、どこにだよ……」
俺は、何か選択を間違ってしまったのだろうか? そんな答えのない自問自答しか、ミトラのいなくなった部屋でするしかなかった。
ミトラが広げた世界地図。
そこに印されていた赤い丸は、魔王城の位置だった。
<勇者候補であること>
失意の中、俺は街の通りをトボトボと歩いていた。
あたりはすっかり暗くなっている。夜に入って、立ち並ぶ店の明かりも少なくなっている。
俺は、ミトラの悲しそうな顔を思い出しながら、洞窟探検の疲れもあって目の前がふらつくようだった。
いつの間にか、無意識にギルドに入っていたのだろうか。俺はあのギルドにいた。
いや、もしかしたら宿代のため、意識的に牙を換金しに来たのかもしれない。
一人の少女が危険な旅に出ようとしているのに、俺は自分の寝床の心配か。
そう考えると、自嘲するしかなかった。
ギルドの受付には既に先客がいた。
「これはオークの腰ミノでしょう! なぜ500ゴールドじゃないんですか?」
「オークにも二種類いて、ハイランドオークとカントリーオークがいます。これはカントリーオークの腰ミノですから一つ300ですな」
「わたしを騙してるんじゃないでしょうね……」
受付で何かやりあっているのは、赤い髪に剣士風の女の子。
アイ・コレートその人だった。
「もう、話が通じない! あら……ラストさん?」
入り口に佇んでいた俺は、アイに発見された。
「ああ、アイ……その件はどうも」
「どうしたんですか? ……ずいぶんひどい顔をされてますよ、とりあえずこちらに」
俺は誘導された椅子に腰掛ける。アイの血色のいい顔はつやつやしていて、俺とは対照的だ。アイは質問してくる。
「そういえば、あの後はどうしてたんですか? わたし、用事を済ませた後にあの宿に行ったら二人の姿が見えなくて、ミトラも連絡が取れなかったのです」
俺は事故の後アイがいなくなって、5万ゴールドの借金を背負わされた所から、ミトラの家に行ったことまでを話した。
するとアイは一瞬驚いたが、ちょっと考えるような顔をして、
「ミトラが、魔王の城に……」
「そうだ、俺は……ついていってやることができなかった」
頭を垂れながら、俺はアイに色々なことを詳しく話した。
ミトラが治療代をふっかけてきたこと。
従者にされたこと。
洞窟で、ミトラの呪文で危機をくぐり抜けたこと。
ミトラの家に泊まることになったこと。
ミトラの願いを……拒絶してしまったこと。
アイは、それが終わるまで何も言わず聞いてくれていた。話が終わると、アイは口を開いた。
「ミトラは、私の小さい頃からの友達なんです」
「幼馴染だったのか、ミトラは、アイが友達だなんて恐れ多いと言っていたけど……?」
「ミトラがそんなことを……?」
アイはしばらく考えて、何か思い出したように呟いた。
「勇者候補になってから、ミトラがよそよそしくなりました」
第一勇者候補、それがアイの肩書きであり、使命だ。
俺は迷ったが、魔王がミトラの兄であることも伝えた、アイは信頼できると思ったからだ。俺はふと思いつきを漏らした。
「ミトラが兄である魔王を救おうとしている、そして勇者は魔王を倒す存在、アイが勇者になってから疎遠になったことを考えると……」
「わたしが勇者になったから、魔王を救おうと考えているミトラはわたしから離れようと……?」
「そう考えるのが自然だろうな」
アイの使命とミトラの使命。二つがぶつかることをわかっていたミトラは、アイを遠ざけることでアイを傷つけないようにしていた。
あの小さな14歳の少女は、すべてを背負おうとしていたのだ。
ギルドには人がまばらになっていき、ギルド員たちは閉める準備を始めていた。
「とにかく今日は遅いです、どこかに泊まって、明日すぐにミトラを追いましょう」
アイはそう言って席を立つと、俺も洞窟攻略で余ったケイブバットの牙を換金して、ギルドを出た。
そして、開いている宿が一つしかなく、部屋もツインが一つしかなかったので、アイと俺は同じ部屋に泊まることになった。
宿屋のおばさんに、「今晩はお楽しみですか?」とニヤけながら言われた時は、アイは髪色と同じぐらい顔を赤くしていた。
ベッドに寝転ぶと、俺はあることが気になった。
「そういや、アイにも治療費の5万ゴールドの負担があるから、いつか返さなきゃな……」
反対側のベッドに寝ているアイは、こちらに向き直ると、ふふっと笑って、
「ああ、あれですか、別にいいですよ」
「別にいいってことないだろ、5万は大金だぞ」
「そうですね……それじゃあ、一つ命令をさせてください」
5万ゴールドの命令、なんだろう。俺は言い出したことを少し後悔しながら、言葉を待った。
「お、おう」
「ミトラを助けて、魔王を救ったら、わたしたちと一緒に冒険しましょう、それが命令ですっ」
そんなことで、と言いかけたが、アイはあからさまな寝たフリをしてしまった。
5万ゴールドの対価としては、安すぎる。いや、これからのことを思えば、金では買えない命を失うこともあるのだ。
スライムが3ゴールド、ゴブリンが10ゴールド、命の重さは、そんなもので量れるものではないはずだ。
ミトラは、命をかけてまで兄を救おうとしている。自分の命を天秤にかけてまで、救いたいものがある。
きっとそれは俺も同じだった。
<魔王城へ>
明朝、俺たちは宿を後にすると、すぐに街を出て出発した。
歩いていたのでは間に合わない。俺たちは馬車を借り、御者に魔王城に急ぐよう伝えた。
ミトラが街からどれくらい離れたのかが分からない以上、急ぐべきだ。
世界地図に印されていた場所は、街のはるか北東だった。そこに魔王の城がある。
ひとつ懸念があった。
「あいつ方向音痴だったよな……」
前の洞窟のことを思い出す。地図があったのに方向すら間違っていたあの様子では、魔王城にたどり着けるか怪しい。
それを聞いていたアイは、こともなげにこう言った。
「それは大丈夫だと思いますよ」
「なんでだ? あいつ、かなりの方向音痴だったぞ」
「うーん、例えばラストさんは、自分の家に帰る道を迷います?」
「そんなの迷うやつがバカだろ、それが何か関係あるのか?」
そこで俺はハッと気づいた。まさか。
「魔王城って、ミトラの……元家?」
アイはご名答!といった風に頷いた。
馬車は街道を進み、魔王城の近くまで進むと、そこからは草原を進んで行くことになった。
途中モンスターとは何度も遭遇したものの、その全てを馬車はスルーして突き進んでいく。
「しかし速いな、この分なら今日中に着きそうだ」
「一番いい馬車を借りましたからね」
「そういう問題なのか?」
速度は問題ない、しかし、俺には不安がひとつあった。
「そもそも今の俺たちに魔王なんて倒せるのか? ぶっちゃけ俺の武器、こんぼうだぞ」
腰にくくりつけたこんぼうを指差しながら、アイに聞いてみる。
「そうですね、魔王は強大な力を持ち、並の武器では太刀打ちできないでしょうね」
「それなら、勝算なんてないだろ」
それがミトラの頼みを断わった核心でもある。俺は揺れる荷台の上で、さらに不安になった。
「あくまでも普通の武器ならです。わたし達は勇者候補じゃありませんか」
ニコッ、とウインクするアイだが、俺はなんのことか分からなかった。その様子を見てアイは続けて言う。
「あれ、わたし達勇者候補は、王様から武器をもらっているはずですよね?」
ヒノキの棒をな。
「ああ、あれならたいまつに使った」
一瞬の静寂。馬車の車輪は大きな音を立てながら回り、速度と引き換えに振動を伝えてくる。
「え、え、えええーーーーっ!」
アイが、叫んだ。
「伝説の武器!?」
俺はアイから、ヒノキの棒が伝説の武器だということを知った。
たいまつとして使ったので半分燃え尽きている。
「わたしのこの腰の剣のように、勇者候補は王様からそれぞれ適した武器を貰うんです。その武器は普通の魔物には普通の武器ですが、悪しき力を打ち払う力があります」
そんな大事なものだったのかよ!説明しろよ!
「誰か教えて下さらなかったんですか?」
思えば、貰うものを貰ってそそくさと出てきてしまったので、大臣や門番にも話しかけていなかった。重要なイベントを取り逃がしていたのだ。
「伝説の、ヒノキの棒……」
これが俺の適した武器だという事実と、半分燃えカスになっている現実に、俺はがっくりきた。
「ま、まあなんとかなりますよ! 腐っても、燃えても伝説の武器ですし!」
アイは励ましてくれたが、俺は先行き不安だった。
馬車は勢いを止めることなく進み続け、行く先には禍々しい城が見えてきた。
突然、馬車馬が急停止し、嫌がる素振りを見せた。一体どうしたというのだろう。
「魔の力です。ここからは、わたし達だけで進むしかないようですね」
アイは馬車から飛び降りると、俺もそれに続いた。
古い洋館に、そぐわない茨のツルが幾重にも張り巡らされたその城は、まるで何かを阻んでいるように、そびえ立っていた。
付近は空が歪み、暗くなっている。魔王の魔力によるものだろうか。
俺たちは、入り口であろう、大きな扉を見つけると、意を決して扉を引いた。
ミトラの懸命
城に入るとすぐ、俺は異変に気づいた。
魔物たちが部屋の至るところに倒れているのだ。
ほとんどの魔物は倒れていて、生き残った魔物たちも混乱していたため、魔物たちとの交戦は避けられた。
通路をかけめぐり、奥にある重厚な階段を駆け上がると、奥の広間からは戦いの音が聞こえてくる。
大きなトロールが、その巨体から拳を振り下ろす。轟音が響き渡った。
その戦闘相手は、間一髪のところで避けれたものの、その衝撃で勢いよく弾き飛ばされた。
その人物は、ボロボロになった白いローブから金髪を覗かせている、小さな少女。
ミトラだった。
「「ミトラ!」」
俺とアイは、ほぼ同時に叫んでいた。
トロールは新たな侵入者を見つけると、咆哮を上げる。
グオオオオオオオ!
俺はミトラを肩に抱え、安全地帯へと移動を始める。
アイは単身トロールに立ち向かっていた。
「はああっ!!」
腰の細い剣で、的確に相手の急所を狙っていく。トロールの攻撃は、寸前のところで全て躱していく。
アイ、あんなに強かったのか……
俺はミトラを部屋の隅に座らせると、こんぼうを持って全力で走り出した。
「こいつっ! よくもミトラを!」
走る音に気づいたトロールは振り向いたが、アイはそれを許さなかった。この隙を逃さないとばかりに、高速で敵の心臓を狙って突き抜く。
ギャアアアア!!
後ろから回り込んだ俺は、トドメとばかりにこんぼうを渾身の力を込めてジャンプしながら叩きつけた!
トロールの頭からは、ゴキッという嫌な音がし、断末魔の叫びを上げて、地面に崩れ落ちた。
「やったか!?」
「やりましたね! ラストさん!」
アイは健闘を讃えてくれ、俺はすぐにミトラに駆け寄った。
ミトラの身体には大きな外傷は無いようだったが、あちこちにダメージを負っているようだ。
薬草を与えると、ミトラの杖が動き、目をうっすらと開いた。
「あ……ラ、スト……?」
「もう大丈夫だ。トロールは俺たちが倒した」
「どう、して……?」
どうしてここにいるのか、ミトラは尋ねていた。
その理由を、俺は答える。
「あの時は力になってやれなくてごめん。でも、俺は覚悟を決めたんだ」
「どうしてここにいるかの、答えになってませんよ……」
ふっ、と笑うミトラは、いつもの口の減らないミトラだった。
しばらくミトラの回復を待ち、俺たちは広間でこの先に待ち受けているだろう魔王について話をすることにした。
「おそらく」
ミトラは切り出した。
「魔王はこの先にいるはずです。そして、魔王に決定的な有効打を与えるには勇者候補であるあなた達の力が必要です」
ミトラは、俺には願いを告げたあのときのような、しかし決意を強めた瞳で俺たちに言った。
「改めてお願いします、勇者候補に選ばれなかった私では、魔力に打ち勝てず、魔王は救えません。ーー私に力を貸してくれませんか」
俺とアイは、顔を見合わせて、答えた。
「当たり前だろ、ここまで来て何言ってんだ」
「水臭いですよミトラ、私に相談してくれないんですもの」
俺たちの答えは決まっていた。
「ありがとうございます」
ミトラは、深々と頭を下げた。
広間の奥に、禍々しい魔力を放つ、ひときわ大きな扉があった。
「私が魔王をなんとかしますので、アイとラストは上手く隙を作ってください」
「いけるのか?」
「はい」
ミトラの顔は決意に満ちていた。俺は、ミトラを信じることにした。
俺は魔王への扉を開ける。
<魔王戦>
床は異様な紫に染まり、壁にはツタがひしめき合う。魔王の居場所。
魔王の間には玉座が一つ鎮座していた。果たしてそこに魔王はいた。
重装の漆黒の鎧と、鎧からいくつも生えているツノのような装飾。そして、取り巻く瘴気は、魔王の魔力を感じさせる。
魔王は突然の来訪者に臆することもなく、玉座から立ち上がった。
「ようこそ、我が城へ。とんだネズミが入り込んでいたようだ」
俺とアイは、すぐに剣とこんぼうを抜き放ち、戦いへ備える。ヒノキの棒はリーチが短くなっているので腰に挿しておいた。
ミトラは、魔王に語りかける。
「兄さん、もうこんなことはやめましょう。私が、目を覚ましてあげます!」
「フッ……誰かと思えば、出来の悪い妹か。兄に歯向かうような奴に育てた覚えはない」
魔王はミトラを認識しているものの、その目線からは殺気が放たれていた。俺は言う。
「ミトラ、離れていろ。おい魔王、久しぶりにあった妹にそれは冷たいんじゃないか? 心まで魔王になっちまったのか?」
「雑魚が。人の心など、とうに捨てたわ。しのごの言わず、戦いを始めようではないか」
フハハハハ! と魔王は高笑いをすると、凄まじい魔力を右手に集め始める。
「〈高速詠唱!〉セイントウェイブ!!」
ミトラはいつの間にか呪文を唱えていた。魔王の右手から放たれた魔力は、真っ直ぐと俺たちに向かい、ミトラのセイントウェイブとぶつかる。
激しいエネルギーのぶつかり合いが目の前で起こった。
「ほう、我のダークネスウェイブをかき消したか」
魔王は愉しそうに笑っていた。まだ本気ではないといった様子だ。
ミトラは俺たちに伝える。
「余裕そうですが、ダークネスウェイブは上級呪文。そう連発はできないはずです、今がチャンスです!」
その言葉を合図に、俺とアイは駆け出した。魔王目掛けて走り出し、まずは魔力の突破を!
「はああああっ!」
戦い慣れしたアイは疾く、魔王の懐まで潜り込んだ――が。
バキィッ!
「きゃああああ!!」
剣を突き出したアイを、魔王はにべもなく拳で払い除けた。
「どうした? 勇者の力もこんなものか?」
アイは弾き飛ばされ、壁にしたたかに打ち付けられた。
「大丈夫か! アイ!」
アイはダメージは受けたものの、なんとか起き上がろうとしている。
「くそっ、てめえよくも!」
俺は、負けじとこんぼうを魔王に叩きつける。しかし。
「なんだその武器は……ふざけているのか?」
魔王の頭部に会心の一撃を放ったはずが、魔王はそれを受けるまでもなく、平然な顔をしていた。
やはり普通の武器ではダメだったのか!?
即座に、魔王は俺の首を掴み、体を持ち上げた。
「ぐっ……がはっ……!」
「舐められたものだな、こんな棒きれで我を倒そうと思っていたのか? 雑魚は雑魚らしく、死んでいろ!」
俺の首に込められた力がさらに増す、まずい、このままでは……
「ちく、しょう……」
ここまでなのか。やはり、凡人の俺には、勇者なんて無理だったのか……
そう諦めかけ、目を閉じた時。
「其は神の思召し、光の顕現なりて、輝け――シャイン!」
何か俺と魔王の間で強い光が瞬いた。この呪文は、ミトラ!
目くらましの呪文は、目を開いていた魔王の眼にもろに直撃し、魔王はたまらず怯んだ。
俺を締める腕が、緩んだ時。ミトラは叫んだ。
「ラスト、アレを魔王に!」
アレとはなんだ。
……アレか!!
俺は腰に下げていたヒノキの棒を引き抜くと、魔王の頭部めがけて叩きつけた!
「貴様、何を……グワアアアアア!」
「効いてるぞ!」
ミトラは詠唱を開始した。
「其は神の思召し、魔を浄化し、穢れを殲滅せしもの! セイント――ウェェェイブ!!」
ミトラの放った光は、魔王を包み込んだ。
全てが収まった時、魔王はその身体を傾けた。
「兄さん!」
ミトラは、地面に倒れている魔王に近づく。
先程までの魔力の瘴気は感じられず、禍々しさは無くなっている。
魔王は、静かに目を開いた。
「ミ、トラ……?」
「兄さん! 私はミトラです! あぁ……」
魔王はそっとその手をミトラの頬に添え、溢れる雫を掬った。
「迷惑を、かけたな……ミトラ」
「私こそ、ごめんなさい。兄さんを救ってやれなくて……ごめんなさい」
兄妹の再会を、俺とアイはただ見ていた。
魔王は、打ち倒された。ミトラの兄は、救われた。
魔王城の上。歪んだ空が、また元の澄んだ青空を取り戻すのには、そう時間はかからなかった。
<二人の笑顔>
魔王城から帰って、俺たちを出迎えたのは大臣だった。
「王様から話がある」とだけ告げられ、俺たちは城の王様に会いに行くことになった。
魔王であったミトラの兄は、自分のケリは自分でつけるとだけ残して、魔王城で別れてしまった。
久しぶりの謁見。最初に来たときは、あまり期待されていなかったな。そんなことを思っていると、王様が現れた。
大臣が耳打ちすると、王様は「え、まじで?」みたいな顔をしてから、咳払いをして話し始めた。
「えー、諸君らが魔王を討伐した者たちだということは、下の者から聞いている。魔王討伐報酬として、なんでも好きなものを与えよう」
俺は、ポカーンとしていた。
「なんでもいいんですか!?」
「できる範囲ならな」
なんだろう、金銀財宝?
ハーレム?
チート装備?
何にしようか……と一瞬思いかけたが、俺は考え直して。
「家を一軒下さい」
「ほう、どんな家がいいかね? 豪邸かね?」
王様は、それなら大丈夫だ、といった風に安心して聞いてくる。
「いえ、普通の家で構いません、この街に住みたいんです」
「謙虚な若者じゃのう! では、すぐに手配しよう。それで、あとの二人は……」
王様はアイとミトラにも尋ねていた。俺はその願いで満足だった。
一週間が経ち、実家からの引っ越しはほとんど済んだ。
魔王を倒した(救った)報告に実家に帰ると、母親はすぐに信じてくれなかった。ひどくないか?
「証拠はあるの! 証拠は!」
万引き犯か。俺はとりあえずヒノキの棒を見せると、なぜか母親は納得したようだった。
「さすが私の子ね」
数分前まで疑ってましたけど。
父親は「やはり勇者の血がなせる業」とか呟いていたが、ほっておこう。
引っ越した先は、街の中心部を少し外れた、買い物にも冒険にも便利な場所だ。
俺がここを選んだのには、わけがある。
玄関の呼び鈴が鳴った。そろそろ時間だ。
「お邪魔しますですよ! なんですかここ、結構いい家じゃないですか!」
白いローブの金髪少女が元気よく入ってきた。
「お邪魔しますね。あら、ラストさんお久しぶりです」
続けて、赤い髪の剣士な女の子が入ってきた。
「あ、これ新居移転祝いです」
小麦粉の麺類を渡された。
アイとミトラに、引っ越しが済んだら俺の家に来るよう伝えておいたのだ。話したいこともあるし、と伝えて。
「それでラスト、新居の居心地はどうですか?」
「悪くないよ。一人暮らしは大変だけどな」
そんな話をしながら笑い合う俺たち。俺は折を見て話を切り出した。
「二つ、約束を果たさなきゃならないと思ったんだ」
「約束? 魔王……兄さんは救ってくれましたし、他に何かありましたっけ?」
「忘れてるのかよ、ミトラ、お前には5万ゴールドの借りがあっただろ、それで……」
俺は金貨の袋を取り出した。魔王討伐の、金銭報酬だ。
「中にはきっちり5万ゴールド。こういうのは返しておかないとな」
ミトラとアイは、驚きながら顔を見合わせると、笑った。
「それならもういいんですよ、ラストにはそんなもの返してもらわなくてもいいぐらい、沢山のものを頂きましたから」
「でも……」
「じゃあ聞きますが、私を助けに来てくれたのは、5万ゴールドの件があったからですか?」
「違うに決まってるだろ!」
俺が、ミトラを助けたのは……
「友達、だから」
ミトラは笑顔だった。アイは、微笑ましくその様子を見ていた。
「まあ、どうしても引け目があるというのなら? いい方法があるんですけど?」
「な、なんだよ」
「そうですね、ラストさんとミトラには、いい方法がありますね」
アイはからかい気味に笑っている。
ミトラは、とびっきりの笑顔で俺に命令した。
「私の従者として、一緒に冒険しましょう!」
「あー、わたしの先約があるのに!」
アイはそう言いながらも楽しそうだった。
俺はまいったな、という顔をしながら。
「それじゃこれからもよろしく頼むよ、ご主人様」
と言ったのだった。
今日は快晴、空には鳥が飛び回り、川のせせらぎは澄んでいる。
俺の家で笑い合う、この二人の存在は。
俺にとって、5万ゴールドとは比較にならない価値があると感じたのだった。
【おしまい】