誰も書かなかった我が母のお話
我が母はエッちゃんである。以前は母方の叔父が生きていた頃は、エッちゃんが連発だったが、今はみんな鬼籍に入ってしまい、身内ではせいぜい「エツ子さん」と呼ばれるようになってしまった。私からすると従兄弟連中だと「伯母さん」ということになる。
しかしご近所の焼肉屋&居酒屋&カラオケスナックにおいては、81年生きていますがエッちゃんですって紹介したら、それぞれの店の常連さんが「エッちゃん」って呼んでくれるようになった。
何故に我が母がエッちゃんになったのかは、名付けた人が私が生まれる頃に神様に召されてしまい、どうしてかという由来は聞いたことがない。
ここんとこ自家用車に乗せれば、どういう訳か歌を口ずさむ。黙りっぱなしのことを考えると非常にいいのだが、時々頼むさかい静かにしてくれ〜〜というときもある。もっとも本当に静かにすべき状態だと歌も出ないだろうけど。実に自家用車でドライブに出かけるのが好きな母である。
実は6年前の75歳までは自分自身が普通車免許を持っていた。本当は交通機関は電車かバスだったのだが、豚もおだてりゃ木に登る・・・ということもないけど、自転車に始まり、原付の免許を取らせて、「原付だったら転けるけど、自動車はなかなかこけない(そりゃそうだ)というわけで、阪な自動車教習所に入所させてしまった。最高齢の指導員と同い年だったらしい。そこそこ走れるぐらいの技術を取得することができたのだが、75歳における安全講習を受けなかったので免許は失効してしまった。もっとも教員免許は年齢に関係なく有効・・・かと思ったら、今は扱われ方が少々違うらしい。
今は何に乗っているかというと、我が愛車と車椅子に乗せている。ただ車いすは介護保険の適用を受ける物品なのだが、そういうことも知らずにヤフーオークションで購入したら3万円ほど払ってしまった。そこそこ使いやすいので良いのかも知れない。なお車椅子のコードネームは轟天号シグマって勝手に読んでいる。シグマの小文字がどう見ても車椅子ににているからだ。うちにある人力系の軽車両は全て轟天号だったりする。自転車がベーター・・・ベーターの文字を横にしたら自転車に似ている。手押し台車が轟天号ガンマ・・・ガンマをひっくりがえせば手押し車ににているという安易な理由で命名している。この間までは轟天号アルファ・・・リアカーがアルファーの文字に似ているという轟天号だらけだったりする。