第三話 「無詠唱」より「詠唱」?
俺は時間魔法が使える可能性について考えていた。
魔法書によると、古代幻想魔法である時間魔法は「無詠唱」を必要とし、極めて難易度が高いという。
そのうえ、「時間」というイメージが難しい抽象的な概念を扱うジャンルの魔法なので、尚更習得が難しいということだった。
「1分単位の遅刻にもうるさい日本人の俺なら、無詠唱さえクリアできればなんとかなるかもしれない……」
そう、「時間」のイメージなど日本人の俺にとっては簡単なことだった。
なので、問題は「無詠唱」である。
「まず、血流とは逆に流れる魔力を感じ取るっていうところから分からん」
本来ならば、詠唱や魔方陣を用いた魔法発動によって魔力が減る感覚をつかむのだろう。
しかし、そんな下地など無く、いきなり応用編である無詠唱からはじめようとしてる俺にそんな感覚は分からない。
ギルド登録のときに使った謎の板や魔法書に使われた魔力はおそらく極めて微量であった。
なので、体内から魔力が減る感覚というのは感じなかったのだろう。
「魔力を感じろといわれても、存在すら疑っている身だからな……」
魔力の存在を信じていない俺が、魔力の存在を感じるなど不可能に近いはずだ。
だが、「無詠唱」をするためには魔力の流れを感じなければ話にならない。
「だめだ……。初手から詰んでやがる……」
必死に神経を集中させるが、魔力はおろか血流すら感じられない。
本当に自分の体内に血が巡っているのから疑わしくなってきた。
いったいこの世界の魔法使い達はどんな修行を積むことで、体内にある魔力の流れを感じられるようになるんだろうか。
修行というワードを思い浮かべ、俺はフタバ草の依頼の完了報告をした際のことを思い出していた。
確かあの時、古代語を難なく読むことが出来た俺に、受付嬢は
「すごいですね!古代語を読めるなんて王立学院の先生でもやってたのですか?」
と言っていた。
もし、異世界もののアニメなんかによくある「魔法学院」のようなものが存在しているとすれば、そこに通う生徒達はどうやって魔法を習っているのだろう?
やはり、はじめは座学や実技を通して学ぶのであろうから、他者から説明を受けて理解するのであろう。
この世界の住人は生まれたときから魔力の流れを感じることができるとかだったら、俺の魔法習得は完全敗北に終わってしまう。
「生徒達は本当に座学で「無詠唱」ができるようになるのか……?」
だとしたら、教える先生が余程優秀か、生徒が天才でなければ無理だろう。
なにより、それほど「無詠唱」の習得について詳しく、丁寧に教えられる人間がいるとしたら、この世界は「無詠唱」の魔法使いで溢れているだろう。
ん?待てよ?
なんで俺は「魔法学院」で「無詠唱」を教えていると考えているんだ?
「「無詠唱」の前に「詠唱」か「魔方陣」の練習をすればいいのか!!」
このとき俺は自分がなんと愚かな人間であるのかと思った。
魔法書の前半部分に載っている「詠唱」や「魔方陣」の説明からヒントを得ればいいのだ。
そうと決まれば、早速前半部分へと魔法書のページをめくっていく。
「ええと、詠唱は……」
「詠唱」の章は、「無詠唱」の章とは紙の厚さに天と地ほどの差があった。
無詠唱の説明は見開き1ページ程度しか書いていなかったのだが、詠唱の説明は米粒のような文字で数十ページにもわたっていた。
しかも、魔法記号である「ルーン」がどうのこうのという説明から始まるのだが、この「ルーン」というのはどうやら数千種類ほどあるらしい。
ラテンアルファベットの大小52文字ですら苦労して覚えた俺には、数千種類にわたる「ルーン」など、文字通り異次元の世界だった。
しかも、そのルーンの微妙な組み合わせによって発動時の様々な効果を指定するときた。
「これは無理だな……」
開幕からそうそうに「詠唱」の説明を読むことを諦めた俺は「魔方陣」の説明へと向かう。
これまた「詠唱」と同じように数十ページの厚みがある。
しかも、その半分以上は豪奢な模様のサンプルのようなものが描かれていた。
説明文の大半が、このサンプル同士の微妙な違いについて解説している用であった。
最も初歩的な発動機構である魔方陣の説明からして、既に俺の理解を遥かに超える異次元であった。
「うーん、無理!」
目の前に垂れていた一筋の糸がプチンと切れた瞬間だった。
俺は時間魔法の習得を諦めた。
気分を上げて下げてさらに上げて下げられた俺は、窓の外から差す日が赤味を増してきたことに気づく。
どうやら魔法書を読んでいるうちに、既に夕飯を食べてもいい頃合になっていたらしい。
作業台に本を置いて、貴重品をもって一階の食堂へと向かう。
夕飯時とはいえ、少し早い時間帯の食堂は客もまばらで空いていた。
席が空いていたので、注文しやすいようにカウンター席に座ることにした。
俺は昨日と同様、今日のおすすめディナーを頼む。
こちらの食べ物にも興味があるのだが、おすすめディナー以外の料理はボリュームが少なくなるらしいと聞いて、迷わずおすすめにした。
「なんだい、ずいぶんと沈んだ顔してるねえ」
客が少なく、暇そうにしていた女将が俺に話しかけてくる。
俺はせっかく手に入れた魔法書を読んでも、自分が魔法を使えないという事実に落胆していることを話した。
「まあそう悲観することは無いよ。魔法なんて一般人には使えないし、冒険者でも少ないんだから」
女将の話によると、この世界でも魔法と言うのは希少なものらしい。
魔法適正があっても、そのことに気づかずに死んでいく人も多いという。
貴族や富豪商人の子供などのように、幼少期から王立学院に通うことで漸く適正がわかるというのがこの世界の認識らしい。
しかも、適正があるからといって誰しもが魔法を使えるかといったらそうではないという。
適正のほかに十分な魔力がないと魔法は使えない。
だから、一般人はもちろんのこと、冒険者家業なんかをやってるような奴には魔法を使える者なんてほとんどいないということだった。
「そもそも、魔法具がこれだけ発達しているのも、みんなが魔法を使えないからなのよね」
ギルド登録に使った板や魔法照明なんかは「魔法具」と呼ばれるらしい。
一応、魔法具に反応する程度の魔力は誰でも有しているようである。
この微弱な魔力を引き金にして魔法具を起動するのだという。
「はいよ!おすすめディナーおまたせ」
女将からこの世界の魔法事情を聞いていると料理があがってきた。
今日のディナーは「エルアリアン牛のハンバーグ」と「アリアン芋の蒸しバター」であるらしい。
昨日と同様パンとスープはおかわり自由だという。
やはりハンバーグからは美味そうな匂いがする肉汁があふれ出す。
じゃがバターもどきからは溶けたバターの香ばしいにおいがした。
「ごちそうさまでした!」
俺は夕食をとり終え、女将に明日も泊まりたい旨を伝える。
昨日と同様連泊の手続きをして、二階の自室へと戻る。
お腹いっぱいまで食べた俺は、ベッドに腰掛けたとたん急激に眠くなってきた。
異世界生活もまだ二日目だが、今のところ順調に進んでいて一安心である。
とはいえ、これから先何が起こるのかもわからないので、明日もまた依頼を受けに行くつもりである。
「ああ、魔法使いたかったなー」
俺は魔法に対する諦めきれない感情を抱き、ゆっくりと眠りに落ちていくのだった。