7 ひまわりの君
視界は不思議とスローモーションになった。
横へ大きく揺らぐ炎、まだ生きている花弁へ落ちる大小さまざまな雫。火が移ったひまわりに叩きつけた水は少しずつ蒸発していった。
その後、意識が闇に沈んでから。
急激に何かに引っ張られる感覚が襲って。
目の前の花だけを残して。
その1輪を守るようにしてたくさんのひまわりは灰に変わっていた。
消火活動は夜明けまで続いたと思った。
ひまわり畑はおおむね全焼。枯れた茶色から死にゆく灰色に変わる土の上でただ無念から来る脱力のあまりにへたりこんでしまった。
守れなかった。
大切なひまわり畑を、葵さんが愛した太陽の花たちを守りきれなかった。悔し涙が頬を伝う。
『────明彦さん』
捜していた女性の声を聞く。
不意に抱き締められるような感触が襲う。
目を見開くと捜し求めた彼女が、そこにいた。
あおい……さん!!
その体を強く抱き締める。
どこにいたのだろうか、どうして急に姿を消してしまったのか。何でそんなにも悲しそうな顔をするんだろう。聞きたい事はたくさんあった。けど安否の確認ができただけでも良かったと思おう。
「あぁ……葵さん、どこに行っていたんですか」
『ありがとう、明彦さん』
そんな言葉を聞きたいんじゃないんだ。
あなたが無事なのなら、それで。
また共に笑える日々が戻ってくるのなら、日の中水の中も飛び込んでやる。
「守りきれなかった、ごめんなさい」
互いに正反対の言葉を発している。
言いたい事はそんな謝罪の言葉じゃないのに口から溢れるのはそんな言葉ばかり。
『──明彦さん』
「本当にごめ────」
壊れたラジオのように繰り返した言葉は続かなかった。
葵さんの柔らかな唇が謝罪を口にする唇を優しく塞いだ。
────初めての接吻がこんな形なんて悲し過ぎないだろうか。
瞳を閉じても深く繋がりたくて、腕に力を込めれば彼女の細腕が首に絡みついてくるのがわかる。
夜明けの空は淡い色だった。
不思議と、言えなかった気持ちが通じ合ってそれが互いの触れ合う体温で融けて一つになっていくような錯覚が襲う。
「────んっ」
長い口付けに不慣れのせいで息が漏れた。
こんなにも長いものは初めてだった。
『……ふふ、もう時間切れみたい』
彼女が言った言葉がよくわからなかった。
閉じていた視界が光を吸収し始めた時に目にしたのは色を失い始めた彼女の姿だった。
「────え?」
少しずつ、彼女の身体が後ろのひまわりが透けて見えるくらいに透けていく。
その時、そう今更になって気付いた。
彼女が今を生きる【人間】じゃなかったことに。
目の前に枯れつつあるこの花が葵さんで必死に守ろうとしたこのひまわりが。
慈愛に満ちた瞳がこちらを見つめる。
「……月が、綺麗ですね」
その言葉を発した時に彼女の姿は黄色の花びらになって散ってしまった。急に吹いてきた風がひまわりの花びらとなった【彼女だったもの】を連れ去っていく……
「ああっ……葵さん……っ!!」
手を振り回しても、1枚も掴めず。ただ無様に踊っているようにも見えることだろう。嫌だ、彼女を連れていかないでくれ。1枚だけでもいい。
彼女だったものを掴みたくて。
いやだ。いやだ!、いやだ!!、いやだ!!!
目の奥がギュッと絞られるかの痛み。
それは熱く、心から溢れてくるようなもので。
目からは肌を焼くのではないかと思えるくらいに熱い涙が頬を伝っていく。
私が心から愛したその女性は……太陽によく似たひまわりだった。