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朝凪が連れていく  作者: 百瀬ゆかり
2/10

1 何気ないひととき

その日はとても暑かった、何せ風が少ない。

海側に寄ってきたというのに熱が身体にまとわりついてくる。額から流れた汗が顎を伝う。

太陽が頭上を少し過ぎた頃。

暑さ真っ盛りの時間帯。


肌を焼く斜陽が照りつけるアスファルトの上を駐在する際に贈られた自転車で走る。二ヶ月あれば慣れないものは何も無い、はず。

名前も地形も頭に叩き込んだ。

余所見する暇がなけば尚更。


様々な流行が渦巻く忙しない都心部を中心とした社会との繋がりは職場にポツンと置かれた一本の電話だけとなった。


元々、忙しない場所が性に合わなかった自分にとってはありがたい話だった。そんな刺激の少ない田舎生活に慣れ始めた頃にはおもたい梅雨空は意識を持っていくくらいに青い顔を取り戻して。

それはそれはもう憂うつなくらい。

笑みを浮かべてしまうくらいに。

その代わりに集落は夏らしい鬱蒼とした草の匂いと耳の奥を麻痺させるくらい熱唱する蝉しぐれに包まれることが多くなった。


「明彦さん!」


いつものように見回りがてらに視界いっぱいの水平線を写していると飛び込んでくる色彩に目が眩む。そこには海外にも見られる風景に似た明るい花畑がある。太陽の畑から僕を呼ぶ声がした。


「おはようございます、葵さん」


花畑のわきに自転車を置いてから、明彦は手前の花達に礼を払う。なんせ野生化した植物は自分の意思で咲いていると思えたからだ。手折らない程度の力でその黄色の海を泳ぐ。正確には黄色の下に広がる緑を掻き分けながらその声の主を探している。


「ほら、今日も綺麗に咲いてますよ」


姿は見えないが、途端に声が近くなった。

トスっと胸部に軽い衝撃が走る。それは無類の花好きで近い将来は植物学者になれたら、と恥ずかしそうに語っていた彼女が現れた。


「きゃっ」


目的の人物がいるらしき場所、自分の胸あたりをやわらかく掻き分ければその細い腕いっぱいに太陽の花を抱えた無邪気な微笑。


「見つかっちゃった」


くすくすと肩を震わせる彼女は華美ではない。

けばけばしい派手さはなく、自然の美しさを会得している不思議な女性(ヒト)だった。


「太陽はいかがですか?」


彼女の動きに合わせて太陽の蕾が揺れる。つばの広い女優帽に似た麦わら帽子も熱気を帯びた夏風に揺れる。目を細めるその表情は猫に似ている。

……あざとい。


「では……4輪ほど、いただきます」


4輪でも相当なボリュームだ。

彼女の笑顔欲しさに控えめな注文を繰り返す。

これ無しではいられないくらいに魅了されているのは重々承知だ。私は彼女に骨抜きにされているし心底惚れていることを。会う度に彼女と会った証としてその小さな太陽をもらってしまうために島民の方にはバレバレだ。


飽きもせずむしろ呆れている。自分のその滑稽な姿を頭の隅に思い浮かべるくらいにもう慣れていた。


「はい、どうぞ!大切にしてね」


膨らみかけた蕾と咲き盛りを半分ずつ。

この花は青い花瓶に添えるととても良く映えるし、どんな殺風景なその空間を爽やかな夏色に染め上げるのだ。


少し小休憩をするために畑の端へ向かう。

熱がこもった身体は汗だくで、休みたいと叫んでいた。自転車に括り付けた瓶に水を入れてから花をいけて、温くなった麦茶を喉の奥へ流す。


温くとも熱の逃げない身体には僅かばかりの冷たさがじわりじわりと伝わっていく。不意に息をつくと後ろから缶チューハイを開けたかのような音が響く。目の前には瓶の中でキラキラと煌めくガラス玉がカラカラと鳴いていた。


「ご一緒させてくれませんか?」


ブリキのバケツに沈んだラムネ瓶が水面から顔を出している。お言葉に甘えて一本、開ける。

プシューと爽快な夏の音。

細かな泡が瓶底からプチプチと上がってきた。


喉を通れば強炭酸に乗った優しい甘さが口と鼻にふんわりと広がるのだ。日陰で海風にも当たれてそれに清涼感溢れるラムネも飲めて、幸せな一時だ。


時間が迫り汗を拭ってから、葵さんにありがとうと伝えると「それじゃあ、また明日ね!!」と鴉の濡れ羽色の髪を揺らしながら再び小さな太陽に紛れて行った。



さて、次はどこの家へ渡しに行こうか。そう考えながら、自転車に跨り再びペダルを踏み込んだ。

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