99:渓谷の街
〈渓谷の街〉。その名の通り渓谷にある街。山々に囲まれ澄み切った綺麗な川が流れる美しい場所であり、その川を見る為に訪れる者も多い。街の中は石造りの建物が並び、川の上に橋も建てられ眺めを楽しめるようになっている。周りも自然に囲まれている事から四季によって景色も変わり、観光地としても人気である。
小さな村でしか生活した事がなかったリーシャとルナからすれば当然そんな大きな川を見るのは初めての体験で、街の中に入るなり興奮を隠す事が出来なかった。何せ見るもの触れるもの全てが初めてなのだ。馬車を預けている間にも周りの建物や道を歩く人々の服装にすら目を奪われる程であった。
アレンは落ち着かない二人を連れながら手続きを済ませ、街の中へと入って行く。何分大きな街の為、迷子になったら大変だ。子供達から目を放さないように慎重に動いた。
「おっきいー! それに凄いきれいな川ー!」
「うん。こんなに澄み切った川初めて見た……」
リーシャとルナは瞳をキラキラとさせながら川を眺めている。
この街の何よりの名物と言えば中央で流れている川だ。その澄んだ美しい川は多くの人々を魅了し、この街の代名詞となっている。これだけ青く綺麗という事は山に栄養が多く、自然が豊かに育っているという事だろう。
「渓谷の街に来るのは久しぶりですね。先生はいつ振りですか?」
「そうだなぁ、冒険者を引退してから来てなかったから……十年振りくらいかな」
アレンはシェルの質問に髭を弄りながら懐かしそうに答える。
冒険者の頃は依頼などでよく訪れる事があった。この辺りにも魔物が出没する為、よくパーティーで討伐依頼をこなしたものであった。だが引退してからは渓谷の街自体に用事があるという事はなく、訪れるのは大分久しぶりである。改めて街を見てみればアレンが冒険者だった頃とは少し景観も変わっており、逆に変わっていない懐かしい建物などもあったりする。子供達ではないものの、アレンも久しぶりに渓谷の街に訪れて喜びを感じていた。
「やっぱいつ来ても綺麗な街だな。石造りの建物とか見るのもリーシャとルナは初めてだろう?」
「うん! おっきくてびっくり!」
「それに村の建物より頑丈そう」
西の村でも木造の建物しかなかった為、リーシャとルナは石造りの建物を本の知識としてしか知らなかった。故に子供達は建物を見ているだけでもかなりの感動を覚えている。リーシャは相変わらず落ち着きなく飛び跳ねながら。対照的にルナはまじまじと建物を観察し、感慨深そうに頷いている。
「楽しんでいるようで何よりだけれど……まずは宿屋に向かわないかしら?荷物とかもあるし」
リーシャ達が興奮していると、その後ろでフードを被ったファルシアが不満げな表情でそう言って来た。
どうやら移動で疲れてしまったらしく、早く落ち着ける場所に行きたいらしい。それに青の大魔術師である彼女は有名な為、街に来ている事を知られればたちまち騒ぎになる。だからフードを被って顔を隠しているのだろう。同じく白の大魔術師であるシェルもフードを深々と被っている。
「ああ、そうだったな。悪い悪い」
ファルシアに指摘され、アレンはつい子供達の反応に目がいっていた事を反省した。今まで子供達と一緒に遠出などちっともしなかった反動だろうか、リーシャ達の喜び様が子供らしく微笑ましく思えてしまったのだ。
「大して荷物なんか持ってないくせに……」
「ん?何か言ったかしら?シェルリア」
「いいえ何も。先輩」
元々ファルシア自身はあまり大荷物は持ってきていなかった為、渓谷の街にもかさばるような荷物は持っていなかった。故に今の彼女は片手に杖を持っているだけで、ちっとも重たそうにしている素振りもない。その様子を見てシェルはボソリと不満を零した。耳の良いファルシアはそれをきちんと聞き取ったが、シェルは何でもない表情で返す。二人の視線の間では静かな火花が散っている事にアレンは気付かない。
「おーし、皆行くぞー」
「はーい!」
「あ、待ってお父さん……」
アレンは荷物を抱え、宿屋へと向かう。リーシャもその後に続き、シェルとファルシアの様子に気が付いていたルナは気まずそうな表情をしながらアレンの後を追った。それからシェルとファルシアも歩き出し、一行は目的地である宿屋へと向かった。
道を歩いていると時折通行人の視線がアレン達に向けられる。可愛らしい子供二人にその父親と思われる男と、フードを被った二人の女性が歩いていればそれは当然気になるだろう。アレンは別に気にしなかったが、顔が晒されると困るシェルとファルシアはフードがめくれないよう気を配っていた。
その道中、リーシャとルナは街の中心部に巨大な塔がある事に気が付く。他の建物よりもかなり精密に造られており、所々に四角い模様が描かれている。奇妙なのはその立派な塔には窓が一つも付けられていないという所だ。当然子供達はそんな建物に興味を抱く。
「父さん、あの塔なに?」
「んー?おお、〈図書塔〉か。懐かしいな。まだ残ってたんだ」
リーシャが指さして尋ねると、アレンは急に明るい声を出して感動したように笑みを浮かべる。すると後ろに居たシェルとファルシアも前に出てフードを僅かに上げてその塔を見上げた。
「ああ、良いですね。機会があれば寄りたいです」
「図書塔ってなに?」
気になっているルナはチラチラとアレンとシェルの顔を交互に見ながらそう尋ねる。するとシェルの隣に居たファルシアが両腕を組みながら口を開き、説明をし始めた。
「〈図書塔〉……様々な資料や文献が保管されている塔。下層部は一般人でも借りられる本や資料が置かれているけれど、上層部には歴史的価値がある本や重要な資料が置かれていて、貸出も許可された人間しか出来ない……要するに特別な図書館って事よ」
自分に尋ねられている訳でもないのに説明をするファルシアは親切なのか、はたまたただ知識を披露したいだけなのか。いずれにせよ簡潔に分かり易く説明してくれた為、リーシャとルナはふんふんと言いながら顔を頷かせる。
「へー、でも何で普通の図書館じゃなくて塔にしたのー?」
「さぁね。それは自分で調べなさい」
尋ねれば教えてくれるのかと思ってリーシャが試しに疑問に思った事を聞いてみると、今度はファルシアは髪を払いながら適当にあしらう。そしてそのままスタスタと道を進んで行ってしまった。意地悪なのか自分勝手なのかよく分からない態度にリーシャとルナはキョトンとした表情を浮かべる。
「気にしないで。あの人は昔からああいう人だから」
二人を横切りながらシェルは困ったようにそう言った。恐らく昔からそういう素っ気ない態度があったのだろう。アレンも笑みを浮かべてうんうんと頷いている。いつも通りのファルシアに安心しているのだろうか。
そんな事をしている内に一行は目的の宿屋へと到着する。依頼主のファルシアが手配してくれた宿屋の為、少し豪華な所だ。外観も綺麗できちんと手入れがされている。リーシャとルナは入る際、緊張しているのかためらっていたが、アレンが隣に並ぶと安心したように一緒に宿屋の中へと入った。
受付から鍵を受け取り、アレンは自分達の部屋の階へと向かう。皆は一緒の部屋だが、ファルシアだけは別室の為鍵を受け取るとさっさと自分の部屋番号の所へと向かってしまった。
部屋に辿り着くと早速子供達が中の様子を見に駆け込む。流石は豪華な宿な事もあって部屋の中はかなり広く、置いてある家具や敷いてある絨毯なども上等なものとなっていた。
「すっごーい! 広いお部屋ー! 転がれちゃうよ!」
「リ、リーシャ。はしゃいだら危ないよ」
部屋の広さに興奮しているリーシャは走り回ってはしゃいでいる。その様子をルナは一歩下がって心配そうに眺めていた。だが彼女も部屋の豪華さには驚いているようで、時折気になるように明かりの装飾などに視線を向けていた。
「良かったんですか?先生。私まで同じ部屋なんて……」
「ああ、俺は調査で外に出る事が多いと思うから、シェルには二人の事を見ててもらいたいんだ」
ふと遅れて部屋に入って来たシェルが申し訳なさそうな顔をしながらそう尋ねてくる。アレンはそれに対して気にしていないように頬を掻き、理由を説明した。
「それと、出来れば街の様子も見せて上げて欲しい」
「もちろんそれは構いませんよ。私もリーシャちゃんとルナちゃんに色々紹介してあげたいですし」
今回のもう一つの目的でもあるリーシャ達に街がどういう物なのかを知ってもらう事。それをシェルにお願いすると彼女は快く承諾してくれた。シェル自身も二人には色々な物を見て知って欲しいという親心のようなものがあるのだ。故にアレンの気持ちには共感していた。
「父さーん! お外行きたい!」
部屋の中ではしゃぎまわっていたリーシャはようやく満足したのか、今度はパタパタと可愛らしい足音を立てながらアレンの元に駆け寄り、外出を希望して来た。せっかく街に来たのだから外の様子を見たいのは当然の要望だろう。だが街に着いたばかりだと言うのにもう外出する気力があるリーシャの若さにアレンは呆れたように笑みを零した。
「おいおい、もう外出か?少しは休憩したらどうだ?」
「いやー、街の様子見たい! 色々見て回りたい! ルナだってそうでしょ?」
「えっ……あ、う、うん。私も、街を見てみたい……」
リーシャが尋ねるとルナも申し訳なさそうな表情で指をツンツンと突きながらそう本音を零した。
やはり子供達の元気さは底なしのようで、それなりの歳であるアレンはそれに付いて行けない自分の体力のなさに悲しみを覚える。そしてどうしたものかと顎に手を置いた。
「うーん、と言っても荷ほどきとか一応色々準備する事があるからなぁ……」
街に着いたばかりだと言うのに何の準備もせず外に出るのはどうだろうかとアレンは頭を悩ませる。それに本来はこの街はただの宿泊地に過ぎず、自分はこれから住人が消失したという村の調査に行かなくてはならない。ファルシアが果たして子供達の我儘を聞いてくれるかとアレンは考え込むように顔を傾けた。すると後ろからコツンと足音が聞こえて来た。
「良いんじゃない?私も荷物の整理をしてから調査に行きたいし、少しは時間があるわ。その間アレンさんは子供達と街を見てきたら良いじゃない」
振り返るとそこには扉にもたれ掛かっているファルシアの姿があり、彼女は興味なさげに髪を掻きながらそう言って来る。その意外な答えにアレンは目を丸くした。
「良いのか?」
「そんなすぐ調査に行くって言ったって私も疲れちゃうわよ。馬車で身体が凝ってるんだからね……それに子供達は街が初めてなんでしょう?騒がれるより遊び疲れて寝てもらう方が楽だわ」
ファルシアも調査には同行する為、彼女はこんなすぐに調査に向かうのでは身体が持たないと肩を揉みながら意見を言う。それならば休憩している間に子供達を外に連れていった方が効率的だと考えたらしい。確かにその方がファルシアの方も助かるのだろう。アレンは思わず彼女の気まぐれに感謝した。
「先生、荷物の整理なら私がしておきます。その間リーシャちゃんとルナちゃんに街を見せてあげてください」
「シェル……有難う、助かるよ」
更にシェルまでも面倒な事は済ませておくと気を遣わせてくれ、アレンは時間を確保する事が出来た。リーシャとルナはその黄金の瞳と漆黒の瞳をこちらに向け、訴えるような視線をぶつけて来る。こうなったら仕方がない。アレンは二人にたっぷりと街を見学させてあげる事にした。
「よし、それじゃぁ外に行ってみるか?二人共」
「「うん!」」
子供達の元気の良い返事が返って来る。アレンは二人を連れて部屋を出て階下へと向かった。部屋では二人の魔術師がその後ろ姿を見送る。