97:旅立ちの時
早朝、村の門の前でファルシアは呆れた表情を浮かべていた。
元々この依頼は危険の多い内容であり、シェルに指摘された通り命を落とす危険性はある事をファルシア自身も分かっていた。だからこそ自身も同行し、少しでも依頼の成功率を上げようとしたのだ。それにどうせ自分は成果を上げなければ王都には戻れない。城では未だにやつれた国王が寝ているのだ。手柄もないで帰っては顔向けできない。それくらい今回の依頼内容は重要であり、ファルシア自身も成功率を少しでも上げておきたいと願っていたのだ。だから同じ大魔術師であるシェルが同行する事も承諾する事が出来た。むしろ大魔術師が二人も居るなど豪華すぎるくらいだ。だというのに、ファルシアは目の前に居る男性のアレンが子供達も連れて行くと言った日にはとうとうボケたのかと疑いたくなった。
「あの……アレンさん、本気で言ってるの? 子供達も連れていくって」
「ああ、心配ないって。街を見せたいだけだから調査の時は宿で待っててもらうさ」
確認を込めて尋ねて見ると、大きな荷物を背負って旅支度を整えたアレンは何てことないように答える。まるで問題などなに一つないとでも言いたげな程自然体だ。確かに調査はある村の方へ移動するので、子供達は街に居れば何ら問題ないのだが……。それでもファルシアは不安げにチラリと子供達の方を見た。名前は金髪の子がリーシャで、黒髪の子がルナと言ったか。彼女達はアレンの後ろに隠れ、何故かこちらの事を警戒するように見て来ている。
(アレンさんの子供……改めて見てみたけど、全然似てないわね)
まだ遠目でしかファルシアは子供達の事を見た事がなかった為、こうして面と向かって顔を見るのは初めてだった。武骨な冒険者人生を過ごして来たアレンの子供とは思えない程子供達の容姿は整っており、ぱっちりとした瞳に絹のようにサラサラとした髪、傷一つない白い肌とまるでお姫様のような見た目をしている。これにファルシアは意外と思った。自分が想像していた以上に子供達にアレンの面影がなかったからだ。まぁ、母親似だと言われればそれで納得出来るが、髪の色が違うところが少し引っ掛かる。
(ていうか、なんで私こんな警戒されてるのかしら……まぁ、子供は苦手だから良いけど)
アレンの後ろから一向に出てくる様子のないリーシャとルナを見てファルシアはそう疑問に思う。
子供が人見知りだという事は理解出来るが、少々警戒心が強すぎる気がする。こちらが何か怖がらせるような事をした覚えはないし、人見知りと言うにはいささか大袈裟過ぎる距離の取り方だ。特に黒髪の子の方に極端に怖がっているようにも見える。もっともファルシアの場合は子供に群がれる方が迷惑な為、距離を取ってくれる方が都合は良いのだが。
「気を付けてね。リーシャ、ルナ」
「うん。シファとダイにもお土産買って来るからねー」
門の前では村人達が何人か集まり、村の子供もお見送りに来ていた。リーシャはその子達に笑顔を向けて返事をし、ルナの方も何か会話をしている。アレンの傍にも村長や村の男達が集まり、何か声を掛けている。
「くれぐれも無理するでないぞ」
「分かってるさ。そっちこそ村の方は大丈夫か?」
「心配すんな。冒険者だったお前程じゃないが、俺らだって男だ。お前がいなくても魔物から守って見せるさ」
村長と友人らしき男がアレンとそう言葉を交わす。友人らしき男の方が笑いながらアレンの肩をトンと叩くと、アレンの方もどこか安心した表情を見せる。会話の雰囲気からして親しい仲なのだろう。かつてアレンが仲間の冒険者達としていたような喋り方ではなく、どこか砕けた喋り方をしている。そんな様子を眺めながらファルシアはふと自分の隣に居るシェルへと視線を向ける。
「ちょっと、シェルリア」
「はい?何ですか?先輩」
ファルシアが呼ぶとシェルは露骨に嫌そうな表情を浮かべながら振り向く。仮にも同じ大魔術師であり、ファルシアの方が経験を積んでいる先輩の立場にあるのだからそんな態度を取らなくても良いと思うのだが、敢えて今そこにファルシアが指摘する事はなかった。
「アレンさんの子供達……本当に大丈夫なの?いくら調査中は街に置いて行くと言っても道中魔物だって出るのよ。街を見せたいからと言って、別に魔物が大量出現してる今の時期じゃなくても良いじゃない」
一応ファルシアなりの心配で確認を込めてそう尋ねる。同じ目線に立つ大魔術師のシェルならこの移動がどれだけ危険が伴うか分かってくれると思ったからだ。出来る事なら子供が付いて来る事を反対して欲しい。そんな小さな思いもあった。だがシェルはそれを跳ね除けるようにフンと鼻を鳴らした。
「大丈夫ですよ。二人共子供ですが実力もありますし、何よりアレンさんの子供ですから」
「……なにその自慢げな顔」
別に自分の子供という訳でもないのにシェルは誇らしげに腕を組みながらそう言って来る。それにアレンの子供だからなんだと言うのだ。確かにアレンは元冒険者であり、経験も多く積んでいる。だから子供もそれを習って魔物の対処の仕方も分かっているとでも言いたいのだろうか?ファルシアはそれを驕りだと判断する。いくら熟練の冒険者の子供と言えどまだ幼い少女達だ。彼女達にそれ程の力があるとは思えない。そこまで考えたところで、ファルシアは子供達の方に視線を向けてある事に気が付く。
(そう言えばあっちの黒髪の子……あの子の魔力よね。奇妙なのって)
前々から気になっていたこと、アレンの家から感じていた奇妙な魔力。恐らくその正体はあの子だ。ルナから感じられる魔力は通常とは違い、何か膜のようなもので押さえられているような感覚がある。恐らくそれは何らかの魔法で制御しているからなのだろう。
「ねぇ、ひょっとしてあんたあの子に魔法掛けてる?」
「え?……ああ、はい。ちょっとした補助魔法を」
試しにシェルに尋ねてみると案の定彼女は魔法を掛けていた事を明かす。
彼女は何てことないように答えてみせているが、内心ではルナの正体に気付いてしまうのではないだろうかとドキドキしていた。だがここで変な態度を取ってはならない。補助魔法を掛ける事は何も珍しい事じゃないし、魔力が不安定な子や病気持ちな子は補助魔法で体調を整える事もあるのだ。シェルは先程の表情を保ったまま話を続ける。
「ルナちゃんは普通の子より少し魔力が多くてまだ不安定なんです。だから魔力の調子を整える補助魔法を掛けてます」
僅かな不安の表れかシェルは自身の銀色の髪を弄りながらそう説明する。
嘘を言っている訳ではない。ルナの魔力が通常より多いのは事実だし、それを抑える為に補助魔法を掛けているのも本当である。少し魔力が不安定な子に補助魔法を掛けるというのはそう珍しい話ではない。理由付けとしては順当である。シェルは密かにアレンとこういう理由で通そうと話し合っていたのだ。
これで何とか通せるか?とシェルは気付かれないようにファルシアの方に視線を向ける。すると彼女はコクコクと顔を頷かせていた。
「ふ~ん、なるほどね」
幸いな事にファルシアはシェルのその説明で納得していた。彼女自身もそう言った事例は目にした事があり、経験した事もある。だからシェルが施した処置にも何ら疑問は抱かなかった。だが、彼女は頬に手を当てながらまだ疑問がありそうな表情で目を細め、子供達の事を観察する。
(それにしては何だか厳重に魔法を掛けてるけど……それだけ大きい魔力を持った子って事かしら?それに金髪の子の方も何だか妙な気配がするし……)
感覚だけでも他人が掛けている魔法がどのような物かは大体分かる。更に解析魔法を使えば詳しく調べる事も出来るが、今回ファルシアは感じただけでもルナに掛かっている魔法がそれなりに強力な魔法だという事を見抜いていた。別にシェルが入念に魔法を掛けただとか、アレンが厳重にとお願いしたとかだろうとは思うが、それでもリーシャの方にも疑問が残る。それはリーシャに集まっている小精霊達が原因なのだが、シェル程感知能力が高くないファルシアは何か気配を感じる程度しか分からなかった。故に彼女からすればリーシャとルナの印象は何だか不思議な子供達、と言った程度にしか抱かないのだ。
結局ファルシアが子供達の事について詮索するような事はせず、シェルの目論見通りとなった。そもそも下手な事をしなければ二人が勇者と魔王だなんて分かるはずがないのだ。後はリーシャとルナが慎重に行動してくれれば問題ない。そう考えてシェルはそっと胸を撫でおろす。
ファルシアもファルシアでこれ以上子供達の事をしつこく言うつもりはなかった。保護者の方が納得してるならばそれで良い。それにファルシアも依頼の報酬としてある本の解読を請け負う事となっている。報酬金は断り本の解読をお願いするとは変わってるとファルシアは思ったが、一応はこれで対等な関係で契約を結ぶ事になっている。こちらが子供達を気にする必要などないのだ。
それからしばらくすると村人達との会話を終えたアレンがファルシアの元へと戻って来た。ようやく別れの挨拶が済んだようだ。
「悪い悪い、待たせたな」
「いえ別に、構わないわよ。長旅になるでしょうし」
アレンは申し訳なさそうに謝るが、ファルシアも旅立ちの際の会話に水を差すような事はしない。今回の調査は規模がどれ程か分からない為、村に戻るのも遅くなる可能性もある。聞けば此処はアレンの故郷の村らしいので、しっかりと村人達に挨拶をしておくのは必要な事だろう。流石の彼女でもそれくらいの礼儀は弁えていた。
「本当に子供を連れて行くのね……まぁ全員が納得してるなら私は構わないけれど」
「ああ、悪いな。良い子達だから迷惑は掛けないよ」
「それは分かってるわよ。アレンさんの子供だから」
「ん?そうか?」
アレンの言葉に対してファルシアは先程シェルが言っていた言葉を使って答える。その言葉の意味が分からないアレンはとりあえず相槌を打っていたが、横ではシェルが何だか面白くなさそうな顔で二人の事を見ていた。それを見てファルシアはふっと鼻で笑う。
「それじゃあ、行きましょうか」
ファルシアはトンと杖で地面を突き、そう言葉を発する。準備は良いかどうかを聞いているのだ。ただしそれは荷物などの準備の事ではなく、心構えとしての準備の事だろう。実際アレンも久々の調査任務の為、少しだけ緊張している素振りがある。彼はそっと自身の腰にある剣の柄に手を添えた。
「ああ。リーシャとルナも大丈夫か?」
「うん、全然大丈夫。むしろすっごい楽しみ!」
「私も……大丈夫」
アレンが二人に聞いてみれば案の定元気な答えが返って来る。ルナはちょっと緊張しているようだが、それでも顔は笑っている。やはり街というものが楽しみなのだろう。それを見てアレンも笑みを零し、剣から手を離す。
シェルとも顔を合わせ、コクリと頷き合うと彼らは門の方へと身体を向ける。リーシャとルナにとってはその門はいつもよりも大きく見え、少し怖く感じた。普段森に遊びに行く時とは違って今回は遠出、それも以前西の村に行った時とは違って今回向かうのは街だからだろう。緊張で手が震えていた。二人は自然と手を結び、一緒に並んで歩いた。アレン達も歩き出して門を潜る。ふと後ろに視線を向けると、毎日見る村人達が手を振ってアレン達の事を見送っていた。
「気を付けてねー。拾い食いしちゃ駄目だからねー! リーシャ!」
「体調とかも気を付けてよー。風邪とか引かないように」
「土産よろしくなー! アレンー」
シファ、ダイ、ダン達がアレン達に大声でそう言う。シファは少し寂しげで目に涙が浮かんでいるような気がしたが、この距離ではリーシャとルナは気付く事が出来なかった。子供達は大きく手を振り、リーシャも負けじと手を振り返す。それに釣られてルナも小さいながらも手を振り返した。
「うんー! 行ってきまーす!」
「い、行ってきまーす」
リーシャはぴょんぴょんと元気よく飛び跳ねながらそう言い、大声を出すのが苦手なルナもリーシャには及ばないが大き目の声でそう言う。前ではアレンがそれを微笑みながら見つめ、村人達に手を振った。
こうしてアレン達の旅立ちは始まった。目指すは西の村の先にある〈渓谷の街〉。まだ見ぬ脅威の事など知らず、彼らは前へ進む。
最小限の明かりしか設置されていない薄暗い通路。数歩先は闇に包まれ、その先に何かが潜んでいそうな異様な雰囲気を漂わせている。そんな通路でベージュ色の髪をし、真っ黒なメイド服を着た少女が明かりも持たずに歩いていた。
シーラ・ドール。宰相秘書であり、レウィアの幼馴染でもある彼女。暗闇を歩く彼女の表情は光の加減の違いか、僅かに重苦しい雰囲気が漂っていた。
「…………」
冷たい廊下を歩く自身の足音を聞きながらシーラは進み続ける。
この通路を歩く時はいつも息が詰まりそうだ。軽い気持ちでこの廊下を歩く事は出来ない。それくらいシーラにとってこの場所は重要な所であり、先の目的地は神聖な場所なのである。
そんな事を考えながらしばらく歩き続けると、一つの扉の前へと辿り着いた。豪華な造りや装飾が施されている訳でもない至って普通の木製の扉。辺りの暗闇と相まって何だか恐ろしげにも思える。その扉の前でシーラは立ち止まり、一度深呼吸をすると気持ちを落ち着かせる。そしておもむろに口を開いた。
「報告致します……魔王候補のアラクネ様がまた一つ人間界の村を襲ったようです」
まるで誰かに語り掛けるような言葉。シーラの周りには誰も居ないというのに、彼女は扉に向かって語り掛けている。つまり居ると言う事だ、扉の奥に、部屋の中に誰かが。その人物に対してシーラは宰相秘書としての報告義務を行っているのだ。
「既に彼女は人間界で多くの村や街を滅ぼしています……このままでは、人間達がこちらの大陸に意識を向けて来る恐れもあるかと」
シーラは僅かに恐れを抱くように唇を噛み、扉の奥の人物に伝える。
今まで百年間、大きな衝突も起きずに過ごしていた魔族と人間だが、その間に完璧な隔たりが出来た訳ではない。何か一つ事件が起これば十分戦争が勃発する可能性はあるのだ。その長年保たれた均衡はアラクネによって崩されるかも知れない。それをシーラは恐れていた。だが、扉の奥からはそんなシーラとは対照的にクスリと笑う音が聞こえて来た。
「相変わらず派手な事をやるねぇ……アラクネちゃんは」
カラカラと笑いながら扉の奥から声が聞こえて来る。籠っていてよく分からないが、渋い男の声だ。彼は先程シーラが言った重大な報告を聞いたのにも関わらず、何ら問題視した様子のない口調であった。それに対してシーラが何か驚く様子もないところを見る限り、それがその男のいつもの態度なのだろう。
「何か対処はなされますか?」
「……いや、今の所はこのままで良いよ。その方が面白い」
このままアラクネを野放しにするのは不味いのではないかと思い、シーラはそう進言するが、扉の奥の人物は軽い口調でそれを拒絶する。その人物からすれば国を守ろうと事するよりも、せっかく面白くなってきている物語を台なしにしないようにする事が重要なのだ。
「それにどうせ、王同士が喰らい合ってくれるさ」
そう言って扉の奥の人物、宰相はシーラを下がらせる。これ以上用はないとでも言う様に。
自身の仕えるべき相手であり、正式な上司である人物にそう言われればシーラも大人しく下がるしかなく、そこで一礼してから立ち去った。今まで歩いて来た冷たい廊下を今度は反対方向に歩き、彼女は再び暗闇の中を進む。
宰相がアラクネを放っておけと言うならそれに従うしかない。国を任されている彼の発言は絶対であり、自身はそれに異を唱える必要などなく、そこに自分の意思を差し込む隙などない。自分に出来る事は精々、幼馴染の無事を祈る事くらいだ。シーラはそう悲しく心の中で呟いた。