96:勇者と魔王の本音
アレンが見知らぬ女性を連れて来たという事で村はちょっとした騒ぎになっていた。何せその女性ファルシアの容姿はこんな辺境の土地には似つかわしくない程美しく、着ている衣服も王都でしか手に入らないような上等な物だったからだ。目を惹くその姿に村人達は当然注目する。アレンにあれは誰なのか、どういう関係なのかと質問が殺到した。そのせいでアレンは森の異変の件をダンだけではなく村人全員に説明する羽目になった。
「おいアレン、お前シェルちゃんだけならずあんな美人さんとまで友達だったのか?」
「友達じゃなくて知り合いだって、ダン」
村の中の道を歩きながらアレンは質問ばかりして来るダンにうっとおしそうな視線を送りながら渋々答える。アレンの女性関係が気になっているダンはかなりしつこく、ファルシアの事について色々と聞き出そうとして来た。
「どこで知り合ったんだよ?ありゃかなり身分の高い人だぜ。高そうなネックレスとか付けてたもんな」
遠目ではあるが森に向かうファルシアを見ていた為、ダンは腕を組みながらそう言う。どこか羨ましそうな表情をしており、どうせ彼の事だから自分もそう言った高い買い物をしたいとでも思っているのだろう、とアレンは考えた。
「お前は相変わらずだな……気になるなら本人に聞いたらどうだ?」
「いやいやいや、無理だって。あんな美人に近づける訳ねぇだろ」
ダンは顔と手を左右に激しく振りながらアレンの提案を拒絶する。積極的な性格ではあるが自分がただの村人である事も自覚している為、ファルシアに近づく事は恐れ多いと思ったのだ。
「で、そのファルシアさんってのは何の用でお前のところに来たんだ?」
「まぁちょっとした用事だよ。少しだけこの村に滞在するらしい」
「ほー、じゃぁまたシェルちゃんの時みたいにお前の家に泊まるのか?」
「いや、村長の家の空き部屋を使わせてもらうって言ってたな」
流石にアレンの家にファルシアを泊めておける部屋はもうない。別にソファなり何なり寝れる場所があるが、家にはシェルが居る為、あまり仲が良いとは言えない二人を同じ場所に居させるのは良くないだろう。それにファルシアがこの村にしばらく滞在するのは蜘蛛型魔物の調査と、アレンに依頼を受けるかどうか考えさせる時間を与える為だ。それ程長い間滞在する訳ではない。
「とにかく彼女はお客さんなんだから、粗相のないようにしてくれよ」
「いや俺は犬か。そんな事しねーよ」
アレンが目を細めながらそう言うと、ダンは慌ててそれを否定する。雑な扱いに怒った様な素振りを見せるが、子供の頃からの付き合いの為、お互いそれが冗談だという事は分かっていた。
「それにしてもファルシアさんはシェルちゃんとは別の意味で美人だよなー。シェルちゃんは優しいお姉さんって感じだが、ファルシアさんは綺麗な大人の女性、みたいな?」
ダンは美人に目がない為、やたら感想のような物を伝えて来る。妻も子供も居る身なのに実に積極的な性格である。もっとも最終的には奥さんに知られて痛い目に遭うのだが。
「んで、実際のとこお前はどっちが好みなんだよ?」
急にダンはアレンの肩に腕を組みながらそう尋ねて来る。ここだけの内緒話とでも言いたげなウィンクにアレンは腹立たしく思い、げんなりとした表情を浮かべた。
「急に何の話だよ……」
「だから一緒になるんだったらどっちが良いかってことだよ。シェルちゃんはお前の事好いてるが、ファルシアさんとも古い付き合いなんだろ?」
「だから、付き合いって言っても仕事仲間なだけだって……」
ダンの言いたい事はアレンも分かっていた。自分に妻となる存在が居ない事を気にしてそんな話題を振って来ているのだろう。確かにリーシャとルナにずっと母親となる人物が居ないのは心配だが、今はシェルがお姉さん代わりのような感じで成り立っている。だからアレンはそんな話に応える気は毛頭なかった。
「それにお前も言った通りファルシアは身分の高い人だからな、そうそう近づけないさ」
アレンはダンの腕を振り払いながらそう言う。
冒険者として仕事をしていた時もファルシアは依頼を頼むだけだった為、むしろ立場的には上の人間であった。そもそも大魔術師という権限を持った人間の為、身分は本当に上なのだが。今でこそファルシアもアレンの事を尊敬して対等に話しているが、出会ったばかりの頃はかなり横暴な態度だった。
それからアレンはダンと別れると、家へと向かう道を歩いた。とりあえず考えなければならない事が多い。依頼の事、魔物の事、ファルシアはリーシャ達の正体を知られないようにする事……対策を考えなければならない事は山積みだ。いっその事ファルシアに打ち明けてしまえば楽になれるのだがとアレンは考えるが、どうせシェルが許してくれない事も分かっていた。
「さぁて、どうしたものかな……」
アレンは困ったように空を見上げる。自分の今の心境とは真逆なくらい真っ青で、雲一つない空。とてもこの世界が大量の魔物達によって危機に直面しているとは思えない。そんな事を考えながらアレンが目的地の近くまで辿り着くと、家の前にリーシャとルナが居る事に気が付いた。外遊びでもしていたのか、地面では遊ぶ時に使うけまりが転がっている。
「あ、父さんお帰りなさーい!」
「お帰りなさい、お父さん」
リーシャとルナはアレンの事に気が付くとパタパタと可愛らしい足音を立てながら飛び込んで来る。アレンはそれを笑いながら受け止めて見せた。
「ただいま、リーシャ、ルナ。外遊びしてたのか?」
「うん! ルナが体力づくりしたいって言うから」
リーシャがそう説明するとルナは少し恥ずかしそうな顔をし、前髪を弄って表情を誤魔化した。あまり知られたくなかった事なのかも知れない。僅かに頬を赤くし、リーシャの後ろに隠れるように移動していた。
「いや、えっと、その……最近あまり動いてなかったから」
何か気にしてる事でもあるのか、ルナははぐらかすようにそう言った。その仕草にアレンは疑問を抱いたが、別に深刻な悩みという訳でもなさそうなのでそっとしておく事にした。
それから三人は家の中に入り、アレンは荷物を置いてからソファでくつろぐ事にした。シェルは今工房で研究中らしく、姿は見当たらない。横ではリーシャとルナがソファにひじ掛けにもたれ掛かりながらアレンにくっ付いていた。
「ねー父さん、依頼のお話ってどうするのー?」
ふとひじ掛けの上に乗り掛かるようにしてふざけていたリーシャがそんな事を尋ねる。やはり子供達も気になるらしく、横ではルナも視線だけ向けて話に耳を傾けていた。
「んー、まだ決めかねてるかな」
アレンはソファのクッションに頭を乗せながらそう答える。
いかんせん難しい依頼の為、慎重に考えてしまう。冒険者を引退した自分に本当に対処可能なのか分からないし、シェルの言う通り危険も多い。ファルシアは考える時間を与えてくれたが、出来るだけ早く答えを出した方が良いだろう。そんな事を考えながらアレンは悩みつかれたようにため息を零した。
「そもそもどういう依頼なの?何かの魔物の調査をするってことだけ聞いたけど……」
「ああ、それなぁ……」
話を聞いていたルナも身を乗り出し、アレンにそう尋ねた。
子供達はシェルからも話を聞いた為ある程度依頼の内容は知っているが、依頼書自体を見たのはアレンだけの為、詳しい内容や目的を知らないのだ。
アレンはううんと声を漏らして迷うように自身の髭を弄る。本当は依頼書の内容が拡散するような事は避けるべきなのか、ルナなら勝手に友達に話すような事はしないし、リーシャもあれで慎重なところがある為、多分大丈夫だろうと考えた。
「ある村の調査をしないといけないんだ。その魔物と関係があるらしくてさ。だから一度西の村の先にある街に行くよう指示されてる」
アレンは依頼書に書かれていた最初の目標を簡潔に説明する。村や街で住人が消えているという事は伏せたまま、出来るだけ子供達が不安にならないよう配慮した。すると街という言葉にリーシャがピクリと反応示す。
「えー! 父さん街行くの?良いなー良いなー、私も行きたい!」
「あのなぁ……遊びに行く訳じゃないんだぞ?あくまでも調査中の拠点としてそこの宿に泊まるだけなんだから」
急にソファの上に飛び乗り、リーシャはアレンへと詰め寄って来た。
どうやらよっぽど街へ行くのが羨ましいらしい。リーシャ達もようやく外の世界へ行く覚悟が出来た為、急に強い憧れを抱くようになったのだろう。現に横でルナも気になっているようにそわそわとした態度を取っている。だがアレンは別に街自体に用事がある訳ではなく、寝床代わりとしてその街に滞在するだけである。その為リーシャ達が思っているような観光や街を楽しむような事は出来ないだろう。そう思ってそれを説明しようと思ったが、一度も街という大きな場所に行った事がないリーシャとルナからすれば行けるだけでも嬉しい事のようなので、あまり意味がなかった。
「父さん、私達も連れてってよー」
「だから、遊び目的じゃないんだって。それに行けたとしても俺は調査があるから二人と一緒に居れないぞ?」
張り付くように寄って来るリーシャの頭を撫でてやりながらアレンはそう弁解する。
実際はアレンも二人に街を見せてあげたいとは思っている。村とは違って大きな所だし、そういう場所にしかない華やかなお店等がある。リーシャが憧れる冒険者だって居るし、ルナが憧れる魔術師も居る。そういうのを見て自分の世界を広げて欲しいと思っている。だが流石に今回は首を縦に触れない理由があった。
「それに多分ファルシアも付いて来る。今回あいつ成果を持ち帰らないといけないらしいから、調査にも同行するってさ」
「えっ、そうなの?」
ファルシアが付いて来るという事を知るとリーシャは見るからに嫌そうに表情を歪ませた。正体を知られてはならない人物が同行すると言うなら、当然嫌がるに決まっている。リーシャは約束をしていた訳でもないのに急に約束を破られた子供のように落ち込んだ表情をした。
「やだー、私も行きたい。ルナもそう思うでしょ?」
「え、あ……う、うん」
バタバタと手を動かして不満を訴えるリーシャはルナにそう尋ねる。すると急に質問を向けられたルナは戸惑ったように口ごもっていたが、やがてゆっくりと顔を頷かせて自分の本音を口にした。
(ひょっとしたらその事件……エレンケルの言ってた魔王候補と関係あるかも知れないし……)
ルナの場合、外に行きたいという欲求はもう一つ理由があった。それは自分を狙っているかも知れない魔王候補の存在。その存在がルナの不安を煽っているのだ。竜と同等の力を持つ存在がこの大陸に居るのだとすればなんとかしたい。それはルナが自身が魔王である理由と、責任だと感じていた。
「うーん、と言ってもなぁ……」
優しい性格のアレンも突っぱねる事が出来ず、困ったように腕を組んで顔を傾ける。
そんな時、玄関の方から扉が開く音が聞こえて来た。どうやらシェルが工房から戻って来たらしい。パタパタと足跡を立てながらリビングの角からシェルが顔を出し、アレン達の事を発見する。
「あ、先生戻ってたんですね。お帰りなさい」
「ああ、シェル。研究ご苦労様」
律儀にペコリをお辞儀をしてシェルも羽織っていたフードを脱ぎ、洋服掛けに掛けながらリビングの中を移動する。
「何かお話されてたんですか?なんか……リーシャちゃんが不満そうな顔してますけど」
「ぶー……」
「いやまぁ、ちょっとな……二人が依頼のやつで付いて行きたいって言うんだ。街を見たいから」
「ああ、なるほど」
リーシャの異変に気が付いて疑問に思ったシェルは質問をし、アレンはそれに簡潔に答える。そしてそれだけで合点行ったようにシェルは頷き、少しだけ面白そうにクスリと笑みを零した。
「ねー、シェルさん行っても良いでしょー?ルナに掛けてる補助魔法の事だったらシェルさんも付いて行けば良いじゃんー!」
ガバッとソファから起き上がり、シェルに抱き着く勢いで身を乗り出しながらリーシャはそうお願いする。シェルもやれやれと言った感じでリーシャを受け止め、慰めるように彼女の頭を撫でた。
「ええぇ……確かに行くんだったら先生一人だけじゃ不安だし、同行したいとは思ってたけど、だからって全員行くのは……」
どうやらシェル自身も同行の意思はあったらしく、どこか悩むようにチラチラとアレンの方に視線を向けていた。アレン自身もシェルが要れば安心だなと楽観的な考え方をする。どうして彼女が同行したいと思っているかの事など考えずに。
「まぁリーシャの言う通りシェルが居てくれれば安心だな……だけど問題はファルシアだろう。流石に一緒に行動していれば正体がバレちゃうんじゃないか?」
「うっ、それは……」
アレンが指摘をするとリーシャはシェルの腕の中でギクリと表情を固まらせる。そこは突かれたくないところだったらしい。大方リーシャ自身は勢いでなんとかなるだろうと思っていたのだろう。
「リーシャとルナは、本気で街に行きたいのか?」
ふとアレンは姿勢を直し、リーシャとルナの事を見ながら真剣な表情でそう尋ねた。彼女達がどれくらい本気で、そして現状を理解しているのかを確認する為に。その言葉を聞いてリーシャも一度シェルから離れ、床に立ってアレンの方に顔を向ける。ルナも同じように真面目な顔つきでアレンの事を見た。
「うん、行きたいよ。街がどんな所なのか見てみたい」
「私も……行きたい。色々なものを見て、体験したい」
二人は迷う事なくそう答えて見せる。リーシャの場合は本気で、ルナの場合はその魔物の事も気になっている為、様子を見に行きたいのだろう。アレンはその答えを聞き届け、満足そうに頷く。するとシェルが間に入るように口を開いた。
「だったらリーシャちゃんとルナちゃんはなるべく力を使わないようにして。リーシャちゃんは小精霊を操ったりしないよう、ルナちゃんは魔法を使わないよう……約束出来る?」
「もちろん。それくらい簡単だよ!」
「約束する……」
リーシャの場合は精霊の女王の力や妖精王の力を使う事が出来ず。それを極力見せないようにすればファルシアに悟られる事もないだろう。ルナも大人しくさえしていれば魔力だけ少しおかしいと思われる程度である。それならば魔王とイメージが直結する事はないはずである。
行けるかも知れないと分かると急にリーシャは元気になり、飛び跳ねながらルナとじゃれ合う。その光景をアレンとシェルは微笑ましそうに眺めていた。
「これで大丈夫ですかね?先生」
「さぁ、どうだろな……まぁもしもの時は何とかするさ」
シェルはまだ不安を覚えていたが、アレンは喜んでいる子供達を見て少しだけ前向きになれていた。何より街を見せてあげたいという気持ちが膨れ上がっていたのだ。アレンは喜んでいる二人を見ながらソファのクッションに沈むように身体を預けた。