95:浸食する影
「父さん父さん! あの人誰?! 随分と綺麗な人だったね?」
ファルシアが出て行った後、リーシャとルナは部屋から飛び出してアレンに彼女の事を問い詰めていた。アレンの周りをぴょんぴょんと跳び回り、まるでその姿は仔犬のよう。よっぽどアレンが見知らぬ女性を連れて来た事が気になっているようである。隣ではルナもリーシャ程とはいかないものの、気になっている事を主張するようにアレンの服の袖を握り締めていた。
「なんか親し気だったけど……昔仲良かったりしたの?」
「いやいや、ただの古い仕事仲間だよ。冒険者だった頃依頼を受けてたんだ」
話し声だけだが会話を聞いていたルナは目を細めながらアレンにそう尋ねた。やはり子供だと父親が知らない女性と仲良さげに喋っていると思う所があるらしい。かつてのシェルが来た時もルナはそう言った感情を抱いていた。子供らしい嫉妬心というやつだろう。するとソファに座ってアレンと子供達の様子を眺めていたシェルがおもむろに口を開く。
「彼女の名はファルシア。国王に仕える預言者で、私と同じ大魔術師の称号を持つ〈青の大魔術師〉だよ」
「……大魔術師……!」
大魔術師という言葉を聞いてルナは反応を示す。
魔法好きの彼女にとって憧れのようなものであり、自分の出自の事情上目指す事は出来ないがそれに近い感情は抱いていた。だからこそルナはシェルに色々魔法を教わっているし、懐いている。そんな人物がもう一人現れたという事に複雑な感情を抱いていた。大魔術師となれば色々聞きたい事もあるが、シェルのように正体を気付かれる可能性があるからだ。それも国王に仕えている人物ともなれば、ルナにとって天敵である。
「えー、それってまずくない?私とルナの正体気付かれちゃうじゃん」
リーシャもその事に気が付き、相変わらず明るい表情を浮かべながらも警戒するようにそう言う。特にリーシャの場合は魔法で隠すような事もしていない為、預言者である彼女は何かで気付く可能性もある。
「そう。多分ルナちゃんの存在には気付いていないけど、魔力の違和感ぐらいは感じてると思う……リーシャちゃんの場合は小精霊が集まってるから、変だなとは思ってるかも」
シェルの掛けた魔法はルナの魔力を完全に隠すものではない。ましてや大魔術師となればその補助魔法の存在にすら気付くだろう。リーシャの方も近くに居る小精霊達で普通の子ではないという事はいずれ知られてしまう。
「いずれにせよリーシャちゃん達を彼女に近づかせるのは危険です。私と違ってあの人は確実に秘密にしてくれませんよ」
「う~ん……まあなぁ」
シェルのような比較的自由な大魔術師と違い、ファルシアは国王に仕える真面目な大魔術師である。忠誠心も高く、王都と魔術師協会の橋渡し役としても責任感が強い。そんな彼女がリーシャ達の正体に気が付き、それを隠匿するなどあり得ない。むしろアレンとシェルを罰するよう国王に掛け合う可能性の方が高いだろう。シェルがその事を伝え、注意を促す。だがアレンは何かを迷うように首を捻った。
「ファルシアなら黙っててくれないかな。ああ見えてあいつ物分かりの良い所があるから」
「先生……そんな事言ってる余裕ありませんよ。あの人に知られたら全部おしまいなんですから」
アレンのマイペースな発言にシェルは若干呆れたように意見を言う。
アレンの場合は馴染みのある知り合いである事からファルシアの事をあまり警戒してないが、今彼らが立たされている状況は中々崖っぷちである。ファルシアが子供達の正体に気が付けば当然国王に報告され、あっという間にリーシャは連れて行かれ、ルナは追いまわされる事となるだろう。勇者と魔王は本来それだけ重要な存在なのだ。
「依頼の方も私は反対です。先生の実力を疑っている訳ではありませんが、危険が大きい事には変わりありません。行かない方が良いです」
更にシェルは依頼の事についても意見を言う。
かつては冒険者だった彼女も個人で依頼を受けた事はある為、情報がどれだけ重要か理解している。依頼の内容で目標やどれだけ危険があるか、その情報の量で難易度は大きく変わるのだ。少なくとも今回の依頼は個人に頼むにはあまりにも規模が大きすぎる。白の大魔術師であるシェルはそう判断した。
「え、依頼ってなんのこと?」
「あの女の人がお父さんにお願い事をしに来たの……」
会話の内容を知らないリーシャはそう言って疑問そうな顔をする。すると会話を聞いていたルナはリーシャに耳打ちし、その内容を教えて上げた。
するとアレンはまた悩むように腕を組んでシェルの意見に同意しようとしなかった。
「う~ん、だが現に森にもその蜘蛛型魔物が現れてるからなぁ。この事態を解決する方法が見つかるかも知れないなら、俺もやれる事はしたいんだよ」
アレンは椅子に座り、背もたれの所に肘を置いて顎を乗せながらそう言う。
正義感という訳ではなく、自分達の村に危機が迫っているのだ。ならばこの村に住まう者としてその危機を退ける必要がある。その機会が与えられるというのならば、断る理由はないだろう。
「とにかく、リーシャとルナはファルシアに見つからないようにしてくれ。俺も出来るだけ気付かれないようにするから」
「うん、分かった」
「はい、お父さん……」
すぐに結論を出す事は出来ず、ひとまずアレンは子供達に注意を促す事だけした。
何にせよ依頼どうこうの前に二人の正体が知られればそれ所ではなくなるのだ。アレンは複雑なこの状況に頭を悩ませ、歳を取った者らしい大きいため息を零した。
◇
村の道を歩き、ファルシアは真っすぐ森の方へと向かう。時折家から出て来た村人達が見知らぬファルシアの事を気になるような視線を向けるが、彼女は全くそれに反応を示さず、黙って歩き続ける。そして門を抜けると森の中に入り、先程アレンと出会った場所まで移動するとそこで足を止めた。ふと彼女は足元にある粘液のような物を見つけ、腰を下ろしてそれを観察する。
「やっぱり……まだ居るわね」
躊躇なくその液体を指で触り、それが自分の想像していたものと同じだと確信すると彼女は忌々しそうに呟く。
これは先程倒した蜘蛛型魔物の粘液だ。だがファルシアは、一気にまとめて始末した蜘蛛を全て綺麗に掃除した。このような物が残る訳がない。同族が死んだ事に気が付き、この場所を確認しに来た別の蜘蛛達が居たという事だ。
(この分だともう何匹か徘徊してるか……ったく、面倒臭い)
昆虫型魔物は一匹逃すと始末が悪い。この蜘蛛がどういう生態をしているかまだ判明していない為、確かな事は言えないが、もしも大量の子供を産むような魔物だったら大変な事になる。元から大量の魔物が発生しているのだ。これ以上増えたとなればこの山などあっという間に飲み込まれてしまう。だからこそファルシアは再びこの場所に現れたのである。
そんな彼女は立ち上がると水魔法で水の球体を宙に作り上げ、そこに手を入れて指に付いた粘液を洗い落とす。自分の指に付いている緑色の液体を見てファルシアは気持ち悪そうに表情を歪ませる。
「それにしても、アレンさんの家から妙な気配を感じたけど……あれは一体何だったのかしら?」
ふとファルシアは杖を肩に乗せながらアレンの家で覚えた違和感の事を思い出す。
依頼の話が最優先だった為詮索するような事はしなかったが、あの家のどこからか妙な魔力が流れていた。常人では気付けないし、ファルシアも意識しなければ見抜けないくらいの僅かなズレ。恐らくは何らかの魔法で何かを抑えているのだろう。だから魔力の流れがおかしいのだ。
「でもシェルリアの奴がそれに気づかない訳がない。って事は彼女の研究か何かか?……でもあの気配は……」
一瞬ファルシアはシェルがアレンの家の横に工房を建てていると聞いた為、その研究の魔法か何かの気配かと答えを出す。だが不意に口元に手を当て、その答えに自ら首を横に振る。
あの気配は研究用の魔法や何かではない。もっと単純な物……人から発せられる魔力だ。それを抑えるような形で魔法が掛けられているから、違和感を覚えたのだ。ならば何故そのような事をしているのか?ファルシアは疑問に思ったが、やがて杖を降ろし、小さくため息を吐く。
「ま、今はそんな事どうでもいいか……後で聞いてみましょ」
どうせ今考えた所で答えは出ないし、今の自分にはそんな事を気にしている暇はない。そう考えた彼女は杖を握り締め、杖の先で二度地面を叩いた。
◇
ある地域にある小さな村。そこは緑豊かな大地な事から動物達が多く住みついており、その村はその動物と共存し合う形で存在していた。子供達は動物に触れ合いながらその自然で育ち、大人達も動物と協力しながら時に大雨や大地震から村を守り、過ごして行った。だが今ではその村は人の気配などなく、動物達すら居なくなっていた。そんな場所に、一人布切れのようなマントとフードを被った少女が降り立つ。
「…………」
その少女は幽鬼を思わすかのように静かで、汚らしいマントを羽織っている事から本当に幽霊かと見間違うかのような存在感の薄さだった。だがそんな彼女の瞳には強い意思が込められている。戸惑いと、激しい怒りが。
少女は村に並んでいる家を一軒一軒中を確認していく。奇妙なのが、その家は扉が開けっ放しになっていたり、不用心に窓が開いている所があった。それなのに中が荒らされた様子はなく、何か異変があった形跡もない。まるでちょっと急ぎの用事が出来たので家をそのままにして出て行ったかのような、それくらい普通の状況。だが少女はその様子に不満を抱くかのように眉にしわを寄せ、フードを脱ぐ。すると真っ黒な長い髪を垂らした美しい少女の顔が現れた。
「……ッ、アラクネの奴……見境なしか」
魔族の少女レウィアは唇に跡が出来る程強く歯で噛み、ぶつける先のない怒りの言葉を静かに零す。彼女の漆黒の瞳が辛そうに揺れていた。
親友のシーラの力を借り、レウィアはようやく人間の大陸へと辿り着いた。まず彼女がすべき事はアラクネの捜索。ルナを探した時のように魔物を放つのも良いが、今回はそれをする必要はなかった。痕跡は向こうが嫌という程残してくれたからだ。彼女は遠くを見つめ、歯ぎしりをする。
「大分巣を張ってる……早く手を打たないと……」
アラクネの侵攻が予想よりも早い為、レウィアは焦りを覚えた。
いくら魔王候補と言えど常識はあると思っていたのだ。魔族が人間の大陸を襲うという事は国同士の対立に繋がる。百年前の大陸戦争で一時は大規模な争いはなくなったが、何か問題が起きればすぐに魔族と人間は戦争状態になる。そうなれば敗北するのは確実に統率の取れていない魔族の方だろう。何せ王が居ないのだ。内輪揉めしている魔族達は自分達から滅びの道を突き進む。
アラクネは一体何が目的で人間の大陸に侵入したのだろうか?魔王であるルナの存在に気付いたのか?それともただ破壊がしたいだけなのか?もしも後者だとすればたちが悪い。現在の魔族達は己達の国の現状よりも自身の欲望を優先する異常者達へとなり果ててしまったという事だ。それとも、それが本来の正しい魔族と言うべきなのだろうか?……レウィアは一瞬そんな事を考えたが、すぐにそれを振り払った。出来る事なら自分はそんな強欲な種族ではないと信じたかったからだ。
いずれにせよレウィアが取る行動は一つである。アラクネの目的が何であろうと関係ない。彼女の行為は国を危険に晒す許されない行為。自分も人間の大陸に侵入した事は罪であるが、それはアラクネを捕まえてしまえばどうとでも理由を作れる。そして何より、レウィアには一番守らなければならない存在があった。
「……ルナ」
レウィアにとって絶対に守らなければならない存在。その名を呟き、彼女は拳を力強く握り締める。
国の事も大切だが、彼女にはそれと同じくらい大切なものがある。もしもそれが傷つけられた時には、レウィアは自分が冷静ではいられなくなるだろうと確信が持てた。故に必ずアラクネを捕まえると改めて自身に誓い、彼女は走り出した。まずは痕跡を追う。その先にきっとおぞましい蜘蛛達の親玉……黒緋の蜘蛛が居るだろう。