94:馴染みの依頼
「どうルナ?何か見える~?」
「んー……もうちょっと右かなぁ。少し横にずれて」
子供部屋ではリーシャとルナがとある共同作業を行っていた。それは壁際でリーシャがルナを肩車して持ち上げ、壁に寄り掛かるというちょっと不思議な作業であった。端から見れば何をしているのだろうと思われるだろう。
「あー、やっぱり話し声くらいしか聞こえないよ。こんな小さな穴からじゃ」
そう言ってルナは寄り掛かっていた壁から顔を離し、自分の目の前にある小さな穴を指差す。壁の木目に丁度隙間のように出来ている穴。二人はこの穴からアレン達の様子を探ろうと伺っていたのだ。
この穴は少し前に存在に気が付いた物で、普段は本棚に隠れていて見えない。リーシャ達が掃除をしている時にこの穴に気が付き、それ以来時々遊び半分でこの穴から覗いて外の廊下の様子を伺ったりしていたのだ。
今回もその要領で訪問者の情報を少しでも得ようと思ったのだが、生憎アレン達はリビングで話している。穴からは精々廊下の端が見えるくらいである。
「でも少しくらいは分かったんでしょ?」
「うん、話からしてお客さんはお父さんの知り合いみたい。それにシェルさんとも」
「へー、両方との知り合いかぁ。どういう人なんだろ」
アレンが連れて来た女性。二人は窓越しにか見なかった為、どういう顔をしていたかも分からないその女性の事を思い浮かべる。服装は確か青いローブ、僅かに杖のような物を所持しているのも見えた。そこから何となく二人も彼女が魔法使いなのだろうと予想出来た。
「ルナは何か感じた?魔力とかで調べる事とか出来るんでしょ?」
ふとリーシャは顔を上げ、ルナを肩車した状態のままそう尋ねる。
ルナやシェルのような魔術師ならば魔力を感じ取って相手の力量をある程度測る事が出来る。特に魔王のルナなら何か気付いた事があるのではと思い、そう質問してみたのだ。
「んー……何となくだけど、凄腕の魔術師なんだと思う……あんまり探るとこっちも気づかれちゃうから、深くは探ってないけど」
ルナの方は口元に指を当て、考えるように顔を傾けながら答える。片方が持ち上げ、もう片方は持ち上げられたまま会話するというのは何気に凄い構図である。
ルナも女性が家の近くに来ていた時からその気配には気付いていた。魔力はどんなに隠そうとしても完全には隠せないものであり、感知能力の高い者ならすぐに察知する事が出来る。ルナもある程度感知能力は高い為、気付かれない程度に女性の魔力を探っていたのだ。
女性の魔力はきちんと抑えられていた為、その全貌を把握する事は出来なかったが、少なくとも抑えなくてはならない程強大な魔力を持っている事は事実である。だとすれば相当腕のある魔術師か、魔力に馴染みのある種族なのだろうとルナは予測した。
「って事はそれがシェルさんの言ってた部屋を出ちゃ駄目っていうのと関係あるのかな?」
「うん、かも知れないね……シェルさんみたいに私の魔力に気付ける人なのかも」
二人は顔を見合わせてそう言い合う。
あの女性を見た時シェルはすぐさま部屋に入っているようにと指示をした。それは恐らくあの女性に自分達の正体を知られないようにと配慮したからだろう。そうリーシャとルナは同じ推測を立てる。
「今はシェルさんに色々補助魔法を掛けてもらってるから安定してるけど、多分違和感くらいは感じてると思う……」
以前掛けてもらったルナの魔力を抑える補助魔法。これらによってルナの膨大な魔力は安定し、外部にも影響を与えない程に抑えられている。しかし実力の高い魔術師ならばその補助魔法の存在に気が付き、そして魔法を掛けられているルナの魔力の僅かな違和感に気付けるだろう。もしもあの女性がそれに気が付き、詮索して来るような事があれば大変である。ルナは自然と胸元で手を握り絞めた。その仕草にリーシャは気が付き、瞬きをする。
「そっかぁ、じゃぁシェルさんの言う通りしばらくここに居た方が良さそうだね」
「うん、大人しくしてよう。何かあったら教えてくれるだろうし」
ようやくリーシャはルナを降ろし、そう結論を出す。ルナも床に着地すると振り返って頷き、壁を触っていた時に手に付いた埃を払った。
ずっと隠れている事は無理だろうが、下手に表に出て正体を悟られるよりは大人しく隠れていた方が良い。呼ばれる事があればその時はその時だし、シェルが何らかの弁護はしてくれるはずである。なるべく前向きにそう考え、リーシャとルナは部屋で本でも読みながら暇を潰す事にした。
◇
「いやぁ、それにしても本当に久しぶりだな、ファルシア。最後に会ったのはゴーレム掃討作戦の時以来だっけか?」
「ええ、そうね。あの時は北の砦で大量のゴーレムが出現したから本当に大変だったわ」
テーブルの上に置かれたお茶を時折口にしながらアレンはファルシアとの昔話に華を咲かせていた。ファルシアは向かい側の席に座り、アレンと同じように出されたお茶を両手で包むように持ちながら会話をしている。ファルシアの方もアレンと懐かしい話が出来る事に多少は嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「どうぞ、お茶のお代わりです」
「あら、どうも有難う」
その様子を不満げに目を細めて眺めていたシェルはお茶の入ったポットを傾け、ファルシアの茶碗にお茶を注ぐ。明らかに不機嫌な様子のシェルをファルシアは華麗に流し、余裕の態度でお茶のお代わりを受け取り、お礼を言う。そしてポットをテーブルの中心に置くと、シェルはアレンの隣の席に腰を下ろした。すると、ファルシアはお茶を一口飲んだ後、おもむろに口を開いた。
「ところでアレンさん、お子さんが居るって言ってたわよね?」
家に来るまでの間にアレンとの会話で子供が居るという話を聞いた為、ファルシアはその事を覚えていたのだ。一方で彼女の言葉を聞いたシェルは怯えるようにビクリと肩を震わせた。
「ああ、リーシャとルナって言うんだ。今は二人共子供部屋に居る」
「ちょ、ちょっと良いですか?先生……!」
アレンは隠す訳でもなく堂々と二人の事を教えた。横ではシェルがドキドキとしていたがシェルは流石に不味いと思ったのか、アレンを服を引っ張って小声で耳打ちした。
「二人の事を教えるのは不味いですよ……彼女は国王に仕える預言者でもあります。もしも二人の正体が知られれば大変な騒ぎに……」
「ああ、それもそうだったな……」
シェルに言われてアレンも事の重大性を思い出す。いかんせんファルシアとは古い付き合いの為、そこまで警戒心を抱けなかったのだ。だがよくよく考えれば彼女は国王に仕える預言者。つまり勇者の誕生を預言した張本人である。そんな彼女がリーシャとルナの正体に気が付けば、例えアレンとは知り合いと言えど何らかの対処はしなければならないだろう。
アレンは改めて気を引き締め直す。すると意外にもファルシアは子供達の事を詮索するような事はしてこなかった。
「そう……部屋に居るのなら都合が良いわ。丁度仕事の話がしたいと思っていたから」
手にしていた茶碗をテーブルの上に置き、ファルシアはそんな事を言い出す。その言葉にアレンは反応を示した。
「仕事の話?」
「ええ、アレンさんも知りたがってたでしょ?例の蜘蛛型の魔物……あれが今少し、面倒な事になってるのよ」
急にファルシアの先程の緩かった雰囲気が変わり、どこか疲れが混じった声色で説明を始める。耳に掛かっていた髪を払い、困ったでも言いたげな表情を浮かべていた。
「最近魔物が大量発生する現象が起きててね……まぁこれだけならまだ珍しい話じゃないわ。でもね、その魔物が蜘蛛型だけ、なのよ」
魔物が大量発生する現象は八年前から起きている。これの原因は未だ解明されていないが、発生する事さえ分かっていればそこまで脅威ではない。所詮は自然現象である為、ある程度の対策を整えておけば対処は出来る。故にアレンも最初ファルシアの話を聞いた時わざわざ大魔術師である彼女が持ってくる話ではないと思った。しかし蜘蛛型魔物だけという言葉に反応し、眉を潜ませる。
「蜘蛛型だけ……?さっき森で出くわした奴か?」
「そうよ。あのまだら模様の気味の悪い蜘蛛……あの魔物だけがどういう訳か大量発生しているの」
「それは、なんとも妙だな」
アレン達が遭遇した蜘蛛型の魔物は今まで見たこともない種類の魔物であった。恐らくは新種か突然変異種、そう言った魔物なのだろう。だがそのような種類ならば大量発生するのはおかしい。数が多いとしてもここまで甚大な被害を及ぼす程の数にはならないはずだ。
「しかも問題はそれだけじゃないわ。幾つかの村や街で、住人が一人残らず消えるっていう事件が起こってる……原因もまだ分かってない」
「おいおい……それはかなりの大事件じゃないか?」
さらっと重大な事がファルシアの口から言われ、アレンは遅れて反応する。
村や街で住人が居なくなるというのはかなり異常な現象だ。せめて魔物に襲われたなり何なりの原因が分かっているなら良いが、これでは住人達に何が起こったのか分からない。
アレンはこの気味悪すぎる事件に違和感を覚える。隣ではシェルも先程の不機嫌な態度を止め、真剣な表情で話を聞いていた。
「私はこの事件と魔物の大量発生は何か関係があると思ってるわ……でもウチの兵士達は討伐任務で忙しくてね。ちっとも調査が進まないのよ」
ファルシアは顎に手を置き、手ぶりで自分の思ったように事が進まない事に不満を述べた。
どうやら王国側も人員には限りがあるらしく、なおかつ大量発生している魔物の対処で精一杯らしい。これでは動こうにも動けない。ファルシアは静かに、だが不満を込めるように強く拳を握った。
「だから私は此処に来た。アレンさん、貴方にこの調査の依頼をお願いしにね」
そう言ってファルシアは懐から紙束を取り出すと、それをテーブルの上に置いた。そこにはアレンに対しての正式な依頼書。及びその依頼についての詳細が記載されていた。つまり冒険者の頃に使っていた依頼書と同じ物という事だ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
アレンがその書類に手を伸ばした時、突如椅子からシェルが立ち上がり、制止の声を上げた。それを聞いてアレンも思わず伸ばしていた手を止め、ファルシアもシェルの方に視線を向ける。
「いくら何でも情報が少な過ぎます……! 原因も分かってないのにそんな調査を命じるなんて、危険が多すぎる。」
シェルの言い分は要するにアレンの身を案じているものであった。調査部隊などがあるならともかく、これはアレンに対しての個人的な依頼。つまり調査の殆どはアレン一人で行うのである。しかも今回の調査は原因が殆ど分かっていない為、どのような危険があるのかも分からない。最悪その大量の蜘蛛型の魔物に襲われ、命を落とす事もあり得る。
シェルの言葉を聞き、ファルシアは何か反論する訳でもなく静かに息を吐く。彼女の言い分は最もであり、ファルシアはそれを否定するつもりはないからだ。
「ええ、確かにそうね。だから断ってもらっても構わないわ。アレンさんはもう冒険者じゃないみたいだし、今回私は昔の付き合いとして尋ねてみただけ……だから強制するつもりはない」
ファルシアだってアレンが既に冒険者ではない事を承知していた。故に昔のように気軽に依頼をお願い出来る関係ではない事も理解していた。だから断られても仕方がない。その時は諦めて大人しく帰ろうと思っていた。そんな可能性があるのにも関わらず彼女がこんな辺境の土地に来たのは、それだけアレンの事を信頼していたからだ。
アレンはただ黙ったまま、テーブルの上に置かれている資料を眺めている。
「別に、まだ時間はあるわ。私も森の方を見回って来るから、考えてもらえるかしら?」
「ああ……時間をくれるなら有難い」
そう言うとファルシアは椅子から立ち上がり、壁に立て掛けてあった杖を手に取ると玄関へと向かって行った。その姿をシェルは見送り、扉が閉まる音を聞くとアレンの方へと振り返る。アレンは立ち上がり、依頼書を手に取って数枚めくりながら中を確認していた。
「……どうなされるつもりですか?先生」
「う~ん……そうだなぁ」
受けるつもりなのか断るつもりなのか、シェルは尋ねる。しかしアレンは悩むように自身の髭を弄り、唸るという返事をした。どうやらアレン自身も微妙なところらしい。
「この村に例の蜘蛛型の魔物が出た以上、無視出来ない話だし……俺もファルシアには頼みたい事があるからなぁ」
そう言ってアレンは依頼書を全て確認し終わると、天井を見上げた。彼の頭の中には例の黒い本の事が思い浮かぶ。あれの解読を丁度お願いしようと思っていた所だ。利用しない手はない。だが果たして、この依頼が自分の手に余るものなのかどうか、それを判断出来ずにいた。
「……少し、考えてみる」
アレンはひとまず時間が与えられた事からそう答え、依頼書を手に持ったまま自分の部屋へと向かう。シェルはそれに対して何か言うような事はせず、分かりましたとだけ答えて茶碗の片付けを始めた。
窓の外では木の葉が揺れ、冷たい風が吹いている。空は白い雲に覆われ、色を失っていた。