93:相容れぬ二人
アレンは思わず自分の目を疑った。それくらい自分の目の前に現れた女性は予想外の人物だったのだ。
こんな辺境の山には似つかわしくないくらい美しい容姿に、記憶に残っている通り海のように深い青色の瞳を持つ女性。かつて見た時と同じ、綺麗な瞳。アレンは少し緊張しながらも手を上げ、口を開いた。
「ひ、久しぶりだな……ファルシア」
「ええ……本当に」
数年振りの再会であるのにも関わらずアレンは軽い挨拶をするようにそう声を掛ける。彼女の方もまだ驚きで頭が回っていないのか、呆然とした表情で頷く。そしてようやく正気に戻ったように数度瞬きをし、引き締まった表情に戻った。
「アレンさん、貴方……老けたわね」
〈青の大魔術師〉ファルシア・フオロワは両手を組み、アレンの事を下から上までじっくりと視線を動かして観察し、最後にクスリと笑みを零してそう感想を言う。中々に失礼な言い方にも思えるが、アレンは別に不快感を示さず、昔と変わらない彼女の態度にむしろ安心した。
「そりゃまぁ、あれから八年くらい経つ訳だからな。もう冒険者もやってないし、老いはするだろうさ」
「ええ確かに、昔の貴方ならあんな魔物にも苦戦しなかったでしょうね」
「うっ……それを言わんでくれ」
ファルシアは相変わらず笑みを浮かべ、杖を軽く振るうと小さな水の塊でアレンの脚にくっ付いていた糸を切った。アレンは動けるようになり、頭を下げて彼女に礼を言う。
「それにしてもお前、何でこんな所に……というかよく来れたな。山とか苦手じゃなかったっけ?」
「ええ苦手よ。こういう木が多くて虫が居る場所は特に」
アレンのちょっとした質問に対してファルシアは不満そうに笑いながら答える。
彼女はあまり外出はしない性格であり、ちょっと神経質な所もある為散らかっている場所や汚れている所を嫌う。特に山や森と言った場所は土や泥で服が汚れる為、滅多に行かないはずであった。そんな彼女がこの山に来ている事をアレンは意外に思っていたのだ。
「そうだ。虫と言えばさっきの蜘蛛型……ありゃ一体なんだ?新種の魔物か?」
ふとアレンは先程まで自分を襲っていた蜘蛛型の魔物の事を思い出し、その詳細について尋ねる。わざわざ大魔術師である彼女がこんな辺境の山に居るのだ。新種の魔物と何か関わり合いがあるのは間違いない。そう考えたのだ。現にそれは半分当たっており、ファルシアはどこか疲れたように杖を地面に付いて身体の支えにした。
「ああそう、それよそれ。まさかこんな場所にも来てるとは思わなかったわ……あの蜘蛛型の魔物についてアレンさんに用があったのよ」
「俺に……?」
ファルシアの言葉を聞き、自身を指差しながらアレンは意外そうに目を見開く。
てっきり彼女がこの山に訪れたのはあの蜘蛛型の魔物を追っているか、調査をしているかだと思ったのだが、意外にも用は自分にあると言う。その事にアレンは驚いたのだ。
彼女は説明を始めようとしたが、ふと顎に手を当てて周りを見る。時折小型の魔物や虫が徘徊する森の中、流石にこの場所では説明に不向きだと思ったのだろう。コホンと軽く咳払いし、ファルシアは口を開く。
「とにかく、どこか落ち着ける場所はある?そこで話しましょ」
場所を移動する事にし、アレンもせっかくだから自分の村へ来てもらう事にする。丁度同じ大魔術師であるシェルも居るし、ファルシアにも頼みたい事があったのだ。お互い利害は一致している。そう思ってアレンはファルシアと共に村へ戻る事にした。その結果、白の大魔術師は大慌てする事になるのだが……。
◇
家の隣にあるアレンと共同作業で作った魔術工房。そこでシェルは魔術による研究を行っていた。
机の上には何冊もの魔術関連の本が積まれ、魔法陣が描かれた大きな紙を敷いている。その中心でシェルは平らなお皿に水を入れ、何かを占うようにその水面の揺らめきを見つめていた。すると、突然お皿の端がピシリと音を立てて欠ける。
「あ、不吉」
パチリと長いまつ毛の生えた瞼で瞬きしながらシェルはそう呟く。不吉、と言う割にはそこまで驚いた素振りは見せず、彼女は意外そうにお皿の欠けた部分を見つめ、転がっていた欠片を指でつまんだ。
今しがた彼女が行っていたのはちょっとした占いのような物だ。本来そういう類の物はあまりしないのだが、研究の一環で久々に道具を取り出したのである。その結果が不吉。シェルは思わず口をへの字にした。
「なんでだろ?なんか良くない事あったけ?」
シェルは口元に人差し指を当て、何か覚えはないかと記憶を辿る。しかしここ最近何か嫌な事が起こるという事はさしてなかった。むしろ最近はルナの魔力の調子も良いし、リーシャも聖剣の事に関しての勉強に積極的である。悪い前触れのような物は一切なかった。
「うーん……私の場合は占いとかはあまり得意じゃないからなぁ。ただの偶然かな?」
魔法と言えど失敗は必ずある。ましてや占いと言った不明瞭な物なら結果を見極めるのは難しいだろう。
シェルはあまり気にしない事にし、魔法書などを元にあった場所に戻すと椅子から立ち上がった。欠けたお皿は水を捨てた後両手で持ち、そのまま家へと戻る。
家の中ではリビングでリーシャとルナがいつものように遊んでいた。ゴロゴロと転がっているクロをルナが可愛がり、その様子をリーシャはソファで座りながら眺めている。彼女がその遊びに参加しないのは触ったらクロに噛まれるからだ。
「あ、シェルさんお帰りなさい。研究の方は終わったの?」
「うん、丁度きりが良かったから。早めに戻って来ちゃった」
シェルが戻って来た事にルナは一番に気が付き、寝転がっているクロを抱きながら出迎えをする。そんな無邪気な彼女にシェルも微笑みながら受け応えをした。
「シェルさん、それ何持ってるの?」
その時、シェルを出迎えようと身体を起こしたリーシャがシェルがお皿を持っている事に気が付く。普段料理で使う食器とは違うそれに興味を抱いたようだ。
「ああこれ?占いに使う道具なの。別に特別なお皿とかじゃないよ」
「へ~、見せて見せてー!」
別に重要な物という訳でもなく、代えも効く為シェルは素直にリーシャに渡して見せてあげる。好奇心旺盛なリーシャは「へー、ほー」と分かっているのか分かっていないのかよく分からないため息に似た声を漏らしながらお皿を見つめていた。すると気になったのかルナも近くにより、クロを抱いたままお皿を観察する。
「あれ、なんかここ欠けてるよ」
「そうなの、使ってる途中に急に欠けちゃったんだ」
「えー、何それ。こわーい」
ルナはお皿が欠けている事に気が付き、指を差してそれを指摘する。その事にシェルが正直に答えるとリーシャは気味悪そうに両肩に手を添えて肩を震わせた。
「ところで先生は?」
シェルは部屋を見渡してアレンが居ない事に気が付き、二人にそう尋ねる。
今日のアレンは既に畑仕事とリーシャとの特訓も終え、する事がないから散歩に出掛けていたはずだ。そんなに長くはならないと言っていたからそろそろ帰って来ていても良い頃合いである。
「お父さんならさっき一度帰って来たよ。けどまた出掛けて行っちゃった」
「あら、そう」
ルナの答えを聞きシェルは口元に人差し指を当て返事をする。
例の黒い魔法書の事について話し合いたい事があったのだが、まぁそれは本人が帰って来てからで良いだろう。シェルはそう考えを纏める。その時、何故かほんの少しだけ寒気を感じた。
「あ、父さん帰って来た!」
偶然窓の方に視線を向けていたリーシャが家に向かって来るアレンの姿に気が付き、そう声を上げる。釣られてシェルも窓辺に寄り、外の様子を伺う。するとアレンは一人ではなく、隣に女性を連れて歩いていた。青いローブを身に纏った美しい女性。その顔にシェルは見覚えがあった。
「----わわッ!」
その人物を見た時、シェルは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。その反応を見てリーシャとルナも振り返った。普段の彼女らしくない仕草に驚いたのだ。
「ま、不味い……二人共隠れて!」
「え?ちょっ、急にどうしたの?シェルさん」
「え、えっ?何でそんなに慌ててるの?」
すぐにシェルは二人の背中を押して隠れるように指示する。どうして?と疑問そうな表情を浮かべている二人だったが、生憎シェルにはその事に詳しく答えていられる余裕はなかった。今はとにかく二人の気配を悟られる訳にはいかない。
「良いから二人は部屋に隠れてて。絶対に出て来ちゃ駄目だからね……!」
子供部屋の所まで移動するとシェルは二人を中に入れ、真剣な表情でそう忠告する。そのシェルの必死振りにリーシャとルナもただ事ではない事を理解する。現にルナの方はアレンと一緒に歩いている女性から強い魔力を感じており、ただ者ではない事を察知していた。シェルがこんなに慌てるのもそれと何か関係があるのだろうと推測する。
リーシャとルナは素直に頷き、シェルの指示を聞く事にする。。アレンと一緒に居た女性の事は気になるが、大魔術師であるシェルがこんなに焦っているのだ。ここは言う事を聞いておいた方が良い。そう判断して二人は部屋の扉を静かに閉めた。
それを見届けた後、シェルは後ろを振り返って玄関の方に顔を向ける。慌てて動いた為乱れた服装を整え、目に掛かっていた前髪を払うとコホンと咳払いしてから玄関の方へ向かった。扉の向こう側から足音が聞こえて来る。同時に話し声も。一つはよく見知った大好きな人の声。もう一つは、あまり好意を抱かない者の声。
キィと小さく軋む音を立てながら扉が開けられた。そこからアレンが現れ、シェルの出迎えに気付くと自然と笑顔を浮かべる。
「お、ただいま。シェル」
「はい、お帰りなさい、先生。それに……----」
シェルも笑い返して出迎え、お辞儀をする。それから視線を横に向け、アレンの隣に立っている女性の方を見た。彼女もまた笑みを浮かべていた。ただしそれは、嬉しさから来る笑みではない事をシェルは知っている。同時にシェルもまた、普段の彼女からは絶対にしないと思われるような冷たい笑みを浮かべていた。
「〈青の〉……」
「あら、久しぶりなのに随分と冷たい出迎えね。〈白の〉」
互いに名前では呼ばず、シェルは目の前に立っている青の大魔術師ファルシアを称号の色だけで呼んだ。同じくファルシアの方もそれに対抗してか静かな笑みは浮かべているものの、笑っていない瞳でシェルを見ながら称号の色だけで呼び返す。そんな変わらない態度にシェルは思わず下唇を噛んだ。
「ッ……どういう事ですか?先生。何故彼女がここに……」
「ああうん、何か俺に用があって来たんだとさ」
「彼女が、先生に?」
二人の様子には気付かず呑気に靴を脱いでいるアレンにシェルは尋ねる。
自分という前例はあるが、それでもこんな辺境の土地に大魔術師が偶然来るなんていう事は滅多にあり得ないのだ。ファルシアに何らかの目的があるのは確実。それがリーシャとルナの事だとすれば……不味い事になる、とシェルは警戒心を強めた。しかし、用があるのはアレンの方だと言う。その事にシェルは意外そうに目を見開いた。するとアレンと同じように靴を脱いだファルシアが家へと上がり、シェルの横を通る。
「そういう事。つまり私はお客様って事よ。だからそれなりのおもてなしをしてくれるかしら?」
「……くっ」
わざとらしい態度にシェルの表情は益々不機嫌になっていく。ただでさえ苦手な相手だというのに、ズカズカと上から目線で家に入って来るのだ。シェルの家という訳ではないが、それでも嫌な気分であった。
「それにしても意外ね。まさか貴女がアレンさんの弟子だったなんて」
「それは、こっちの台詞です。貴女みたいなお堅い人が先生とお知り合いなんて……」
二人は向かい合い、火花が散るような勢いで睨み合いながらそう言葉を交わす。本来なら同じ大魔術師としてそれなりの付き合いがあるはずなのだが、彼女達の間からはとても仲の良い雰囲気が感じられなかった。それどころか言葉の節々に棘がある。
「ふん、私のは仕事上の付き合いよ。貴女みたいな弟子っていう口実を使って男の家に転がり込むような事はしないの」
「ッ……わ、私はそんな……!!」
「あらあら、そんなに顔を赤くして。やっぱりそういう魂胆だったのかしら?」
「ち、違います……!」
ファルシアは家に向かっている途中でアレンからシェルの事を聞かされていた。昔の付き合いで今は一緒に住んでいるという軽い説明を受けただけだが、それだけでも絶好の弄る話になると彼女は企んでいたのだ。そしてそれは見事効果てきめんであった。シェルは耳まで顔を赤くし、普段とは違う幼い仕草で反論する。年上であるファルシアだとどうしても調子を崩されてしまうのだろう。
「おーい、二人共何してるんだ?早く奥に来いよ」
そんな風に二人が口論していると、家のリビングの方からアレンの声が聞こえて来る。
口論している間にさっさと先へ行ってしまったらしい。シェルは表情をハッとさせ、自分がらしくない行動をしていた事を反省する。一方でファルシアの方は別に気にした素振りは見せず、相変わらず余裕の態度で自身の髪を弄っている。
「ふん……まぁ良いわ。ひとまずはゆっくりお話しましょう?せっかく同じ大魔術師同士が出会えたんだから、ねぇ?」
「……ええ、そうですね。歓迎しますよ……先輩」
ファルシアは余裕の笑みを浮かべてシェルにそう声を掛ける。シェルの方もファルシアが客人としてここへ来た以上、この家に住む者として歓迎する義務がある。渋々頭を下げてシェルは彼女を出迎え、リビングへと案内した。