92:青の大魔術師
絨毯の上で漆黒の狼、もといダークウルフの子供であるクロがコロコロと尻尾を振りながら可愛らしく転がっている。ハッハッと舌を出しながら無防備にお腹を出す姿は無害な子犬にしか見えず、とても魔物とは思えない。そんなクロのさらけ出しているお腹を主であるルナは優しく摩ってあげた。
「ワフワフ」
「はいはい、良い子良い子。ねぇ、クロ少し大きくなったんじゃない?」
同じく絨毯の上でクロの横に腰を下ろし、脚を伸ばしながらルナはそう言葉を掛ける。それを聞いて意味が通じているのか、クロは嬉しそうに腕を上下に振り、ルナに甘えた。すると、そんなルナ達の様子をソファに寝そべりながら眺めていたリーシャがふと顔を上げる。
「えー、クロ大きくなったぁ?私にはあんまり変わったように見えないんだけど」
「大きくなったよー。ほら、顔つきもちょっと大人っぽくなったじゃん」
リーシャは疑問そうに首を傾げ、クロの事を見つめる。そしてまた何か疑問に思う様に頭を掻いた。
彼女からすれば小さなクロの微妙な変化に気付けず、あまり実感が湧いていないのだ。するとルナは寝転がっているクロのほっぺをフニュンと掴み、リーシャの方に見せて来た。だがその顔は頬を引っ張られてニッコリと微笑んでいるように見え、とても大人の狼の顔には見えない。
「んー……まぁ、クロと会って大分時間も経ったしね。少しは成長するか……未だに私には懐いてくれないけど」
「ウルルル……」
リーシャはそう言い、試しに身体を起こしてそっとクロに手を伸ばした。すると途端にクロは飛び起き、尻尾を上にピィンと立てて唸り声を上げ始めた。警戒している時の体勢だ。先程の子犬のような素振りはどこへ行ってしまったのか、今では魔物の闘志を剥き出しにしている。リーシャは「ほらぁ」と呆れるような声を出しながら慌てて手を引っ込めた。
「しょうがないよ。リーシャは勇者だから」
「もー、忠誠心が強いって事は分かるけど……私はルナのお姉ちゃんなんだからねー?」
ルナは笑みを浮かべながらクロを落ち着かせ、背中辺りを撫でる。するとすぐにクロは毛を落ち着かせ、甘えるような声を出しながらルナに顔を擦り付けた。そのあからさまな態度にリーシャはフンと鼻を鳴らし、腕を組んでソファに座り直す。
「ところで父さんは?中々散歩から帰って来ないけど」
「あ、さっき一度戻って来たよ。用事があるって言ってまたすぐ出て行っちゃったけど」
「ふーん、そっかぁ……」
リーシャはソファで昼寝をしていた為気付かなかったが、ルナは一度アレンが散歩から戻って来た事を知っていた。その事を伝えるとリーシャは少し考えるように頬を掻く。
単純な疑問、用事というのは何だろうか?いつもなら何らかの言伝を残すはずのアレンが、何も言わずにさっさと出ていく。何か急ぎの用事でもあったのだろうか?
すると、突然クロが乗っかっていたルナの膝からピョンと飛び降りると、家の裏側にある森が見える窓に向かって低い唸り声を上げ始めた。
「グルルルゥ……」
「クロ、どうしたの?」
今度はリーシャに向かってではなく、クロは何も変な所はないはずなのに窓の外を見ながらクロは警戒していた。ルナはクロを落ち着かせようと近寄って背中を撫でるが、今度のクロは中々大人しくならない。その様子にルナは疑問を抱き、窓の方をチラリと見た。リーシャも異変を感じ取り、ソファから立ち上がる。
「珍しいね。クロがそんな声出すの」
「うん……それに全然警戒を解かない。どうしたんだろ?」
クロがこうなる時は大抵凶暴な魔物の気配を感じ取った時だ。魔物の本能で危険性のある敵の気配を感じ取り、警戒態勢を取る。だとすれば、今この先の森に何らかの魔物が現れたという事だろうか?それならばアレンが用事で出て行ったというのは、その魔物の対処の可能性が高い。ルナはそっと自分の拳に力を入れた。
「なにか、あるのかな……」
「かもね……父さん、早く帰って来てくれると良いけど」
◇
一度家に戻って装備を整えたアレンは腰にぶら下げた剣の鞘を握り絞めながらダンと共に森の中を走っていた。ダンは獣人の為樹木を蹴ったり枝を飛び移ったりと軽快な動きで先導する。アレンも森の地形を理解している為、木の根や蔓に足を引っ張られず無駄のない動きで後を追った。
「こっちだ。アレン」
ダンは時折アレンの方を確認し、手招きしながら移動を続ける。足を全く止めない事からやはり焦っている節がある。そもそもいつもの彼なら異変を感じ取ったとしてもその事を伝えるか、おおまかな場所を教えるだけのはずである。だが今回ダンはわざわざ自分も森の中に入るという危険を冒してまで案内役を申し出た。それ程重大な事が森で起きているという事だろうか?アレンはそう考えつつ、額に浮かんだ嫌な汗を手で払った。
やがて森の深い部分まで足を踏み入れると、ダンは一度動きを止め、姿勢を低くしながら辺りを警戒する。それを見てアレンも物音を立てないように慎重に動き、剣の柄に手を添えた。
「この辺りだ……臭いが濃いぞ」
木の枝を退かして少し先に進むと、ダンは小声でそう言って来た。アレンも気を引き締め直し、コクリと頷くと枝を退かしてダンに続く。するとその先は木々が生えていない開けた場所となっており、丁度人が通れる道となっていた。
「ここか?」
「ああ、間違いない……んだが、何もないだと?」
「…………」
ダンは釈然としない表情で髪を掻く。その場所は普段見る森と何ら変わりなく、彼の言うような異様な雰囲気を全く放っていなかったからだ。ダンは一応警戒しながらその場所に踏み入れ周りを確認するが、やはりおかしな点はない。ただの気のせいだったのだろうか?否、そうは考えられない。現に臭いはまだここにある。そう考えながらダンは鼻をくんくんと動かし、辺りの臭いを嗅ぐ。
「おかしいな、臭いはまだ残ってる……ここに何かがあるはずなんだ」
ダンが納得いかなそうにブツブツ言っている間、アレンも散策を始めた。地面の方に視線を向け、何かないかと手探りで調べる。そしてしばらくすると、アレンはある事に気が付いた。ふと見ただけでは木の枝か何かだと勘違いしてしまいそうなソレ。細い長い黒い棒状の何かが草むらの中に隠れるように転がっていた。アレンは慎重にそれを手に取り、形状を確認する。そして僅かに表情を顰めた。
「ダン、お前はもう戻ってろ。俺も終わったらすぐ戻るから」
「え?……あ、ああ、そうか、分かった。んじゃ村で待ってるぜ」
突然アレンがそんな事を言い出すのに驚いたが、ダンも自分にはアレン程魔物と戦える力はない事を理解している為、大人しく引き下がる。そして彼はアレンに言葉を掛けた後、素早い動きでその場を去った。
ダンが去った後、アレンは改めて自分が手にしている黒い棒状の物を確認する。先端は鋭利に尖っており、よく見れば表面には薄っすらとまだら模様がある。触るとザラザラとした感触があり、明らかにただの枝などではない事が分かる。
(この感じ……これはただの枝じゃない。恐らく魔物の身体の一部だ……)
形状の特徴からして昆虫型の魔物、それも蜘蛛型の可能性が高い。それは分かった。だがアレンは不可解そうな表情を浮かべる。彼には一つ理解出来ない点があったのだ。
(……これ、何の種類だ?こんな模様を持つ蜘蛛型魔物なんて知らないぞ)
それが汚れなどではない事を擦って確かめながらそう思考する。
おかしいのだ。このまだら模様、この形状、記憶の中でそのような蜘蛛型の魔物は存在しない。今まで長い間冒険者として各地に赴き、数多の魔物と戦って来たからこそ分かる。こんな魔物の脚は初めて見る。
新種なのだろうか?突然変異も考えられる。環境によって大胆に性質を変化させる昆虫型なら珍しい事ではない。だが、そんな魔物が何故この森に現れたのか?という新たな疑問も生まれる。アレンはその魔物の脚を回転させてよく観察した。その時、アレンの背後からカサリと草が揺れる音が聞こえる。
「----ッ!!」
反射的にアレンは手に持っていた魔物の脚を手放し、腰にある鞘から剣を引き抜く。そしていつでも剣を振るえるよう構えを取った姿勢で後ろを振り向くと、そこには木に一匹の巨大な蜘蛛が張り付いていた。先程までアレンが観察していた魔物の脚と同じ、白いまだら模様がある漆黒の蜘蛛。幾つもの水晶のような目玉が頭部に張り付いており、それら全てがアレンの事を映している。
「チキチキジジッ……!」
次の瞬間その蜘蛛は木を蹴って飛び掛かって来た。すかさずアレンは低く後ろに構えていた剣を振るい、向かって来た蜘蛛の右側の脚を斬り落とす。制御を失った蜘蛛はそのまま奇声を上げて地面に激突するが、残っている脚で器用に跳躍してアレンから離れる。
「ギギィァァア!」
「こいつが、脚の主の魔物か……!」
新種の魔物、正確には突然変異かも知れないが、今はそんな事どうでも良い。アレンは剣に付いた気持ちの悪い液体を拭き取ると再び剣を構える。半分の脚を失った蜘蛛は未だに奇声を上げてアレンに明確な敵意を向けており、跳躍すると歪な牙を剥いてまたもやアレンへと飛び掛かる。
「----そい!」
蜘蛛の軌道を冷静に予測し、アレンは身体を少し横に傾けると蜘蛛が自分の前を横切った瞬間残っていた脚を全て切り落とす。動かす脚を失った蜘蛛は今度こそ抵抗出来なくなる、弱々しい奇声を上げながら地面を転がり、動かなくなった。
アレンは剣を振るって付着していた液体を飛ばし、警戒しながら蜘蛛の死体へと近づく。昆虫型は各部位に小さな脳がある為、死んだ後でもある程度なら動ける。中には分裂したりする魔物も居る為、相手が見た事もない魔物である以上油断する事は出来ない。慎重に近づき、何度か剣で突き刺した後、完全に沈黙した事を確認してアレンは肩を落とす。
「ふぅ、そこまで強くない魔物で助かったな……」
肺に溜まっている空気を全て吐き出し、呼吸を整えてアレンは改めて蜘蛛を観察する。ぱっと見た感じでは普段見る蜘蛛型の魔物と大した違いはないが、特徴的な白のまだら模様に、頭部には毛が長く伸びている。まるで髪のようだ。もう一度古い記憶を呼び起こしてみるが、やはりこのような蜘蛛は今まで一度も見た事はない。やはり未発見の魔物なのだろう。
「にしても何で新種の魔物がこんな森なんかに……どこか天然の魔力が溢れてる場所でも出来たのか?」
肩に剣をトントンと乗せながらアレンは頬を掻いてそう独り言を言う。
この世界には自然と魔力が通った特別な場所がある。それは森の深い場所だったり、とある泉だったりと種類は様々だ。何故そんな現象が起こるのか不明だが、魔術師協会の研究では空気中にある僅かな魔力を吸い取り続け、その存在自体が魔力を生成する特性を身に着けたという物らしい。もちろんそれが本当かは分からないし、研究者の一人にはその現象の発生の仕方は複数あるという見解もある。
いずれにせよ、その場所に居ると魔力が自然と回復し、魔力消費の多い魔法を使い続けてもちっとも疲れないという利点があるのだ。当然そのような場所は生物に影響を与え、中には魔物が突然変異するという事例が存在し、アレンは今回それと同じではないかと推測したのだ。だがその場合ならこの山のどこかに魔力を生成する場所が出来たという事である。しかしアレンが山を見回った時はそのような気配は一切なかったし、そういう事に敏感なはずのシェルも特に異変を感じていなかった。では一体どういう事なのか?そこまで考えた時、ふとアレンは地面に散らばっている蜘蛛の脚を見てある事を思い出す。
(あれ……?そう言えば、この蜘蛛が現れた時、こいつの脚は全部揃っていたよな?)
アレンは最初この蜘蛛が現れた時の事を思い出す。この蜘蛛は鋭い脚で木に張り付いており、その時確か脚は八本あった。そうとなると、一つの疑問が浮かび上がる。
(なら、最初に見つけた脚は……?)
そう考えた時、アレンの背後から身の毛のよだつような嫌な気配が迫って来た。ゾワッと鳥肌が立ち、思わず地面を蹴って逃げるようにその場から距離を取り、剣を構えて後ろに振り向く。するとそこには、真っ暗な闇があった。
「「「「チキチキチジギギィギィチキチキチキチキチキギギギギィ」」」」
無数の目玉が全てアレンを映している。歪な口がせわしなく動き、肉を求めるかのように涎を垂らしている。
アレンは一瞬自分の目を疑った。昆虫型ならあり得る事である。そもそも数が最大の特徴である昆虫型の魔物が、一匹しか居ないなんて事の方があり得ないのだ。だからこれは予測出来た事のはずであった。だが流石に、ここまでとは思わなかった、と言わざる負えない。
アレンの目の前には百匹近い数の蜘蛛型魔物が木に張り付き、巨大な闇を作り出していた。おまけに気性が荒いのか、それとも同胞を殺された事に怒っているのか、牙を動かして奇声を上げ、アレンにこれでもかと敵意を向けている。
「う、っわぁ……」
普段は虫型の魔物を見たところでそれ程嫌悪感を抱く訳でもなく、普通に対処出来るアレンなのだが、流石に今回のは大人の彼も引く程であった。無数の黒い物体がせわしなく動き、奇声を上げているのだ。気味悪さを覚えて当然である。むしろ気持ち悪いだけならどれだけ良かっただろうか。今からアレンはこの百匹近い魔物達から、己の命を守らなければならないのだ。
「「「「ギギギィァァァアアアアア!!!」」」」
「----ッ!」
アレンが自然と一歩後ろに下がったのに反応してほぼ同時に蜘蛛達が飛び出して来る。すぐさまアレンはその場から走り出し、蜘蛛達の猛攻を回避した。しかし溢れ出て来る蜘蛛達はまるで川の氾濫のようにアレンを追い掛け、辺りの草木を暗闇で埋めていく。
(迂闊だった……! そりゃそうか、一匹って事の方が不自然だ……!)
思慮不足であった。そもそも昆虫型の最大の特徴はその数の多さ。一匹しか行動していないという事の方がおかしいのだ。最初の一匹を見かけた時点で他の個体も居る事を考えておくべきだった。そうアレンは自身の不甲斐なさを反省する。きっと冒険者だった頃の自分ならそこまで予測する事が出来た。気が抜けていたのだ。否、そういう思考すら出来ない程意識が戦闘から離れていてしまったのだろう。アレンは気を引き締め直した後、早口で呪文を詠唱する。
「聖なる炎の剣よ、力を貸したまえ……付加魔法、火属性!」
アレンが呪文を唱え終えると剣が赤く輝き、炎のように熱を持ち始める。
付加魔法。物体にその性質の属性を与え、特別な力を授ける基本的な魔法。シェルが使うような派手な魔法と比べると少々地味に見えるが、使い込めば基礎的な力を上げてくれる頼りになる魔法である。特にアレンの場合は殆どの属性の付加魔法が使える為、状況によって使い分け等が出来るので重宝する。今回は単純な話、虫は火を嫌う為この属性を選択した。
「木に燃え移ったら困るが、そうも言ってられないな……!」
「ギギギィァアア!!」
アレンは辺りの草木に引火しないよう注意しながら赤く輝く剣を振るう。それを見ただけで蜘蛛達は悲鳴を上げ、動きを止めてアレンから距離を取った。
(やっぱり、魔物と言えど火は苦手か)
そもそも火は全ての生き物が恐怖を覚える象徴だ。人間はそれを生き抜く道具の一つとして扱ったが、高い知能を持たない生き物には触れる事すら出来ない最悪の敵である。
アレンは剣を蜘蛛達へと突き付けた。それだけで蜘蛛達は先程のように迂闊に飛び出そうとはせず、囲むように広がって一定の距離を保ったままアレンの事を見つめる。だがやがて一匹の蜘蛛が進み出し、他の蜘蛛達もそれに釣られて飛び出し始めた。
「なっ……?!」
「「「「ギィィァアアアアアアアア!!!」」」」
恐れる事なく飛び込んで来た蜘蛛達にアレンは驚愕する。
いくら蜘蛛と言えどこいつらは蜘蛛型の魔物に過ぎない。普段見掛ける小さな蜘蛛とは違い、この魔物達はそれなりに大きく脳も発達しているはずなのだ。だから考える力もある。なのに火属性の剣を見ても魔物達は死を恐怖していないように襲い掛かって来た。明らかに普通の魔物と異質過ぎる。
だからと言ってアレンも黙って蜘蛛達に襲われる訳にはいかない。剣を振るい、飛び掛かって来る蜘蛛達をなぎ倒す。剣の炎が蜘蛛にも飛び移り、斬られた蜘蛛達は次々と燃えていった。
(こいつら、死ぬのが怖くないのか……ッ?というより、そういう思考がないみたいな……)
蜘蛛達の動きを見てアレンは違和感を覚える。昆虫型の魔物なら本来獲物を捕まえる為にジワジワと時間を掛けてでも慎重に追い込んで来るはずだ。だがこの蜘蛛は自分を殺す事だけに集中して向かってきている気がする。そこが普通の魔物とは違うと違和感を覚えたのだ。。
そんな事を考えながらアレンは蜘蛛達に囲まれないように森の中を走り続ける。だがその時、ふと脚に違和感が走った。グニュンとした何か柔らかい感触。それに思わず脚を取られてしまった。
「----ッ!?」
何が引っ掛かったのかとアレンは視線を足元に向ける。するとそこでは白い糸がワイヤートラップのように木に付けられていた。その糸はアレンの服に張り付いており、簡単には取れないようになっていた。間違いなく蜘蛛達の糸だ。
アレンはすぐさまその糸を剣で斬ろうとする。しかし剣先が糸に触れた瞬間、剣もまた糸に貼り付いてしまった。ここまで粘着質な糸は初めてだ。アレンが動けなくなったのを見て蜘蛛達はこれを好機だと判断し、一斉に取り囲み始めた。ギチギチと音を立てて牙を剥き、涎を垂らす。
「「「「ギギギィィィィアア!!」」」」
(しまった……! こうなったら多少危険だが広範囲魔法を……ッ)
一瞬の隙。例えそれでも一度蜘蛛達に囲まれればひとたまりもない。
逃げ場を失って動きも止められたアレンは仕方なく大魔法を使う事にする。辺りに無差別に火を放つ広範囲魔法。森の中で使うには少々不安が残るが、この場を切り抜けるにはこの手しかない。アレンは覚悟を決め、呪文を詠唱しようとした。だがその時、突如水飛沫と共に蛇のように唸る水の塊が蜘蛛達を飲み込んだ。
「なっ……?!」
その水の塊はアレンを襲う事はなく、複数に分かれると次々と蜘蛛達を飲み込んで行った。水に掴まった蜘蛛達はろくに抵抗する事が出来ず、脚をせわしなく動かしてもがき苦しむ。そうしている内にあっという間に蜘蛛達は全て水に飲み込まれてしまった。残ったのは無傷のアレンだけ。その光景は彼はぽかんと口を開けて見ているしかなかった。
「この、魔法は……ッ」
「全く……何でこの山に例の蜘蛛型魔物が居るのよ。ウジャウジャしてて気持ち悪い」
不機嫌そうな声と共にアレンの前に一人の女性が現れる。月のように輝く金色の髪を腰まで伸ばし、絵画から出て来たかのような美しい容姿に海のように深く青い瞳をした女性。輪っかの装飾が施された青いローブを纏い、水晶が取り付けられている青い杖を握っている。彼女の事をアレンは知っていた。
「ファルシア……?」
「ん?……ァ、アレンさん?」
思わずアレンが呼びかけると、青いローブの女性ファルシアもアレンの存在に気が付き、驚愕したように目を見開く。
彼女の名はファルシア・フオロワ。〈青の大魔術師〉であり、アレンのかつての仕事仲間である。