91:蠢く影の中から
アレン達の村と西の村の中間地点にある山。そこは複雑に並んだ木々や植物によって迷宮のような構造になっており、訪れる者の行く手を惑わす。故にこの山を通る者はそれなりの知識と覚悟がなければいけないと旅人や商人の間では共通認識になっており、気軽に使ってはならない経路とされている。だが真に注意しなければならないのはこの山の過酷な地形ではなく、そこに住まう生き物達である。
「はぁ……はぁ……ったく、この山はやけに複雑だな」
太い木々に囲まれた山の中をある人物達が歩いている。どちらも二十代後半くらいの見た目をした男性で、少し髭を生やしている。一人は重厚な装備を身に纏い、その上から茶色のマントを羽織って腰に宝石の装飾が施された剣を携えている。間違いなく剣士であろう。その剣士の男は疲れたように息を吐きながら愚痴のように言葉を零した。
もう一人は先程の男よりは軽装な格好で、動きやすさを重視しているのか簡易的な装甲を腕や脚に最低限付けている。そしてやたら歪な見た目をした籠手を装備している為、恐らくは武闘家であろう。顔には幾つか切り傷のようなものもある。
「そうだな……知り合いの商人から聞いてはいたが、まさかここまで迷宮のような造りになっているとは思わなかった」
「ちっ……こんな事なら案内人でも雇っておけば良かったぜ」
先程の剣士の男の発言に武闘家の男も頷きながら同意し、目線の先にある長い木の枝を手で弾く。少し後ろを歩いている剣士の男も腰にある戦闘用の剣とは違う長めのナイフを取り出し、うっとおしく生えている植物を刈った。時折警戒するように周りに視線を配る為、彼らはどうやら何かを探しているようだ。
「それにしても本当の話なのか?この山に新種の魔物が居るだなんて」
ふと武闘家の男が顔を上げ、剣士の方を見ながらそう尋ねる。その質問に剣士の男も辺りの草木を斬るのを一度止め、振り返った。
「ああ、間違いない。さっきの西の村の連中も言っていただろう。この山で見た事もない魔物に襲われたって……現に痕跡もあった」
やけに自信満々に剣士の男はそう言う。ナイフを強く握り締めニタリと笑うその顔はまるで何か宝物でも見つけたかのようであった。
彼らはある目的があってこの山へと訪れた。それは先程偶々訪れた西の村で魔物が現れたという話を聞き、そしてその魔物が記録にない見た目をしていたという耳寄りな情報を手に入れたからだ。通常魔物というのはある程度の種類に分けられ、特徴などでその判別をする事が出来る。だが時には異常な変化をした種類が見つかる事があり、そういった魔物は貴重な為発見者には恩恵が与えられる事がある。故に冒険者である彼らにとって新種の魔物を発見したという功績は大きい。おまけに困っている村人達を助けた事でお礼を貰える可能性がある。彼らにとって今回その魔物を討伐する事はとても利が多いのだ。
「魔物はどんな見た目をしてるのかね?襲われた村人が言うには昆虫型の魔物だったらしいが……」
「なぁに、この山を探し回ればすぐ出てくるだろうさ。それに虫系なら大して強くもないだろ」
ふと武闘家の男がそんな事を呟く。それに剣士の男も大して問題にはしていないような口ぶりで応えた。いつ魔物が出て来てもおかしくない山の中でそんな呑気な会話を交わすのは、彼らにはどんな魔物が出て来ても対処出来る自信があるからなのだろう。現に二人はこれまで多くの困難な依頼をこなして来た冒険者であり、それなりの実力はあった。それに目標は昆虫型の魔物だという情報がある。昆虫型は数が脅威なだけで、一体一体の力は大した事はない。これならば余裕だろうと男達はその時僅かに気を緩めた。
「とにかく、新種の魔物を見つけたとなりゃ俺らは一気に有名になれる。当然報酬もたんまり……」
「そうなりゃ女とも遊び放題だな。へへへ、楽しみだぜ」
まだ魔物も見つけてすらいないのに男達はそんな先の話をする。それだけ今回の事は美味しい話なのだろう。あまりの嬉しさからなのか、彼らは動物のような下品な笑い声を上げた。
そんな調子で男達は伸びている草や枝を斬り飛ばし、先へ先へと進んで行く。段々と辺りも草木で覆われ光が届かなくなり、異様な雰囲気が漂い始める。本来ならこの辺りで敵が居ないか確認したりそれなりの警戒心を払うべきである。だが彼らは嬉しさのせいか注意が散漫になっており、そんな事は気にせず山の中を進み続けた。それが迂闊であり、慢心であった事を彼らは気付けない。
「……おい、今何か音がしなかった?」
ふと前を歩いていた剣士の男が立ち止まり、手にしていたナイフを掲げた状態でそう尋ねる。武闘家の男もそれを見て立ち止まり、辺りに耳を傾けた。
「……え、そうか?」
「いや……多分、音がした気がするんだ……」
武闘家の男には聞こえなかったようで、彼は首を傾げながら辺りを呆然と見渡す。その仕草には明らかに集中力はない。剣士の男の方も気のせいだったのかと自分の感覚を疑い、納得いかなそうに額にしわを寄せていた。その時、二人の横にあった草むらがわざとらしく揺れ、何か黒い影が草の間を抜けて横切って行く。
「お、おい! 今居たぞ! 絶対に魔物だ!!」
犬や猫といった動物にしては明らかに大きく、動きも動物らしからぬ俊敏さ。おまけに黒く、何か奇妙な音も発していた。剣士の男はそれを魔物だと思い、持っていたナイフをしまうと戦闘用の剣を引き抜いた。武闘家の男もそれを聞いて辺りを警戒し、腕を前に出して構えを取る。
「どこだ?必ず捕まえてやる……」
ジリジリと草むらに近づきながら剣士の男は舌なめずりをする。もう少しでお宝が自分の物となるのだ。そうなれば毎回面倒くさい依頼など受けなくて済むし、楽して良い生活が送れる。だから早く出て来てくれ。そう願いながら男は剣を低く持ち、伸びている草を手で退かした。だがその時、突如背後でカサカサと何かが這いずるような音が響いた。
「----ーーッ!!?」
すぐさま剣士の男は振り向き、剣を突きつける。敵が居ても良いようにいつでも動ける構えを取ったのだ。だがそこには本来居るべき自分の相棒である武闘家の男の姿がなかった。それを見て剣士の男は思わず呆然とした表情で口をぽかんと開ける。
「……え?……おい、相棒……どこ行ったんだよ?」
有り得ない。つい先程まで彼はすぐ後ろに立っていたのだ。何かあればすぐ気付けるはずだし、彼自身も声を発するような事はしなかった。こんな一瞬で消えてしまうなど、起こる訳がない。そのはずなのに、現実は既にそうなってしまっている。剣士の男は混乱し、恐怖から一歩その場から下がった。
「おいおいおい……待ってくれ、ふざけるのはナシだぜ……居るんだろ?出て来てくれよ」
子供のように恐怖で口を引き攣らせながら男は周りを何度も確認し、そう懇願する。だが残念ながら長年の相棒がひょっこりと出てくるような事はなく、代わりに辺りには静寂が流れていた。その静けさが冷たく、そして剣士の男を益々恐怖させる。先程までただの森に見えていた景色も今ではダンジョンの中の恐ろしい魔物の巣窟に見え始めていた。
「くそっ……何がどうなってるんだ!?」
恐怖と混乱はその者をより陥れる負の悪循環。怖がれば怖がる程彼は自分自身を追い詰める。突然仲間が消えてしまった事と正体不明の何かが居る事に剣士の男は最初の頃の自信を完全に失っていた。先程まで強く握り締めていた剣も今では地面すれすれまで下ろし、戦意が削がれている。むしろ今すぐにでもここから逃げ出したいのが本音であった。
その時、彼の後ろから物音が聞こえて来た。何かが近づく音。それを剣士の男は仲間が戻って来る音だと、思い込んでしまった。
「……ッ! 相棒……?」
希望に縋るような気持ちで剣士の男は勢いよく振り返る。だが次の瞬間、彼の視界には何の景色も映らなくなった。正確には真っ黒な闇に覆われたのだ。巨大に蠢く黒い何か。生き物の呻き声のような耳障りな音を発し、それらは男を包み込む。
気付いた時にはその場から男の姿はなくなっていた。森の中は先程の風景と何ら変わらず、今しがた起こった事などただの夢だったかのように……ただただ静寂が包み込んでいる。ふと近くの草むらが僅かに揺れた。それが風のせいだったのか、はたまた別の何かなのかは、誰にも分からない。
◇
リーシャとの特訓が終わり、村へ戻ったアレンは特に用がある訳でもなくぶらぶらと村の中を歩いていた。朝の畑仕事はとっくに終わらせた為、特にする事もない。偶には村の様子でも見るかと思い、気まぐれに散歩をする事にしたのだ。幸い今日は天気も良い。アレンは凝った肩を回しながらのんきに道を歩き続ける。普段身に着けている剣も所持していない為、こうして見ると完全に村人のおじさんだ。
「ふわ~ぁ、良い天気だなぁ……眠くなって来ちまう」
あまりも天気が良く暖かい日差しが気持ち良い為、ついアレンは欠伸をしながらそんな事を呟く。歳のせいか、ちょっと暖かいだけでも眠気が襲って来る。十分睡眠は取っているのだが、やはり自分はもう立派なおじさんなのだなと改めて感慨深く思う。
「おー、アレン。何してるんだー?」
「ああ、ちょっと散歩だよ。今日は天気が良いからさ」
村を歩いていると畑仕事をしている村人や家の前を掃除している村人が話し掛けて来る。アレンは手を振りながらそれに応えた。
「リーシャちゃん達はどうしたんだよ。いつもお前に引っ付いているのに」
「別にずっと俺と一緒に居る訳じゃないよ。今は二人共家で遊んでるさ」
近づいて来た村人の男はふとそんな事を尋ね、辺りを見渡した。普段ならぴったりとアレンに張り付いているリーシャとルナが居ないがよっぽど不思議なようだ。アレンからすれば一日中一緒に居る訳でもないので何故そんな風に思われるか疑問だったが、村人はそれだけホルダー親子は仲が良いと思っているのだ。すると今度は畑仕事をしていた村人の老婆が近づいて来る。
「リーシャちゃんは元気で可愛らしいし、ルナちゃんは大人しくて愛らしい子だからねぇ。あの子達はこんな辺鄙な村にはもったないくらい良い子達だよ」
「それは言いすぎだって、お婆ちゃん。それに村の子供はリーシャとルナだけじゃないだろう?」
老婆はしわだらけの顔で優しい笑みを浮かべながら褒めちぎる。流石に贔屓が過ぎるのでアレンは否定するが、自分の子供を褒められて悪い気はしない。
「いやいや実際あの二人は他の子供達とはなーんか雰囲気が違うんだよ。こう、特別な子……みたいな?」
「ああ確かにねぇ。あの子達は村の子供とは違うどこか不思議な雰囲気を持ってるように思えるよ」
村人の男と老婆は互いにうんうんと頷きながらそう意見を言い合う。それを聞き、アレンは少しだけドキリと心臓を鳴らした。
村人達はリーシャとルナが勇者と魔王である事を知らない。全員がアレンの子供だと本気で信じている。だがそれでも彼らはリーシャとルナが普通の村人の子供とはどこか違う事に薄々と気付いているようだ。元々剣術や魔法の才能が凄いという事で注目を浴びている二人だったが、最近色々とありリーシャとルナの意思が強まる事もあった為、余計にそう言った面が顕著になったのかも知れない。幸い村人の中には怪しむような事をする人は居ない為、リーシャとルナの才能は個性の一つとして捉えているから今の所問題はないが。
「そうかな。確かにルナは最近明るくなったが、リーシャは相変わらずお転婆だから手を焼いてるよ」
「ハハハ、そこがリーシャちゃんの良い所だろ。まぁちょっと大人が驚くくらい元気過ぎるがなぁ」
いずれにせよアレンがここで変な事を言って村人達を意識させる訳にはいかない。出来るだけ普段通り当たり障りない会話で話を続けた。男も別に気にしている様子はなく、アレンの言葉に笑いながら肯定する。その反応を見てアレンは彼らに表情が見られないようそっと顔を背け、安堵したように息を吐く。
(ふぅ……村人達にリーシャ達の正体が知られてもここの人達は優しいから騒ぎにならないだろうが、それでも外に広まる危険があるから気を付けないとな)
別にアレンは村人達にリーシャ達の正体を絶対に知られてはいけないとは思っていない。村人達は心が広いし元々この村は亜種族が集まっている村の為、魔王のルナにもそこまで拒絶感は抱かないだろう。だがそれでも、リーシャ達の正体を教えて逆に村人達を危険な目に遭わせてしまうかも知れない。情報が漏れる事も危険だ。例え気を付けていたとしても些細な事で外に情報が流れてしまう事もある。それを危惧しているからこそアレンもまだリーシャ達の事を教えたのは信頼し確かな実力を持っているシェルだけなのだ。もっとも彼女の場合は自分でリーシャ達の正体に気づいていたが。
「今度会ったらウチの娘が昔着てた服のお古あげるよ。リーシャちゃん達もそろそろ大きくなってきたから、丈も合うだろうさ」
「ああ、それは助かるよ。ありがとう、お婆ちゃん」
リーシャ達の事を気に入っている老婆はそう有難い事を言ってくれる。実際彼にとっては本当に助かる事であった。
アレンは大抵子供達の服は西の村で買ったり自前で用意した物を着させたりしている。何故ならこの小さな村では服を作ってくれるような所はないからだ。村の皆も自分の子供には自前で用意した服や、自分が昔着ていた服などを着させたりする。時にはこうやって知り合いから譲ってもらう事もある。
アレンは別に不器用という訳ではないがリーシャ達の服を作るのは苦手意識があった。女の子らしい服や可愛らしい服がどういう物か分からないからだ。だからこそ、誰かが譲ってくれるという事はたいへん有難い事であった。
そんな風にアレンが村人達と雑談していると、ふと芝生を駆け抜けて来る音が聞こえて来る。するとアレンの耳に聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「おお、アレン! 居た居た。探したぜ」
声に釣られて振り向くとそこにはダンの姿があった。少し焦っている素振りで、疲れている訳ではないのだろうがここまで走って来たのが分かるくらい髪が乱れている。アレンはその様子を見て僅かに目を細める。
「なんだ、ダン。どうかしたのか?そんな慌てて」
「あー、えっと、なんていうか……ちょっと良いか?」
ダンはチラリと周りの村人達の事を見た後、目線で合図してアレンに傍に来るように言う。アレンもその様子を見てただ事ではないのだ悟り、村人達に背を向けてダンの近くに寄る。
「お、おい。どうしたんだよ?」
村人達から少し距離を取るとアレンがそう言う。だがダンはすぐに答えようとはせず、後ろを向いて村人達の様子をチラリと見た後、少し言い辛そうな表情をしながら口を開いた。
「……少し前に、森の方から何か嫌な臭いがした。嗅いだ事のないドス黒いやつだ……」
いつもよりも低めの声。彼らしくない真面目な声だ。
普段からダンは獣人特有の感覚を活かし、村の付近の森に凶暴な魔物が居ないかなどの監視をしている。獣人だと聴覚や嗅覚が発達している為、他の種族よりも魔物の気配に気付けやすいのだ。そんな彼が深刻そうな顔をしてそう言うのだから、いつもとは違う不気味さを感じ取ったのだろう。それを聞いてアレンも思考を切り替える。
「嫌な臭い?それは魔物か?」
「多分、な……だがいつもとは何か違う。魔物なら魔物らしい臭いがするはずなんだが、何か気味が悪いんだ」
「気味が悪いって、どういう事だ?」
「分からん。とにかく気持ち悪い」
ダンはすんすんと鼻を鳴らし、何かを拭うように鼻の下を指で払う。彼が嫌な臭いを嗅いだ時にする仕草だ。しかもいつも以上にボサボサの髪が逆立っている。それだけ警戒しなくてはならない程不気味な気配を感じ取っているのだろう。
「ひょっとしたらちと不味い事になってるかも知れん……血の匂いもする……それも、人の」
ダンは後ろに居る村人達には聞き取られないよう、アレンに顔を寄せて小声でそう言った。
人の血の匂い。これはいよいよただ事ではない。村で騒ぎになっていない事から恐らく山に立ち寄った者、商人や旅人に何か起こったのだろう。それがその嫌な臭いのする魔物の仕業なのかはまだ分からないが、いずれにせよ確かめなくてはならない。アレンはそう考え、口元を隠すように手を当てながら考えを纏める。
「ッ……分かった。一旦家に戻って武器を取って来る。そしたら臭いのする所を案内してくれ」
「ああ、なるべく早く頼む……」
何にせよ森の中に入って確かめなくては何が起こっているかも分からない。そして魔物がうじゃうじゃ居る森の中でまともな探索が出来るのはアレンだけだ。彼は覚悟を決め一度準備を整える為に家へ向かう事にする。ダンもそれを了承し、村の門の所で落ち合う約束をした。そして別れる際、彼が普段から想像出来ない程不安げな表情を浮かべているのをアレンは横目で見てしまった。アレンもつい不安な気持ちになり、駆け足で家へと戻る。その道のりはいつもより何となく長く感じた。




