90:探し人
次の日、アレンは森へと訪れていた。緑豊かで自然が溢れている開けたその場所。魔物除けが撒かれている為近くに魔物の気配はなく、代わりに時折リスなどの小動物が横切ったりする。その場所でアレンは倒れている木を椅子代わりに腰を下ろし、ある光景を眺めていた。それはいつものように剣を振るうリーシャの姿。ただし今回彼女が手にしているのは特訓用の木剣ではなく、光り輝く純白の剣である。
「えいっ! はっ、とー!」
掛け声だけなら子供らしく気合は入っているがどこか間抜けのように感じてしまう微笑ましい声。しかしその細い腕が振るう速度は子供のそれではなく、剣を振るう度に風を切り裂く音が鳴り、辺りに落ちている葉が舞った。アレンは手に顔を乗せ、どこか呆れたように眺めていた。
「リーシャ、最近頑張り過ぎじゃないか?上達してるのは良い事だが、山でも斬っちまいそうな勢いだぞ」
「良いね、それ! 私山斬れるくらい強くなりたい!」
最近のリーシャはいつにまして鍛錬に励んでいる。それは良い事ではあるし、実際最近の彼女の調子はとても良い。伸び時と言う事なのだろうが、何よりも彼女の強くなろうとする意思が尋常ではない程強い。それを喜ぶべきか戸惑うべきか、アレンは悩んでいた。実際今のような冗談を言っても、リーシャはそれを本気にしており、本当に山を斬ってしまうような気もする。アレンは力なく笑った。
(魔王候補の事で焦っているのか、それとも純粋に強くなりたいだけなのか……なんか思い出してしまうな、昔の事を)
ただひたすらに剣を振り続けるリーシャ。その顔は笑みで包まれており、鍛錬を楽しんでいるようだった。否、実際彼女は剣に触れている時とても幸せそうな表情をする。それが彼女の性格なのだろう。それを見ているとアレンはある思い出と重なってしまった。かつて、自分がまだ子供だった頃、ただひたすらに力を求めて特訓していた日々。似ている訳ではないが、記憶が蘇ってしまう。
「あのねー、私聖剣をもっと上手く使えるようになりたいの」
ふと、リーシャは剣を振るうのを止め、その純白の剣を掲げてそう言う。その言葉を聞いてアレンも彼女が手にしている剣を見つめる。純白の剣は日差しを反射し、眩く輝いている。とてもかつて錆びだらけの鞘に収まっていた剣とは思えない程の美しさだ。
「聖剣を……?」
「うん」
リーシャの願いを聞き、アレンは少しだけ意外そうな表情をする。
少し前、アレンはリーシャの持っている剣が聖剣だという事に気が付いた。その事を尋ねると、リーシャも呆気らかんとそれが聖剣である事を認めた。アレンはそれを聞いて目が回りそうだった。こんな子供が使いこなせば城一つを落とす事が出来るという聖剣を所持している。流石は勇者というべきか、とその時のアレンは珍しく冷や汗を流して思った。
「と言ってもなぁ……俺は聖剣なんて手に入れた事もないし、精々本読んだりして勉強した事があるくらいだしなぁ」
当然の事ではあるが、アレンは聖剣を手にした事も使った事もない。むしろそれが普通だ。聖剣を手に入れる可能性は限りなく低い。長年大陸中を探索してようやく一本見つかるか見つからないかぐらいの確立だ。
「そもそも聖剣ってのは使い手を選ぶ武器なんだ。剣に認められた者でないと、その剣は鉛の様に重くなったり、酷い時は使用者が傷を負うって事もある。その剣も最初は鞘から抜けなかっただろう?」
「あー、あれってそういう事だったんだ」
アレンはリーシャが持っている剣を指差しながらそう説明する。
あの時聖剣を売りに来た商人も剣が抜けない為、錆のせいで駄目になってしまった物と判断していた。比較的力のあるアレンも抜く事が出来なかった。だがリーシャは、いとも簡単に引き抜いた。聖剣に選ばれたからだ。またその剣の力を引き出すのも選ばれた者ではないといけない為、例え引き抜いた後の聖剣をアレンが手にしたところで、それはただの頑丈な剣に過ぎない。リーシャの様に黄金の斬撃を放つ事は出来ないのだ。
「確か前に会ったグランが持ってた剣も聖剣のはずだ。確か〈巨神の剣〉って言ったかな?」
「へー! グランおじさんも」
「ああ。俺が出会った時から持ってたから、かなり運が良い人なんだろうな。あの人」
アレンに言われてリーシャは以前出会った冒険者、グランの姿を思い出す。確かにあの時彼が所持していた剣はどこか異様な雰囲気を漂わせていた。グランは寝ていてもゴーレムくらい倒せると豪語していた為、ひょっとしたらその聖剣の力を信じていたからこそあんな発言が出来たのかも知れない。
「巨神の剣ってのは昔巨人族が作った伝説の剣って言われててな。本当の大きさは山のように大きな剣なんだが、普段は人間に合う大きさになってるんだ。で、力を引き出すと本来の大きさに戻り、絶大な力を発揮する」
アレンは手振りでその剣がどれだけ大きいかを表現しようとする。ただ山のような大きさを手で表現しようにも腕の伸ばしには限界がある為、彼はギリギリまで手を伸ばしてその大きさの凄さを伝えようとした。
先程リーシャは山を斬れるかも知れないと言われたが、グランの場合は山のように大きな剣を使える。その事実は多少なりともリーシャを驚かせた。山のように大きな剣ならば、山をも斬り裂く事は可能だろう。聖剣とはそれだけの力を秘めているのだ。おまけに山のように大きくなったとしても使用者には何の重さも感じず、いつも通り剣を使えるという所が恐ろしい。リーシャはその事を改めて考え、僅かに身震いした。
「グランおじさんって……やっぱり凄い冒険者なんだね」
「ああ、あの人は凄いぞ。俺みたいにただ長くやってた冒険者とは違って、本当の冒険者だ。冒険こそが生き甲斐、だから強いんだろうな」
リーシャの言葉にアレンも手を下ろし頷き、ゆっくりと空を見上げながらそう言った。その喋り方は憧れなのか、自分もそうなりたかったと心では思っているのか、どこか寂しげであった。
「まぁそんな感じで。本来聖剣ってのは名前があるものなんだ。そして名前に関係する力が剣には宿されてる。リーシャの聖剣はなんていう名前なんだ?」
パンと膝を叩いてアレンは気持ちを切り替えるように視線をリーシャの方に戻す。そしていよいよ本題の聖剣を使いこなす事についての話を始め、まず一番に確認しなくてはならない事を尋ねた。だがそれを聞いてリーシャは困ったような表情を浮かべる。
「えー、知らない。ガラクタの聖剣って私は呼んでるよ」
彼女が困るのは当然だ。何故ならば名前など知る訳がないし、それを教えてくれる存在もいなかった。むしろ剣に名前がある事が当然のような感覚に首を傾げるくらいである。アレンも少し不可解そうに顎に手を当て、思考を巡らせた。
「そうか、知らないか……でも聖剣の力みたいなのは引き出せるんだよな?」
「うん。お腹減っちゃうけど光の斬撃みたいなの飛ばせるよ」
アレンはもう一つ確認を取り、リーシャも今度は頷いてそれを肯定する。
黄金の斬撃を飛ばす。それがリーシャの所持している聖剣の力だ。アレンもそれは見させてもらった事がある為、間違いなく聖剣の力だと認識している。だが本来聖剣は名前を知り、そして力を解放するのが手順のはずである。もちろん聖剣を手にした事のないアレンはそれが絶対かは分からないし、あくまでも文献の情報でしかないのだが。彼は目を細め思考を続ける。
(名前は知らないのに力は使える……名無しの聖剣なのか、それともまだ本当の力をリーシャに使わせていない……とか?)
威力だけで判断すればリーシャの聖剣の力は伝説の剣にしては少し拍子抜けな所がある。もちろん斬撃を放つのは凄い技なのだが、言ってしまえばそのような技は少し工夫したり魔法を併用して使えば再現可能なのだ。アレンでも付加魔法を使って剣を振るえば炎の斬撃を放つ事が出来る。だが逆に考えれば、まだそれが聖剣の力の一端に過ぎないという可能性もある。だとすれば、リーシャが剣の名を知ったその時こそ真の力が解放されるのかも知れない。
「うーん、じゃぁとりあえずは名前を知る事から始めるしかないかなぁ」
「えー?ちょっと聖剣ー、名前教えてよー」
結局のところ、アレンが聖剣の事に関してリーシャに直接指導する事は出来ない。ある程度の情報を教え、使い手であるリーシャに任せるしかないのだ。リーシャはアレンに言われた通り聖剣から名前を聞き出そうとブンブンと剣を振って問い詰める。だが当然剣が言葉を発してくれる事はない。アレンはその光景を見てちょっとおかしそうに笑った。
◇
山々に囲まれた緑が広がるのどかな平原。真っ青な空の天辺からは眩い太陽の光が降り注いでおり、大地はその光に暖かく包まれている。そこでは人の手で作られた馬車道の線が真っすぐ続いており、ある馬車がその道を進んでいた。時折道先に転がっている石ころに揺られ、馬車の中に居る人物は不平を零していた。
「全く……さっきから馬車揺れてばっかりじゃない。ちゃんと道整備しておきなさいよね」
外見は至って普通の馬車に反して中は意外と広く、快適に過ごせるように整えられている。そんな座席の上に敷かれたクッションに座りながら青いローブを纏った金髪の美しい女性、預言者ファルシアは不機嫌そうな表情を浮かべていた。その様子を見て向かい側の席に座っている護衛の兵士達は困ったようにファルシアのご機嫌を取っている。
「仕方ありませんよ、預言者様。この辺りは何分辺境の土地ですから、道も整備されていないのでしょう……」
「ええ、通るのも精々商人と旅人くらいです」
若い兵士と顎髭を生やした兵士がそれぞれそれらしい理由を作り、何とか相手を刺激しない言い訳を述べる。青の大魔術師であり国王の側近である彼女に機嫌を損ねられれば困るのは自分達だ。偉い立場に居る人物の癇癪程怖い物はない。そう彼らは考えながら必死に愛想笑いを作る。
「はぁ、全く……」
そんな彼らのぎこちない笑みを横目に、ファルシアは馬車の窓から見える景色に視線を移す。特段何が起きるわけでもなく、暇を持て余す移動時間だが幸い景色は緑豊かで自然に溢れている。時折平原をのんびりと歩いている兎などの小動物を眺めていれば暇も紛れる。そんな中、若い方の兵士がどうしても気になったのか、はたまた沈黙に耐えられなくなったのかふと口を開く。
「それにしても意外ですね。預言者様がこんな辺境の土地に用があるなんて……」
ファルシアの表情を伺いながら迂闊な発言をしないよう、気を付けながら兵士はそう発言する。それに対してファルシアは視線だけ兵士の方に向ける。その海のように青い瞳は静かに兵士の姿を映していた。
当然ではあるが預言者であるファルシアは地位の高い人間だ。国王の側近として常に仕え、彼に預言で得た情報を伝える義務がある。故にいつもの彼女は王都を離れるような事は極力しないのだ。ただし彼女は青の大魔術師という立場の魔術師協会に所属する人間でもある為、ある程度の行動の自由は認められているが。
ファルシアは自身の金色の長い髪を指で払い、小さく息を吐き出した後姿勢を兵士の方に向け、彼の疑問について応える。
「用って言うか……ちょっと確かめに行くだけよ。本当にこの地域の村にアレン・ホルダーが居るかどうかをね」
今回のファルシアの目的。それはかつての知り合いであるアレン・ホルダーを探す事である。厳密には他にも用事と言える目的があるのだが、それは本当にアレンが居るかどうかで話が変わる為、ファルシアはわざわざ兵士達に教えるような事はしない。
「預言者様はアレン・ホルダーとお知り合いなんですか?」
「貴方達の隊長さんにも言ったけど、ちょっと仕事上の付き合いがあっただけよ。いちいち説明させないでちょうだい」
好奇心旺盛なのか若い方の兵士は身を乗り出し、色々と尋ねてくる。それを大してファルシアは鬱陶しそうにため息を吐いた。それを見て慌てて兵士は引き下がり、口を抑える。
別に彼に悪気があった訳ではない。移動中の暇な時間を会話で何とか盛り上げようと気遣ったのだろう。しゅんとなってしまった兵士を見てファルシアはまた呆れたように一つため息を吐き、再び口を開く
「……私が研究している時、調査して欲しい事とか魔術に必要な材料を集めてもらう時に仕事を依頼していたのよ。彼、昔は冒険者だったでしょ?ギルドに頼めば指名でやってもらえたの」
青の大魔術師という立場である彼女には当然色々とやらなければならない事がある。国王の側近という身ではあるが、本業は魔術の研究をする事が目的なのだ。それをおろそかにする訳にはいかない。しかし何分忙しい身であるファルシアはいちいち自分で重要な遺跡の調査に赴いたり、魔術の研究の際に使う貴重な材料を入手する時間がないのだ。そう言った時、彼女は当時冒険者だったアレンにその仕事の依頼をしていた。
「ああ、なるほど。そういうことですか」
ファルシアの返答を聞いて兵士は理解するように顔を頷かせる。だが彼にはファルシアが青の大魔術師であるが故に納得いかない点が一つあった。
「ですが……何故アレン・ホルダーなのです?言っては悪いですが、彼はそれ程の実力者の冒険者とは思えません。もちろん長年冒険者をやっていた経験は見習う点がありますが、大魔術師である貴方様が依頼するには似合わない気が……」
極力悪口にはならないよう、言葉に気を付けながら兵士はそう指摘する。別段彼はアレンの事を嫌っている訳ではないし、軽く見ている訳でもない。そもそも彼は以前兵士長であるジークと共にアレンの村に訪れた兵士であり、アレン・ホルダーがどういう人物かは十分承知している。そして冷静に分析した上で、大魔術師が依頼するには少々力不足ではないのかと判断したのだ。
「そうね。確かに彼は他の冒険者と比べれば特に何か秀でてる訳でもないし、特別な力がある訳でもない。実力も歴戦の冒険者と比べれば、至って普通と言えるでしょう」
「で、ですよね……」
しばらく無言で冷たい目線を向けるだけだったファルシアもやがて同意するように頷き、小さく笑みを浮かべる。その反応を見て兵士は安心したように釣られて笑う。流石に言い過ぎたかと少し後悔していたのだ。
言っている事は正しいらしい。では、何故そんなアレンに青の大魔術師である彼女は依頼したのだろうか?そもそも部外者などに依頼などせずとも研究に必要な事なら王宮の兵士を使えば事足りるはずである。彼女はそれが出来るだけの立場なのだから。それでもアレンに依頼した、という点が兵士の未だに引っ掛かる点であった。それを察したかのようにファルシアは自身の髪をそっと払い、言葉を続ける。
「でも彼はね、失敗しないのよ。どんな調査任務でも一定の成果は出してくれるし、欲しい素材もどんなに時間が掛かってでも必ず取って来てくれる。大きな成功は残さないけれど、絶対に失敗もしない……そういう人なの」
ファルシアの言葉に兵士二人は小さく息を飲む。そして一瞬呆けた表情になり、慌てた様子で真面目な顔に戻った。
「ああ、そう言えばそんな話もありましたね。失敗しない万能の冒険者、とか当時言われてましたよ」
「なるほど……でも失敗しないってそんなに重要なんですか?それよりも成果が大きい方が重要だと思うんですが……」
若い方の兵士が思い出したようにそう言い、それに対して隣の髭を生やした兵士がそう自分の意見を言う。だがファルシアはそんな彼らの話を聞いてふんと鼻を鳴らし、人差し指を突き立てた。
「その失敗しないってのが私達研究者にとっては重要なのよ……失敗しない、つまり大きな損失、被害もない。死人も出ない。それを彼は実行してくれるの」
指を振りながらファルシアは言葉を述べる。少し自慢げな態度に見えるのは彼女も多少なりはアレンの事を気に入っていたという事だろうか。つい兵士二人はそんな事を考えてしまう。
「え、つまり……どういう事ですか?」
どうやらまだ兵士の方はいまいちピンと来ていないらしい。失敗しない事が凄い事は分かるようだが、それが何を意味し、ファルシアの研究者にとってはどれだけ有難い事かを理解していないようだ。ファルシアは呆れたようにため息を吐いた後、膝の上に脚を置きながら言葉を続ける。
「こっち側からすればね、調査してる人が大怪我でもされたら困るのよ。責任を取らされるから。危険な調査を無理やりさせたとか、情報提供が少なかったとか理由を付けてね……過去には訴えて来た冒険者も居たわ」
忌々しそうに手を握り絞め、ファルシアは気を紛らわせるようにさっと顔を窓の方へと向ける。その感情の籠った言葉には兵士達も気圧されていた。
依頼人と言うのはただ報酬を用意し、人に頼めば良いというものではない。調査して欲しい事があれば事前に危険がないかなどを配慮し、ある程度の目星を付けてから依頼をしなければならない。何かあった時の責任を取らなければならないのだ。もちろん危険を承知で向かわなければならない依頼もあるが、中にはその忠告を無視して訴えて来る冒険者も居る。ファルシアのような研究者にとってそのような輩が一番面倒臭いのだ。そう説明した上でファルシアは改めてアレンの名を上げる。
「分かる?それに比べてアレンさんがどれだけ信頼出来る冒険者か。彼は自分の実力に適しているかどうかを冷静に判断し、例え実力不足だと分かってもある程度目的を達成してくれる。彼のような冒険者が一番安心して依頼出来るのよ」
要するに成果云々よりも生きて戻って来てくれる事の方が重要なのだ。成果があるに越した事はないが、それでも何かしら問題を起こされるよりはよっぽど良い。それにアレンの場合は僅かでも目的の物を回収や達成してくれている為、ファルシアにとっては理想の冒険者と言える。
「なるほど……確かにアレン・ホルダーが組んだパーティーの生存率は大幅に上がると言われてますしね」
「そ。陰の立役者って言うのよ、彼みたいな人の事を」
ようやく兵士達も納得したようでうんうんと顔を頷かせて彼らは顔を見合わせる。その様子を見てファルシアも満足そうに笑い、腕を組んで座席にもたれ掛かった。アレン・ホルダーがいかに自分にとって条件の揃った冒険者だったかを伝える事が出来て満足のようだ。
「でもそれなのにアレン・ホルダーはギルドを辞めてしまったんですよね?確か戦力外通告を言われたとか……」
ふと顎髭を生やした方の兵士が思い出したように額に指を当てながらそう言う。ファルシアもその事については知っている為、少し複雑そうな表情をしながら口から息を漏らした。
「さぁ……その辺の事は私は詳しくないわ。噂では裏でお金が動いていたとか聞くけど……そもそもアレンさんとは仕事上の付き合いだけだったから、別に知ろうともしなかったわ」
ぷいと顔を横に向けてそう言う。興味なさげなその態度を見て兵士達もあまり詮索しない方が良いのだろうと判断する。元々アレン・ホルダーの冒険者引退の話は色々と噂が広まっており、確かな事は分かっていないのだ。それに対して色々と言うのは不味いだろうと彼らは自然と察し、その話題を切り上げる。その間ファルシアは変わらず窓の外を眺めながら少しだけ面倒くさそうに髪を掻いていた。遠くの見える千切れた雲を見つめながら、彼女は静かに言葉を零す。
「いずれにせよ、色々話さないといけない事は確かね……」
兵士達には聞こえないくらいの小さな声、ただししっかりと力強い意思を込めながら、彼女は決意する。
アレンと会わなければ何も始まらない。自分の当初の目的を果たす為には彼の協力が必要だ。だからこそまずアレンが居るという村に行かなくてはならない。
しばらく窓の外を眺めていると、村の境界線を意味する柵が見えて来た。その更に奥には村の建物がちらちらと見え始める。西の村だ。ファルシア達のまず最初の目的地。
「ファルシア様、西の村に到着致しました」
「ん……ようやくね」
馬車の揺れが収まり、停車する。すると御者が扉を開けてお辞儀をしながらそう伝えて来る。ファルシアはくたびれたように腕を伸ばし、自身が纏っている青色のローブを翻しながら馬車を下りた。それに続いて他の兵士も降りる。
少し振りに外の空気を吸い込むと、冷たい風が流れて来た。ファルシアの金色の長い髪が乱れ、ローブも揺れ動く。少し肌寒そうに彼女は身体を震わせた。
「おや、これはこれは王都の兵士の方々ですかい?」
ふとファルシア達の事に気が付き、柵の方から村人の一人が近づいて来た。少し年老いた男性で、愛想の良い綺麗な笑みを浮かべている。見慣れない兵士達が現れたので興味を持ったのだろう。
「こんな辺鄙な村に何か御用で?」
「ええ、この近くにあるもう一つの村に用があるの。確か山奥にあるという……」
ファルシアは自分達が来た用を簡単に説明する。ただし自身が青の大魔術師であるという事を明かさない。隠す必要はないのだが、いちいち教えていては面倒だと考えたからだ。それに王都の人間だという事が分かっているならそれで充分である。
「ああ、あの村ですかい?それならあっちの方にある山を真っすぐ登って行けば着きますよ」
ファルシアの簡単な情報だけでも村人には分かったらしく、ぽんと手を叩いて村の反対側にある山を指差してそう言う。ファルシアもその山を確認し、しっかりと記憶に刻むように頷く。そしてふと後ろに居る兵士に視線を向けた。
「貴方の言った通りね。これなら無事アレンさんに会えそうだわ。最初言った通り、貴方達はここまでで良いわよ。場所が分かったら後は私一人で十分だから」
別に信じていなかった訳ではないが、これで場所は完璧に知る事が出来た。近くの村人が真っすぐ登れば着くというのだから、山に入って迷ってしまうという事もないだろう。ともなれば本来必要としない大魔術師の護衛ももう本当に必要ない。ここまで付いて来てもらったのはただの案内人に過ぎないのだから。その趣旨をファルシアは兵士達に伝える。だがそう言われたからといって彼らも簡単に引き下がる事は出来ない。
「ほ、本当に良いのですか?ファルシア様」
「ええ。むしろ兵士を連れて村に行った方がアレンさんも警戒するでしょうしね」
流石にいくら自分達兵士が守る必要がないくらいの実力がある大魔術師とは言え、一人にしてしまうのは悪いのではないかと彼らは思った。しかしファルシア自身はこれからアレンに個人的な用事もある為、むしろ兵士が傍に居るのは色々と都合が悪かった。それに元々彼女は誰かが傍に居るのを嫌う。国王のように誰かに仕えるならともかく、自分の周りで誰かにうろちょろされるのが苦手なのだ。
「おいおい、あんた今から山に登るつもりかい?それはやめておけって」
いざファルシアが出発しようと歩き出した時、村人の男が慌てた様子でそれを静止する。ファルシアは怪訝そうな表情をし、歩みを止めた。
「今山では面倒な魔物が暴れ回ってるんだ。さっき村人もその魔物に襲われてよ。山の村に元冒険者の人が居るから、その人が対処してくれるまで山には登らない方が良いぞ」
「へぇ……そう」
村人は身振り手振りでどれだけ恐ろしい魔物が現れたかを必死に表現しようとし、ファルシアが山へ登らないように必死に忠告する。だが彼女からすればそんな情報は気にする事でもなく、むしろ今村人が言った元冒険者という人物の事がアレンである可能性が高いと判断し、ファルシアが山へ登る理由はより強いものとなった。
「貴重な情報どうもありがとう。でも問題ないわ」
ファルシアは律儀に村人にお礼を言い、自身の青いローブの中に手を伸ばしてある物を取り出す。それは深い蒼色で染まった長い杖であった。先端には小さな水晶の球が付けられており、その水晶は何かを映し出すように中で光の粒子のような物が蠢いていた。ファルシアはその杖を握り絞め、力強く一歩前に前進する。
「私、そこらの魔術師より断然強いので」
ファルシアはそれだけ言い残すと迷うことなく平原を進み、山へと向かって行く。村人もその迷いのない進み方に止める事が出来ず、兵士達も黙ってその後ろ姿を見送った。やがて青いローブを羽織った彼女は鬱蒼と木々が生い茂っている緑に入って行き、巨大な山の中に消えて行った。




