9:国王の悩み
国王は焦りを覚えていた。予言が出てからもう八年。本来なら王都に勇者を迎え入れ、必要な訓練を施している頃。だというのに未だ勇者が発見された報告はされず、城の者達は不安に覆われている。
「何故だ……何故未だに勇者が見つからんのだ。兵士達には念入りに調べるように伝えたはずだぞ……ッ」
玉座に座りながら頭を抱えて国王は不安そうにそう言葉を零す。幾分かしわが増え、目の下には隈も出来ていた。大分疲れが出てきているようだ。
あれから勇者を隠している不届き者が居るかも知れないという事で兵士達には念入りに子供を調べるように伝えた。兵団を率いる隊長達はいずれも信頼の置ける人物達だ。だから見逃すなどあるはずがない。だというのに未だに勇者が見つけられないというのは一体どういう事なのか?
更に国王にはもう一つ不安があった。それはあれから新たに預言者から言われた予言。その予言には恐ろしい内容が含まれていたのだ。
「魔王は既に才能を開花せし、今再び世界に闇が広がる……この予言もまた間違いないのだな?預言者ファルシアよ」
「はっ……陛下。中々勇者は現れませんが、魔王が目覚めている事は確実だと思われます」
先日あった予言を口にし、国王は念を押すように預言者にそう尋ねる。横で控えていた青いローブを纏った女性、ファルシアは膝を付いて頭を垂れながら答えた。それを聞いて国王は静かに息を吐いた。
「確かに、最近は魔物達の動きも活発化しておる……暗黒大陸で何らかの異変があったのは確かであろう……」
このところ魔物の出現率が上がっており、街が襲われるという被害もあった。魔物達の異変はすなわち魔族達に何らかの異変があった事を意味する。もしも予言通りだとするならば、魔王が力に目覚めたという事になる。
未だに世の中は予言の通りに魔王も現れていないが、それは魔族達がまだ魔王を隠しているという可能性がある。少しずつ力を蓄え、兵団を強くしている可能性もあった。それを予測した国王は一気に不安に襲われた。敵国はどんどん力を付けていくのに対し、自分達の国は未だに勇者すら見つけられていない。実に不味い状況であった。
(不味いぞ……このまま勇者が見つけられなければ我々は魔族に滅ぼされてしまうかも知れない。何としても勇者を見つけなければ……!)
魔王を倒せるのは勇者だけ。故に勇者は何としても確保しなければならない戦力。国王は歯を食いしばり何とかしなければならないと必死な形相を浮かべた。その様子を見て最近の国王のやつれ具合を知っている預言者は複雑な表情を浮かべる。
預言者は自分の力で予言を言う訳ではない。大地や自然、精霊に語り掛けてその言葉を聞き、預言を言うのである。つまるところは自身は語り部。しかしその予言によって国王が苦しんでいる姿を見るのは、国に仕える預言者として心苦しいものがあった。
そんな時、ふと国王はある事を思い出す。額を掻いていた指を止め、その淀んだ瞳に僅かな光を灯す。
「そう言えば……先日ケンタウロスとの戦闘で負傷したジークが居たな」
「は、はい……ジーク隊長ならもう怪我は治ったと聞きましたが……それがどうか致しましたか?」
指を上げながら国王は確かめるようにそう言う。予言者もその事は先日耳にしたばかりの為、よく覚えていた。
何でも勇者探しの途中で立ち寄った村にケンタウロスが現れ、それとの戦闘で負傷してしまったとか。確かに兵団の隊長であるジークは他者を見下す傾向がある為、大方油断して怪我を負ってしまったのだろうと預言者は推測していた。
「確か奴が調査していた西の村の近くの山にももう一つ村があったはずだ」
今回隊長に調べさせたのは西の村を中心とした地域だけ。だがその近くに山の中にある村があった事を国王は思い出した。何分あまりにも辺境の土地の為、調査範囲にすら入っていなかったのだ。
「念の為そこも調査に向かうようにジークに言っておけ。まぁ田舎の地域だから勇者が見つかる可能性は限りなく少ないだろうがな……」
「承知いたしました。直ちに兵団に伝えてまいります」
もしかしたらという希望を僅かに抱きながら国王はそう指示を出す。流石に勇者があんな辺境の土地に居るとは思わないが、念の為だ。そう思いながら国王は椅子にもたれ掛かった。
預言者はお辞儀をすると命令に従い、部屋から立ち去った。残された国王は疲れたように一つため息を吐いた。
◇
「ん、むむむ~……」
「おぉ~……」
天気の良いある日、アレンとルナは庭で魔法の練習をしていた。普段は家の中で授業は行うのだが、実践的な事をする時は外に出るようにしている。そして今回ルナはある大技に挑戦していた。
目の前にある少し小ぶりな岩に向かってルナは手を向け、意識を集中させる。すると足元の影が揺らめき、蛇のようにヌルヌルと動き出してその岩に巻き付き始めた。そして次の瞬間、影の締め付けによって岩は粉々に砕け散った。
「ぷはぁ……!」
「おおー! 成功だルナ! 凄いな、闇魔法を使えるなんて……!」
影を戻し、魔法が上手く行った事を知るとルナは疲れたように息を吐いて額から汗を流した。アレンも魔法が上手くいった事に喜び、手を叩きながらルナの事を褒める。
今しがたルナが見せたのは闇魔法。魔法の中でも習得するのは高難易度とされており、同時に人々からは敬遠されている魔法でもある。
闇魔法は魔族に適正がある魔法で、人間も使えるのだが敵国の者が主に使っている魔法を使いたくないという理由から習得しようとしない者が多かった。と言っても歴戦の魔術師の中には闇魔法を習得している者も居るし、有名な魔法使いの中にも闇魔法だけを極めた変わり者も居る。決して闇魔法自体が忌み嫌われている訳ではない。
「お父さんのおかげだよ……色々教えてくれたから」
「いやいや、俺は闇魔法使えないし……本とか読んで勉強しただけだから。一番頑張ったのはルナ自身だよ」
「えへへ……」
流石のルナでも初めて闇魔法を使ったのには疲れたのか、表情に僅かに疲労が出ていた。けれど魔法が成功した事の方が嬉しいのか、アレンに向かって満面の笑みを浮かべている。アレンもそんなルナの事を可愛らしく思い、うんうんと頷いた。
実際闇魔法は強力な魔法だが消費魔力が多く、また制御も難しい。その事から魔力が多い者でないと使いこなせない傾向があり、魔族は魔力量がある事から闇魔法の適正を持っていた。
ルナは魔力が多いから使えるかも知れないとアレンは前々から考えていたが、まさかここまで制御出来るとはと内心驚いていた。
(俺が冒険者だった時も闇魔法が使える奴はギルドに数人しか居なかったし……やっぱりルナは天才だな)
アレンは昔の事を思い出しながらルナの凄さを改めて実感する。
ルナの場合は魔族の為に適正が高いだけなのだが、それも魔王である彼女が扱う闇魔法が通常よりも強力なのは事実。そしていくら魔族でもまだ子供なのにここまでの完成度の闇魔法を扱えるのは凄い事であった。アレンは自分がどれだけ恐ろしい事をしているか気付かない。街の魔術師が聞いたらきっと卒倒してしまう事であろう。
(良いもんだな……若いってのは)
ついついアレンは髭を弄りながらそんな事考えてしまう。
かつて自分が戦いに没頭する冒険者だったからこそ分かる。ルナがどれだけ凄い事をしているかが。色んな魔法に手を出したアレンでも使えなかった闇魔法。消費魔力は多いがその強さと利便性は高く、どんな状況をも打開してくれる鍵となる。もし自分が若い時闇魔法が使えていれば、自分は違う道を歩んでいたかも知れない。アレンはらしくもなくそんなもしもの話を考えていた。
「ワフワフ」
「ははは、クロも喜んでくれてるぞ」
「ありがとう、クロ」
「ワゥン」
ふと見るとずっと魔法の練習の様子を眺めているだけだったクロがルナにすり寄って来ていた。まるで魔法が成功した事を祝福しているかのようだ。ルナもクロの頭を撫でてやりながら笑みを零した。
それから二人は休息を取る事にする。椅子代わりに庭に置かれている丸太に腰掛けながらアレンはおやつ用に用意しておいたお菓子をルナに手渡した。小麦で作った簡単なお菓子だが、ルナはそれを美味しそうに頬張った。
「ところで、ルナは将来なりたいものとかあるか?」
「えー……?」
ルナがお菓子を食べている途中、アレンは足元でじゃれているクロと戯れながらそんな事を尋ねた。
他愛ない質問であったが、これからの事を考えれば十分重要な質問である。アレンはちょっとだけ緊張しながらルナの事を見た。
「大人になったら街で働きたいとか、王都に行ってみたいとかあるだろう?ルナの実力なら王宮に魔術師として勤める事だって出来るぞ?」
ルナの魔法センスは天才的だ。火魔法や水魔法と言った大抵の属性魔法は扱え、高度と言われている治癒魔法、更には高難易度である闇魔法もまで扱えるようになった。それでまだ子供なのだから伸びしろはまだまだあるだろう。それだけの実力と才能を持った子なら王宮でも魔術師として雇ってくれるはずだ。それならルナも今よりももっと良い生活が出来る。アレンはそう考えていた。だが、ルナの表情は変わらなかった。
「んー……確かにおっきな街を一度は見てみたいとは思うけど……そこに住みたいとは思わないかなぁ」
意外な事にルナはアレンが思っているような生活を望んでいなかった。お菓子を食べ終えた、手に付いたお菓子の欠片はクロにあげる。クロはペロペロとルナの指を舐めた。
「なんでだい?」
「私、この村の事好きだし……お父さんと離れ離れになりたくないし、リーシャとも一緒に居たいから……だから、今のままで良い」
ルナの答えはひどく単純な物であった。要するに今の生活が好きだからそこから離れたくない。この村に住む大抵の者なら抱く感情と同じだ。
元々リーシャやルナは森で拾った赤ん坊の為、ひょっとしたら村の者達とは違う感情、かつて自分が冒険者になりたいと思ったように野心の強い思いがあるのではないかとアレンは思ったが、どうやらその心配はなかったようだ。それよりも自分と一緒に居たいと言ってくれた事に嬉しさがあった。例えそれが子供の内の感情だと分かっていても。
「それに……私達が外に出たら大変だもんね」
ポツリとルナはそう口にする。しかしアレンにはその小さな声は聞こえなかった。
ルナは自分が魔王である事から外の世界に出たら混乱になる事は分かっている。だから将来外の世界に出たいなど思わないし、この村の事が好きなのは事実である為、何の不満も抱かなかった。
強いてルナが知りたい事と言えば……自分とリーシャの育ての親であるアレンが自分達を育てる前はどのような人物だったのか、どのような生き方をしていたのかが知りたいくらいだった。故にいずれはアレンがかつて冒険者として暮らしていた王都にも行ってみたいとは心の隅で思っていた。
「あのね、私……お父さんの事が大好きだよ……すっごく」
「そうかい。俺もルナ達が何よりも大切だよ」
ふいにルナは少し照れたように頬を赤く染めながらアレンにそう告白した。日頃から思っている事ではあるが、少し気弱なルナからすれば言葉にしなければその想いに自信が持てないのだ。だから彼女は改めてそう口にした。----例え血が繋がっていなくても、と心の中で付け足しながら。
「私、お父さんの為なら何だって出来る……魔法だっていっぱい勉強するし、裁縫も頑張る……お料理はまだリーシャみたいに上手くは出来ないけど……もっと頑張る!」
アレンの事を熱い視線で見つめながら、ルナはそう言葉を続けた。
その言葉には強い熱意が込められている。これはルナの一種の決意、そして願いでもあった。
アレンから天才的に思われてるルナだが、ルナ自身はまだ自分の事をまだまだだと思っている。だから願うのだ。今の平穏な生活が続くように。
「だから、ずっとお父さんの傍に居させて……?」
「ああ、もちろん良いよ」
ルナの願いに対してアレンは迷うことなく答えた。
アレンはそれが子供が思う親と一緒に居たいと願う子供心だと思ったからだ。だがルナの願いはそんな程度のものではなかった。
彼女は切実に願っている。魔族としての自分を受け入れて欲しいと心の中では強く望んでいるのだ。アレンはその本当の思いを見抜く事は出来なかったが、それでもルナからすればアレンの口から出た答えだけで満足だった。
「俺がルナ達ひとりぼっちにさせる訳ないだろう?ずっと一緒に居るさ」
「えへへ、ありがとう……」
ちょっと不安そうな顔をしていたルナの頭を撫でてやりながらアレンはそう言った。
ずっとは無理だろうが、それでも自分が動ける内は彼女達を守ってやらなければならない。あの日二人の赤ん坊を拾い、育てる事になった時からアレンはその責任を抱えているのだ。中途半端にその責任を投げ出す訳には行かない。尤も、リーシャとルナは既に自分が守らなくても大丈夫なくらい強くなっているが、と心の中で呟きながらアレンは笑みを零した。