88:青いローブ
真っ白な埃一つない綺麗な場内。通路には派手で真っ赤な絨毯が敷かれ、所々には銅像が設置されている等景観はかなり気にされている。そんな眩しさを覚える程純白な通路を歩きながら青いローブを纏った美しい女性、預言者ファルシアはある場所を目指していた。
しばし歩いた後、ある扉の前で立ち止まる。すると彼女は一呼吸置き、ローブが乱れていないか確認した。そして気を引き締め直すと、静かに扉を開いた。
「失礼します、陛下。ご気分の方はいかがですか?」
そこはカーテンで窓は塞がれ、僅かに隙間から青白い光が差し込んでいるだけの静かな空間であった。中心には大きく豪華なベッドが設置されており、そこには白髪でしわだらけの老人、国王が横になっていた。
国王はファルシアが入って来た事に気が付き、顔を扉の方へと向ける。以前の疲れていた時とは違い、弱っている様子はないが、こうして静かに横になっている彼の姿は容姿と合わさって死人のようであった。
「ああ……お主か。何の用だ?」
身体を起こすと彼の服装は普段の上等で派手な服とは違う事が分かる。今はベッドに居る為か寝間着姿で、動きやすそうな格好をしていた。顔色も悪い訳ではないのだが以前のような覇気はなく、声自体にも力が入っていなかった。
「ご報告に参りました。付近の村で暴れていた魔物は無事兵団が討伐し、鎮圧化しました」
「そうか。ご苦労」
ファルシアは膝を付き、深く頭を下げながら報告する。それに対して国王は何か感情を表す訳でもなく、ただ労いの言葉だけを伝え、視線を預言者から外した。
「……それで、魔物が何故大量出現しているのかは分かったのか?」
「いえ……まだこれと言った情報は……」
「そうか……もう良い。下がれ」
「はっ、失礼致しました」
何も情報が得られない事を知ると国王はもう用はないとでも言うように瞼を閉じ、ファルシアにそう命令する。そう突き放されてしまえば彼女も何も言う事は出来ない。ただ深々と頭を下げ、そそくさと国王の部屋を後にした。
「……ふぅ」
国王を刺激しないよう静かに扉を閉め、ファルシアは壁に寄り掛かって気が抜けたようにため息を吐く。
彼女の表情は国王と同じように浮かないものであった。それは今自分達が暗雲に包まれている状態だからだ。
(やはり陛下はかなりやつれておられる……私の預言通りに勇者が現れない事と、最近の魔物の凶暴化で悩んでおられるんだ)
先程の国王の表情を思い出しながらファルシアはそう思い、悔やむように手を胸元に当てる。
八年前、彼女はある預言を国王に伝えた。それはこの世に再び勇者と魔王が現れ、世界が混乱の渦に飲み込まれるというもの。
何も知らない民達がその予言を聞けばただの迷い事だと笑い飛ばすだろう。百年が経ち勇者という存在の認識が薄れた今、彼らはそれをただの伝説だと軽く考えている。だが国王はファルシアが確かな実力のある魔術師である事を知っていた為、その預言を信じた。出来る限りの対策を用意し、勇者の紋章を持つ者が現れればすぐに確保出来るように計画を立てた。しかし、八年経った今でも紋章を持つ者が現れない。魔王の存在も明るみにならず、暗黒大陸は不穏な動きを見せるだけ。そんな状態が長く続けば、心労の多い国王はやつれるのも当然だろう。
「…………ッ」
国王はファルシアが口にした預言を信じた。故に彼は苦しんでいる。
いつか勇者が現れるのではないか。突然自分達の大陸に魔族達が乗り込んで来るのではないかと、常に警戒し、心を削って万全の状態を維持している。だが国王も歳だ。例え王と言えど所詮は人。その身体は一つしかないし、人間一人がやれる事にも限りある。いつまでも保つ訳がないし、現に今はベッドで横にならなければならない程だ。
もしも預言が間違いだったと言えればどれだけ楽だろうか?あの預言は自分の勘違いで、勇者も魔王も現れません……そう言えれば、国王もこんな気苦労する事はないのに。そうファルシアは悔やむ。だがそれでも、彼女はそんな言葉は間違っても言う事が出来ない。何故ならば彼女の力はあくまでも予言を読み取る力、そしてその力に絶対な自信があるからだ。国王はそんな自分を認めてくれた。なのにその力を嘘などと、言える訳がない。
「私の預言は……絶対に外れない」
自分の片腕を握り絞めながら静かに、ただし強い意思を込めながらそう呟く。
ファルシアの預言は基本外れない。だからこそ国王は自分の実力を認めてくれたし、ファルシア自身もその力を誇りを持って磨き続けて来た。大いなる力の声を聞けるようにし、自然、大地と心を通わせる力を強めた。だが今はその力が、憎たらしい。
しばらく彼女はその場で顔を俯かせ、暗い表情をしていた。だがその気を紛らわすように顔を振り、通路を歩いて来た道を戻り始める。
そうしてファルシア国王の部屋から大分遠のき、日差しが差し込んでいる眩しい通路へ差し掛かった。今の彼女にはその眩しさはうっとおしさを覚える程で、自然と眉間にしわが寄ってしまう。すると、向かい側から誰かがやって来る事に気が付いた。
「おや。これはこれは、預言者殿」
「……ジーク隊長」
それは兵団の隊長であるジークであった。見上げる形でファルシアは彼に視線を向け、窓から差し込んで来る日差しをうっとおしく思い、僅かに目を細めながら対峙する。
先程魔物討伐の任務から帰って来たばかりだからか、彼の着ている鎧は汚れており、顔にも魔物の返り血か汚れが目立っていた。
「どうかなさいましたか?顔色が優れないようですが」
心配しているとは思えない薄ら笑いの表情を浮かべながら彼は建前上、一応はそう尋ねてくる。だが果たして本当に関心があるのか怪しい態度で、ファルシアも彼の性格は分かっている為、別に気にしなかった。
「別に……どうせ貴方も分かっているでしょう?この城の者なら抱える悩みは皆同じはずよ」
「ああ、国王の事ですか。確かに私の部下も噂していましたね」
ファルシアの言葉を聞いてなるほどとでも言う様にジークは自身の銀色の髪を指で巻き、何かを考えるように視線を下に向ける。そしてしばらく黙っていたが、やがて指で巻いていた髪を解き、視線をファルシアの方へと戻した。
城の者達が抱える共通の悩み。それは最近の国王に元気がないというものだ。
民の上に立つ者に気力がないとなれば国の存亡にも関わる重要な事となる。国王が亡くなればただでさえ魔物の出現などで対処に追われている国は更に混乱する事となってしまうだろう。
「国王の体調が優れなければ兵団の士気も下がってしまう……何としても我らが主には元気になってもらわなければなりませんな」
ぐっと拳を握り絞め、力強い言葉でジークはそう言う。その言葉は本気のようで、彼が国王に深く忠誠を誓っている事を現していた。
普段の性格は少しアレだが、その真剣さだけは本物である事もファルシアは認めている為、複雑そうな表情をしながら彼の事を見つめる。眩い日差しに照らされながら自分の胸元で力一杯拳を握り絞めているその姿は何だか暑苦しかった。
「それで、魔物の事について何か手掛かりは掴めた?」
「いえ、今のところはなにも。分かっている事は相変わらず現れる魔物は蜘蛛ばかりという事だけです」
「そう……また蜘蛛型魔物が」
ファルシアが魔物の事について尋ねると、ジークは手を広げ、疲れたように答える。
恐らく大量の蜘蛛型魔物を相手にした為、疲弊しているのだろう。魔物とはいえ、巨大な蜘蛛の見た目をした生物を倒すのは大人でも気が滅入るものだ。そもそもこんな風に同じ種族の魔物ばかりが出てくるのはおかしい事なのである。
(何故最近になって蜘蛛型の魔物が現れるようになったのかしら?大体蜘蛛型は村や日が当たってる所に現れるのは嫌うはずなのに……)
ファルシアは考える。今回の魔物大量出現の事について。
蜘蛛型の魔物は基本洞窟や日の当たらない薄暗い場所を好み、そこを縄張りとして活動する。精々表に出る事があったとしても鬱蒼と草木が生い茂っている森くらいのはずだ。少なくとも、今回のように大量の蜘蛛が一斉に村を襲うなんて事は何の理由もなしに起こり得る事ではない。では何故蜘蛛達は動き出したのか?その情報が欲しいのだが、肝心の手がかりは御覧の通りちっとも集まらない。ファルシアは苛立ちを感じるように自分の親指に爪を立てた。
「ああ、そう言えば。一つ奇妙な情報もあったのでした」
「何?それは」
ふとジークは自身の髪を弄りながら思い出したかのように顔を上げ、そう呟く。その言葉にファルシアはすかさず反応し、聞き返した。
今はどんな些細な情報でも欲しい。一刻も早くこの現象の原因を突き止め、国王の負担を減らさなければならないのだ。
「今回の村とは別で辺境の村での事なんですがね。どうやら大勢の行方不明者が出ているようです……何でも、村人達がきれいさっぱり消えてるとか」
ジークは手を握り絞め、ぱっと開きながらそう説明する。その報告にファルシアは益々眉間にしわを寄せ、不可解そうな表情を浮かべた。
それは何とも妙な報告だ。今回のように村が魔物に襲われて村人が亡くなってしまったならとにかく、村人全員が突然消えてしまう。そんな現象が本当にあると言うのだろうか?彼女は思わずその情報が虚偽なのではないかと疑ってしまった。
「それは、確かな情報なの?」
「現在別の班が確認中です。何分旅人が村を訪れて発覚した事らしいので……そりゃそうですよね。本当に村人全員が消えてしまったのなら、それを伝える者すら居ないのですから」
「…………」
ぞくっと背筋が凍るような感覚を覚える。悪い予言をする時と同じ感覚だ。先程まで眩しさを覚えていた日差しは薄っすらと弱まった気がし、ファルシアは自分でも気づかないくらい小さな不安を抱いた。
預言に、魔物の大量出現、更には村人の一斉行方不明。嫌な事ばかりが起こる。これでは国王も不安に押しつぶされてしまうだろう。現にファルシア自身も立ち眩みを覚えていた。それを額を抑えながら耐え、小さく息を零す。
何をするにも手が足りなすぎる。冒険者ギルドにも依頼を出して調査を任せているが、優良な情報はちっとも手に入らない。それに最近の魔物の大量出現のせいで冒険者達はそっちに手がいっぱいというのが現状である。
「はぁ……こんな時、あの人が居てくれれば」
ついポツリとそんな弱音を零してしまう。普段は人から頼られる立場である彼女が、流石にこの状況には首が回らず、ありもしない可能性に縋ろうとしてしまった。
それは本当に思わず漏れてしまった本音のようで、ファルシアは目の前にジークが居る事に気が付き、ハッと口元に手を当てる。
「ほぅ、預言者である貴方がそんな事を言うなんて珍しいですね。誰ですか?その人物は」
「別に……貴方には関係ないでしょう」
「そう言わずに、教えてくれるくらい構わないではないですか」
珍しい物を見たとでも言いたげに瞳を輝かせジークはしつこく尋ねる。ファルシアは失態だったと後悔し、自分の額を軽く叩いた。
らしくない、こんな事。予言者である自分は大いなる力の言葉を届ける人柱でなければならない。その柱が揺らぐような事は本来あってはならないのだ。そう彼女は心の中で悔み、逃げ出すように歩き出した。今は一刻も早くこの場から離れ、先程の事を忘れたい。にも関わらずジークは付いて来ていた。背後からしつこく話し掛けてくる。ファルシアの口から気の抜けるようなため息が零れた。
「意味のない事よ。その人はもうこの王都には居ないし、どこに行ったのかも知らないのだから……」
「名前だけでも良いではないですか。有名人ですか?」
どれだけ歩き続けてもジークは付いて来る。この調子では自分の部屋にまで付いてきそうだ。出来るだけ言いたくなかったのだが、このままではらちが明かないと判断し、ファルシアは諦めたように立ち止まる。そしてかつて、その人物の顔を思い浮かべながら口を開く。
「……アレン・ホルダーよ」
投げやりのような、半ば無理やり聞き出されたようにファルシアは強い口調で白状する。彼女の金色の髪が揺れ、光に照らされて涙が輝くように光った。
アレン・ホルダー。それはかつて王都の冒険者ギルドに所属していたベテランの冒険者。特に何かが秀でている訳でもなく、とびきり優秀という訳でもない至って平凡で、ただ長く冒険者をしているというだけの男。城の者が聞けば多くが彼の事を小馬鹿にし、格下と見なすだろう。だからファルシアはあまりこの名を口にしたくなかった。どうせジークの性格なら間違いなく馬鹿にするだろうと思ったからだ。だが意外にも、彼は高笑いする訳でもなく瞳を丸くし、驚いた表情を浮かべていた。
「ホルダー?……あの〈万能の冒険者〉の?」
「そうよ。それがどうかした?まぁ貴方からしたら、大した事のない冒険者だとか言うんでしょうけど」
そう、確かに彼は万能の冒険者と呼ばれていた。実に仰々しくて、大袈裟な称号だ。名前だけで見れば最強の冒険者とも思われるかも知れないが、それは間違いだ。あの人はその称号を嫌っていた。自分にはふさわしくない。過剰評価だと。実際彼は万能ではないし、その万能の意味もあの人が偶々多種類の武器、魔法をある程度使っていたから付けられた名に過ぎない。むしろその万能こそが、何一つ極められない彼の苦しみの枷となっていた。そういう意味でもジークは馬鹿にしてくると思っていたが、次の瞬間、彼は意外な事を口にした。
「私彼と会いましたよ。少し前に」
「----!?」
何を言っているのかと、ファルシアは本気で自分の耳を疑った。
アレン・ホルダーは冒険者を辞めて以来、故郷に帰ったという情報以外何も手がかりがなく、ずっと誰も彼の居場所を知らなかったのだ。ギルド職員の汚職が発覚してから彼を連れ戻そうと多くの冒険者が捜索に出たが、結局何一つ成果は得られなかった。そんなアレン・ホルダーに、会ったという。目の前の兵士は。
「ど、ど、ど、どこで!? いつ会ったのよ?!」
「大分辺境の土地の方ですよ。ほら、以前勇者教団の事件があった時の。あの時会いました」
今度はファルシアがジークに詰め寄り、アレンについての事を問いただす。その勢いは普段の物静かな預言者らしからぬ、ジークも思わず身じろぐ程であった。ファルシアもそれに気が付き、コホンと小さく咳払いをしてローブの乱れを直す。
(確かあの地域は西の村がある場所……あんな辺境の土地にアレンさんが……?)
アレンは退職したとは言え実力はまだ十分あった。衰えたとは言え人間は仕事をしなければ生きていけない。それならばどこかの村なり別の街で冒険者の経験を活かした仕事にでも就くのではと皆考えていたが、まさかそんな辺境の土地に移り住んでいたとは。ファルシアは何だか出し抜かれたような妙な気持ちになり、何となく自分の額を叩いた。その奇行にジークも不思議そうに眉を顰めている。
「意外ですね。まさか預言者殿がアレン・ホルダーの事を知っているなんて」
「……昔、ちょっと付き合いがあっただけよ」
ジークは面白い事でも聞けたように楽し気に笑っている。それを不愉快そうに睨みながらファルシアは口を重く閉じた。詳しい事をジークに教えるつもりなどない。そもそもアレンとはそこまで深い付き合いではないので、言う必要すらないのだ。そうして彼女はローブを翻し、先程よりも速足で再び歩き始める。
「まさか、向かわれるつもりですか?」
「ええ、そうよ。何か問題?」
今度はジークは追い掛けるような事はせず、その問いかけだけをする。するとファルシアは一度ジークの方に視線を向けると、不機嫌そうに睨みつけ、答えだけ残すとずんずん先へと歩いて行ってしまった。その後ろ姿を見ながら、ジークは肩を落としてため息を吐く。
「まぁ問題はありませんが……自分の立場をお忘れないように」
聞こえる訳がないが、ジークは一人そう呟く。
自分に彼女を止める権利はないし、その地位にも付いている訳ではない。本来なら彼女はわざわざ国王に仕える必要もない立場の人間なのだ。故に、彼女がどこへ行こうと止める気はない。
「何せ貴女は、偉大なる魔術師の一人、〈青の大魔術師〉なのですから……」
彼女の揺らしている青いローブが段々と見えなくなっていく。そして完全に彼女の姿が視界から消えると、ジークもふっと鼻を鳴らし、自分が目指すべき場所へと通路を歩き始める。




