87:当たり前の平和
その日、リーシャとルナは村の隅にある野原でゴロンと寝転がりながら空を見上げていた。空は落ちてくるのかと思う程青く染まっており、雲一つない。時折草の間からは虫が顔を覗かせたり、顔の上で呑気に蝶々が飛んでいたりする。
「はー、平和だね……」
「そうだね……」
そんな思わず欠伸が出てしまいそうな状況にリーシャは眠たげな声を出しながらそう言う。隣でルナも頷き、同じように瞼を何度か閉じたり開いたりを繰り返し、睡魔と戦っていた。
「本当にこの大陸に魔王候補が来てるのかな?その割には大きな事件とかも起きないし、平和過ぎない?」
「うーん、確かにそうなんだけど……」
エレンケルが去り際に残した、「魔王候補が人間の大陸に侵入している」という言葉を思い出しながらリーシャはそう疑問を述べる。
信じていない訳ではない。現にエレンケルはその魔王候補のせいで傷を負ったのだし、信用性は薄いが妖精王だって敵が入り込んでいる可能性があると預言していた。ならばこの大陸に奴が居る可能性は高いと見て間違いないだろう。だが、それにしては世界はあまりにも静かすぎるのだ。竜との大規模な戦闘があった割には、その後敵は目立った行動をしてこない。それがかえってリーシャとルナを不安にさせた。
「前来たレウィアさんって魔王候補も、慎重に動いていたらしいし……だから、見つからないようにしてるのかも」
「はー、そっかー」
ルナが最初に出会った同胞である魔王候補、レウィア。彼女はお面祭りの時にアレンと接触を図った。だがそれ以外の事では人目に触れるような事はせず、闇に溶け込むように姿を消してしまった。シェルもあれから色々調べたらしいが、魔力の痕跡も見つけられない程綺麗に足跡を消して行ったらしい。ひょっとしたら今回の敵もそれと同じように隠れて行動しているのかも知れない。ルナはそう考えた。
「でもこっちからじゃ相手の出方が分からないってのはちょっと怖いなぁ……」
身体を起こし、自身のブロンドの髪に付いた草や花びらを払いながらリーシャはそう呟く。
彼女はもしも戦いになった時の事を想定しているのだ。相手がどこに隠れているのか分からない以上、自分達は迎え撃つ事しか出来ない。そうなれば相手の方が優位に立つのは必然だ。それをどうすれば補う事が出来るかをリーシャは真剣な眼差しで考えていた。
「あ、こんな所に居たー!」
すると突然野原の上の方から声が聞こえてくる。リーシャが振り返り、ルナも身体を起こしてその方向を見るとシファが立っていた。隣にはいつものようにダイも居る。彼女は見るからに怒りを主張するように頬を膨らませ、二人の事を見下ろしている。
「あれシファ、どうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ! 今日お昼に皆で遊ぼうって約束してたでしょ」
「あ、そうだった」
シファは腰に手を当て、呆れたようにため息を吐く。リーシャは約束の事を思い出してしまったと言わんばかりに舌を出す。隣では約束の事を知らされていなかったルナがシファと同じように呆れ顔になっていた。
「リーシャ、忘れてたんだ……」
「えへへ、ごめんごめん」
リーシャは別に抜けている訳ではないのだが、何事も前向きに考えるせいで小さな事を気にしない節がある。今回はそのせいでシファと遊ぶ約束をしている事をつい忘れてしまっていた。
ルナに注意され、リーシャは申し訳なさそうに頭を掻く。一応リーシャの方が姉という事になっているのだが、こういう所はしっかりしているルナの方がお姉さんらしかった。
それから四人はいつもの子供達の遊び場である平原へと向かった。最近はルナも多少明るくなった為、遊びにも参加するようになった。何よりシファと魔法の話をする際は魔法を実際に使って見せたりするので、例の特訓にもなるのだ。
「それで、なにして遊ぶ?」
「んー、じゃぁダイがどれだけ強くなったか確かめる遊びをしましょ。私達で色々ちょっかい出すから、ダイはそれを凌いで見せて」
「えええぇ?!な、何でそんな……」
四人で遊ぶ内容は大体適当だ。殆どはシファがその日の気分で決めたりする為、今日はダイを弄る事で遊ぶ事にした。ダイも嫌がるような素振りはするがシファに逆らう気にはなれず、渋々ながら了承する。それからはダイは三人にどれだけ耐えられるかとくすぐられたり、俊敏さはどれだけあるかと追い掛け回されたり、とにかく散々な目にあった。それでも弱音を吐かないところは、流石は子供達の兄貴分といったところか。
「も、もう無理……」
「えー、もう終わり?体力ないわね。ダイ」
「そんな事言ったって……」
ようやくシファが満足した頃にはダイは疲れ果て、地面に転がってもう一歩も歩けないくらい疲弊していた。シファ達もそれなりに追い掛けたりしたので隣のルナも疲れていたが、唯一リーシャだけはまだ体力が有り余っているようだった。今だってその辺に落ちていた木の棒を手に取り、素振りの練習をしたりしている。
「そんなんでアレンおじ様みたいな冒険者になれると思ってるのー?ほら」
「うっ……な、なってみせるよ」
シファの手を借りながらダイは身体を起こし、背中に付いた草を払う。それから四人はルナが予め用意していた水筒で喉を潤しながら平原に座り、いつものようにお喋りを始める。
「ていうか、ダイは将来冒険者になるつもりなの?」
「あ、うん。そうなりたいとは、思っているよ」
水筒から口を離しながらリーシャはふとそう尋ねる。するとダイは少し遠慮するように視線を逸らしながらも肯定して見せた。
別段子供が冒険者になりたいと願うのはおかしい事ではない。この村だってごく稀ではあるがグランのような冒険者が訪れる事がある。その時聞かされた武勇伝などに憧れ、大人になったら冒険者になりたいと願うようになるのだ。
だが、この村で育った子供は大抵が大人になっても村で過ごし続ける。そもそも環境が特殊な村でもある為、あまり外に出ようとする意思がない。それに西の村との交流もある為、わざわざ遠くに行く必要はないと考える者も居る。
だからと言ってダイの夢が叶わないものという訳ではない。現にリーシャとルナの父親であるアレンだって冒険者になる為に村を出たのだ。それにダイが憧れたというのならば、誰も彼の夢を止める権利はない。だがもしもダイが本当に冒険者になろうとするならば、絶対に迎えなくてはならない事がある。リーシャは少し不安げな顔色になりながら言葉を続けた。
「じゃぁ……いつかはこの村を出るって事?」
「そう、なるね。まだまだ先の話だけど」
リーシャの言葉にダイも多少なりとも寂しげな表情を浮かべながらも至って普通に答えて見せた。彼自身は仕方ない事だとしっかり受け入れた上で夢を語っているようだ。ダイの反応を見てルナも彼の方に勢いよく顔を向け、目を見開く。
「え……ダイ、居なくなっちゃうの?」
「だから将来の話だよ。今の実力じゃ冒険者なんて無理だし、せめてリーシャより強くならないとね」
「アハハ、言うじゃん」
ダイは強気にそんな事を言い、リーシャも笑って返しているが、その横ではルナはまだショックを受けたような顔をしていた。
まさか本当に冒険者になる為に村を出るとは思ってもみなかったのだ。自分が今まで当たり前だと思っていたものが急に崩れ落ちたような感覚に、ルナは思わず手を震わせる。
「ダイの実力じゃまだまだだろうねー。アレンおじ様と違ってあんたは剣一本で強くならなくちゃいけないんだから、もっと体力つけないと」
「うっ、分かってるよ」
シファは変わらずダイの事をからかう。その内容も実際的を得ている為、ダイは反論する事出来ず頷き、誤魔化すように水筒の水を一気に口に含んだ。
「冒険者かー、そっかぁ……」
「リーシャやルナだって大人になったらどうするつもりなの?師匠みたいに冒険者を目指すのかい?」
「うーん、どうだろうねー……」
標的を変えるという意味もあってダイは話題をリーシャ達の将来についてに移す。
リーシャとルナだって元冒険者のアレンの子供なのだ。何より剣技と魔法の才能を十分に持っている二人なら実力だけ見れば今からでも冒険者になる資格はある。そんな二人の将来が気になるのは必然の事であった。
「冒険者ってのに興味があるのは事実だけど、だからと言って村を出るのは寂しいしなー」
リーシャは水筒を横に置き、舞っている花びらを見上げながらそう言葉を続ける。
昔から彼女は冒険者に興味はあった。自分の父親が元冒険者なのだ。関心を持たない訳がない。だがだからと言って勇者である彼女が外へ出るのには危険が多い為、ずっと村の外に出るのは控えていた。だがアレンと話し合い、立ち向かう覚悟が出来た今は昔とは心境が違う。リーシャにも多少なりとも外の憧れは覚えていた。
「じゃぁずっと村に居るの?」
「かなぁ。でもそれってつまりダンおじさんとかシェーファさんみたいに、誰かと結婚して家庭を作るって事だよね……なんか、想像出来ないや」
かつてのアレンのように村を出なかった場合、大人となった村の者は同じ村の誰かと一緒になり、家庭を築いて暮らしていく。そしたら畑を耕したり、別の村と交流しながらのんびりと日々を過ごしていく。その事だけは漠然と分かってるのだが、まだ子供の彼女達はどのように結婚し、子供を作るのか知らない為、その光景を容易に想像する事が出来なかった。リーシャは首を傾げ、ダイも頬を掻く。
「まぁまだ私達は子供だしね。そういう事はもうちょっと成長してから考えれば良いわよ」
「そ、そうだよ……」
シファはくだらないとでも言いたげに手を振るい、そう言う。それにルナも同調し、少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら顔を頷かせる。
彼女達はまだ幼い子供なのだ。将来何になりたいと目標を作るのは良いが、そんな真剣になって悩む必要はない。今は目の前にある事に一つ一つ真剣に向き合って行けば、いずれ自分がしたい事は心にしっかりと宿るはずである。
「それじゃ今日はそろそろ帰りましょっか。ダイは腕立て伏せしてから帰っても良いわよ」
「なんで!?」
それからも他愛ないお喋りを続けた後、良い頃合いになって来たのでシファ達は解散する事にした。最後になってもダイ弄りは相変わらず続いていたが、リーシャとルナはその光景を楽し気に眺めていた。
四人は帰り道を歩き、それぞれの家に続く分かれ道の所で別れの挨拶を言う。
「じゃぁまたねー」
「また明日―」
リーシャとルナは手を振ってシファとダイの二人と別れ、アレンとシェルが待つ自分達の家へと向かう。二人は並んで歩き、地面に映っている自分達の影を眺めていた。
「ねぇルナ」
「ん、なぁに?」
不意にリーシャは視線を下に向けたままルナに話しかけた。その声を聞き、ルナは視線を上げてリーシャの方に顔を向けながら聞き返す。
「今日は、楽しかったね」
「うん……凄い楽しかった」
「こういうのがきっと、平和って言うんだよね……当たり前の」
今回が特別に楽しかった訳ではない。シファとダイには毎日合っているし、その度に二人の掛け合いは面白く感じ、皆で過ごすのはとても楽しい。それがリーシャとルナにとっては当たり前の平和であった。普段は気付く事が出来ない、自分達のすぐ傍にあるもの。それが、ひょっとしたら壊されてしまうのかも知れないのだ。
「魔王候補なんかに負けてられないね。頑張らないと!」
「うん……村の皆を傷つけるような事は、私が……ううん、私達が絶対防いで見せる」
「だね! 約束だよ、ルナ」
珍しくルナが強気な事を言い、リーシャもそれに賛同する。二人は自分達が交わした約束の絆を強める為、手を繋ぎながら家へと帰った。




