86:氷の鳥
レド・ホルダーの経歴は謎に包まれている。彼女は昔からこの村に住んでいながら人との接触を極端に避けていた為、村に住む前はどこに居たのかなどを知っている村人は居ない。唯一彼女と長く共に時を過ごしたアレンですら知らない事の方が多いくらいだ。レウィアの情報提供からある程度の事は分かったものの、それでも彼女の根本的な事が判明した訳ではない。
ただ、唯一分かっている事は彼女が卓越した才能と技術を持ち、その強大な魔力で多種多様な魔法を自在に扱う実力者であったという事。それはこんな平穏な村には似つかわしくない力であり、彼女が限りなく異端である事を証明する消えない凶器であった。
「……ふぅ、当然と言えば当然だが、埃っぽいな」
アレン・ホルダーは埃だらけで散らかった屋敷の中を漁っていた。床には本や家具が散らばり、長年放置していたせいで植物の蔓が入り込んできてしまっている。分かっていた事はとは言え今まで放置していた自分を後悔し、アレンはパンと自分の額を叩く。
「ここに来るのも何年振りかな。……ルナの為とは言え、まさかまたこの屋敷に来る事になるとは」
この場所はかつてレドと共に住んでいた屋敷。幼少期を過ごした思い出の場所である。ある理由からこの場所を離れる事になり、アレンはずっとこの屋敷には戻って来ていなかった。無意識の内に近づこうとしなくなったのだ。思い出の場所ではあるが、同時に思い出したくない記憶もあるから。しかし今回、彼は愛する娘のルナの為、どうしてもこの場所に来なくてはならなかった。
(婆さんはどこで手に入れたのかは知らんが色んな魔法書を持っていた……見た事もない文字だったりよく分からん本ばかりだったが、ルナの助けになる本がこの中にあるかも知れない……)
アレンは散らばっている本を一つ一つ手に取って開き、中身を確認していく。しかしお目当ての本は中々見つからず、歳の事もあって長くは動けない彼はずっと曲げていた腰をトントンと拳で叩いた。
流石にこれだけの数の本を年老いた自分一人で確認していくのは無理があったかも知れない。ただでさえ家の中は散らかっているのだ。せめてシェルにくらい手伝ってくれるようにお願いすれば良かった。アレンはそう後悔する。そこでふと、リーシャとルナの顔が頭に思い浮かぶ。
(そう言えば、二人にはまだこの家の事ちゃんと言ってなかったか……)
色々自分の過去を調べていたくらいだしひょっとしたら知っているかも知れないが、彼女達にはきちんとこの屋敷の事を紹介していない事にアレンは気付く。
別にわざわざ言う必要はないかも知れないが、自分の過去が気になっていた二人ならこの屋敷の事も知りたいかも知れない。だがその時はきっと、アレンはもう一度この屋敷に入らなければならないだろう。それを思うと彼は何かを誤魔化すように自身の髭を弄った。
「いつかきちんと、紹介しないとな」
アレンはふとテーブルの置かれている方へと目を向ける。この村には似つかわしくない凝った装飾が施された長テーブル。年月が経ち、埃を被ってしまっている為薄汚く見えるが、ここに置かれている家具はどれも屋敷としてふさわしい上等な物ばかり。一体どこで入手したのか知らないが、アレンが幼少の頃からこのような家具は設置されていた。それらに囲まれながら過ごしたのだ。それを見ているとつい懐かしくなり、レドの事を思い出してしまう。
しばらくそのままテーブルを見ていたが、正気の戻るようにアレンはまばたきし、自分が何の目的でこの屋敷に来たのかを思い出す。そして本探しを再開しようとしたその時、椅子の上に置かれていた本が目に入る。
「おっ……これなんかそれっぽいぞ」
見覚えのある表紙だった為、アレンは椅子を引いてその本を手に取る。
分厚く、金の刺繍で何らかの文字が刻まれている大切そうな黒い本。確か昔もレドがこの本を読んでいた記憶がある。その時は魔力の操作性について記述してあったはずだ。これならばルナの助けになるかも知れないと思い、アレンはページを開いた。
「ん……ああ、やっぱり。全部は読めないか。特に後半部分は」
予想していた事ではあるが、本に書かれている文字はこの地域では使われていない文字であった。アレンは昔からこのような本をレドに読まされていた為、何が書かれているか雰囲気程度なら分かるが、それでも詳しい事までは分からない。首を傾け、困ったようにため息を吐く。
「魔力の事について書かれてるって事は分かるんだが、それ以上はなぁ……」
何ページかパラパラとめくってみてもやはり全貌を知る事は出来ず、これがどのような本なのか程度しか分からない。そもそもこれが何の文字なのか詳しくは知らないのだ。確かレドは遠くで使われていた時代遅れの文字とくらいにしか教えてくれなかった。アレンは唸る様に天井を見上げた。
「あいつには解読は頼めないし……しょうがない。シェルにでも聞いてみるか。魔術の研究してるし、何か分かるだろう」
これ以上は自分で調べても何も分からないと判断し、アレンはその本を閉じて懐へとしまう。ひとまずは目的の物も手に入った為、これ以上この場に居続ける必要もないだろう。彼は自分がかつて座っていた椅子にそっと触れ、目を細める。
「んじゃ、今度来る時は孫を見せに来るよ……婆さん」
アレンは最後にそれだけ言い残し、椅子から手を離すと真っすぐ出口へと向かう。そして草が生い茂った外へと出ると、二度と振り返る事なく屋敷を後にした。
帰路の途中でもアレンはあの黒い本を読み解こうとページを開いていた。自身が過去にレドに言われた言葉を思い出しながら、何か一致する箇所はないかと探り続ける。しかし何分古い記憶だからか、その作業は順調には進まなかった。やはり自分も歳だなとアレンは自嘲気味に笑い、額を叩く。頭上の空はそんなアレンの事など気にもせず清々しい青色に染まっていた。
家に戻ると、庭でリーシャとルナが何やら遊んでいるのが見えた。わざわざルナが外で遊んでいるという
事は何か魔法の練習でもしているのか。気になったアレンは本を懐にしまい、そっちの方へと歩いて行く。するとリーシャとルナもアレンの存在に気が付き、顔を上げる。
「あ、父さん! お帰りなさーい。見て見て、ルナが凄いの作ったんだよ」
「お帰りなさい、お父さん」
「ああ、ただいま二人共。おぉ、氷のやつか」
リーシャはアレンに駆け寄りながら自慢げにある方向を指差す。するとそこにはルナの前に立つ巨大な氷の鳥が今にも飛び立ちそうな姿勢で飾られていた。
どうやらルナが氷魔法で作ったものらしい。ルナ自身もここまで細かく美しいものを作ったのに少し自信があったのか、どこか楽し気であった。
「こりゃまた凄いのを作ったなー、ルナ。もうシェルに教わった氷魔法は完璧なんじゃないか?」
「そんな事ないよ……シェルさんにはまだまだ教わる事が多いし、これ作るのにも三分くらい掛かっちゃったから」
アレンが褒めるとルナは照れたように頬を掻きながらそう答える。するとアレンはその三分という言葉に反応し、思わず目を見開いた。
改めて自分の前にある巨大な氷の鳥に目を移し、こんな涼し気な光景でありながら冷や汗を掻く。
(おいおい……三分でこの出来か……凄いな)
氷の造形魔法。アレンが魔力の暴走を防ぐ為にルナに教えた特訓だ。複雑な魔法を繰り返し使う事で魔力を身体に馴染ませ、暴走を抑制させるのを目的としている。ルナはこの特訓をほぼ毎日行い、複雑で細かい造形の氷の鳥をたくさん作り出していた。そのおかげもあってか彼女も時折感じる気怠さが少なくなったらしく、体調も良好らしい。それでこの特訓に希望を覚えたルナは益々やる気を出し、遂にはここまで巨大な氷の鳥を作るようになってしまったのだ。
作り出す氷が大きければ当然魔力もその分消費する。加えてこの鳥は小さい氷の時と同じくらい細かく、翼の羽を一つ一つ造形している。むしろ大きくなった分、その辺りの細かさはより洗練されていると言えるだろう。つまりこれ一つを作るのに相当な魔力を消費しているはずだ。いくら腕利きの魔術師でもここまで凝った氷の造形魔法を行うのはそれなりの体力と時間を必要とする。だがルナは、それをたったの三分で行ったと言う。アレンは改めてルナを褒めた。
「流石ルナだな。この調子なら魔力も大分身体に馴染んだんじゃないか?」
「うん! 私もっと頑張る」
アレンの言葉を聞いてルナは嬉しそうに笑みを浮かべる。
こんな明るい表情をする彼女は珍しかった。以前は色々悩みを抱えていた為、自分一人で背負い込む事が多かったのだろう。だが今はそれを解決出来る兆しが見えた為、大分明るくなっている。それを見てアレンは良い兆候だと安心した。
「だけど無理するんじゃないぞ。夕飯の時に倒れないよう気を付けなさい」
「はい、お父さん」
「大丈夫だよー。ルナは私が見てるから」
「リーシャはちょっと信用ないからなぁ」
「え~!?」
リーシャ自身が結構危ない事をする為、冗談半分でアレンがそう言うとリーシャもショックを受けように声を上げる。その様子を見てルナはクスリと笑い、リーシャは何で笑うのかと詰め寄った。そんな微笑ましい光景を見ながらアレンも家の中へと戻り、靴を脱ぐ。
「あ、お帰りさない。先生」
「ただいま、シェル。工房に居るかと思ったよ」
「先程研究が終わったところです。先生は何をしていらしたんですか?」
家の中に戻ると白フードを着ているシェルが顔を出し、アレンを出迎える。その手には幾つか書類が握られており、つい先程まで魔法の研究をしていたようである。
「まぁちょっと色々とな……」
シェルの質問に対してアレンははぐらかすように答え、そのまま部屋の奥へと進んで行く。
シェルも仕事を終えたばかりのようだし、すぐにあの本について尋ねなくても良いだろう。アレンはそう考え、自分の荷物をソファへと下ろした。
「それにしても凄いですね。ルナちゃん。私が教えた氷魔法をあそこまで使えるようになっちゃうなんて……」
「ああ、そうだな」
窓から見えるルナの様子を見てシェルがそう感想を零す。
どうやら大魔術師のシェルから見てもルナの才能は凄まじいらしい。ルナに直接魔法を教えたからこそ、むしろその成長ぶりを実感できるのだろう。
「それに最近のルナちゃんはとても楽しそうですよ。今日もリーシャちゃんと一緒に庭に出るくらいですし」
氷魔法を使うからという理由はあるとは言え、最近のルナは率先して庭へ出ようとする。前までも友達と外に遊びに行く事は普通にあったが、今では自分から外に出たがるのだ。この変化は良いと言える。何よりルナが明るい顔をしているだけでアレンもシェルも嬉しかった。
だからこそ、あの笑顔は毎日出来るように、ルナの悩みは完全に解消しなくてはならない。もう彼女が自分の力で苦しまないよう、導いてあげなくてはならないのだ。アレンは拳を握り絞め、心の中で改めてそう誓う。だが今だけは、この平穏に少しだけ甘えたい。アレンは拳を緩めると、庭で楽しそうに魔法の練習をしているルナを見守った。
「ところで今日の晩御飯は何にしますか?」
「んー、そうだな……せっかく取れたてのながいもがあるから、それを使った料理はどうだ?」
「良いですね。じゃぁ付け合わせは……」
ふとシェルはアレンの方に顔を向け、今晩の献立を何にするか尋ねる。アレンも思考を切り替えると今家に何があるかを思い浮かべ、シェルと共に料理を何にするか話し合った。




