84:二本角の野獣
南地区最南端エリア。外界との出入口である巨大な門が設置されている区画。基本地区には一つの出入り口が用意されており、そこを介して魔族達は外界と町を行き来する。門は二重構造になっており、天高く聳え立つ壁によって外敵からの侵入も防いでおり、中の町を平穏に保っている。だが時に凶暴な魔物が空から侵入したり、門を壊して侵入して来る事がある。以前までなら魔術師達の防護結界によって防ぐ事が出来たが、現在は人員不足と魔物の凶暴化によってそれも不可能となってしまっている。つまり今の魔族の王国には魔物達の侵入を防ぐ手立てがないという事だ。この深刻な問題にレウィアも何とかしたいと願っているが、魔王でもない彼女に指揮権はない。本来なら魔王候補全員が協力すれば何とか出来る問題も、欲深い彼らには手を組むという考えは一切浮かばず、この悲惨な現状に見向きもしないのである。レウィアに出来るのは精々侵入して来た魔物を撃退する。それくらいしかないのだ。
南地区に到着したレウィアはまず現状を確認する。被害状況、人々の様子、対処はどの程度進んでいるかなど。どうやらまだ状況はそこまで酷い訳ではないらしい。相変わらず荒れていて廃墟などが並んでいる地区だが、人々が慌ただしく逃げているだけで魔物の侵入によって血が流れるような事にはなっていないらしい。レウィアはまずその事に安堵する。
「あ、レウィア様! 来てくださったのですね!」
「ん……被害状況はどうなってる?侵入して来た魔物は?」
慌ただしく走り回っている魔族の男達がレウィアの事に気が付き、助けが来てくれたと安心したように表情を和らげる。レウィアも男の元に駆け寄り、彼から情報を得ようと話し掛ける。
「怪我人は居ません。建物が幾つか破壊されただけです。ただ門が破壊されて魔物が……」
魔族の男が話している途中で近くから耳をつんざく咆哮が聞こえて来た。続けて建物が壊れる破壊音が響き渡り、砂ぼこりが飛んでくる。その方向を見てレウィアは腰にある魔剣を握り絞め、男の方に顔を向けた。
「門の修復を急いで。私は侵入した魔物達の相手をする」
「はっ! 了解しました!」
男にそう指示を出し、レウィアは咆哮が聞こえて来た方向へと向かう。逃げ回る人々の波を潜り抜け、建物を飛び越えて咆哮の発生源へと降り立つ。どうやらこの様子からして魔物はまだ一体しか入り込んでいないようだ。破壊された門の所で兵士達が頑張ってくれているらしい。しかし入り込んだ魔物が相当厄介らしく、砂煙を巻き起こしながら町の中心で暴れている。レウィアはその煙に巻き込まれながらも臆する事なく前に進み、その先にいる怪物と対面する。
それは巨大な四足型の魔物であった。頭部に二本の長い角を携え、禍々しく歪んだ顔に赤く膨れ上がった筋肉の塊。前足後ろ足にある黒く鋭く伸びた爪。そんな魔物が町の中で咆哮を上げて暴れ回っていたのである。
「グルゥゥァァアアアアアアアアア!!!」
何が目的なのか、それともただ本能のままに暴れ回っているのか、その魔物は辺りの建物をただ闇雲に破壊し、人を襲う訳でもなく壊すという事を楽しんでいる。レウィアはそんな魔物に一歩近づき、腰にある魔剣に手を添えた。
「あまり暴れないで欲しいな……この国はただでさえ弱っているんだから」
「グルァアアア!!」
レウィアがまた一歩近づくと魔物も彼女の存在に気が付き、血走った瞳を向ける。そして剣に目が行くと彼女を敵と認識し、唾液をまき散らしながら咆哮を上げた。巨体からは想像出来ない程の速さで腕を振るい、その黒い爪でレウィアを引き裂こうとする。しかし彼女は僅かに身体を横にズラすだけの最低限の動きでその攻撃を避けて見せた。地面に魔物の腕がめり込み、亀裂が入る。すぐさま魔物は腕を引き抜き、もう片方の腕を振るった。しかしレウィアはまた姿勢を低くするだけの少しの動きでそれを回避する。
「だから、暴れないでって」
レウィアは魔物に対して怒りを向ける訳でもなく、ただ寂しそうな表情を浮かべながらそう言う。魔物はその言葉を理解しているのかしていないのか、彼女に対して明確な怒りを抱きながら咆哮を上げ、頭部の二本の角で彼女を貫こうと突進した。しかしその動きは突如止められる。見ればレウィアは鞘から引き抜いた真っ黒な禍々しい剣で魔物の角を受け止めていたのだ。
「----少し痛いよ」
次の瞬間彼女は隼の如き速さで駆け抜け、魔物の四本の足全てを斬り付ける。痛みでうめき声を上げ、体勢を崩した魔物は何が起きたのかも分からず地面に崩れ落ちる。
「グゴガッ……!?」
「悪いけど……私も全部を守れる程器用じゃないの。民を守る為に、貴方を消す」
魔物はまだ抵抗しようと倒れた姿勢のまま顔を横に振るい、長い角でレウィアに攻撃する。しかし彼女はその場で跳躍すると角を避け、魔物の頭部に乗りかかった。そして魔剣を躊躇なく掲げ、そのまま頭部に深く突き刺す。そしてレウィアは剣を突き刺したまま駆け下り、魔物の顔を真っ二つに切り裂いた。
「グェヘァッ……?!」
魔物は長い舌を垂らして息が漏れたような情けない声を出し、身体全体が地面に崩れ落ちる。その残骸から赤黒い血が飛び出し、レウィアに降りかかった。彼女の着ていた真っ黒なドレスが血で汚れるが、彼女は気にした素振りもせず自分の頬に付いた血をそっと指で払う。
「ふぅ……」
魔物を倒した後、レウィアは本当に死んだかどうかを確認する。魔物の中には頭部と思っていたらただの飾りだったという変わった特徴を持つ魔物も居る為、油断は出来ない。魔物が完全に事切れているのを確認すると彼女は安心した訳でもなくただ静かに息を吐く。
魔物を倒したからと言って何か高揚感が湧き出てくる訳でもない。町の危機がなくなったのは嬉しいが、どうせすぐにまた魔物は入り込んで来る。門は何度も破壊され、その度に修復してももろくなっていく。何か対抗策を用いたくても、今の国の状況では協力してくれる者は居ない。民は欲深い者達の身勝手さの犠牲となっていくのである。レウィアは誰に向ける訳でもなく、ただ静かに怒りで腕を震わせた。
「レウィア様ー! ご無事でしたか!」
ふと遠くからレウィアを呼ぶ声が消えてこ来る。それは先程の魔族の男だった。他にも兵士を連れて来ており、レウィアの様子を見に来たらしい。彼女は顔に付いている血を腕で拭い、手を振るう。
「ま、魔物を倒したんですね」
「ん……他に侵入して来た魔物は居ない?」
「はい、確認した限りでは。門の一時補強も済みましたので、これ以上魔物が入って来る事もありません」
これ以上の脅威がない事を確認し、ようやくレウィアは安堵したように表情を和らげる。しかしその微妙な変化に魔族の男達が気付く事はなかった。彼女は魔剣を振るうと刃にこびり付いていた魔物の血を払い、鞘へと納める。
「じゃぁ私は一旦戻るから。何かあったらまた報せて」
「はい、わざわざ出向いて頂き有難う御座います」
レウィアはそう言い残すと再び城に向かって歩き出した。レウィアも魔王候補という立場の為、色々と城でやらなければならない事がある。本来ならこんな末端の地区に来る事すらあり得ないのだ。それでも彼女が民を助けに駆け付けるのは、全て彼女が優しい性格をしているからである。
男と兵士達はレウィアに羨望の眼差しを向けながら見送る。そして姿が見えなくなると、気が抜けたように肩を落とす。
「は~、流石レウィア様だな。こんな凶暴な魔物をあっという間に始末しちまうなんて」
「最強の魔王候補の名は伊達じゃないってことか」
レウィアが居なくなると男達は彼女がいかに凄いかを話し合った。彼らのような一般の魔族からすればここまで巨大で凶暴な魔物を一人で倒せるレウィアは英雄のような存在だったのだ。もちろん兵士達が束で掛かれば対処出来たかもしれないが、それでも彼女のように傷一つ負わずに倒すのは無理である。やはり魔王候補というのは魔王を名乗っても顕色ない意味なのだと改めて彼らは理解する。
「他の魔王候補の方もあんなだったら良いのにな」
「それこそレウィア様のような方が珍しいだけだろ。普通の魔王候補なら俺らみたいな下々の事なんて気にしねぇ」
「それもそうだな……」
男達はため息を漏らしながら魔王候補について話し合う。
本来魔王候補はその名が示す通り魔王となってもおかしくない人物の事を指す。そのような者達が魔物が侵入して来たからといっていちいち表に出るような事はしない。国を脅かす程の事態でない限り彼らが自分から動くような事はしないのだ。ましてや今は国全体の心がバラバラとなっている状況。全てが敵のような今では魔王候補達も民を助けようなどと思うはずがない。むしろ自分を支持しない連中が減って手間が省けるとさえ考えているだろう。それが欲深い魔族の本来の姿である。
だが民達の中には力を持たないか弱い者達も存在する。彼らの力では対処できない危機が山ほどあるのだ。レウィアはそんな彼らを見捨てる事が出来ず、忙しくとも駆けつけて問題を対処するのである。故にレウィアは力を持たない民達からの支持が多い。力はないものの、数だけ見れば彼女も十分王としてふさわしい人望を集めているのだ。だがそれだけでは王になれないのが魔族の国。民達の中には力ない弱小の者達を嫌い、それを切り捨てようと考える者達も居る。否、むしろそれが本来の魔族として正しい姿なのだろう。レウィアの行為はただの甘えだと拒絶し、力のある別の魔王候補を支持する。だからこそこの国は壁で隔たれているように民達の心すらも分かり合えなくなってしまっているのだ。
「できる事なら、レウィア様が魔王になってくれりゃぁ嬉しいんだがなぁ……」
ふと男は暗雲に包まれた空を見上げながら子供が夢物語を口にするようにそう願望を零した。それを聞いて周りの兵士達も頷くが、どこか悲しそうで表情は浮かばない。
「そりゃ無理だろう……」
「え、何でだ?」
「だってレウィア様が魔王になるって事は、宰相様が……」
「……ああ、そうか……」
兵士がそこまで言い掛けた所で口を止める。男も何かを察したように顔を俯かせ、乱れた気持ちを表すように髪を掻いた。彼らはそれ以上はもう何も言わず、沈黙している魔物の方へ顔を向けた。
「……さてと、それじゃ俺達は俺達の仕事に戻るぞ。魔物の死体を処理しなくちゃならねぇ」
「そうだな。んじゃ人を呼んでくるか」
男達は気持ちを切り替え、夢物語ばかり口にしていないで今自分達がやれる事に意識を向ける。まずはこの巨大な死体を処理しなければならない。放置していれば血の匂いに釣られて他の魔物がやって来るかも知れないし、虫がたかる。兵士は人が必要だと判断し、それぞれの行動に移った。




