80:万能が仕掛けた罠
「はぁ……はぁ……ちくしょうめ……」
盗賊団のボスは息を荒くしながら剣を地面に突き立て、杖代わりにするように剣を支えにして森の中を歩いている。その姿は最初に森に来た時とは違って荒んでおり、服のあちこちは土や泥で汚れ、鋭い爪痕や牙によって切り裂かれている部分もあった。顔の傷跡も増えており、満身創痍と言ったところである。
「どうなってんだこの森は?いくら何でも魔物が多すぎる」
大事そうに手に持っている竜の鱗を握り絞め、ボスはそう不満を呟く。
あれから何とか四足歩行型の魔物達を退け、ボスとその部下は大分山奥まで入って来た。だがその最中にも罠魔法が仕掛けられており、更には別の魔物も襲って来た。そのせいで部下の半数は取り残されるか再起不能になり、勢力は最初の頃の半分以下となってしまった。はっきり言ってこの人数では竜を倒す事は不可能だろう。ボスは当初の計画が大幅に狂ってしまった事に怒りを募らせる。
(最悪の場合、部下共を盾代わりにして隙を突いて鱗を剥ぐしかねぇ……)
最後の手段ではあるが、ボスはこういう万が一の時の事を考えていない訳ではなかった。
竜という常識の通じない生き物を討伐しようとしているのだ。当然策は幾つも用意してある。そしてもしも戦力が大幅に減少した場合は竜本体を討伐する事は諦め、最悪数枚ほど竜の素材を手に入れられれば良いと考えていた。鱗一枚でも価値はかなり高いのだ。それが数枚集まれば十分である。だがこれはあくまでも最終手段であり、そもそも戦っている最中にどうやって鱗をはぎ取るのか?それは考えていなかった。ボスの額から嫌な汗が一筋流れる。
その時、突如後ろから悲鳴が沸き起こった。ボスが振り返るとそこでは巨大な氷の棘が地面から突き出ており、残り少ない部下達が数人その餌食となっていた。
「ボス! また罠魔法です!!」
「ちっ……うろたえるな! 冷静に対処しろ!」
騒ぎ始める部下達を剣を振って黙らせ、ボスはそう指示を出す。それを聞いて部下達も言う通りに設置魔法の根源である地面に刻まれていた魔法陣を剣で削った。だが他にも丸太が飛んで来たりと古典的な罠も仕掛けられており、部下達はそれによって吹き飛ばされる。
(くそっ……このままだと戦力が殆ど居なくなっちまうぞ)
次々と部下が再起不能になるのをボスは怒りをぶつけるように剣を地面に叩きつける。剣が唸るようにな鈍い音が鳴り、腕に痺れが伝わって来る。
このままでは全滅もあり得なくない。どういう訳かこの森には魔物が多すぎる。加えてこんな罠がたくさん仕掛けられていてはどれだけ数を揃えても無意味だ。だが引く訳にもいかない……ボスは何とかしてこの地帯から脱出したいと考えた。
「ちくしょう、もうやってられないぞ! ボス、俺はもう抜ける!」
「ああ?なに寝ぼけた事言ってやがる?」
「聞いてた話と違う! 手負いの竜をやるはずが、こんなダンジョンみたいな森で迷子状態! これ以上はもう耐えられない!」
突如部下の一人がそう叫び、手に持っていた短剣を地面に投げ付けた。それを聞いてボスはその部下を睨みつけるが、彼は怯みながらも不満を訴える。その言い分は確かに間違ってなく、ボスも唇を噛みしめる。
「お、俺も……仲間が半数以上やられた。これで竜に立ち向かった所で、敵いっこねぇ!」
「自分も! もう抜けさせてもらいます……っ!」
「てめぇら……!」
一人が抜けると言い出すと他の盗賊達もそれに同調し、手を上げ始めた。ボスは弱音を吐く部下達に怒りを覚え、今すぐ剣で斬りつけてやろうかと柄を握り絞めたが、数少ない戦力を減らす訳にもいかず、それを押しとどめる。そして視線を下に向けてしばらく考えた後、ゆっくりと顔を上げた。
「だったら……火を放て。この森を燃やし尽くすんだ。そうすれば竜も出て来るはずだ」
ボスは隣に居た包帯だらけの部下にそう言い放つ。
これは最終手段の内の一つ。竜がどうしても見つからない時は邪魔な木々を火で焼いてしまおうと彼は考えていた。これならばわざわざ村を探す必要もないし、襲って来る魔物達を退ける事が出来る。問題は自分達まで火に囲まれないように気を付けなくてはならないのだが、チームの統率が取れなくなった今、そんな事はどうでも良い。
「で、ですがボス……!」
「やれって言ったらやるんだよ!!」
流石にこんな広大な森に火を放つのは危険だと思ったのか包帯だらけの盗賊は躊躇するが、ボスは切羽詰まった表情で大声を出し、無理やり火を放つように指示を出す。そう迫られたら部下も拒否する訳にはいかず、彼は転がるように後ろに下がり、火を放つ為に懐から火薬を取り出そうとした。だがその時、突然どこからか石が飛んで来た。包帯だらけの盗賊は腕にそれが直撃し、悲鳴を上げる。
「うげっ! な、なんだ!?」
ゴロンと地面に転がった石を見て包帯だらけの盗賊は苦しそうに腕を抑えながらそう叫ぶ。そして恨みをぶつけるように転がっている石を蹴飛ばした。ボスはそれを見てすぐに石が飛んで来た方向を確認する。かなり遠く、草木が生えているせいで正確な場所は分からない。ボスは目を細めた。
「今のはっ……罠じゃねぇ。投石だ。誰かが俺らの事を見てやがったんだ……!」
ボスはそれが今までの罠魔法や古典的な罠とは違う、誰かが直接投げて来た物だとすぐさま見抜いた。と言う事は自分達を行動を監視し、今の会話を聞いて森を焼かれるとは不味いと思い、直接攻撃に出たと言う事である。ならば恐らくその人物はこの山の村に住んでいる者のはずである。
「見つけろ! そいつを捕まえれば竜の手がかりになるかも知れねぇ!!」
「「お、おおぉぉ!」」
竜の話題を出すと先程まで引き越しだった部下達は急にやる気を出し、ボスの指示に従って走り出した。
一個しか石を投げず、すぐに二個目が飛んでこないという事は敵の数は少数。恐らくは最初は偵察が目的だったのだろう。ならば今の部下の数でも十分捕まえられるはずである。ボスはそう判断し、自分自身も走り出した。坂道を上り、草が生い茂っている場所を掻き分ける。だがそこには誰も居なかった。
「い、居ないぞ!?」
「くそっ……移動したか!」
盗賊達はそう叫びながら剣で草を斬り飛ばす。
ボスも追い付き、冷静にその場所を分析した。よく見れば僅かに地面に足跡が残っている。先程までこの場所に居たという事だ。だとすればまだ見られている可能性がある。それに気が付いた時、ボスはすぐにその場から飛び退いた。
「うぉっ……! な、なんだぁ!!?」
「地面がっ、崩れ……おわぁぁぁぁああああ!?」
突然辺りの地面が崩れ、丁度そこが坂道になっていた為、盗賊達はゴロゴロと転がって行った。するとそれが分かっていたかのように坂道の下の方には草むらに紛れるように木で出来た槍が設置されており、転がって行った盗賊達はその餌食となった。
一瞬早く飛び退いて難を逃れたボスは他の盗賊達の所に合流し、その惨状を見て冷や汗を流す。
(くっ、また罠か。やはりコレは俺ら盗賊用……予め知られていたのか?)
先程から狙いすましたかのように罠が発動する。盗賊達はその罠に綺麗に嵌って行き、順調に数を減らして行った。この時点でようやくボスは敵が元から自分達の存在を知っており、綿密な計画をした上で罠が仕掛けられている事を思い知った。つまり自分達は完全に敵の手の平で泳がされているという事だ。
(敵はこの複雑な森の地形も把握してる。だからすぐに移動出来るし、罠も仕掛けられてるんだ……流石にこのままじゃ不味い……っ)
いい加減ボスも自分が危機的状況にある事を理解し、一瞬頭の中に逃げるという文字が横切る。だがそれは竜を見逃すという事だ。これ以上捜索に時間が掛かれば今度こそ竜は完全復活して飛び去ってしまうかも知れない。有り余るような金と今の危険な状況、それを天秤に掛けてボスは思案する。だがそれを邪魔するように突如横から大量の矢が飛んで来た。恐らく仕掛けられていた罠なのだろう。ボスはそれをしゃがんでやり過ごしたが、矢に気づいていなかった部下達は対応する事が出来なかった。
「「うおわぁぁぁああああああ!!」」
部下の殆どが矢に突き刺さり、地面を無造作に転がっていく。ボスは額から汗を垂らし、息を荒くしながらゆっくりと立ち上がった。そして辺りを見渡し、気付く。もう残っているのは自分しか居ない事に。何人かはまだ意識があるようだが、殆ど再起不能状態。別の所で罠に嵌められていたり魔物と戦っている部下達も居るかも知れないが、今この場所で動けるのは自分しか居ない事を、ボスは漠然と知った。
「はぁ……はぁ……おい……誰か、居ないのか……?」
縋るように彼は周りにそう声を掛ける。だが返事は返って来ない。ボスは急に怯え始め、近くから草むらが揺れる音がすると剣を構えて腰を低くした。だが風の音だったらしく、何も起こらない。ボスは小さく息を吐き出した。だがその時、彼は背後から気配を感じ取った。飛び退くように跳躍し、彼は距離を取って後ろに振り返る。するとそこには男が立っていた。騎士のような恰好をしている訳でもなく、平凡で一般人らしい、それこそ村人のような雰囲気の男。そんな道を歩いていれば何処にでもいそうな男。だが盗賊はその男から異様な気配を感じ取っていた。
「ッ……貴様……!」
「これは最終通告だ。今なら命は取らない。大人しくまだ生きてる部下を連れて、ここを去るんだ。そうすればこちらもこれ以上の攻撃はしない」
現れた男、アレンは盗賊のボスにそう忠告する。
十分な程損害は与えた。はっきり言ってこのままの状態でも後は森の魔物達が盗賊を始末するだろう。だがだからと言ってアレンは必要以上の争いは好まないし、盗賊と関わり過ぎて兵士達がこの山に調査しにやって来ても面倒である。それに霧の盗賊団は他にも支部があるくらいだ。このボスを始末したからと言って全てが解決する訳でもない。出来れば向こうがこの山に二度と来たくない、と思わせるのが最良の策であった。
ボスはようやく現れた敵であるアレンに明確な敵意を向け、今にも襲い掛かりそうな形相で睨みつける。
「貴様ぁぁ……いや、待て……その顔、どこかで見た事があるぞ……お前まさか、〈万能の冒険者〉のアレン・ホルダーか?」
突然盗賊が身体を起こすとそう言い、アレンの事を確認するようにジロジロと見る。アレンも自分のかつての素性を言い当てられ、僅かに動揺するように眉を動かした。
「どこかで会った事あったか?」
「フン! 貴様は覚えていないだろうな。お前が毎度邪魔したせいで俺達の冒険者狩りは不作続きだったんだ!」
「おいおい、とんだ逆恨みだな」
どうやらアレンと盗賊団のボスはかつて会った事があるらしい。アレンは恐らく冒険者狩りを行っていた霧の盗賊団と何度か戦っている時に会ったのだろうと推測する。だがいかんせん盗賊達の顔などいちいち覚えていし、盗賊達はフードで顔を隠しているのだ。顔見知りかどうかなど判断出来る訳がない。
「なるほど……引退したと聞いたがこの山はお前が隠居生活してる山か。どっかに村があるのか?」
「答えると思うか?盗賊相手に」
「だろうな。だが別に構わんさ。それなら盗賊流のやり方で聞き出すまでさ」
相手がアレン・ホルダーであると分かると盗賊は急に強気になり、剣を光らせて挑発するようにアレンに突き付けた。アレンは変わらず、何も武器を手にしないでその場に静かに佇んでいる。
「何故今更出て来た?当ててやろう。もう罠が尽きたからだ。それで怯んでる俺を言葉で脅せば引くとでも思ったんだろう?だが甘かったな。俺は盗賊団のボスだ。それくらいじゃ逃げ出さねぇ」
どうやら盗賊はアレンが万策尽きたと思っているらしい。確かに彼の言っている事はあながち間違いではない。仕掛けていた罠が尽きたのは事実だ。シェルが仕掛けた罠魔法も全て発動し切ったし、アレンが作っておいた古典的な罠も使い切った。この状況だけ見ればアレン達にはもう手段がないと言える。
盗賊団のボスはクツクツと不気味な笑みを浮かべ、アレンに剣をちらつかせる。
「お前に何が出来る?アレン・ホルダー。お前は確かに器用だが、ただそれだけだ。年老いたお前に力でねじ伏せるなんて事出来るか?」
ボスはズケズケとアレンに冷たい言葉を浴びせる。だがアレンは別に反応せず、怒る訳でも悔しがる訳でもなく涼しい表情で盗賊のボスの方に視線を向けていた。それが気に喰わなそうにボスは舌打ちをする。するとアレンは静かに息を吐き、肩を落としながら口を開いた。
「そうだな……確かに俺は老いたし、昔程動ける訳でもない。盗賊稼業なんてキツい事してるおたくに一人で勝つのは難しいかも知れない」
アレンは手を上げながら呆気らかんとそう認めた。その引き際の良すぎる態度にボスも面喰う。普通の冒険者ならプライドがあるはずだ。年老いた者ならなおさら自分が若かった頃に誇りを持つようになる。だがアレンにはそれが一切なかった。
アレンは変わらず静かに盗賊の事を見ている。否、その視線は盗賊の背後まで続いていた。
「だが、俺は一人じゃない」
「----ッ!!?」
突如、盗賊のボスの足元が凍り付いた。彼はそれに気が付いてすぐに逃げようとするが、足が拘束されているせいで一歩も歩き出す事が出来なくなる。それに追い打ちを掛けるように吹雪が巻き起こり、ボスの身体はどんどん氷で覆われて行った。
「ぐぉぉぉぁあああああああああああ!?」
やがて盗賊のボスの身体に纏わリついている氷は顔部分まで浸食し、彼は完全に氷漬けとなってしまった。悲痛の表情を浮かべ、手を上げて必死にもがこうとしていたその姿は残酷さを物語っている。
吹雪が止むと、距離を取っていたアレンは静かに氷に近づき、その後ろの方に視線をやる。そこでは杖を手にしているシェルが立っていた。
「有難う。シェル」
「先生こそ、誘導有難う御座います」
アレンは親指を立ててシェルを褒め、シェルも首を傾けて笑顔を向けながらそう返事をする。
こうして霧の盗賊団のボスである男も完全に再起不能となり、先程まで怒号が飛び交っていた森は恐ろしい程静けさに包み込まれていた。中心にある盗賊のボスを封じ込んでいる氷は美しく輝いている。その中に命を閉じ込めたまま。




