78:霧の盗賊団
森の中を黒いマントを羽織った集団が歩いている。どれもいかつい顔をした男達で、彼らは剣や斧と言った武器を所持しており、明らかに普通ではない雰囲気を放っている。中でも先頭を歩いている大柄な男は熊のように髭を携え、顔に幾つもの傷跡がある屈強な雰囲気を放つ男であった。
その男は辺りの木々を見渡し、自分の足元に積もっている落ち葉を確認して手に取った。そしてグシャリと握りつぶし、自分の後ろにいる部下に話しかけた。
「おい、本当にこの山のどこかに村があるのか?」
「へ、へいボス。間違いありやせん。現にガキ共を見たんですから……」
男が話し掛けた相手、それは前にリーシャ達が遭遇した盗賊の下っ端であった。だがその姿は前と違い、身体中包帯だらけで片腕も固定されており、片目は潰れた状態となっている。彼はあの猪の魔物の猛攻から何度か逃げ切り、瀕死の状態で拠点へと戻ったのだ。そして山で見た事を伝え、こうして霧の盗賊団を統治するボスと共に戻って来たのである。
ボスの目的は一つ。竜を見つける事。この地域に居る事は当たりを付けているのだが、問題は捜索範囲を広げられず、足踏みしていた。
特にこの山は魔物も多く、かなり険しい地形となっている。捜索には時間も掛かるし何より情報もない。だが村があると言うのならば別だ。そこで村人達を脅して山の構造の情報を入手し、ついでにその村を拠点にしてしまえば良い。ボスはそう考え、僅かな希望に縋るように手の指を折る。
「必ず見つけろ。この山に竜が居る可能性もあるんだ……捕まえて鱗を剥いでやる」
ボスは血管が浮き出る程拳を握り絞めながらそう言う。その様子を見て周りの部下達は怯えるように唾を飲み込んだ。
ここ最近竜の探索に送り出した部下が手ぶらで帰って来る度にボスの機嫌は悪くなっている。痕跡からこの地域のどこからに降り立った事は分かっているのだが、肝心の細かい情報が判明していない。伝説の生き物である竜の鱗を売り飛ばして大金を手に入れたいと思っているボスは中々見つからない事に苛立ちを覚えていた。
「ボスの奴、相当焦ってるな……」
「そりゃそうだろ。竜の痕跡を見失ってからもう何日も経つんだ。このままだと逃げられちまう」
ボスの様子を見て部下の盗賊達はヒソヒソ声でそんな事を話し合う。
ただでさえ希少な竜は遭遇する事すら難しく、例え見つけられたとしても討伐はかなり難しい。故にこんなチャンスを手放す訳にはいかない。弱っている竜をこの数で追い詰めれば流石に倒す事は出来るはずである。だが逃げられてしまえば終わりだ。十分な体力のある竜の追跡は殆ど不可能である。だから盗賊団のボスも焦っていた。
不機嫌に鼻を鳴らしながら先頭を進むボスを部下達はおずおずと追い掛ける。その時、ふと一人の盗賊が近くの木に何かが描かれている事に気が付いた。それが気になり、特に考えずその盗賊は不用心に木に触れる。
「なんだこりゃ?」
それは魔法陣であった。木の表面に魔法陣が刻み込まれていたのだ。盗賊がそれに触れると魔法陣は淡い光を放ち、突如氷の柱が飛び出て来た。盗賊は他の仲間も巻き込みながら氷の柱によって吹き飛ばされる。盗賊達の中から悲鳴が起こった。
「うおぉッ……! 何が起こったんだ?!」
「こ、これ……魔法の罠だ! 設置魔法が仕掛けられてやがる」
木に刻まれている魔法陣を見て盗賊はそう叫ぶ。すると他の所からも氷の柱が現れ、次々と盗賊達が吹き飛ばされ始めた。盗賊達は武器を使ってガードしたり、火魔法を放って氷を溶かそうとするがその抵抗もむなしく、頑丈な氷によって無情に吹き飛ばされていく。
「げほっ……!!」
「ひぃぃぃぃい!!」
これはたまらないと何人かの盗賊が逃げ出そうとしたが、落ち葉が溜まっていた所を踏むと突然そこに巨大な落とし穴が現れ、盗賊達は情けない悲鳴を上げながら落ちて行った。他にも棘が設置されていたり、突然上から網が落ちてきたりと数々の罠で盗賊達は苦しむ。そんな中、盗賊団のボスも自分に向かって来る氷の柱に苦しめられていた。
「ちぃ……! 誰がこんな強力な設置魔法を仕掛けやがったんだ」
腰から長めの剣を引き抜き、思い切り振り抜いて氷の柱を弾き返す。腕に強い痺れが残り、それに怒りを覚えるように地面を蹴ってボスは不満を口にした。そして設置魔法が仕掛けられている木を見つけると刻まれている魔法陣を剣で切り裂き、魔法を解除する。すると彼は描かれている魔法陣を見て眉を潜ませた。
(どうなってやがる……何でこんな辺境の山で上級魔法のトラップが仕掛けられてるんだ? 魔女でも住んでやがるのか……!?)
彼は歯ぎしりをして怒りを何とか抑え込み、自分に向かって飛んで来た氷の柱を避け、剣で思い切り叩きつけてバラバラに粉砕する。
普通に考えてこんな山に設置魔法が仕掛けられているのはおかしい。魔物用のトラップにも見えないし、明らかに人間を対象に設置されている。それも通常の道に設置されていないという事はよそ者対策とも考えられる。だが一番の疑問は魔法のレベルだ。仕掛けられている設置魔法はどれも上級魔法で、少なくとも王都で働いている上級冒険者でなければ扱えない代物である。とてもでないがこんな辺境の土地にその魔法を扱える者が居るとは思えない。ボスはこんな魔法を仕掛けた人物に気味悪さ覚えた。
(これじゃぁまるで、俺らが来る事を予め知っていたみたいじゃねぇか……っ)
引っ掛かる所はそれだ。この罠は明らかに敵を退ける為のものである。それが盗賊の自分達がこの山に訪れたら偶々設置されていて、偶々そのルートを通ってしまうなんて事はあるのだろうか?否、その可能性は限りなく低い。
ボスは顔を歪ませ、怒りをぶつけるように飛んで来た氷の柱を長剣で弾き飛ばす。
「お前ら! さっさと対処しねぇか!!」
「へ、へい。ボス!」
ボスのお怒りの声を聞いて部下達も慌てて設置魔法の対処に取り掛かる。何人かが罠の犠牲になっている間に残りの盗賊達が設置魔法の根源を破壊し、何とか事なきを得る。だが他にも魔法ではない通常の罠が仕掛けられている為、何人かがその餌食となっていた。
「くそ……さっさと村を見つけてぇってのに」
こんな所で人員を減らしている場合ではないのだ。竜を倒す為には少しでも戦力が多い方が良い。その為にも拠点となる場所の確保は何よりも優先される。ボスは歯ぎしりをし、隣で罠に嵌って倒れている部下を無理やり叩き起こし、全員に叱咤した。だがその怒号はすぐに収まる。突如その場が揺れ、草木が揺れ動いたのだ。盗賊達はその音にぎょっとする。そして次の瞬間、木々の隙間から現れた巨大な腕によって集まっていた盗賊達の数人が吹き飛ばされた。
「ぎぃぁあああああああッ!!?」
「ま、魔物だ……!」
太い木々をいとも簡単にへし折りながら現れたのは巨大な熊であった。だがそれは普通の動物の熊とは違い、毛は鋼鉄のように固い。体格は通常の何倍も大きく、何より頭部からは巨大な禍々しい角が生えていた。
「こ、こいつは、〈ブラックホーンベアー〉……!」
ボスは驚愕で目を見開く。周りの盗賊達も武器を手に取る事を忘れ、怯えていた。
ブラックホーンベアーはホーンベアー種の中でも特に獰猛な魔物。ホーンベアーの中で同族食いを行い、生存競争の中で生き抜いた者がブラックホーンベアーになると言う。要するに選りすぐりの上級魔物という訳だ。
(ブラックホーンは腕利きの冒険者でも苦戦するやつだぞ。何で辺境の山にこんな厄介な魔物がいやがんだ……っ)
熊は咆哮を上げ、その鋭利な爪を光らせながら辺りの地面を抉り飛ばした。その尖った石や鋭利な木が混じった土を浴びせられ、盗賊達は何人かが土に埋もれて動けなくなる。それでも数で対抗すれば何とかなると考えた盗賊達は一斉に斧で熊に飛び掛かったが、あっけなく返り討ちにされ、吹き飛ばされた盗賊は木の枝に激突し、そのままぶら下がって動かなくなってしまった。
「ひぃぃ! 竜と戦う前にこんなのと戦うなんてやってられんぞ!」
「背中を見せるな。逃げ出す奴から追って来るぞ」
竜と戦う際は役割分担と十分な作戦を立てていた為、ある程度個人の負担は少なく済む。だがこんな奇襲同然で現れた魔物の対処は不可能である。それもこんな身動きの取り辛い森の中である程度巨体で俊敏な熊の相手など、固まっている盗賊達は恰好の的である。腕を横に振るうだけで標的に当たるのだから。
「逃げるなお前ら! 奴の腹に潜り込んで串刺しにするんだ」
手にしていた長剣を躊躇なく熊に投げ付け、怯ませるとボスはそう指示を出す。そしてすかさず部下の死体から剣を頂戴した。周りの盗賊達もボスの命令ならばそれに従わなければならない為、額に汗を浮かべながら熊に突撃を開始した。最初の特攻は簡単に熊の爪によって吹き飛ばされ、二回目の特攻は数人が熊の腹に剣を突き刺し、怯ませた。その隙に周りの盗賊達が剣を高々と突き上げながら突撃し、熊を押し倒す勢いで剣を突きつける。
「ォォォォオオオオオオオッ!!」
「やれやれ! 押し込め!!」
「ぶっ倒すんだ!」
だが魔物の方も簡単には引き下がらない。剣は鋼鉄の毛によって奥まで突き刺さらず、むしろ弾き返した。そのまま熊は盗賊達を三人をいっぺんに吹き飛ばし、咆哮を上げて盗賊達に尻もちを付かせる。熊の獰猛さを益々激しくなるばかりであった。盗賊達はそれを何とか抑えようと必死に剣を突きつけた。その様子を見てボスはある事を決断する。
「……よし、今のうちに何人かは俺と来い」
「え……ボス?」
「あの熊野郎だけに構ってる暇はないんだ。さっさと来い!」
ボスはブラックホーンベアとの戦闘は数人の部下達に任せ、後の部下は自分に付いて来るように指示した。確かに彼の言う通り熊だけに相手をしている時間と体力は盗賊達にない。ならばそれこそ役割分担だ。彼らはボスに従い、走って草むらの中に入って行く彼の後を追った。
「くそ……この森は魔物の巣窟かよ。さっさと村を見つけねぇと」
熊に気づかれないよう草木に紛れながら奥へと進んで行く中、ボスはそう不満を口にする。
あんな魔物が出て来るような森など戦力は山ほど必要である。竜を倒す予定で手一杯の盗賊団では少々力不足だ。
「……んっ?」
ふとボスは足を止める。それに釣られて部下達も慌てて立ち止まり、ボスの後ろに控えた。彼は膝を折って自分が目に留まった物を確認する。それは一瞬しか見なければ葉っぱと間違うような物であろう。普通は気付かない。だが竜を仕留める事を何よりも望んでいるボスだからこそ、毎回資料で確認していた彼だからこそそれに気付けた。ボスは地面に転がっていた平らな石のような物を手にした。それは土で汚れ、本来の色をしていなかったが彼にはすぐに何なのか分かった。
「これは……竜の鱗だ……!」
「ほ、本当ですかボス?って事はやっぱりここに竜が……」
竜の鱗。その最大の手がかりを見つけてボスは歓喜の笑みを浮かべ、周りの部下達も信じられないと目を見開く。ここに来てようやく情報が手に入った。ずっと洞窟で細々と活動していた彼らにとってこれは正に天の恵みであった。ようやく見え始めた希望に彼らは瞳を輝かせる。だがそんな救いの手をへし折るように、彼らの前にある魔物が現れた。
「グルルルル……」
「ッーーーー……くそったれが……!」
一つ目の四足歩行型の魔物達。それは盗賊達が来るのを分かっていたかのように長い舌を動かし、嘲笑うように唸り声を上げていた。盗賊達の表情は恐怖に塗りつぶされ、ボスもせっかく見え始めた希望を潰され、怒りで額に血管が浮き出る。盗賊達に無情にも魔物達が襲い掛かった。




