75:人と竜
その日アレンは家で武器の手入れを行っていた。彼の武器は剣だけではなく、短剣や槍、中には手裏剣と言った風変わりな物まである。その為数が多く、整備には時間が必要であった。アレンは普段剣を中心に使用する為こんな長時間の整備はしなくて良いのだが、今回は少し事情が違った。
「あれ、どうしたんですか?先生。そんなにたくさんの武器を手入れして」
「ああ、ちょっとな」
ふと部屋を通りかかったシェルがアレンの様子に気が付き、顔を出してそう尋ねた。アレンも視線だけシェルの方に向け、手に持っている短剣の手入れを続けながら話を続ける。
「実はリーシャ達から森で盗賊達と会ったって話を聞いてな……まぁ念の為、準備をしておこうと思って」
アレンは昨日森から帰って来たリーシャとルナから霧の盗賊団の一員と遭遇した事を知らされていた。この事は既に村長にも報告しており、村では警戒態勢を取るように注意が促されていた。
「霧の盗賊団の狙いは竜らしい。金になる事には相変わらず目ざとい奴らだよ」
「なるほど、そういう事でしたか。でしたら私も村の周りに結界魔法を張っておきましょうか?」
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
盗賊が出たとなればこの村も狙われる可能性がある。竜を倒す際に拠点などとして使う可能性が高いだろう。そうさせない為には色々と準備をしなければならない。シェルも結界魔法を張る事を進言し、アレンも頷いてそれに感謝した。
それからアレンは武器の手入れを終えると後片付けをし、今度は出掛ける準備を始める。腰に剣を携え、森に行く時の恰好をするとアレンは床から立ち上がった。
「よし……それじゃ、ちょっと竜に会いに行って来る」
「え……竜の所に、ですか?」
「ああ」
アレンの言葉に驚いたようにシェルは目を見開き、思わず聞き返した。
実はアレンはエレンケルが目を覚ましてから一度も会いに行っていなかった。以前リーシャがそれが何故なのかと尋ねた時、彼は素直に「怖いから」と答えた。リーシャとルナは勇者と魔王で、シェルは大魔術師だから麻痺しがちだが、アレンはただの村人なのだ。いくら元冒険者と言えどその実力はあくまで一般人の力の延長にあるに過ぎない。彼はリーシャ達のような特別な存在ではないのである。故にアレンは村人と同じく竜を恐怖する。例えエレンケルに敵意がないとしても、強大な存在はただそこに居るだけで恐ろしいものなのだ。もちろんアレンが竜の事を嫌いな訳ではないが、冒険者だった頃の戦闘が少しトラウマになっているらしい。そんな今まで必要以上に竜と関わりと持とうとしなかったアレンが自分から竜に会いに行くというのはシェルにとって衝撃的な事であった。
「まぁ傷の具合の確認と、少し話す事があるから」
「へぇ、何の話をするんです?」
荷物を持ってアレンが玄関に移動すると、ふとシェルがそう尋ねた。するとアレンはピタリと動きを止め、シェルの方に視線を向けながら困ったように髪を掻いた。そして少し悩んだ跡、彼は無理して作ったような笑みを浮かべながら口を開いた。
「色々だよ」
「色々……」
アレンの答えにシェルは疑問を感じ、首を捻りながらアレンの言葉を反芻する。
まぁ色々と言うからには色んな用事があるという事なのだろう。無理に聞き出す程でもないしシェルはそう納得した。アレンも玄関まで移動すると靴を履き替え、扉に手を掛ける。
「それじゃ、行って来る」
「はい、お気を付けて。夕食までには戻ってくださいね」
「ああ、分かってるよ」
アレンが振り返ってそう言うとシェルはお辞儀をしてアレンを見送った。まるで夫婦のようなやり取りにアレンはおかしさを感じ、クスリと笑う。シェルもそれは感じたのか、ちょっと照れたように顔を赤くし、頬を掻いた。
それからアレンは村の門をくぐり、森の中へと入った。日差しを通さないその暗い空間はいつも通りそこら中から生き物の気配を感じるが、襲って来るような事はしない。それでもアレンは警戒して剣の柄に手を添えながら奥へと進んで行った。やがて竜が眠っている場所へと辿り着き、アレンはその場所に足を踏み入れる。先程まで通って来た獣道とは違い、辺りから生き物の気配は感じない。代わりにその空間は巨大な一個の気配によって埋め尽くされており、呼吸をしようとするだけでも身体が重く感じ、額には汗が浮かんだ。
「……ッ」
アレンは剣の柄から手を離し、荷物を地面に下ろして更に前へと進む。するとこの空間に巨大なプレッシャーを放っている根源が見えて来た。山のように大きく、その身体は硬い鱗に覆われ、全ての生物の頂点に立つ存在。ソレはこの空間全てを支配しており、辺りの草木も、転がっている石ころですらその存在に服従する。アレンも例外ではなく、例えその存在に今は意識がなくとも緊張せずにはいられなかった。すると、アレンが来た事に気が付いたのか、その存在はピクリと耳を動かし、長い首を起こして顔をアレンの方に向けた。
(嗚呼……来てくれたか、保有者よ)
伝説の生物、竜エレンケルはそう言って嬉しそうに喉を鳴らす。アレンは頭の中に響いた優しい老人の声に戸惑うが、これがリーシャの言っていた念話かと理解し、エレンケルの事を見上げる。
「保有者って……俺の事か?」
(左様……まぁ気にしないでくれ。儂が勝手にそう呼ぶだけだ)
聞き慣れない言葉にアレンはそれが自分の呼び名かと自分の事を指差しながら尋ねる。するとエレンケルは長い首を動かして顔を頷かせる。
(うぬに礼を言いたかった……儂の傷の治療をしてくれて有難う……うぬのおかげで助かった)
「いやいや、別に俺は大した事してないさ。ルナの腕が良かったんだ」
エレンケルは律儀に頭を下げてお礼を言う。彼はずっと自分の怪我を診てくれたアレンにお礼を言いたかったのだ。その様子を見てアレンはエレンケルが本当に温厚な竜なのだと知り、少し意外そうな顔をしながら返事をする。
「それに竜の再生力ならあれくらいの傷どうって事ないだろう?」
竜の再生能力は凄まじい。現にエレンケルの傷はここしばらくの間眠っているだけで傷は塞がり、元通りになっていった。例えアレン達が治癒魔法を掛けなくても傷は治ったはずだ。精々助かったのは刺さっていた矢を抜いた事くらいだろう。アレンはそう考えていた。
(儂等はうぬが思っている程強くはない……人は儂等を伝説の生き物と呼ぶが……単に古臭く、数が少ないだけだ)
アレンの指摘に対してエレンケルはゆっくりと首を左右に振る。
確かに竜の再生能力は通常の魔物にもない特別な力ではあるが、これも十分な対価を必要とする能力なのだ。第一眠っている間に襲われればいくら竜でも対処出来ない。それくらい危険な技であり、だからこそエレンケルは人気のないこの山奥に身を隠す事にしたのだ。
「ふぅん……そういうもんかね」
だがアレンからすればそれでも竜という存在は強大で、相変わらず自分では敵わない雲の上の存在と認識していた。アレンは頬を掻き、近くにあった切り株に腰を下ろす。
(して……儂に用があるのだろう?)
「ああ、そうだった」
アレンがこの場所に来たのはただ確認をする為だけではない。その事を分かっているエレンケルは目を細め、そう尋ねた。アレンも真剣な表情になって頷き、答える。
「最近近くの村で盗賊達が目撃されている……こいつ等はあんたを追ってるんだろう?」
(左様……うぬらには迷惑を掛けて済まんと思ってる)
「別に、あんたは悪くないさ」
エレンケルを追って盗賊がやって来たからと言ってアレンは彼を恨むつもりはない。そもそも竜の鱗などを狙うというとんでもない事をしようとしている盗賊が悪いのだし、エレンケルだってうんざりしているはずだ。今考えなければいけないのはどうやって療養中のエレンケルを盗賊から守るかである。
「一応この山奥なら盗賊も簡単には入って来れないはずだ。ただ奴らが大勢来たら面倒な事になるかも知れない」
この山奥は地形を理解していなければ簡単に迷子になる。普段ならリーシャ達でもあまり入らない場所だ。それに魔物も大勢居る為、盗賊のような血の気の多い輩が入り込めば全員殺気だって襲い始めるだろう。故にエレンケルが見つかる可能性は低い。だがもしも盗賊が大勢でこの山の捜索をすれば何人かが切り抜け、エレンケルの眠っているこの場所まで辿り着いてしまうかも知れない。村が被害に遭うのも嫌だし、エレンケルが見つかるのも不味い。どうにかして盗賊達を対処したいのがアレンの本音であった。
(心配ない……儂が此処を立ち去れば奴らも儂の影を追うはずだ。そうすれば村に迷惑も掛からんだろう)
アレンの不安に思っている事に対してエレンケルはそう解決策を出した。
そもそも盗賊達の目的は竜のエレンケルだ。村を襲ったりしない所を見ると彼らのその執着の強さが伺える。霧の盗賊団は本気で竜を狙っているのだ。ならばその標的であるエレンケルがこの地から飛び去ってしまえば、盗賊は急いでその後を追い掛ける為にこの地を去るはずである。それが一番村に平穏を齎す手っ取り早い方法だろう。だがアレン自身はそれでは納得しなかった。エレンケルはまだ療養中だし、無理な飛行すれば傷口が開いてしまうかも知れない。盗賊団だって野放しにしておくのは危険だ。故にアレンは拳を握り絞め、切り株から立ち上がって自分の意見を述べる。
「あんたはそれで良いのか?霧の盗賊団は至る所に拠点がある。どこまでも追い掛けて来るぞ」
(仕方あるまい……儂等はそういう生き物なのだ)
エレンケルはその生き物に課せられた宿命を甘んじて受け入れる。例えどんな悲しい結末だとしてもそれは運命なのだと割り切り、抗おうとしないのだ。それは清い心を持っていると言えるかも知れないが、同時に全てを諦めているとも言える。エレンケル自身はただ摂理に従っているだけだが、ある者からすればそれは不条理と感じるかも知れないのだ。
ふとエレンケルはアレンに赤い瞳を向け、目を細めて彼の事を見下ろした。その瞳はアレンの本音を見抜くように静かに輝いている。
(それに……うぬにもやるべき事があるだろう?光の子と魔を統べる子……彼女等を守らなくてはならん……)
「…………」
エレンケルの言う事は最もだ。勇者のリーシャと魔王のルナは絶対に正体を知られてはならない。もしも今回霧の盗賊団がエレンケルを探しに森に入り、そこでリーシャ達が遭遇するという事があれば正体が知られる可能性がある。数人程度なら先日のようにリーシャだけでも対処出来るが、大勢の盗賊が集まれば数の暴力で抑え込まれてしまうかも知れない。二人を絶対に守ると誓っている以上、アレンは少しの不安要素も消す必要があった。だが、だからと言ってそれで諦める訳ではない。アレンは静かに拳を握り絞めた。ただの一般人に過ぎない彼には、精々それくらいの抵抗しか出来なかった。
(儂の事を気遣ってくれて有難う、保有者よ。うぬのその優しい心が、きっと光と魔を交り合わせる切っ掛けとなったのだろう……うぬはどうか、そのままで居てくれ)
アレンは、ただ頭の中に響くエレンケルの言葉を受け止める事しか出来なかった。彼が背負っている使命はあまりにも重く、ただの村人に過ぎないアレンが守り切るには大きい。それなのに他の事にまで意識を向けている余裕はないのだ。
最後にエレンケルはアレンにもう一度お礼を言い、再び眠りに付いた。アレンも荷物を背負うと来た道を戻り、影に包まれている森の中を歩いた。その背中はいつもより小さく、弱々しく見える。
森のでこぼことした道を歩いている間、アレンは考え続けた。
どうすれば全てを守れるのか?何をすれば全てが解決するのか?きっと考えたところでそれに答えはないのだろう……とアレンは心の中で思う。冒険者時代に既に彼はそう答えを出しているのだ。少なくとも自分の力には限界があるという事を彼はしっかりと理解している。だからこそ、今の状況がどれ程非情な現実かを分かっている。
アレンの悩みは村に戻り、家に帰って来ても続いていた。玄関で靴を脱ぎ、荷物を置きながら彼は髭を弄る。すると部屋の向こう側から足音が聞こえて来た。
「あ、先生。戻ったんですか。お帰りなさい」
お玉を持ったシェルが慌てた様子で出て来て、アレンにそう言葉を掛ける。それを見てアレンはただいまと小さく呟き、ふとシェルの事をじっと見つめた。急にそんな視線を向けられ、シェルはきょとんとした表情を見せた後、照れたようにぎこちない笑みを浮かべる。
アレンは何かを思いついたように、珍しくリーシャが悪戯する時と同じようなニヤリとした笑みを浮かべた。
「なぁシェル、ちょっと頼みたい事があるんだが……良いか?」
急にアレンがそんな事を言って来るのでシェルは戸惑い、一体どうしたのかと疑問そうに眉を顰める。しかし尊敬するアレンの頼みならどんな理由だろうと力を貸すとシェルは決めており、力強く頷いて「もちろんです」と答えた。




