74:魔物の怒り
盗賊達にとって少女のリーシャと出会えたのは幸運だった。
とにかく魔物が多いこの森ではいくら盗賊達と言え探索するのは困難であり、いつどこから魔物が飛び出して来るかで神経がすり減っていた。そんな時に現れたのがリーシャだ。身なりからして剣は持っているが恐らくはただの村人の少女。であるならば少女に村を案内させ、その村を拠点として竜を探せば良い。盗賊はそう考えていた。
「ほら、早く案内しろ。それとも怖くて声も出ないか?」
剣を見せたのは失敗だったか、と思って盗賊はリーシャに突き付けていた剣を戻す。しかし当の少女はそれを見てもろくな反応を見せず、むしろキョトンとした様子で盗賊達の事を見返していた。
「えー?やめた方が良いと思うけどなぁ」
「あ……?」
そして眉を顰めながら薄っすらと笑みを浮かべ、リーシャはそんな事を言う。その妙な態度を取る少女に盗賊は苛立ったように低い声を出す。だがリーシャは気にした素振りを見せず、人差し指を頬に当てて首を右へ左へと動かした。
「だっておじさん達、随分とこの森の魔物を殺したでしょ?血の臭いで分かるよ。だからこの森に長居するのは不味いと思うなぁ」
「なんだと……?どういう意味だ?」
たくさんの魔物を殺している事を見抜かれ、盗賊は一瞬薄気味悪さを覚えて血の付いている剣を引く。だが所詮は目の前の少女は子供に過ぎないと思い直し、変わらず威圧的な態度で接する。先程からリーシャが何を言いたいのか分からない盗賊は怒気の含んだ声で聞き返した。
「森が怒ってるんだよ。土足で入り込んで家をめちゃくちゃにされたら誰だって嫌な気持ちになる……つまりそういう事」
ビシッと指を突き付けてリーシャはそう言うが、盗賊にはさっぱり意味が分からなかった。魔物などそこら中に居る。それを数匹殺したところで何だと言うのだ。盗賊はそう思い、少女が言っている事はただの子供の戯言だと判断した。
「ちっ……時間の無駄だ。おい、ガキを拘束しろ」
「あいよ」
兄貴分の盗賊は隣に居る部下にそう指示を出し、部下もそれに従う。懐から縄を取り出すとそれを引っ張りながらリーシャに近づき、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「悪いが嬢ちゃん、少しの間眠ってもらうぜ」
盗賊はリーシャに対して何の武器も持たず、拘束用の縄だけ持って近づく。リーシャをただの村人の少女だと思っているからだ。腰に携えている剣もただのお守り用で、抜きはしない。そう考えていた。だが盗賊が目の前まで来るとリーシャは躊躇なく剣を引き抜き、彼の縄を持っている手を軽く斬った。まさか斬られると思っていなかった盗賊は情けない悲鳴を上げ、後ろによろける。その隙を狙ってリーシャは駆け出した。
「うおわっ!?」
「馬鹿……! 逃がすな!!」
盗賊の横を走り抜けるリーシャを逃がすまいと兄貴分の男は慌ててそう声を上げる。それを聞いてすぐさま別の部下がリーシャを捕まえようと剣を引き抜いた。しかしその部下もリーシャの近くまで寄ると剣を弾き飛ばされ、更にはすれ違いざまに足を斬り付けられ地面に転んでしまった。そしてリーシャは草むらの中に飛び越し、その場から姿を消した。
「くそっ……ガキ一人に何手間取ってやがるお前ら!」
「い、いてぇ……だって兄貴、あの嬢ちゃんマジで剣抜くんだぜ?!」
斬られた手を押さえて痛がっている部下の背中を足で蹴り、兄貴分の盗賊はそう文句を言う。
今ここでリーシャ逃げられるのは彼らにとっても面倒なのだ。ようやく見つけた村への足掛かりだと言うのに、自分達盗賊の事を知られたまま逃がせば村に戻って知らされてしまう可能性がある。そうなると厄介だ。兄貴分の盗賊は最悪の場合あの少女を始末しなければならないと考え、持っていた剣を強く握り締めた。
「言っておくけど……忠告はしたからね?」
ふと後ろの方からリーシャの声が聞こえて来る。盗賊達が慌ててその方向を見ると、丘になっている所の上に立ちながらリーシャは手を振っていた。いつの間に移動したのか?ついさっき目の前の草むらに飛び込んだばかりだと言うのに。そう驚きながら盗賊は憎たらしそうにリーシャの事を見上げる。
「お前ら! あのガキを捕まえろ!!」
そして剣を振って兄貴分の盗賊はそう指示を出した。リーシャに斬り付けられた盗賊達はそれぞれの負傷箇所を痛そうに押さえながらも起き上がり、言われた通りリーシャを捕まえようと目の前の段差を乗り越える。それを見てリーシャも後ろに走り出し、木々の隙間を通り抜けながら森の奥へと逃げて行った。
「ちくしょう! あの嬢ちゃん猫みたいにすばしっこいぞ!」
「森の構造を熟知してやがるんだ……! 何としてでも捕まえろ!!」
盗賊達の予想通りリーシャはこの森の構造を知っている。森では散歩やルナと遊んだりする為、抜け道やどこを通れば早く目的の場所に行けるかなどを知っているのだ。対して盗賊達はまだこの森に入ったばかりである為、一歩先を進めば木の根っこに足を取られ、草むらを通り抜けたら段差があって土の壁に激突するという事が多々あった。そのせいでリーシャを捕まえる事すらおろか、すぐに彼女を見失い、四苦八苦していた。
必死になって彼らは周りを見渡し、リーシャを探す。しかし周りや木々や蔓、植物だらけで視界の邪魔となる物ばかりだった。だがそんな時、盗賊達の目に綺麗に輝くブロンドの髪が見えた。それは間違いなくリーシャの物で、彼女は岩の上に座り呑気に鼻歌を歌っていた。
「おい……! あそこだ」
「なんだ?何であんな所に座ってやがんだ?」
逃げていたはずのリーシャが何故岩の上に座っているのか盗賊達は疑問に思うが、そんな事はすぐにどうでも良くなった。兄貴分の盗賊がクイッと首を前に動かし、それに従って部下の盗賊達も剣を握り絞めながら慎重にリーシャへと近づく。リーシャは何故か視線を下に向けており、パタパタと足を動かしていた。
「嬢ちゃん、鬼ごっこは終わりだぜ」
目の前まで近寄ると盗賊は勝利を確信したようにそう言う。そこまで来てリーシャもようやく顔を上げて盗賊達の事を見上げた。しかし驚いた素振りは見せず、その大きな目の中心にある黄金の瞳を輝かせながらニコリと優しく微笑んだ。
「うん……おじさん達がね」
リーシャは満面の笑みを浮かべながらそう言う。それは子供がする純真な笑みのはずであったが、何故か盗賊達は寒気を感じた。次の瞬間、部下の二人が横から突然飛び込んで来た何かに吹き飛ばされた。
「「あぐぁ……ッ!!?」」
「っ……な、なんだ……!?」
視界から一瞬で消え、身体が変な方向に曲がりながら彼らは地面に倒れる。兄貴分の盗賊は何が起きたのか分からず、ただ目を見開いて口を開け、呆然としてた。リーシャは変わらず笑みを浮かべている。すると部下の二人を吹き飛ばした何かが兄貴分の盗賊の方へと身体を向ける。それは猪型の魔物であった。
「ブルルルル……!」
「なっ……」
「それが森の怒りだよ。おじさん。仲間を殺され、住処を荒らされたら誰だって黙っていない……そういうものでしょ?」
それは盗賊達に森に入ってから殺した猪型の魔物と同じ種族の魔物であった。何故かその魔物はリーシャには敵意を見せず、盗賊の自分にだけ鼻息を荒くし、牙を見せつけながら明確な敵意を向けて来る。盗賊はその時自分の剣に猪型の魔物の血が付いている事を思い出した。
「や、やめっ……!」
「ブルルルルッ!!!」
魔物に言葉が通じる訳がない。そんな事は分かっているが盗賊は思わず手を前に出してそう制止の声を出そうとした。だが魔物は唸り声を上げながら走り出し、盗賊に向かって行った。その突進に避け切る事が出来ず、魔物の鋭い牙が身体に減り込みながら盗賊は後ろへと吹き飛ばされた。何とか鎧を着ていた為身体を貫かれる事はなかったが、それでも魔物の突進を受けて平気ではいられない。彼はうめき声を上げ、地面に顔をぶつけた。
「ごほっ……えほっ……が、くそ……! この猪野郎が……!」
咳き込みながら盗賊は身体を起こし、剣を掴んで立ち上がろうとする。だが突如、再び横から衝撃が走った。それは突進して来た魔物の攻撃だった。
「あがぁ……ッ!?」
またもや盗賊は吹き飛ばされ、更に遠くへと転がる。おまけに地面が斜めになっているせいでゴロゴロと何度も転がり、身体中が土だらけになりながら彼は惨めに地面に伏した。しかも先程の一撃は当たり所が悪く、骨のどこかにヒビが入っているような感覚があった。盗賊は命の危機を感じ、何とか身を守ろうと剣を掴もうとする。しかし剣は吹き飛ばされた際に放してしまい、遠くに転がっていた。そんな彼の前にまた魔物が現れる。
「ひっ……や、やめてくれ……! 死んじまうっ」
「ブルルルゥ!!」
盗賊は魔物を相手に両手を上げてそう訴え掛ける。しかしそんな彼を絶望に叩き落とすように魔物の周りの草むらから更に猪型の魔物が現れた。彼らは全てこの森に住みついている猪型の魔物だ。平穏を好み、生態系を崩さないように生きる温厚な魔物。そんな彼らは自分達の仲間が傷つけられた時、全員が牙を剥いて敵に立ち向かう。
「あ……ぁ……許して……」
盗賊は情けない表情をしながらそう訴える。しかしそんな願いも空しく猪型の魔物は一斉に走り出し、盗賊に牙を剥いた。そして数秒後、彼は最初に殺した猪型の魔物と同じように無残な姿となり、動かなくなっていた。
一方でリーシャは地面を転がって見えなくなっていった盗賊がどうなったかを想像し、複雑な表情を浮かべていた。既に他の盗賊も別の猪型の魔物に追い回されており、恐らくは長く持たないだろう。この森の事を良く知らないで魔物を相手取ろうとすれば、最後に泣きを見るのはよそ者の方だ。だがだからと言って命が消える瞬間を見るのは嫌なものである。直接手を下した訳ではないが、それでもリーシャの表情は浮かばなかった。
「はー……疲れた……大丈夫かな、あの盗賊達」
本音を言えば死なない程度に怪我をして帰ってくれればそれで良い。あれだけ酷い目に遭えばもうこの森に近づこうともしないだろう。後は他の盗賊達も竜探しを諦めてくれれば厄介事は全部なくなる。同情する訳ではないが、それでリーシャの気持ちは満足なのだ。最も、魔物達がそれで許す訳がないが。
リーシャは後の事は魔物達に任せ、岩からぴょんと降りた。鞘に収めた剣を手に持ちながらふぅと息を吐き出す。そんな時、ふと横の草むらからルナが飛び出した。走っていたのか肩で息を切らし、慌てていた様子である。
「あ、見つけたリーシャ」
「あれ、ルナ」
リーシャを見てルナは見つけた時に安心したように立ち止まる。そして大きく息を吐き、肩を落とした。リーシャもルナが現れた事に驚き、剣を紐で腰に結び付けながらルナの方に寄る。
「もうエレンケルとの話は終わったの?」
「うん、聞きたかった事も聞けた……リーシャは、何してたの?」
ルナはふとリーシャの周りを見て魔物の足跡や木々にすり減った跡があるのに気づき、そう質問する。それを聞いてリーシャはああと頬を掻きながら何て事ないように答えた。
「まぁちょっとね……盗賊が入り込んでたの」
「えっ……それってお父さん達が言ってた霧の盗賊団ってやつ?」
「うん、そうだよ」
盗賊と言えば最近噂になっている霧の盗賊団だ。リーシャは先程まで森にその霧の盗賊団が入り込んでいた事を伝え、彼らが何をしていたのかを教えた。ルナは露骨に嫌な表情をし、リーシャはそんな彼女を安心させるように肩をぽんと叩いた。
「それで、盗賊達はどうなったの?」
「魔物達が追ってった。多分ぼこぼこにやられてると思うよ」
ルナの質問に肩を竦めてリーシャは答える。盗賊達のしていた事と魔物が集まったところから何をされているかは容易に想像がつく。それを聞いてルナもそれ以上は聞かなかった。むしろ知りたくないと言わんばかりに顔を背けた。
「そっか……じゃぁ村に戻ろう」
「うん、そうだね」
盗賊も追っ払ったのならもうここに居る用はない。ルナはリーシャに帰ろうと言い、ルナもそれに頷いて同意した。二人は村の方角に向かって歩き出す。いつも通りリーシャは少し先を歩き、ルナがその後を追う……のだが今回はいつもとちょっと違った。ルナがリーシャの前に出ると、彼女に手を差し出したのだ。
「ねぇ、手繋がない?」
「! ……うん、もちろん良いよ」
別にこの行為に特別な意味がある訳ではない。だがルナは何となくリーシャと手を繋ぎたいと思った。それがエレンケルに言われたからそう思ったのか、それともどこか寂し気な表情をしているリーシャを励ましたいと思ったのかは分からない。ただとにかく、リーシャに触れたいと思ったのだ。
リーシャはそれを聞くとルナから手を繋ぎたいと言うなど珍しいと思い、嬉しそうに顔を頷いて手を握った。ルナの手は少し冷たく、対してリーシャの手は暖かかった。二人はそのまま手を繋いで村へと戻った。




