73:この世の命
ルナはゆっくりとエレンケルの元へと近づく。しかしその足取りは重く、怖がっている訳ではないが何かを躊躇しているようであった。そんな彼女でもエレンケルは近づいて来るのをじっと待ち、竜の貫禄らしく芝生の上で佇んでいた。
(して……儂に話したい事は?……まぁ、あらかた見当は付いておるが)
ようやくエレンケルの前までルナが来ると、彼は静かに首を垂らしてルナに視線を合わせながら話し掛ける。エレンケルは初めてルナを見た時から彼女が抱えている悩みに気が付いていた。それはきっとルナとエレンケルが同じような存在だから共感出来たのだろう。
ルナはしばし悩むように目線を泳がせた後、覚悟を決めたように顔を上げた。
「貴方は……自分の力が怖くないの……?」
ポツリと、弱々しい声でルナはそう尋ねた。その真っ黒な瞳は戸惑いと恐怖に染められ、僅かに手足は震えている。何か救いを求めているような、そんな様子だ。
(ほぅ……どういう意味だね?)
「竜は、多くの種族から伝説の生き物として敬われている……同時に恐れも。何故ならその力はあまりにも大き過ぎるから……そんな自分が、貴方は怖くないの?」
ルナの言葉を聞いてエレンケルは黙ったまま彼女の事を見つめ続ける。
ルナの言っている事は間違いではない。学者や魔術師は竜を神聖な生き物として尊敬の念を抱き、ある地域では神として称える文化も存在する。だが同時にそれだけ強大な存在は恐怖も抱かれ、全てを破壊し尽くす怪物と見られる事もある。むしろそう考える人間の方が良いだろう。アレンだって目が覚めるまでエレンケルの事を恐れていたし、実際凶暴な竜の方が多い。では、竜達はそんな自分達の事をどう思っているのだろう?多くの種族を恐れさせ、勇者や魔王にすら対抗出来る力を持つ自分とどう向き合っているのだろう?それがルナの疑問であった。
エレンケルは静かにその赤い瞳を輝かせ、ルナの事を見つめる。何かを見定めるような視線、時折首を傾け、しばし考えた後エレンケルは小さく喉を鳴らした。
(嗚呼、確かに……儂が歩けば大地は大きく揺れ、火を吹けば一瞬で草木は灰と変わる。儂のせいで命が朽ちる事もあるだろう……)
ルナの主張を否定するような事はせず、むしろそれは当然の事だとエレンケルは受け入れる。自分の力がどれだけ強大で、小さな生き物からすればそれがどれだけ恐ろしいものかをきちんと理解していた。しかしエレンケルはルナの質問に答えようとはせず、ずいっと顔をルナに近づけた。竜の鼻息が当たり、ルナは僅かに後ろによろける。
(だが、うぬが聞きたい事はそうではないだろう?うぬの悩みは己の力、すなわち儂のように生きているだけで周りに影響を与えてしまう己を恐れているのだ)
「……っ!」
心を読んだようにエレンケルがそう言うと、ルナは肩を震わせて動揺を見せる。
図星であったのだ。ルナが本当に聞きたい事はエレンケルが自分の力をどう思っているのかではない、魔王であるルナ自身がどのようにして自分の力に向き合えば良いのか、その答えが欲しかったのだ。
「そう……私は勇者のリーシャと違う。自分の力を制御出来てない……望んでなくても周りに迷惑を掛けちゃう……」
ルナは顔に手を当て、悔やむようにそう声を漏らした。ただでさえ青白い顔は更に生気が薄れ、まるで幽霊のようにも見える。
「でもだからと言って、諦めるような事はしたくない……お父さんの傍からも、離れたくない……そんな矛盾を抱えた場合、私はどうすれば良いの……?」
(ふむ……)
ルナの悩みに対してエレンケルは首を元の位置に戻し、彼女の事を見下ろしながら喉を鳴らす。
ルナは責任感の強い子だ。故に自分があの村に居続けた場合、村人達を危険な目に遭わせてしまう可能性がある事は十分に理解していた。現に一度は森を飲み込み、危ないところだった。本当なら村を離れて人気のない場所、最悪魔族の世界に身を潜めた方が良いのかも知れない。だがルナは愛しているアレンから離れたくないし、リーシャとの約束を破る気にもなれない。だから苦しいのだ。
エレンケルはしばらく黙ったままだったが、やがて顔の向きを変え、空の雲を眺め始めた。その様子に気づいてルナも空を見上げる。
(竜が死ぬと……どうなるか知っておるか?)
「……え?」
突然の質問にルナはきょとんとする。その質問の意図が分からず、とりあえず考えてみるが分からない。竜の生態についてはまだまだ分かっていない事が多い。村で暮らしているだけのルナが知る由も無かった。
「……分からない」
(竜は死ぬと大地に伏し、やがて山となる。朽ちた身体は土の肥料となり、そこは緑豊かな土地となるのだ)
意外な真実にルナは目を見開き驚く。
確かに魔物も森で死ぬと朽ちた肉体が土の肥料となり、自然が潤う。森はそうやって循環している。それがまさか竜の場合は山と言うのは、あまりにも規模が違う事から呆気に取られてしまった。
(儂等竜は多くの命を喰らう。それは生きる為であり、時には必要のない命を刈らねばならぬ時もある……だが、儂等もまた命を与える。身を捧げ、大地を潤わせる……それがいつになるかは分からんがな)
エレンケルはどこか寂し気に、悲しんでいる訳ではないが諦めているような口調でそう言う。
この世界で他者の命を奪わずに生きていくなどという優しい生き方は出来ない。どんな生き物でも命を奪い、それを糧にして生きていく。ましてやそれが竜となればその巨大な身体を動かす為に多くのエネルギーが必要となる。竜という希少な生き物を狙って討伐しに来る邪な輩も退けなければならないし、ただ歩くだけでも小さな生き物の命を奪ってしまう。それは避けようのない事なのだ。だがそんな竜もいつかは自然に身を捧げ、命を返す事になる。大地、ひいてはこの世界はそういう仕組みになっている。
(そういう風に命は出来ているのだ。自然を絶やさない為に、命を絶やさない為に。そう運命づけられている)
「……つまり、私が力を制御出来なくて周りに迷惑を掛けるのは、仕方がないってこと?」
(左様……うぬはそれでは納得いかなそうだがな)
「当り前だよ……っ!」
ルナは若干声を荒げ、不満を訴えるように地面を軽く蹴る。いつもの彼女らしくない乱暴な様子はもしもリーシャが見ていたら驚き慌てふためいていただろう。
「それじゃ駄目なの……それじゃぁ、私はただの魔王のままなんだよ……」
顔を俯かせ、口にしている言葉は段々と弱くなっていく。彼女の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
エレンケルの答えでは駄目なのだ。それでは諦めているのと同じ。結局は周りに被害を与えている。どれだけ受け入れようとしても、怖いままの魔王に過ぎないのだ。そんな呻いているルナを見てエレンケルは長い手を器用に動かし、鋭い爪で自分の顔を掻いた。
(うぬは、優しい子だな。今までの魔王はそんな事気にせず、好きなように力を使っていた……周りの事など一切気にしてはいなかった)
ふとエレンケルの言葉を聞いてルナは顔を上げる。先程まで空を眺めていた彼は今は不思議な表情を浮かべていた。同情しているのか、憐れんでいるのか、よく分からない表情。それにルナは疑問を抱く。
「だって……私は状況が違うもん。人間の村で育って、人間に育てられてる……私の心は、人間なの」
(それでも、だ。大抵の魔王なら闇の力に飲み込まれる……例え環境が違ったとしても、魔王の本能に抗えないはずだ)
まるで何かを知っているようにエレンケルはそう言う。
確かにルナの環境は本来魔族が過ごす環境とは大きく違う。だがそれでもその本質までもが染められる訳ではない。エレンケルは知っている。魔王という物がどれだけ圧倒的な力を持ち、その身も心も闇に染められているかを。正に悪の化身と呼ぶにふさわしい怪物。彼が見て来た魔王とはそういう物であった。もちろん例外もあるが、それでも魔を統べる者である事には変わりない。だがルナは違う。彼女は魔に染まらないよう必死に耐え、他者を労わる心を持っている。
(恐らくは光の子……彼女と共に過ごして来たからだろう)
光の子、すなわち勇者であるリーシャ。エレンケルはルナが平和的な考えを持つようになったのはリーシャが関係していると言った。それを聞いてルナも口元に指を当て、考えるように視線を下に向ける。
「……うん、確かにリーシャは元気で、明るい性格をしてる……辛い時でもリーシャが居るから、立ち直る事が出来た」
思い返せばルナの前にはいつもリーシャが居る。自分が魔王だという事に悩んでいた時も、苦しんでいる時もいつもリーシャが引っ張ってくれた。彼女の明るい笑顔を見ているとこっちまで元気が出て来て、幸せな気持ちになるのだ。
(希望があるとすればそれだ)
「……え?」
不意にエレンケルが重苦しい声でそう言う。それが何を意味しているのかルナは一瞬分からず、顔を上げてエレンケルの方に視線を向けた。彼の瞳は赤く輝き、ルナの事を見つめ返している。
(光の子は名が現す通り光を宿し、そして他者にもそれを分け与える。あの子ならこの世界の常識を覆し、新たな境地を切り開くやも知れん)
エレンケルからすればリーシャもまた異質な子である。勇者であるにも関わらず魔王のルナと一緒に居る事を良しとし、何も気にせず実の妹のように接する。いくら一緒に育ったと言えど、勇者であるなばら宿敵である魔王には何らかの感情を向けるはずだ。だがリーシャが抱いているのは全て愛情であった。彼女は本当にルナを妹として見ており、絶対に拒絶する事はしない。そんな勇者をエレンケルは今まで見た事がない。平和を求める勇者も居たが、あそこまで心が清らかな勇者は初めて見た。ならば、そんな彼女なら可能かも知れない。ルナが抱いている悩みも、勇者と魔王が戦わなくてはならないという常識が根付いているこの世界も、全て覆してくれるかも知れない。そんな可能性を彼女は秘めていた。
「リーシャと一緒に居れば……何かが変わるかも知れないの?」
(無論、ただ共に居れば良いだけではない……だが決して離れてはならない。うぬらは今や家族の絆よりも硬い鎖によって結ばれている。それが己らを蝕む棘の鎖となるか、血よりも濃い絆となるかはうぬら次第だ)
それは忠告のような、何らかの危険を報せるような言葉にルナには聞こえた。まるで自分とリーシャが離れたら大変な事が起こるような、そんな気にさせた。エレンケルが何を考えているのかは分からない。ただ勘で言っているだけなのかも知れない。だが竜である彼は人間とは違う視点で物事を見ている。そんなエレンケルがそう言うのだとしたら、自分達では分からない何か危険性があるという事なのだろう。そうルナは納得した。
ふと先程まで鋭い目つきをしていたエレンケルは目を半開きにさせる。そして尖った牙を無数に生やした大口を開けると、呑気な欠伸をした。
(ふわぁ……嗚呼、すまぬが……そろそろ寝かせてくれるか。儂も歳なんでな。傷の回復に時間が掛かるのだよ)
「あっ……そっか、ごめん……」
竜の五百歳が年寄りなのかどうなのかいまいち分からないが、確かにエレンケルは傷を癒す為にこの森に居る為、その邪魔をしては悪いとルナは謝った。そしてルナが彼から数歩程離れると、エレンケルは首を下ろし、地面にごろんと横になった。こうして見ると本当に少し小さめの山だ。今はエレンケルも土で汚れている為、遠くから見たら小山があると勘違いする者も居るだろう。
「じゃぁ……私は帰る。話を聞いてくれてありがとう……」
(うむ……儂の方こそあまり力になれなくてすまなかったな……)
ルナが帰る支度をしながらそう言うと、もう眠いのかエレンケルは目を瞑りながら念話にそう伝えて来る。ルナはなるべく大きな音を立てないよう、静かに地面を歩きながらその場を後にしようとした。
(嗚呼、そうだ……一つ言い忘れていた……)
突然頭の中に声が響き渡る。眠ったと思っていたエレンケルが発したのだと気付き、ルナは振り返った。エレンケルは変わらず目を瞑った状態のままで念話を行っている。
(光の子が何やら蟻共と戯れているようだ……様子を見に行ってやりなさい)
「……え?」
その言葉を最後にエレンケルの念話を途切れ、彼の顔の方から寝息のような音が聞こえてくる。完全に眠ってしまったのだろう。ルナは最後に言ったエレンケルの言葉を頭の中で思い浮かべ、しばし考えた後、ようやくその意味を理解して慌てて駆けだした。




